ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【氷川 日菜】陽鴉の隠れる頃に

 部屋に蔓延した静寂は、あまり見慣れないものだった。窓から差し込む陽光で部屋はこんなにも暑くて明るいのに、神妙な雰囲気に包まれた部屋に、あたしたちは二人きりだった。ただ目の前、隣にいる存在が、何よりも存在感を放っている。

 あたしがここまで強く興味を持つものなんてのは、産まれてから今までを考えてみてもそうそうない。おねーちゃん、彩ちゃん達、他に思い当たるものは何かあるだろうか。突発的にるんってするものが見つかったとしても、ずっと気が惹かれるものというのは、本当に稀だった。単に不思議なものというだけじゃ、あたしの興味はそう長く続かない。それだけじゃない、特別な何かが彼にはあったのかもしれない。それこそ、おねーちゃんすらもいとも容易く超えてしまうほどの何かが。

 

「あたし、約束を守らないのだけは許さないから」

 

 あたしのすぐ隣で、あたしが望めば、キスだろうが、ハグだろうが、それどころかもっと先の恋人同士の交わりだって、不意打ちで出来てしまいそうな距離にいる彼は、あたしを惑わせ続ける目線を注いでいる。あたしはその目線に踊らされて、今もこうして彼に愛を示そうとしている。

 

「だから、あたしとの約束、全部守ってね?」

 

 

 

 

 

 彼、というのは正真正銘あたしの恋人だ。恋人だ、なんて言いつつも、あたしがPastel✽Palettesというアイドルバンドに所属しているもので、大っぴらには交際を宣言したりなんてできないし、そんなことしようものなら千聖ちゃんから大目玉を喰らうので、誰にも教えていない秘密の恋人、それが彼。

 おねーちゃんですらきっと存在を知らないはずだ。万が一おねーちゃん経由でこのことがバレたら、それこそ大目玉なんて表現じゃ済まないぐらいにお叱りを受けることになるかもしれないから、おねーちゃんにも言っていない。

 言うまでもなく、外を一緒に出歩くというのも制約がある。週刊誌などにデートの激写なんてされてしまった日にはいよいよ終わりだし、それを避けるためにも外を出歩くことは難しい。

 そういうわけで、最終的にあたしたちに残されたのは、おねーちゃんの目を掻い潜りながらこっそりうちでデートをするというのがお決まりのコースになっていた。これはこれでお忍びというか、まるでスパイのようなことをしている気分になって大層楽しい。絶対にバレてはいけないというドキドキ感と、自らの懐に居着いた安心感と、背徳感の狭間にある快感に溺れそうなのだ。

 

「今日も来たよ、日菜」

 

「わぁ、待ってたよ〜、待ちくたびれた!」

 

 一人で過ごしていたつまらない家に響いたインターホン。外のカメラを確認するまでもなく飛び出したあたしは予想通りの来訪で、何の迷いもなくドアノブに手を掛けた。突然開いたドアに、彼は驚いていたようだが、そんなものはあたしには関係のない話だった。

 例に漏れず、この日もあたしは彼を家に招いていた。姉が出払った時を見計らって玄関に訪れた彼を、あたしはものすごい勢いのまま突っ込んで抱きつく。流石に助走の勢いのままだから彼は少しばかりのけぞったが、両腕であたしを抱きとめていた。

 これがあたしにとっての彼とのコミュニケーションなのだが、これを受け止めてくれる彼は体が相当丈夫なのか、それともあたしの突進が避けられないほどに鈍いのか、一体どういうことなのだろうか。些細な疑問が頭に湧いては消えていった。

 

「待ちくたびれたって言っても、日菜がずっとストップをかけてたんでしょ?」

 

「うぅ、だって〜」

 

「お陰様で今日も商店街で小一時間ぶらつくことになってたからね」

 

「でも、おねーちゃんだけじゃなかったもん」

 

 そう、彼を家に招くためにはおねーちゃんのみならず、そもそもあたし以外家族が誰も居ない状態でしか家に招くことはできない、だからものすごく雑な言い方をすると仕方ないものは仕方ないのだ。

 どうしようもないことを敢えて口に出す、彼がそんな意地の悪いことをする意図は見え透いていて、あたしが困るところを見たい、というよりあたしが言い訳しているところを見たいとか、そういうことらしい。あたし自身、変な子と言われることには慣れているが、あたしに言わせてみれば彼の方がよっぽど変わり者だと思う。しかも、あたしの前限定で。

 

「とにかく! 家に来たんだから早く上がって!」

 

「わ、ちょっと、まだ靴が」

 

 ともあれ、あたしはもう我慢の限界だったのかもしれない。証拠隠滅のための靴隠しもさせないぐらいの勢いであたしは彼の手を掴む。引っ張って強制的に彼を家に上がらせると、自分の部屋へと連れ込むことにした。

 廊下を駆け抜けて、木製のドアをバタンと閉める。本当なら鍵をかけて、密室で彼を好き放題にしたいぐらいだけど、流石に彼に悪いと思って連れ込むだけにしておいた。

 

「それでそれで、今日は何する? この間は人生ゲームだったよね、確か」

 

「あぁ……。信じられないぐらい僕がボコボコにされたやつね。もう二度とやりたくないし、なんなら人生ゲームっていうもの自体暫くは見たくないけど」

 

「あははっ、何それおもしろーい!」

 

 彼の一挙手一投足、全てがあたしの心をくすぐってくる。興味を引き出してくれるだけじゃなくて、あたし自身の心の中の何かを満たしてくれるのだ。だからこうして、たとえ用事が一切合切なかろうが、仕事続きでちょっと忙しい時期だろうと、あたしは彼を求め続けてこうして呼び出し続けているわけだ。俗に言うデートというのはそういうものなのだろうか。

 果たして今日呼び出した分まで入れて、一体合計でどれくらい呼んだのだろうか。どれくらいの時間、あたしと過ごすためにこの家で共にしてくれたか、彼に関して気になることは尽きないし、彼と過ごす時間のどれもが刺激的だった。

 

「特別したいことがあるわけじゃないけど……。競ったりするゲーム以外のことがいいな、真面目なことでも」

 

「うーん……。勉強とか?」

 

「却下、それはそれで日菜との実力差というか、才能の差を感じちゃうから」

 

「えー。うーん、何があるかなー」

 

 彼は才能の差やらもすごく気にしているらしい。あたしからすれば何も気に病むような必要がないし、気にすらならない。それでも、彼は何度言ってもその気持ちを持たなければ気が済まないらしい。

 彼が嫌と言う分には無理強いも出来ないので、家の中で出来そうなものをいくつも思い浮かべる。

 単に二人で恋人のようなことをしてダラダラと過ごす。これは却下か。ついこの間彼が来た時も似たようなことをしてたし、あたしはそれでも構わないというか乗り気だけど、彼が渋りそう。

 ギターを弾く。これも却下だろうか。どうせなら今ここで、彼がいるからこそ一緒に出来ることをしたい。そもそも弾き語りじみたことも何回かしたような覚えがある。

 

「あ、そうだ。今度お芝居があって、それの練習がしたいから付き合って欲しいな!」

 

「え? お芝居の練習? まぁそれぐらいなら」

 

 完全に突発な思いつき。正直な話練習なんてしなくてもよい……と言ってしまうと、千聖ちゃんに頭を抱えられてしまうが、やりたいことは練習というより、彼と二人での遊戯に近い。

 彼も特に抵抗もなさそうだから机の端っこの方で眠らせていた台本を引っ張り出す。薄くだけ積もっていた埃が舞って、咳き込みそうになったあたしは窓を開け放って埃を払って、それを彼に投げつけた。

 

「うわっ。……って、これ僕が見ても大丈夫なの?」

 

「大丈夫だよ! バレないし!」

 

 あたしの返事を聞くよりも前にパラパラと彼はページをめくる。無防備になった彼の腕に擦りつくように、彼が腰掛けるベッドサイドへとダイブした。彼の方から漂う柑橘系にも似た強い匂いに頭がクラクラして、ふと気を抜くだけで彼を襲いそうになってしまうが、真剣な面持ちで台本を読み漁る彼の姿に、必死に欲望は抑えることにした。

 

「日菜、読みづらいから抱きつかないの」

 

「えー。……邪魔しちゃダメ?」

 

「ダメ。邪魔って自分で言っちゃってるじゃん」

 

 ここまで冷たくあしらわれると流石のあたしも肩を落とす他ない。思えばおねーちゃんの部屋に電撃突入した時とかもこんな態度を取られることが大半だっけ。何の前触れもなしに部屋に飛び込んで、最後にはこっぴどく怒られるというところまでがセット。彼は声を荒げてあたしを叱るなんてことはないと思うけど、少々、いやちょっと、かなり、寂しいというのが正直なところだった。

 

「……はぁ」

 

 あたしが押し黙って少ししたら、彼が何かに呆れたようにため息をつく。このため息はまず間違いなく本当に呆れたというよりは、仕方ないな、という妥協に近い時のものだろう。あたしは彼の言葉を待って、徐に顔を上げた。期待に満ちた目は演技で包んで隠しながら。

 

「キスまでならいいよ」

 

「えへへー! 大好き!!」

 

 待て、を解かれたペットの犬のように、あたしは彼に飛びついて愛を伝えるのだった。

 そんなスキンシップも適度に彼から抑えられつつでいると、彼も大方のところは読み通したらしい。練習がしたいというのも余興的な意味であり、せいぜい展開さえ分かれば特に問題はないし、何だったら単に雰囲気を楽しみたいだけだった。そんなわけで彼は立ち上がろうとするから、あたしもぴたりとくっついたまま一緒に立ち上がる。

 

「こんな感じの作品も日菜がやったりするんだね……」

 

「え? うんー、まぁオファーが来たからって感じかなー?」

 

 彼が何やら大事なことに気が付いてはいないらしいが、彼は立ち上がってからも何度も台本のページを熱心に確認している。台詞を覚えたりなんてところまで求めていないのに、それを熟そうとするのは完璧主義的なところなのか、それとも生真面目なのだろうか。

 

「やりたいのはそこのクライマックスのキスシーンだけど、もういけるよね?」

 

「……んー。まぁ、別に」

 

「あれ、ベッドシーンとかの方が良かった?」

 

「ダメ。絶対」

 

「えー」

 

 思った以上に低いトーンで返ってきた却下に、あたしの中で嗜虐心が大きくなっていく。あたしは彼と演じるベッドシーンなら嫌じゃない、どころかむしろ進んでやろうとすらしているけど、彼にとってはそうでもないらしい。変なところで真面目なのも彼らしかった。

 

「いいから、やるよ」

 

「はーい。じゃあね、このページの最初から! よーい、アクション!」

 

 映画監督と言われてイメージされるような、ありきたりな声をかけて彼を動かす。少し離れた位置に彼を立たせる。台本を左片手に持ったままで、彼は百面相みたいな顔つきで、口を動かしていた。少しばかり棒読みになるところもあるのは、彼がそうそうこういうことには慣れていないのだろうということが容易に想像がつく。それはそれで彼らしいし、あたしはニヤニヤが抑えられそうになかった。

 彼は棒読みながらも長い台詞を最後まで言い切って、こちらを見下ろす。彼の台詞が終わってしまえば後はキスを交わすだけ。そんな台本だから余計に彼は困惑したのかもしれない。彼の表情には困惑だけじゃなくて、不安だとかそんな感情も宿っていそうだった。

 

「もっと、下を向いて?」

 

 台本に台詞が載っていようが載っていなかろうが関係なく、あたしは若干放心になりかけている彼に腕を回した。出来る限り妖艶に、快活なあたしにどこまでそんな演技が出来るかなんて未知数だったが、わざとらしく吐息を漏らしてみる。

 いつもとは違う感覚に襲われて、あたしはちょっとだけ彼のすぐ近くまで顔を寄せて押し黙った。彼の頬もなんだかいつもに比べると少し紅潮している。もっと変になれ、なんていうささやかな気持ちを込めて、さっきまでは外に逃した吐息を彼の鼻頭に吹きかけてみた。くすぐったさとは違う何かに揺さぶられた彼があたしを抱く腕に異常な力を込める。あたしが抑えても止まりそうにない距離の接近にあたしは屈する。

 彼はもう演技だとか、台本のことなんてどうでもいいぐらいにあたしに揶揄われ、手玉に取られて、欲望に負けるかどうかのせめぎ合いにまで追い込まれている。喘いでも止まらない、荒い息がその証左であった。

 

「す、ストップ! ストーップ!」

 

 どうにか呼吸を確保したあたしは持てる力の全てを使って彼を止める。このまま呼吸困難なぐらいに求められるというのも悪くはないけど、それだけじゃあ少しばかり癪だし、キリがない。そこまでして彼もようやく正気に戻ったように目の焦点が合うようになってきていた。

 

「もう……。日菜ちゃんが可愛すぎるからって暴走しちゃダメだよ?」

 

 戯けたような口調で言えば、彼は急に猛省したように押し黙った。あたしとは目も合わさないようにしているのか、顔を背けてまで。

 言うまでもなく、怒ったような、注意をしたような体にはなっているけど、あたしが本気で怒っているかと言えばそうではない。今でさえ、彼に腰を抱かれてロマンチックな恋人たちのワンシーンを重ねているというのに、彼を本気で拒絶するなんてことがあるだろうか。

 それどころかこういう結果になることを望んだ上でお芝居の練習などという口実で彼を誘惑して、襲われようとすらしている。こうすれば彼はもっともっと面白くなるし、あたしの予想できない何かをしてくるに違いないと睨んで。こう聞くと論外と言っても差し支えないほどに無責任かもしれないが、彼が獣になると見込んでのことなのだ。

 彼があたしを抑えつける力強い腕。それでいて倒れないように腰を抱き寄せる優しい掌。あたしへの愛を囁いて、欲望を露わにする唇。そこから発されるあたしの脳をピンポイントで刺激して、愉悦を快感に変える甘い声。そのどれもが獣になった彼の姿で、あたしを惹きつけて離さないのである。

 普段の氷川日菜と彼との交わりだけでは得られない多幸感。いや、確かにそこには存在するのだけど、感じ取ることが難しくなった興奮をもう一度喚起するようなシチュエーションに彼を巻き込もうとしている。案の定、彼は欲望のままにあたしを求めようとして、あたしは過去にないほど心臓の鼓動が速くなっている。思えば、呼吸もできずに喘ぐぐらいになってようやく彼を止めようとしたのは、行くところまで行き着いたことが恐ろしくなった、一種の俗に言う蛙化現象に近いものなのかもしれない。

 

「ごめん、なんだか、我慢出来なくて」

 

「そっか……。えへへ……」

 

 本人は謝っているのに、それに照れ笑いで返すあたしの態度がよほどおかしかったらしい。彼は物珍しそうにあたしを見つめて、ひょうきんな顔をしている。

 きっと全てが全てあたしの思い通りなんていうことに気がついていないのだろう。そのまま気づかなくて構わないし、出来ることなら一生気づかないでいて欲しいぐらい。

 彼は少し考えてもあたしの考えが何も分からないようで、怪訝そうな、それでいて不安そうに瞳を揺らしている。あたしは満足げに、棒立ちの彼に抱きついた。

 勢いよく飛びついたあたしを受け止めて支えてからも、彼は静かなままだった。僅か数分前まで彼に宿っていた獣はすっかり冬眠に入ってしまい、そこには心優しいあたしの恋人が怯弱にあたしの反応を待つばかりだった。こういうところが面白くて、あたしの全てを満たしてくれて、堪らないのだろう。

 

「もうあたしを襲おうとしてくれないの?」

 

「……僕、そんなに荒々しかった?」

 

「そうだねー。あたしが少しでも気を抜いたら、すぐにでも床に押し倒されて、身体の隅から隅までキミのモノにされちゃいそうなぐらいには怖かったかな?」

 

 彼の描写は、あたしが望む妄想をまさに具現化した通りで、どちらかと言えば真実からの方がかけ離れている。ただ、あたしの思惑が予想以上に上手くいっただけで、彼は現に獣になったのだ。だから何も嘘は言っていない。

 

「でもどうしたの? いつもあたしのことを傷物にしちゃう時よりも手荒だったよね。台本にそんな風に書いてたっけ?」

 

「え、いや。台本には台詞以外何も書いてなかったけど」

 

 そうだったけな、なんて彼の言葉を聞いてあの台本の中身を思い返す。といっても一度通して読んだぐらいでしかないから細部まではっきりと確証を持って覚えているわけではない。ただ、彼の言う通り、どういう風に演じろなんて書いてなかった覚えがある。なんだったらあの時のあたしの立ち居振る舞いだってあたしの気紛れと言ってもいい。

 となると、彼の獣性の発現はまんま彼の欲望であり、あたしの思い通りだった。そう考えるだけで余計に嬉しくなってしまう。ただ、それとは打って変わって、彼の方はと言えば表情が暗いままだった。

 

「……日菜の隣にいるのは、僕じゃないのかなと思ったから」

 

「どういうことー?」

 

「お芝居の時、それを演じるのはその俳優さんであって、僕じゃないよね。それがやり切れないって思った、それだけだよ」

 

 そう言うと彼は戯言を残したと言わんばかりに嘲笑的な咳払いをして、ぼんやりと部屋を彷徨い、太陽の差し込む窓際に近寄っていた。徐に離れた彼の手に、あたしは一抹の寂しさを覚える。何の変貌も変わり映えもしない自宅の窓からの景色。本当の意味ではありえない諸行無常を愛でる彼の手があたしに触れていないことが我慢がならなかったからだろうか。あたしはそういう意味の限りでどうしようもなく幼稚だった。

 

「演技でも、日菜の隣にいるのは僕じゃなきゃ嫌だ、なんてね」

 

 ただ、それを遥かに上回るほどに彼は幼く、拙い考えをしていた。普段の様子を知る限りじゃ、精神年齢なんて圧倒的に彼の方が上。周りのどんな人間に聞いたとしてもあたしの方がガキだなんて言われそうなものなのに、あたしの前にいる彼はあたしなんか比にならないぐらいに我儘であった。

 でも、それは何も悪いことじゃなくて、むしろあたしにとっては好都合どころか、あたしを心底楽しませてくれる要素でしかない。真正面からそれを伝えられるほどの勇気を今は持ち合わせていないから、寂しそうな背中を見せる彼の、大きなシルエットに背後から忍び寄って、こっそりと抱き寄せるのだ。

 

「うん。演技でもダメなんだ?」

 

「そんな姿を見なきゃいけないのなんて、我慢出来ないから」

 

「うーん、そっか」

 

 あたしが興味を持つ人なんていうのは大概の場合あたしとかけ離れた人の方が多い気がする。例えばおねーちゃんだとか、彩ちゃんだとか、正反対のタイプ。だってそっちの方が面白いから。

 彼の面白いところは、全くあたしと違うのに、あたしと全く同じになれるのだ。彼が自分からなっているかと問われると違うかもしれないけど。何だったら、あたしがあたしと同じになるように誘導しているということすらあるのかもしれない。だからこそ、普段人の気持ちを察するのはあまり上手くないあたしでも、彼の持っている気持ちは痛いほど分かった。

 

「……驚いた、キミもそんなに妬いたりするんだね」

 

 そう、彼も、なのだ。違うようで同じ、彼なのだ。彼があたしへの異常……というほどまでは達しなくとも、つまらない程度の独占欲を見せるのと同じ程度には、あたしも嫉妬だとか、嫉みの感情の塊であるし、彼の程度じゃ生ぬるいほどに独占欲の塊だった。

 

「だって、日菜は僕だけの日菜でいて欲しい」

 

 あぁそうだ。彼はあたしだけの彼でいて欲しい。例えおねーちゃんであっても彼のあたししか知らない一面を知るのは許せないし、もしも垣間見でもされてしまえば、あたしは怒り狂ってしまうかもしれない。

 極端な話、外に外出しているところを知られるのだとか、しょうもないゴシップ記事を売り撒く週刊誌のスキャンダルに載ろうが、そんなことはあたしにとって本当にどうでもいいのだ。千聖ちゃんに怒られようが、おねーちゃんがあたしを叱ろうがどうでもよい。

 もっともっと大事なのは、こんなに愁いに潰れそうになっている彼の姿をあたし以外の誰もが知らないというのが大事で、彼がこういう状況——おねーちゃんを含めて、あたし以外の家族が誰も居ないところ、あたしの部屋——でしかあたしと過ごさないのはそういうわけなのだ。極端な話あたしの行き過ぎた我儘であり、あたしの醜い独占欲を、体のいい社会的な言説で覆い隠しているに過ぎない。それに易々と騙されてくれる、もしかしたら本当は全てを察してしまっているかもしれないが、そういう彼の優しさの上に成り立っている。

 

「……るんってきた!」

 

 そう考えるだけで、あたしの心はひどく高揚するし、より彼に引き寄せられるようなそんな気がするのだ。あたしが彼の背中を抱く力はさっきにも増して強くなる。彼がもしかしたら痛がっているのかもしれない、そんな心配はとっくのとうに捨ててしまった。

 

「約束しよ? キミだけのあたしにするって」

 

 それは言うなれば、彼をより強くこの空間に、あたしと二人きりの空間に縛り付けるために唱えた呪いのようなものだった。彼はきっとここまで覚悟が出来ていないだろうに、それを強要するのは少々残酷で手荒い真似かもしれないが、これ以外にあたしは彼があたしを傍に置いてくれる手段を知らないのだから仕方がない。

 窓に当てられたままの彼の手の甲に自分の掌を重ねた。まだお昼過ぎだから、春がまだやってこないこの時期でもどことなくガラスが暖かく、熱を持っている。

 彼はガラスに右の掌を残したままこちらを振り返る。途端に目が合ったけど、今度は彼も目を一切逸らす様子もなく、僅かな高低差だけが残っているのみだった。

 あたしのこの卑怯な瞳は彼にはどんな風に映っているだろうか。それだけが不安であったが、これまで数え切れないほどの根回しを彼にしてきて、彼があたしを悲しませることなんてしないという絶対的な自信があたしを包んでいる。ただ、どことなく払拭し切れない不安が、あたしの眼前で翡翠色の前髪となって揺れていた。

 

「僕だけの、日菜?」

 

「うん」

 

「僕だけの日菜……」

 

 何という甘美な響きだろうか。未だかつて経験したことのないような満足感。彼は彼で、何度も口に馴染ませるかのように繰り返してそのフレーズを呟いている。あたしの幼稚な独占欲を満たすための愛の言葉を何度も繰り返している。それはもはや、恋愛云々を通り越して、人生そのものを彼に委ねようとする、プロポーズじみた覚悟すら含んで、ほぼゼロ距離に立ち竦んだあたしたちを縛りつけようとしている。それに興奮すら覚えるあたしの姿だって、彼以外は誰も知らないのだ。

 興奮に打ち震えたのか、それとも完全に未知の感覚に怯えてしまっているのか分からないけど、あたしは自分の体を襲う震えや悪寒を、彼を抱きしめて払い除けようとしている。それを助長するかのような彼の答えは、熱い抱擁だった。

 

「あたしはもう、キミから離れられないよ?」

 

 揺さぶって、揺さぶって、どんどん彼を追い込んでいく。執拗すぎて、自らの性格の悪さが鼻についてしまいそうだけど、そんなこともお構いなく。こうすれば、彼はあたしの予想通り、力も、考えることすら放棄して、あたしの元へ倒れ込むだろうから。

 部屋を支配したのはたった数瞬の静寂。窓だけでなく、ドアも完全に締め切られた密室で、一向に落ち着きを見せないあたしの呼吸だけが重く響いていた。

 

「日菜」

 

「えっ?」

 

 でも、あたしのそんな予想通りを上回ってくるのが彼だった。そうだ、ここがあたしがいつの間にやら彼の沼にハマっていたところで。

 

「僕も、もう日菜から離れるつもりはさらさらないよ」

 

 それまで唯一の外界を見渡せる窓から離れようとすらしなかった彼が、何の前兆もなく体ごとこちらを向けて、真正面からあたしは抱きしめられた。思い返せばこんなことは初めてかもしれない。あたしから彼に飛び込んでいくことは何度も数え切れないほど見たけど、彼がこうしてあたしに強い独占欲を晒しながら、自らあたしを捕まえたのは。

 あたしの視界は急に真っ暗になった。それまで太陽の明かりが部屋を遍く照らしていたのに、それらも全て夜が訪れたかのように真っ暗闇になったのだ。

 なのに、それはあたしをさらに喜ばせる。あたしは彼からは見えないところでほくそ笑んでいた。どうにかこうにか顔のニヤケを封じ込んで、彼の胸に埋めていた顔を上げた。

 

「だから、二度と離さないよ」

 

「……うん。あたし、約束を守らないのだけは許さないから」

 

 脅しと言われても文句が言えない契りを結んで、彼の瞳は潤いに満ちたまま揺れている。どんな夜闇よりも深い黒闇があたしを惑わせる。嫉妬心に塗れた双眸があたしを捕らえて離さなかった。それは契りを体現していて、彼の言葉のどこにも嘘が隠れていないことを証明しているようだった。勿論、あたしの言葉にだって嘘偽りが隠れていないし、そのような不義理は束縛を好むこの目線が許さず、彼とのゼロ距離こそが誓いの証だった。

 

「だから、あたしとの約束、全部守ってね?」

 

 あたしの意地の悪い恍惚的な微笑みに、彼は震えが収まらないほどの力を込めた抱擁で返事をした。

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