ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【花園 たえ】不思議なキミのアンコールを

 都心では木枯らし一号が吹いたなどというニュースがいつか聞こえていた。それもそうだと思わざるを得ないような外の凛とした空気。そんな季節に街中を歩いていると、無性に口から漏れ出る白い吐息が物寂しく見えることがある。

 特にこういったことに哀愁であったり、寂寥を感じるような性分ではないだけに、まるで宙を浮いているかのような不思議な気分だった。

 

「一番線、電車が参ります」

 

 ノイズのかかった声は、そんな物寂しさを体現する街を少しでも華やかにしようとしているのか、返事もないのにこだましている。スピーカーから流れる音声や音楽、改札を出た外の店なんかから流れてくる、明るそうで楽しげな音楽。この街にはこんなにもたくさんの音が溢れているのに、その音に包まれて生きる私の心はとても静かで、つまらなかった。

 

 改札を抜けて駅前の広場に出た私は、手すりを背にして背負ってきたギターケースを下ろした。灰色の無機質なコンクリートと、冷たい金属製の手すりを背景に下された、真っ黒なギターケース。そこに広がる世界はとてもつまらないように見えそうだけど、私にとってはその真っ黒な被写体が輝いて見えていた。

 一度広場の方を振り返り、周囲を歩く人の姿を眺める。広場とはいっても、イベントなんかを開くには少し狭い。今この瞬間にこの広場を賑やかにしている人たちも、恐らくはこの小さな都会の駅を日常的に使う近所の人たちだ。当然その人たちにはその人たちの日常があって、広場の端っこで背負っていた荷物を下ろして、これから何かをしようとする私に気を向ける人など一人もいない。

 私が黒いギターケースから、目が覚めるような青のギターを取り出してみても、私に気を留める人なんてのはやはりいなかった。いや、正確に言えばほとんど、だろうか。足を止めて、こちらを不思議そうに見つめる同じぐらいの歳の人が一人。

 なるほど、この人が今日の最初の聴衆なのか。そう考えた私は取り出したストラップを肩にかけて、目を閉じる。心を落ち着けて数秒。

 

 世界が変わった。私の指がたった今、この瞬間に奏でる音がこの黒ずみかけた落陽の街に響いている。演奏の合間にわずかに視線を上げると、さっきまで私に見向きもしなかった人たちが、一斉に足を止めてこちらを見ている。ここでこうやって弾き語りをすることなんて数え切れないぐらいしてきたから、この中には多分今までに何度か私の姿を、私の音を目撃した人だっていそうなものだ。

 でも、足を止めてくれたからと言って、全員が全員、一曲の終わりまで聞いてくれるわけじゃない。こんな寒々しい風が吹き荒ぶ駅前で人の魂を揺さぶらせるためには私の力じゃまだ足りない。

 また一人、また一人と立ち止まった人たちが立ち去ってゆく。電車が来たことを示す踏切の音が私の音楽の邪魔をした。その瞬間、まるで蜘蛛の子を散らすように一斉に人の集団が駅の方に駆けていった。仕方ない。その人たちにも生活がある。

 でも、少し前までは人の壁があったように見えた私の視界に映るのはほんの何人かの聴衆だけ。ほんの少し悲しさを覚えながら、最後の一音が昏い空に飛んでいき、一曲が終わった。

 さっきまでの人の群れが嘘みたいに消えていた。私の目の前に残っていたのはたった一人だけだった。最後に残っていた人たちも拍手もすることなく立ち去っていたのだけど、その人だけはどういうわけか立ち竦んで、小さな破裂音を手で奏でながらぼんやりと私を眺めていた。

 

「どうして最後まで聴いてくれたの?」

 

「えっ」

 

 気がついたら私は、数メートル離れて立っていたその人に話しかけていた。そりゃあ彼もビックリするだろう。駅前で一人で弾き語りをしているギタリストに形ばかりの拍手を送っていただけだろうに、それで声をかけられるだなんて。

 私は彼のそんな驚きだとかに気にかけるようなことはしないので、フリーズしてしまった彼のことなど構わずまだまだ話しかけ続ける。

 

「最初からいたよね。ずっと立ち止まって聴いてくれてたから」

 

「あっ、いや」

 

「周りの人はみんな寒くて帰っちゃったのに」

 

「そんな深い理由は」

 

 彼のことがどうにも不思議に思った私は、彼が困り果てていることなどつゆ知らず、ただただ問いを投げかけつづける。内心彼が私の疑問に対する答えを持ち合わせていないことにも気がついてはいるけど、そんなの私にとってもどうでも良かったわけで。

 結局のところ私は彼がなんで聴いていてくれたのかという理由を知りたいのではなくて、単に暇だからだとか、みんなすぐに行ってしまって寂しかったからだとか、そういう気持ちを慰めたいだけだったのかもしれない。

 

「ただ。たまたま通りがかって、こんなところで何をするのかなって気になっただけで」

 

「そうなんだ」

 

 これだけ気にしてくれた、というのがなんとなく嬉しくなって、私はまたピックを握りしめる。それまで、この街の鬱々しさに心が屈服しそうになっていたはずなのに、いつの間にやらそんな昏い空は晴れていた。そのせいだろうか、さっきよりも、今の方が体だとか、腕だとか、全てが軽く感じる。そのまま空を飛べてしまうかのようなぐらい。

 まるで淀みなく、どの音も私の心を震わせるには十分すぎるほど。こんなのに、ポピパのみんなと一緒に弾く時以外で、そうそう感じたこともない。

 気持ちいい。ただただ気持ちよくて。そんな快感に包まれながら、夢中になっていたら、気がつけば曲は最後の一小節を迎えていた。

 曲の終わりと共に目を開く。気分だけで言うなら、大きなライブでアンコールまで終わって、会場全体が地響きを起こしてしまうほどの喝采に包まれて、退場する時のような。そんな計り知れない満足感と一緒に顔を上げた。

 

 そこに、さっきまでの彼はいなかった。私はキョトンとして、暫く放心状態だった。

 いや、単に人混みに隠れているだけかもしれない。一曲目の時とは違って、他の人たちが多く、曲の終わりにも関わらず、私の周りには群衆ができていた。疎らな拍手の音も次第に一つの大きな、黒い波になって、気がつけば大きな拍手の音になっている。

 そういうわけだから、こうやって集まってくれた人の影に隠れてしまっているだけかもしれない。そう考えてキョロキョロと辺りを見回した。やがて拍手の音も収束していき、満足したであろう聴衆たちは一人、また一人と自分の帰路に着いていった。そうやって現れる人混みの隙間を食い入るように探したいはいるのだけど、やはり彼の姿はなかった。

 遂に私の目の前から誰一人いなくなって、元の静かな駅前広場に戻って、ようやく私は冷静になった。寝起きに水をかけられたようにハッとして、そそくさと帰り支度を始める。ケースにしまわれて、ジッパーに飲み込まれていくような青が悲しげに見えた。少し高く、空虚にも聞こえるその音はより一層悲しさを引き立てている。

 

「ありがとうございました」

 

 人がたまに通り過ぎるだけになった駅前の小広場に向かって、私は誰にも聞き取れないぐらいの声量でお礼を告げる。ギターケースを背負って、私は周りの人たちと同じように帰路に着くことにした。

 

 

 

 翌日。学校が終わって、ポピパのみんなと会う予定も特になかった私は、昨日の自分をなぞるかのように、同じ駅前にいた。昨日よりは少し明るく、人通りも多いように見える。このタイミングで弾き語りをするのであれば、より多くの人に聞いてもらえそうだ。

 そもそも私がどうしてここで路上ライブのようなことをしているかといえば、元は自分を知らない人たちからの反応が見られるからだ。それはPoppin'Partyの花園たえ、ではなく、たまたま駅前で見かけたミュージシャンとして見られるわけで。物凄くフラットな目線で自分のことを見てもらえるからだ。

 自分の実力を測りたい、そんな心持ちでこうやって路上ライブをしてきたというわけだったのだが、今日の私の目的はどうやらそこになかったみたいである。

 ここに来るまでの電車の中で、座りながらもぼんやりと頭にあったのは昨日の陽の落ちた広場で、私の演奏をただ一人聞き通した彼の立ち姿だった。あの十分程度という、寒空の下で立ち止まっているだけにしてはそこそこ長い時間を私にかけてくれたわけだ。なのに、物凄く私の演奏を楽しんでくれただとか、そういうわけでもなく、私の演奏を立ち聴きする彼のことがなんだか心に引っかかったのである。

 

 これから弾き始めようと、改めて周囲を確認すると、どういうわけだか彼はやはりいた。もしかしたら私が今日も来ることを楽しみにしてくれていたのだろうか、そんな少しの期待を胸に抱いた。彼以外も今日はギター弾く前からなんだか人集りのようになっていた。彼と私の間に空いた微妙なスペースを、他の人たちと共有していた。

 私はふぅと一息ついて心を落ち着けて、またいつものように弾き始める。

 普段は、観客の方を一切見ずに、ただ自分の手元に集中するなんてこともあったけど、今日ばかりは流石に、その人集りの方を気にせずにはいられなかった。

 でも、他のことに意識が向いていた割には目立ったミスをすることもなく、私は一曲を奏で終える。昨日のような拍手に満足感を覚えつつも、今度ばっかりは、私も彼が帰ることのないようにそちらをずっと気にしていた。彼を最初に見つけた時から、彼がいたポジションには常に気を払っていた。

 彼は帰ろうという素振りひとつ見せずに、直立で、乾いた拍手の音を立てていた。私の演奏に満足した一般の人たちが次々に去っていく。私が次の曲を演奏しない様子を見て、興奮冷めやらぬ様子の聴衆も立ち去っていた。けれど、やはり彼はその場で突っ立っていたものだから、私は淡々とギターをケースにしまって、クルリと振り返った。

 

「今日も来てくれたんだ」

 

「えぇ、その。昨日はごめんなさい」

 

「昨日?」

 

 そう言われて、ようやく昨日の二曲目を弾き終わった後のことを思い出した。彼はそういえば何も言わずに姿を消していたっけ。なんだか悲しいことを思い出してしまった。私は胸の中にどーんと響いた鬱々しさを見せないようにしないように努めた。

 

「途中で帰ってしまって」

 

「いいよ」

 

 彼は目のやり場に困ったように私から視線を逸らして、ソワソワしているような様子だった。彼の態度の意味もよく分からないまま、私は広場の周りをぼんやりと眺めていた。さっきまで私の演奏についてきてくれていたような人々が形作るこの会場も、演奏の数分後にはいつも通りの景色に戻ってしまっている。

 

「それなのに、どうして今日は来てくれたの? まさか、謝りにきただけ?」

 

「いやいや、とんでもないです。なんだか、もう一度このギターを聴きたいなと思ってしまって」

 

「へぇ」

 

 なんだか、変な感じがする。もちろんポピパのライブに通ってくれるお客さんの中には、私のギターを聴きに来てくれた人も一定数いるし、こういうことは言われ慣れているはずなのに。いや、今のは少しだけ驕りが混じっていたかも。

 ただ、一つだけ重要なことは、とにかくなぜか心臓で脈を打つスピードが上がっていることだろうか。人前でギターを奏でる時であってもこんなにも緊張するようなことはない。いや、これはそもそも緊張の類なのだろうか。よく分からない。けど、言われ慣れているような言葉なのに、彼からその言葉が聞けたのが嬉しいような気がした。

 

「私のファンなんだ」

 

「ファン……? いや。……たしかに、そんなところ……ですかね。名前も知らないのに、少しだけ偉そうかもしれないですけど」

 

「名前? 花園たえだよ」

 

「花園、たえ?」

 

「私の名前。Poppin'Partyってバンド、聞いたことない?」

 

「……ごめんなさい。そういうの、疎かって」

 

「ありゃりゃ」

 

 名前を出したら、聞いたことぐらいはあるんじゃないかという期待もあったけど、あっけなくそれは立ち消えた。いやまぁ、あの有名人が?! という態度に彼が急に変わってしまえば、それはそれで私は落胆することになるのだけど。

 

「バンドに疎いのに、ただの路上アーティストの私のギターには立ち止まってくれたんだ」

 

 なんだかんだ言っても、一番気になるのはここなのだ。そりゃあ心が寂しい時に話し相手をしてくれる人が居てくれることのありがたさもあるけど、彼の不思議さが気になって仕方がないのだ。

 

「なんだか、聴きたくなっちゃって」

 

「聴きたくなった?」

 

「理由なんてのは、ないんですけど」

 

「聴きたいなら、じゃあ」

 

「えっ?」

 

 困惑した様子の彼を他所に、私は再度、背負っていたギターケースを下ろした。それを見た彼はどうやら私の意図にも気がついたらしい。彼が私のギターを聴きたいと言っている。それなら私がギターを弾くのが筋だろうか。そんな単純な考え。少しだけ、あれ、と思った。

 

「いやいや、花園さん」

 

「たえでいいよ」

 

「たえさん」

 

「たえでいいよ」

 

「たえ、ここでまた弾くんですか?」

 

 彼から呼び捨てにされながら、敬語を使われるというのはなんだかこそばゆく感じる。それはそれとして、彼はどうやら私のギターを聴きたいなんて言っておきながら、ここで弾かれるのは嫌ということらしい。

 

「それじゃダメなの?」

 

「ダメというわけでは……。でも、さっき終わったばっかりでもう一回というのも」

 

「でもアンコールを求められたら応えるのがミュージシャンだもん」

 

「と言っても流石に」

 

「あっ、そうだ」

 

「はい?」

 

「じゃあ、うちに行こう」

 

「……へ?」

 

 私がそんな提案をした瞬間、彼はいつぞやの時のようなキョトンとした表情で私の方を見つめている。目線の高さが殆ど同じぐらいだから、その気の抜けた表情はものすごくよく見えるのだけど、だからこそ思わず吹き出してしまいそうなぐらいの面白さがある。

 

「おうち」

 

「いやいや、えっと。昨日会って話したばっかりですよね?」

 

「ダメなの?」

 

「ダメでしょう」

 

「そっかぁ」

 

「危ないですよ、何されるか分からないのに」

 

 彼は慌てた様子で、女の子の家に出会ったばかりの男が上がり込むことの危険性だとかを説こうとしているらしい。一般論で考えたら、彼の言うことにも一理ある。確か小学校とか、そんな感じのことを習った覚えがある。知らない人に着いて行ってはいけないだとか、物をもらっちゃダメだとか、知らない人の車に乗ってはいけないとか。

 でも。

 

「私に何かするの?」

 

「え?」

 

「キミは私の家で私に何かするの?」

 

「いや、しないですけど」

 

「じゃあ大丈夫」

 

「えっ? ちょっと」

 

 彼は私の行動を静止しようとしているのだろうか。駆け出そうとする私の手を掴む。だから私はそんな彼の手を取って、つまり掴み返して、引っ張って走り始めた。

 

「うわっ!」

 

 側から見れば、荷物の多い二人が手を繋いで走るなんていう変な絵面に見えているのかな。でも周囲の目線なんて気にしても特に意味はないので、私は彼の手を離すでもなく、彼の声に耳を貸すでもなく、帰路に向かって、駅の方へと駆け出した。

 

「えっと! なんでっ」

 

「私のお家行くんでしょ?」

 

「まだ行くとはっ。というか僕が上がるのはまずいって」

 

「大丈夫だよ」

 

 彼は声でこそ私を引き止めようとしているようだけど、力はなんだか弱々しくて、私の力でも軽々しく引きずることができていた。でも、力を抜いているだとかそういうわけじゃなさそうで、どうやら本気で私の方が力が強いらしい。これじゃ、さっき彼が説いてくれたみたいな危険はなくて、私の方がよっぽど誘拐犯みたいだ。面白いや。

 物理的に説得したら、彼も諦めがついたのか、徐々に静かになっていった。人前で騒いだりすることにも抵抗だとか、そういうのが多分あるのだろう。電車に乗るためにホームまで来たら、不安そうな表情を浮かべながらも何も言わなくなった。

 

「そんなに私の家行くの、嫌だった?」

 

 乗り込んだ電車は、帰宅時間とバッティングしそうなのに、所々座席が空いているらしい。そんなわけで空いた座席に腰を下ろしたのだが、ここまで来てもなお浮かない顔をする彼に問いかけた。

 

「そうではないですけど。なんで、出会ってすぐなのに」

 

「ダメなのかな」

 

「普通は、ダメかと。というか、たえは嫌じゃないんですか?」

 

「特に」

 

「もっと、その、気をつけないとダメですよ」

 

「なるほど。そういうものなんだ」

 

 彼に言われて改めて考えては見るけど、じゃあ彼を家に上げないでおこう、とはならなかった。他の人だったらどうなのだろうか。そんなことになったことがないから分かんないや。

 最初の方は不安そうな顔色ばかりだった彼も、時間が経てば現実を受け入れるようになったのか、すっかり元通りになった。時々息を吐いている辺り、緊張しているのだろうか。

 ほどほどに電車に揺られて、気がつけば最寄駅にまで着いていて、動きがやたらとぎこちなさそうな彼を呼びかけて電車を降りる。駅から少し家までは歩くけど、彼はその道すがらでもソワソワしている気分を落ち着けることが出来ていないらしい。

 

「そんなに緊張しなくてもいいのに」

 

「これは緊張というか。まだ現実を受け入れきれてないというか、どうしてこうなってるのか分からないというか」

 

「こうなってる?」

 

「たえの家に上がらせてもらうとか。友達ですらないのに」

 

「友達じゃないの?」

 

「えっと、ファン?」

 

「友達だよ? ファンだけど」

 

 彼がどう思っているかは別として、私にとってみればそれは友達みたいなものだった。少なくとも彼を家に上げない理由はないし、会ったのが二回目だとか、そういうのはどうでもいいことだ。

 私の家のすぐ近くまで来ている以上、今更何かを言ったとしても何の意味もないということは大体わかるとは思うのだが、何の意味もなくとも、彼は私に遠慮をしてしまうらしい。

 

「むしろいきなり家に上げてもらうっていうことが」

 

「あっ、着いた」

 

「えっ」

 

 尤もらしい言い分をつらつらと並べようとしていた彼だったが、私が足を止めた瞬間ぴくっとして、言葉に詰まっていた。でも、私は彼の手を力強く握りしめたまま家へと上がる。靴を脱いで向かった先は自分の部屋だった。

 

「まぁ……いっか」

 

「あれ、どうかした?」

 

「いえ、何もないです」

 

 自分の部屋に来ると、なんだか路上でギターを弾いていた時よりも心が落ち着くような気がした。多分今の私の顔にもそんなのは現れているのだろう。そして彼の方を見ても、どうやらそれなりに落ち着いたというか、吹っ切れているらしい。

 

「どこに座ってもいいよ」

 

「じゃあここに失礼します」

 

 ローテーブルの隣にちょこんと、小さく座った彼を見下ろしながら、私はベッドの縁に腰を下ろした。そしてギターケースから愛用の青いギターを取り出す。

 

「本当に良いんですか?」

 

「家? 大丈夫だよ」

 

「そうじゃなくて。いや、それもそうなんですけど、ギターを聴かせてもらうなんて」

 

「うん、だって聴きたいんだよね?」

 

「それは、はい」

 

 彼の返答は思いの外はっきりとしていて、それを聞き届けた私は構えようとする。そこでなんだかハッとさせられた。さっき駅前で覚えた違和感の正体がなんとなくわかったからだった。言葉にするのはとても難しいのだが、敢えて言うなら、弾きたいから弾く、そうじゃなくて、聴かせたいから弾こうとしている自分がいること、だろうか。

 

「うーん、そっか」

 

「えっと、どうかしたんですか?」

 

「ううん、不思議だね、キミって」

 

「えっ」

 

 多分彼からすれば無自覚なんだろうか。私からすれば、彼は不思議で堪らないのだけど。私のギターを聴きたいとか言っている割には、私がギターを聴かせようとすれば断ろうとする。ファンといわれればそういうわけでもなく、彼は私のギターが好きだから聴こうとしてくれているわけではない気がする。確かめたわけじゃないけど、多分そうだ。まるで捉えようのない、そういうのが一番ばっちり当てはまる。だからこうして無理矢理にでも聴かせたくなるのかもしれない。

 

「聴きたい曲は、ある?」

 

「特には。たえの持ち歌なんかがあれば、なんでも」

 

「じゃあ全部」

 

「ちょっと待って。多すぎることはない?」

 

「さぁ」

 

 私はギターを構えた。その瞬間、部屋の彩りがより一層輝きを増した。ギターの青だけじゃなくて、床のカーペットの色も、壁紙の色も、全部がさらに色濃く浮き出てきたのだ。

 

「今度は逃げないよね?」

 

「はい、もちろん」

 

「うんうん。キミに出口はないよ」

 

 多分彼が逃げようにも、私の家まで来た以上逃げられないはずだ。出口がない、詰まるところ、私が実質的に出口を塞いでいるわけだし。というか彼が私のギターを聴きたいと言ってここまできたのだ。まさか逃げるわけあるまい。

 そう確信した私は手に取ったピックを弦にかける。いつも以上に震える心臓に興奮をさらに昂らせながら、部屋の空気が振動した。

 再度彼の方を確認すると、街角で私のギターに耳を傾けていた時と違って座ってはいるものの、目を閉じて、ちゃんとこの私の指の一本一本が弾き出す音を拾おうとしているらしかった。

 

「ありがとう」

 

 多分彼には聞こえないぐらい小さく、ボソリとだけ呟いた。その呟きも続け様に部屋を揺らして止まない、光る音楽の波に呑まれていく。

 その演奏は楽しいという言葉だけでは最早表現できなかった。ただ強いていうならば、とても近い距離にいる彼がここまで聴き入ってくれているだけで私の心は物凄く満たされていた。

 本当に、あっという間だった。一曲がここまで短いと思ったことはなかった。まさか、間違ってどこかのフレーズをまるっきりすっ飛ばしたりしているのではないかと疑ってしまうほどにだ。

 彼の反応を待つまでもなく、私は次の曲へ。ただ、彼はずっと私の音を静かに聴いているらしい。そんな彼に聴かせるために、私はただ弾き続けていた。

 

 どれぐらいの時間が経ったろうか。何曲弾いたのかということすらまともに覚えていない。絶対に十は優に超えている。疲労感が如実にその事実を訴えている。

 彼は彼で、私の震える音を一つも聴き逃していないようだった。そして、それなのに、まだまだというような余裕のある表情すらしていた。

 

「疲れた、休憩しよう」

 

「……お疲れ様です。ありがとうございます」

 

 大きく呼吸するタイミングを完全に見失っていたからか、私は、そして彼も、二人揃って大きく深呼吸をしていた。ある意味、ライブ直前の緊張感を上回るぐらい息が詰まっていた。でも、彼はどうやら同時に深呼吸したのが、どうしてか気になってしまったらしい。

 

「ふっ」

 

 その時、彼の笑顔を初めてはっきりと見た。いや、少しだけ言葉が足りないか。それまで、曲の後に彼が見せる笑顔は少し作られたような、ぎこちなさも混じった笑顔だった。それが、一瞬で崩れてしまったみたいな笑顔。ギターを弾きながら横目で彼を見た時、恐らく彼が浮かべているであろう表情と同じだった。

 私はそんな顔を穴が開くように見つめてしまう。彼もそれで気がついてしまったのか、慌ててさっきみたいな変にすましたような表情に戻してしまった。

 

「……何か」

 

「ううん。本当に不思議だなって」

 

「それは、良かったです」

 

「アンコール、いる?」

 

「……いいえ、今日はこの辺で」

 

「そっか」

 

 私が見つめすぎたせいで不機嫌になってしまったのか、彼は起伏のない声色で返事をした。彼は脇に置いていた鞄を持つと立ち上がろうとしていた。

 

「ねぇ」

 

 私は彼を引き止めていた。どう引き止めようか考えついていなかったけど、ただ呼び止めた。部屋を立ち去ろうとしていた彼は止まって、こちらの返事を窺っているらしかった。

 

「明日もライブするから、来てよ」

 

「……駅前なら」

 

「うん、それでいいよ」

 

 階下に降りていく彼の後を追って、玄関のドアが閉まるのを見送った。鍵を閉めて、自室に戻って、かつてないほどに色づいた部屋を見回した。

 

 

 

 それからだ。私は毎日のようにあの駅の前の広場で路上ライブをしている。あの日のように冷たい風が吹いてはいるけど、そんな冷たい空の空気に当てられたように、山々の方はかなり紅葉が進んでいるらしい。

 そんな紅とは対極にあるような青いギターを構えて、私はまたも街角に立っている。段々とここで路上ライブをしている奴がいるらしい、なんて噂も立ってきているらしいが、私はここで変わらずギターを弾き続けている。

 大体は、何曲か弾いたら私が頭を下げて、そうなったら集まっていた人たちはまたいつもの日常に戻るっていうのを繰り返していた。そして、人が粗方散った後、まだ残っている彼に向かって私が声をかける、なんてのがルーティンになっていた。

 

「今日はどうだった?」

 

「良いと思います」

 

「アンコールは?」

 

「今日は、ちょっと」

 

「残念」

 

 彼は不思議だ。あれほど私のギターを聴きたがるのに、アンコールを求めたがらない。でも、私の音をもっと聴いていたいらしい。本当に不思議で堪らない。

 駅前の広場は、私が初めて降り立った時よりも、鮮やかになっていた。

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