ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【パレオ】卒業の桜色に寄せて

 部屋は暗い。隅に置かれて、微動だにしない桜色の棚も、グレーにしか見えない部屋の中。部屋唯一の光源は、ベッドに出来た皺を辛うじて照らせるほどの弱いブルーライト。明かりさえつければ、時代を獲ったアイドルのステージの如く眩しいはずの私の部屋も、今となっては物寂しさすら感じられる部屋となっていた。

 こうしてベッドの上に寝転がって、氾濫しそうな情報が垂れ流されるばかりとなったSNSを見続けるのは時間の無駄か。そう思って私は外を隠していたカーテンを思い切って開ける。夕方なんて時間帯はとうに過ぎてしまい、空はまだなんとか色彩を感じ取れる青に落ちていた。

 

「卒業……ですか」

 

 カーテンが開いた外には、丁度開花し始めた桜の花びらが、街灯に照らされてほんのり薄い赤となっていた。その桜並木は街を抜けて、新しいステージへと羽ばたこうとする学び舎まで続いている。

 私も来年は中学校を卒業する、そう考えると少し気の遠いような話のようにも感じられるが、私にとって卒業というのはそう縁遠い話ではなかった。

 実感があるという意味ではない。最後に自らが卒業という経験をしたのは小学校、つまりは二年前のことだし、はるか遠くの出来事のように覚えている。

 前日まで友人達との笑い声が残響していた教室は、最後のHRが終わってからは静寂に包まれて。多くの学びを記したノートを載せていた机も、もう動かされることもないまま、主人を失って静かに桜が散り始めるのを待っている。そんな学校を卒業するというお決まりの光景でさえ、自分の姿と重ね合わせるのは難しく、それでいてすぐ隣に立っているようだった。

 誰に聞かれるわけでもなくため息をつき、ベッドの上に放り投げて放置されていたスマートフォンを拾い上げる。画面の中央にデカデカと画像の貼られたそのスマートフォンには、私にとって近しい卒業がありありと写っていた。

 

「彩ちゃん、千聖さん、日菜ちゃん、麻弥さん……」

 

 自分の身内が卒業するだとか、そういうのではなく、自らの推しこと、Pastel✽Palettesの四人が高校を卒業する。それは、私にとっては自分のこと以上に大きな節目であった。比喩だとかそういうことではなく、自分にとって大事や存在が次のステージを目指して歩み出すという姿は、これ以上ないほどに私の心を打つものだった。

 彩ちゃんの投稿には、高校を卒業する四人、それからただ一人高校でもう一年学び続けるイヴちゃんが、各々凛々しく、そして尊い表情を残して写った写真がアップされていた。不思議と五人の背後には白い光がステージライトよりも明るく見えているような気がする。

 

「大学という舞台でアイドルを続ける四人と、先輩たちの姿を見送りながらアイドルとブシドーを追うイヴちゃん……。うぅ……泣けます」

 

 きっとなにも知らない人からすれば、私の姿はとてつもなく滑稽に見えるはずだ。親族だとか自分が、二度と通ることはない校門の前で写る写真に涙するというならば分かりやすい。けれども、ただファンというだけでしかない存在の卒業の写真。それを目にして涙するというのは、そういう立場でないと分かり得ない感情のはずだ。四人が手にした卒業証書の金の文字がやたらと歪んで見えているのは、私がそちら側の人間であることの証左だった。

 部屋を見渡せば彼女達を模した人形や、ありのままを写したポスターがあちこちに顔を出している。私が今まで彼女達を追ってきた歴史がそのまま部屋に遺されていると言っても過言ではない。そんな空間にあって、私はただ感涙に打ち伏しているのであった。

 そんな最中、突然部屋のドアがノックされて、私は飛び上がりそうになった。正確には、寝転んだままだったのに、驚きのあまり体を急に起こして、画面に残ったオタクの残滓をタスクキルしていた。私が何かの返事だとかをするよりも先にドアは開く。誰の来訪かをこの目で確認するよりも先に、声が届いていた。

 

「入るよー? れおな」

 

「わっ。……もう、突然入ってくるなんて脅かしたりなんてダメだよ」

 

『れおな』。そんな自分の名前が呼ばれるのを聞いて、私はふっと夢から醒めたような気がした。それから急いで部屋の電気を点ける。慣れた口調で返せるあたり、私もこんな光景に見慣れてしまったのかもしれない。私の優しめの口調の抗議に、少しばかりタジタジの態度を見せた彼は、私の恋人だった。

 彼の髪は不自然にハネていて、まだ風の強く吹いている外を歩いてここまで来たのだろうと予想がついた。私の不自然な目線に彼も気が付いたのか、恐る恐る掌で頭を押さえて、髪のハネを直そうとしている。

 

「ごめんてば」

 

「というより家に来るって言ってくれてたら出迎える準備もしたのに。突然だね」

 

「え?」

 

 あれ、私は何か変なことでも言ったのだろうか。いくら春休みで今日だって明日だって学校もないとはいえ、親しみ深い恋人同士だとはいえ、何の事前の連絡もなく恋人の家に来るだなんてかなり大胆ではないだろうか。ともすれば声を大にして言えないような密会の様相を呈する余地と受け取られても仕方がないような状況なのに。

 ただ、彼は私の正論じみた言葉に対しても、何もピンと来ていない様子だった。言葉の意味が理解できないほどではなかったはずだから、どういうわけかと怪訝な顔をしていると、彼は思い出したようにスマートフォンを取り出して、こちらに突き出してくる。

 

「さっきれおなに連絡したでしょ? これから行くよって。しかも、れおなも『わかったー』なんて返信してるじゃん」

 

「あれ、あれ?」

 

 そう言われて見せられた画面には桜の花びらの舞う背景に浮かび上がるように、間抜けな私の返答が。変なコラ画像だとかでもなく、私のスマートフォンで確認しても間違いなく私はその返信をしている。それも二時間前だとか、それぐらいに。

 まるで記憶の糸を辿るように、自分の今日の午後の行動を目を閉じて思い起こす。お使いから帰って、春休みの宿題をちょっとだけ進めて、休憩がてら彩ちゃんのSNSをチェックしにいって。あれって何時ごろだっただろうか。小腹が空いておやつの時間にしようかと迷ったぐらいだったはずだから三時ごろか。

 となると、彼に返信したのは丁度過去の投稿を遡ったりしていた時間帯だ。

 

「……あ!」

 

 ある一つの可能性に思い当たった私の頭の回転速度は急に速くなる。彼が非常識みたいな言い方を先程までしていたのに、私は恐らく、いや、間違いなく。

 

「ごめんなさい! 完全に無意識に送ってた!」

 

「ああやっぱり」

 

 卒業していくパスパレの皆さんの投稿に想いを馳せている間に来た連絡に、私は深く気に留めることもなく返信していたらしい。仮にも恋人という大切な存在に対してそんなぞんざいな扱いをしていいのか、なんていう意見をもらっても致し方ないような失態に、勢いよく私は頭を下げた。

 ただ、彼もどういうわけか見当がついていたらしく、ひどく呆れたりした様子もなかった。これまで似たような失敗をしたことがあるわけじゃないけど、パスパレのことに心を奪われていた姿なんてのは幾度となく見せた覚えがあるから、そういうことなのだろう。彼とて、私のアイドル趣味、特にパスパレ関連の追っかけの様子については詳しく知るところなので、多分納得もいったのだ。

 

「ま、それはそうとお邪魔しまーす」

 

 彼はローテーブルの脇にトートバッグを立てかけると、床に腰を下ろした。私の手渡したクッションをお尻の下に敷くと、教材らしいものを取り出す。

 

「勉強?」

 

「うん、約束してたでしょ? 勉強会するって」

 

「あ、なるほど」

 

 そう言えば数日前に会った時に次に会う時は宿題を消化しようみたいな話をしていた覚えがある。なるほど、彼は今日はその用件で来たのだ。

 普通の中学生よろしく、この学年の変わり目の折には一年の振り返りと称した大量の課題が出されている。別に勉強だとか宿題をやること自体は苦ではないのだけど、忙しいバンド活動の合間を縫ってこれをやるには少しばかり時間が厳しいところもあるので、どうせなら二人でやってしまおうという魂胆だ。

 ただ、改めてこの宿題の束みたいなものを見ると憂鬱な気分にはなってしまう。五教科全部から宿題が出ていることを考えると納得せざるを得ないけど、彼の腕の横に積まれたテキストとプリントの山は禍々しさすら放っている。勉強が私よりも嫌いだとかいう彼からすれば、まさにラスボスと言ってもいいような存在だ。

 

「これ全部終わらせないといけないとか、本当に長期休みは損だよな」

 

「でも一年間の勉強が適当なまま進級しても、来年が苦しくなるだけだよ? 頑張ろう?」

 

 だって来年は受験が、なんて続けようとしたところで思わず私は苦しくなって押し黙ってしまう。環境の移ろい変わることが、今の私にとっては苦でしかなかった。

 

「一年間の勉強なんて言われても……。常識的に出していい宿題の量ってものがあってだな」

 

 私も彼の対面に腰を下ろして、カバンの中からテキストなんかを取り出してテーブルの上に積んでみた。幸いなことに私の山の高さは、彼のそれよりも幾分かましらしい。もちろんその山の中身がどれほど重たいものかなんてことはわからないけど。

 彼は私の出した本だとかを見つめて、目を丸くしている。そして、途端に絶望を前面に貼り付けたようにして、机の上に突っ伏した。大してこの机が大きいというわけでもないし、彼が突っ伏してしまえば、机の上は彼の体で埋め尽くされてしまう。完全に意気消沈した彼を起こそうと、筆箱の中から私はシャーペンを取り出す。カチカチカチ、なんていう悪魔の音を響かせて、私は彼の手の甲をシャーペンの芯で素早く二回、突き刺してみた。

 

「あ、痛い痛い痛い」

 

「自分の宿題をやらないだけじゃなくて、人の勉強を邪魔するおバカさんへの罰ですー」

 

「ちょ、分かった。起き上がるから」

 

 流石にちょっと痛かったらしく、慌てて彼は起き上がる。けれども、ついさっき突っ伏した時と同じように、絶望というか、不満げな表情のままだった。彼の目線はほんのり赤くなってしまった右手の甲ではなく、彼の横で無言のまま聳え立っている本の山だった。緑に黄色、ピンクに青とやけに現実よりカラフルな山並みが、彼に絶望を突きつけていたらしい。

 

「……ちょっとだけ手伝って、って言ったら?」

 

「だーめ。というより代わりに私が書いても結局文字とかでバレると思うよ?」

 

「一杯ハグする! れおなが満足するまでぎゅーってするから!」

 

「……ダメなものはダメ! 大体それじゃ、得しかしてないじゃん」

 

 自分でこういうのも恥ずかしいというか、自惚れと取られてしまいそうなのだけど、宿題を私がやるにしろ、彼が私を抱きしめてくれるのも、完全に彼にとっては良いこと尽くしでしかない、はすだ。彼の必死な懇願の態度に、わずかに心が揺れてしまうけど、ここは私も心を鬼にして断ることにする。彼がやらなければいけない分の宿題を私がしたところで、彼にとってはなんの意味もないはずだから。

 

「ハグだけじゃダメだと言うのか……!」

 

「ハ、ちょ、そういうことじゃないから! 終わらないから早くやるの!」

 

「はぁい」

 

 流石にこれ以上ごねても仕方がないと分かったのか、渋々、いや、やけに分かりも良く宿題に手をつけ始めた。分からないところが多いだとか、勉強が苦手だとか言っていた割には、本の中に散りばめられた問題をすらすらと解いているらしい。

 さらに言えば、彼は一度集中すると、ちゃんとその集中が持続するし、それでいて一旦やり始めたら最後まで頑張ろうという姿勢が強いからなのか、目の前で彼の少しだけカッコいい表情を眺め続ける私の視線に気がつく様子もないらしい。これはこれで、私にとっては楽しい時間ではあるけど、それじゃあ彼がここに来てくれた意味も無くなってしまいそうなので、私はぼーっとせずに頭を思い切り横に振る。

 彼の順調な進捗に私も安心して、それでいてなんだか心がスッと楽になって、自分も宿題に取り掛かることにした。

 

 

 

 彼がうーん、と唸る声に、私の集中は不意に途切れてしまった。さっきまで何一つ滞ることなく動き続けていた手も止まってしまって、何の意図もなく視線は部屋の隅に隠れるように置かれた時計に向いていた。

 彼がここに来た時間から考えると、精々この集中が続いていた時間はまだ三十分ちょっとかそこららしい。感覚だけで言えばもう一時間は余裕で過ぎていると思っていたから、自分の集中力の弱さに辟易としてしまった。

 私の集中力が途切れてしまっても、目の前で問題を解き続ける彼の集中は保っているらしく、私がキョロキョロしていても見向きもしない。そんな直向きな姿を見て私ももう一度頑張ろうとシャーペンを握り直してみる。

 なのに、思った以上に手が動かない。完全に私の注意は他の方に向いてしまっているらしかった。仕方がなく、いや、当然のように私は床の脇に置いていた自分のスマートフォンを触っていた。

 

「……彩ちゃん」

 

 思わずそう呟いたのは、無意識で開いていたSNSに、彩ちゃんの泣き顔が写っていたからだった。彼が来るよりも前、私が小一時間とは言わずとも、数十分もの間眺めていたかもしれないあの写真。これを見ると、私は感傷的な気持ちにならざるを得なかった。

 

「ん、れおな?」

 

「え?」

 

 私は不意に自分の名前を呼ばれて、頭が真っ白になる。声に釣られて視線を上げると、利き手にペンを握った彼が不思議そうな表情でこちらを見つめているではないか。

 

「あ、ご、ごめんなさい! 気になっちゃったよね」

 

「ううん。俺もちょっと疲れて気を抜いてたら、れおながものすごく悲しそうな表情してたから」

 

「えっ。そうかな」

 

 ベッドの手前に置いてあった姿見は偶然にもこちらを向いていた。それを見れば確かに、私の顔はなんだか気落ちしたような、暗い表情をしていた。

 何はともあれ、私の不注意で出た声に彼は集中を切らしてしまったらしい。一応確認だけすると、私以上に彼の進捗の産み方は凄かったらしく、今日始めに見た時と比べると、テキストは一気に薄くなっているようだった。

 相当な心配を掛けているらしい。彼はなんだか申し訳なさそうな、浮かないような、そんな複雑そうな顔をして、徐に腰を上げた。彼が座っていたクッションが一気に膨らんで、元の形に戻っていた。そして、彼は私の隣に腰を下ろして、ベッドの側面にもたれながら私のスマートフォンを覗き込む。

 

「パスパレの彩ちゃん。もう卒業だもんね。彩ちゃんだけじゃなくて千聖ちゃんとか、日菜ちゃん麻弥ちゃんも」

 

 名前を聞く度に、ステージで何度も見た五人の笑顔や涙が。それでいて、この写真に写る姿や、学校で送ってきたであろう学生生活の輝きが頭を過った。私はなんだか心が苦しくなって、棚の横に置いていたぬいぐるみを抱きかかえていた。

 

「……うん。なんだか、寂しくなるというか、ファンとしてはやっぱり怖くなったりもするよね」

 

「え? 怖くなる?」

 

 私の肩と彼の肩が少し触れた。私が脱力したように彼の肩にもたれかかると、彼もそれを受け止めながら、それでいて私の気持ちに応えるように、私の方へともたれかかる。そのまま、彼はこちらの表情を窺っているようだった。

 

「うん。これまでは高校っていう学び舎で、アイドルをしてって。でも、これからはまた別のステージで、これまでのパスパレとはまた違うアイドルをするんだろうなって言うのが少し、寂しくて怖い、かな」

 

 なかなか言葉にするのは難しい感情だ。よく、古参を自称する熱心な追っかけが、知名度が上がって大きな顔をするみたいな、そんなものに近いようで少し遠いものがある。段々と自分から遠い存在になっていくような、私の知らないアイドルとして羽ばたいていくのが哀愁を覚えるようでどことなく寂しい。自分の知っていたはずのパスパレがまた別のパスパレに変わっていくような気がするのが、言い知れない恐怖を喚び起こす。

 理解はし難いものだと思う。それでいて我儘な感情だということも分かっている。ただ、漠然と辛いというのが正しい。

 

「……そっかぁ。それぐらい、れおなはパスパレが好きだってことだよな」

 

「うん。……あっ、もちろんその、推しと恋愛は違うから」

 

「え? あぁ。それぐらいは分かってるから大丈夫大丈夫」

 

 彼は私の臆病さの極みを笑い飛ばしながらも、改めて部屋を見回していた。部屋にはあちこちにパスパレの息遣いが残っているし、そんな卒業に怯えるセンチメンタルな私の感情すら乗り憑っているような気がする。

 

「卒業って、馴染み深いようで、なんか別世界みたいな話に聞こえるよね。況してや自分のことでも、自分の学校のことですらないし」

 

「え? ……うん。それは、そうかも」

 

 そう言われて、自分の学校で先週ぐらいにあった卒業式を思い出す。校門前の看板はそこまで華やかに装飾はされていなかった気がする。それと、写真に写っていた花咲川や羽丘の看板を見返してみた。校名が違うのは勿論、付いているお花の数も、色も、位置も違う。至極当たり前だけど。

 中学校と高校、そういうところでさえ違う。それまで意識していなかったような違いも浮き上がってきたかのように差異が見えるようになった。

 烏滸がましい。そんな評価が正しいのかもしれない。一介のファンに過ぎない自分がアイドルという本来なら雲居に等しい存在に親しみを覚えるということが過ぎたことだったのかもしれない。だとすれば、私は完全に自ら驕り、失望したとんでもない間抜けということになってしまう。ただ虚しさが募るばかりだった。

 

「れおなはさ、卒業してから、どうするかとかって決めてるの?」

 

「え? どういうこと?」

 

「あと一年、中学校通ってさ。受験勉強するのかしないのか、まぁ真面目なれおなならやりそうだけど、それで中学校卒業して。その後のこと決めてるのかってこと」

 

「中学校、卒業してから?」

 

 改めて目を閉じると、自分の経験した卒業式、つい先日のことが思い返される。もう帰ってこない中学校での日々を懐かしんだり、違う道へと歩む同胞と涙を流していた先輩たちの姿。一年後はあそこに、自分が立っている。

 彼が言う通り、私はどうせ受験勉強はしていそうである。どこの高校を目指すかなんてことは決めていないけど、多分自分の意欲が続く限りは勉強を頑張って、高校に入り、それで、私は高校生になってどんな姿をしているのだろうか。

 RASは、パレオは、その時もまだ同じキーボードを奏でているのだろうか。チュチュ様、レイヤさん、マッスーさん、ロックさんと同じステージに立つことが出来ているのだろうか。

 彼との関係も続いているのも分からない。今の彼への気持ちは一時の儚い恋愛感情に過ぎないのだろうか。経験も浅いもので、感情の昂りがどれほどのものなのかということすら皆目見当もつかない。人間関係全般が、そういうものなのかもしれない。

 何も分からなかった。進路が決まっていない、なんていう怖さがどうこうとか以上に、一年後の自分の姿がまるで想像もつかないのが恐ろしい。自分と、その周りを取り囲む人々や環境。まるで、いつかに沈んでいた真っ暗闇にもう一度深くまでずっぽりとハマってしまったみたいだった。

 

「分から……ない。分からないよ、そんなの。未来のことなんて」

 

「うーん。まぁ、未来がどうなってるかなんてのは分からないよね。けどさ」

 

 彼は何かを思案するように目を閉じる。そこまで言い切った時点で何かを言うでもなく黙りこくってしまった。勿論だけど寝ているとかそういうことではなく、本当に小さく呼吸の音だけが聞こえる。

 暫く経っただろうか。痺れを切らした私が彼の様子を確認しようと僅かに身動ぎする。顔を覗き込もうとしたら、彼が漸くゆっくり目を開いた。

 

「未来がどうなってるかは分からないけど、未来にどうなりたいか、ならイメージとかあるんじゃない?」

 

「未来にどう、なりたいか?」

 

「うん。俺だったらそうだな、中学校卒業して、高校で軽音始めたりとか、どうせなられおなみたいにキーボードしてみるのもいいかも、なんてな」

 

 そう言われて、私は改めて未来に想いを馳せる。れおなは、パレオは、どうしたいのか。あの輝かしいステージに立って、思い思いの音楽に酔いしれて、時にはパスパレのライブを観に行って、そのあまりの可愛さに打ち震えて。そう考えると、中学校の卒業という節目を迎えても、あまり変わっていないのかもしれない。私は、私自身という人間自体は次のステップで頑張るとしても、実質は意外と変わりそうにない。

 

「なんとなくは、イメージがあるけど。でも、そんなに今と変わったりは」

 

「今と変わらないってことは、バンドもやるし、みたいな?」

 

「……うん。パスパレを追っかけたりだって、勿論恋愛も。高校生になって勉強が難しくなったりはするかもしれないけど」

 

「そうだなぁ。変わることもあれば、変わらないこともあるよな。これぞまさに諸行無常ってやつだな」

 

「ちょ、ちょっと違うような」

 

 諸行無常。この世の全ては移ろい変わり、即ち変化が生じないものなど存在しないということ。その言葉の意味をそのまま捉えるなら結局全部変わってしまっているような気もするけど、なんだか彼の言わんとすることがほんの少し分かった気がする。

 

「れおなは、パスパレの卒業が寂しいんだっけ。自分の知らないパスパレになるかもしれないのが」

 

「そんな……感じかな」

 

「でもそれって、仕方がないことだよな。時間は待ってはくれないし。それでいて、本当に卒業したからって、そんなに変わることかな?」

 

「変わること?」

 

 頭の中にフラッシュバックしたのは、これまでのパスパレのステージの数々に、SNSにアップされた卒業の記念写真。

 

「だって、卒業してもれおなの好きなパスパレには変わらないでしょ?」

 

「あっ……」

 

「むしろ、卒業したからって、態度がすぐにコロって変わるレベルのファンなのか?」

 

 私は勢いよく、捻じ切れてしまうのではないかと思うぐらいに、首を横に振っていた。私がそんな細かいことに囚われすぎるような、理想を押し付けるような、浅ましいファンなのかどうか、自分の胸に手を当てて考え直していた。

 喩えパスパレの誰かが炎上したりだとか、そもそもパスパレがまた何かでネットで叩かれていようが、私はパスパレのファンを辞めることはないだろうし、応援し続けるだろう。そこまでして、本物のファンというもののはずだ。

 

「大学生になって、もしかしたら変わることもあるかもしれないけど、それでもありのままのパスパレを応援するのが、ファンってものだろ?」

 

「……その通りだよね。私はパスパレの皆さんが高校を卒業しても、大学さえ卒業しても、ずっとずっと、あの五人を応援し続ける、それは、私のやりたいことだから」

 

 ただただ静かな部屋で、なんだか気持ちの整理がついたような気がした。卒業という節目として描かれるイベントに、あまりに引っ張られ過ぎたのかもしれない。変わっていくものの中で、変わらないものも見つけながら、私は直向きに、バラバラの道だとしても歩き出そうとする人達に声援を送り続けるだけなのだ。そこに一抹の寂しさを感じることがあったとしても、それは終わりだとか、そういうことではない。新たな始まりを前にして、不安に囚われ過ぎずにいなくてはならない。

 私はふぅ、と小さく息を吐いた。心の中に巣食っていた辛い気持ちが一緒に吐き出されて、消えていくような感じがした。

 

「卒業って寂しいけど、案外、悪いものじゃないのかもね」

 

「……だな。別ればかり気にしたって、仕方がないだろうし、ただ寂しいものじゃないんだよ。きっと」

 

 未来のことなんて分からない。そんな彼の言葉が反芻する、そんな気がした。

 

「……それこそさ。俺はれおながRASをやってようが、やってなかろうが、れおなは、れおなだから、決めた道を応援したいし、ずっと傍にいたい。……なんて恥ずかしくなって来たな」

 

「……えっ」

 

 急に顔が熱くなる。顔を逸らしながらぼそりと呟いた彼の言葉は聞き漏らしなど起こるはずもなかった。

 ……なるほど、こんな気持ちになるのか。私は改めて、ここ数時間の葛藤が如何に無駄で愚かしいものだったのかということを知った。

 

「ふふふ……」

 

 自然と笑いが込み上げてくる。こんな言葉を残して照れる彼の姿は、まるで自分と同じだった。

 

「ねぇねぇ」

 

「……ん?」

 

「ありがとう」

 

「……おう」

 

 彼はやはり一瞬でも目を合わせようとしない。ただ、唯一見える片頬がほんのり春色に染まっていることだけがよく分かった。

 この春に相応しい桜の色が、こんな近くにあること、それがこんなにも嬉しいことだとは思わなかった。私は未練がましいスマートフォンの電源を切った。そして、これ程ありがたい存在の、奥手な彼が欲していたご褒美をあげたのだった。

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