ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【松原 花音】君の好きなクラゲになるから

 仄かに薄暗い館内。天井の開けた水槽から漏れる光と、非常口を示す緑のランプだけが私たちと周りを取り囲んでいる。周りが暗いことで、本来であれば海の中を悠々自適に流されているクラゲたちは姿を現したり、とも思えば消えたりを繰り返していた。時折、光の差し込む位置に入り込んだクラゲたちが水流に負けて、頼りなく揺れる姿に釘付けになる。けれど、そこまでクラゲに入れ込んでいるのは私だけで、親友である千聖ちゃんや、美咲ちゃんにも伝わらない。その鬱憤というか、切なさのようなものをぶつけるために、私は、何度もこの水槽の前に足を運んでいた。

 

「花音? そろそろ次のところ行かないのか?」

 

「……え?」

 

 クラゲを見たい、ただそれだけのために迷い癖のある私をここまで連れてきてくれた君だって、本当はクラゲは見飽きたなんて考えているのだろうか。少しだけ呆れの色が見え隠れする君の声にちくりと心が痛んで、少しだけ意地悪をして返すことにした。

 

「だから、次のところ行かないのか?」

 

「……うん。もうすこし」

 

 私の我儘でしかないそんなつまらない意地を張るのは、心底意地悪だということを知っている。きっと私がここに留まり続ける限り、君がどれほど潮に揺蕩うクラゲに見飽きようが、足が疲れようが、呆れながらでもそこにいてくれるから。それは獲物を捕らえたクラゲのような執着ですらあった。きっと君にはもうこの毒が全身にまわっていて、私を放っておくことなんて出来やしないだろう。

 ああ情けない。私のそんな姑息な毒でしかクラゲに気を引かせることは出来ない。結局は君の優しさに、君の見せるスキに漬け込んでいるだけで。だから、これは正真正銘の、私のいじっぱりだった。分かって貰えなくても構わない、そんな強情で、自暴自棄な考え方すら含んだ反抗の、つまらぬ意地であった。

 

「花音は本当にクラゲ大好きだなぁ……」

 

「えへへ……。それほどでも」

 

 褒めてないんだろうなぁ、なんて。誕生日のお祝いだからと言って無理を言って遠出をして、小一時間クラゲの水槽前から動かないのだから。君もきっと分かったのだろう。私がどれだけクラゲの揺らぎに惚れ込んでいるかを。

 さっきから熟年の夫婦らしき人たちや、若い大学生ぐらいのカップル、家族連れ。色んな人たちが私の横でその光の柱に気を取られては、ものの数分で私の背中を通り過ぎていき、この辺りはずっと静かだった。聞こえているのは私と君の息遣い。館内の放送も何も聞こえない、暗い暗い海の底のような静けさだけが、私の心を穏やかにさせていた。大好きなクラゲを眺めていると、心は落ち着かないという、普段のそれとは真逆の現象に私は困惑していた。

 

「……そろそろ飽きちゃった?」

 

「クラゲ?」

 

「うん」

 

「……うーん」

 

 私がその優しさに漬け込むぐらいだ。君は絶対に肯定しない。それが分かった上で敢えて悩ませようとしている。水槽の前に佇みながらも、時折足を前後に組み替えたり、チラチラと背中の方を気にしたり、展示の手前にある長々と解説されたプレートを穴が開くほど見つめていたり、君の集中力はそろそろ限界だろうか。

 

「見飽きたってほどじゃないけど」

 

「……ふふ。気を遣ってくれてありがとう。次行こう?」

 

 私は困った顔で目を逸らしたところを見逃さない。これ以上虐めすぎて嫌われちゃったらもっと困る。折角のお誕生日のご褒美が台無しだ。

 私の背中に広がっていた真っ暗な海の一部分を気にしていた君が可哀想だったから、私は彼の前に手を差し出した。それはエスコートの合図のようなもの。日頃オドオドとした私がそんな強いメッセージを送るのは似合わないだろうが、私はその気持ちを暗い暗い海の底に沈めて見えないようにしてから、精一杯取り繕って甘えるのである。

 

「行こうか」

 

「うんっ」

 

 暗い海の中に随分と長いこと居たはずなのに、どうして君の指の一本一本はそんなにも温かく私の体を捕まえるのだろうか。クラゲでさえ、触手は刺すだけなのに、君の触手は私を巻き込んで捕まえるようなほどだ。それは私の束縛のそれよりも物理的に強かった。

 私が抗議しようかなんて斜め上を見上げたけれど、私とは対照的で全くもって意識の欠片すら持っていないらしい。仕方がないかと思って、連れられるがままに次の展示のスペースへと向かう。

 水族館としては珍しく、順路なんかが設定されているわけではないらしくて、ショー用の水槽を中心として、建物は同心円状に広がっている。さっきのクラゲのコーナーは海の生き物のコーナーの終わりがけ、これから水族館の中央へと向かうってところの最後の最後にあったらしい。そんなわけで気持ちのはやる人たちが足早に通り過ぎていったのだ。仕方がないこととはいえ、クラゲがひどく可哀想だった。

 

「イルカショーは……。興味なさそうだな」

 

「……え? そんなことないよ?」

 

 私がキョロキョロと四方に広がる通路を見渡していると、案内板にどでかく描かれたイルカの跳ねる絵柄を指さしながら、君はそんなつれないことを言ってくる。きっと君からすれば私はクラゲだけの女の子なのかな。それは当たらずも遠からず、私が意地悪になるには十分すぎるぐらいの偏見だった。

 

「あと5分で開場だけど、観に行く?」

 

「……ふふっ。観に行きたいんでしょ?」

 

「え?」

 

「違ったの?」

 

「……いや」

 

「正直に言っていいよ?」

 

「……観たい」

 

 私より心の年齢はずっと上なのかな、なんて思っていたから、そんな反応をされると安心して、嬉しくなってしまう。そっかそっか、観たいよね。それにずっと立ち続けていたものだから、多分ショーを眺めながら小休止としたいのだろう。後者については私とて賛成だった。

 

「私がさっきまでずっと我儘言ってたもんね、もっと我儘言ってもいいんだよ?」

 

「花音の誕生日でしょ? 我儘を言ってもいいのは花音だよ」

 

 何も分かってない。私一人だけが我儘を貫き通すなんて、まるで私の方が子どもみたいではないか。歳を一つ重ねて、一つ大人になった儀式のようなものなのに、それじゃあ本末転倒だ。

 

「じゃあ、私もイルカショー観たいって、そう言ったら?」

 

「……イルカショー、一択だね」

 

「えへへ……」

 

 お互いに尊厳を傷つけないようにしながら、私たちは二人で顔を見合わせて笑った。丁度その時、開場の合図のアナウンスがなる。それまで鳴りを潜めていた周囲の沢山の来場者がざわめいた。途端に音を掻き消す足音の嵐。高い波。

 

「うぉっ、行こうって、ちょ、花音?!」

 

「ふぇ? ふぇぇぇ?! 押さないでぇぇ……!」

 

 この水族館の構造の致命的な欠点かもしれない。この通路は中央のステージに向かう通路なものだから、人気のあるショーならばこうやって嵐が来たように高い波に襲われる。こんな通路で避難もせずに突っ立っていた私も悪いのだが、なんとか流されないようにと逃げようとした私は押し出され、しかも彼は人の波に押し流されていってしまったではないか。

 声がかき消すぐらいの歓声で、波は繰り返して押し寄せていく。実質的な一方通行。私はなんとかその波の直線上から外れて、柱の影に寄った。アナウンスも聞こえないぐらいの人がまだまだ押し寄せてくる。自分たちが思った以上に規模の大きい水族館だったのか。そんな風に思うぐらいには人に溢れていた。きっとイルカショーなんてものだから、それを目当てに来た人も相当数いるはずで、私がさっきからずっと止まっていたクラゲなんかとは、その人気は比べ物にならないのだろう。

 

「……え、これって、私、迷子?」

 

 ふと周りが真っ暗になった気がして。まだ人の波があるけど、急に自分の心がざわついた気がした。今から追いかけても、そんな大量の人の中から、見つけ出す自信も、見つけ出してもらう自信もない。途方に暮れた私は、どうにか水族館に入る前の、懐かしい君の声を思い出す。

 そういえば、迷子になったら迷子センターか、インフォメーションセンターのようなところに行くって言ってたっけ。私専用のオペレーション。案内板の表示を見れば、矢印と共にインフォメーションセンターと、そのままのものが書いてあった。その矢印に従えば、迷子はなんとかなる、か。

 

「……え、でも」

 

 私がこれまでの人生で幾度となく迷子になるのを繰り返してきて、何を学んだのだろうか。あの案内板の表示は実は勘違いで、獲物を誘い込むために撒かれたエサではないか。そういえばああいうものを信じて、これまで私は迷子を積み重ねてきた。その場に留まるにしても、君が一旦ショーを抜け出して、私を迎えに来てくれるまでは随分と遠回りをしないといけないだろうし、時間もかかるだろう。

 

「とにかく、歩いてみよう、かな」

 

 妙なところで疑り深い私はポケットに入ったスマートフォンの振動にすら気がつかないまま、何故か心の惹かれた方角に歩き出していた。壁に描かれた矢印がずっと逆向きに書かれている。多分逆走がどうとか、そういうことをこの矢印は言いたいのかもしれないが、私の通りたい道だ。そんな指図はされたくない。一つ大人になったんだから、ちょっとぐらい我が道を突き進んでみてもいいだろう。

 私の我が道ってなんなんだろう。ふと、暗い館内を歩きながら考えた。私にとってのそれまでの日常は、学校とバンドと、あとはバイト先だとか、少しだけ離れた位置に君がいる。今は私の隣には居ないけど。さっきまで塞がっていた右手の指先が寂しかった。

 

「……あ」

 

 そうして私は、まるで伝書鳩の帰巣のようにここに帰ってきた。通路を横切る白い光の束の先には無機質な壁材が映っていて、その光を邪魔するものなどなにも居なかった。

 

「……ふふ。クラゲかぁ」

 

 思えば、こうやって館内を人の波に攫われながら流されて、フラフラと歩き回っている私はクラゲそのものかもしれない。クラゲの一部の種類は、実は泳いですらいないらしい。完全に潮の流れに流されるまま、抵抗もできないままに流されていく。二度と同じ場所には帰ってこれないぐらいかもしれない。微弱な水の動きでさえも敏感に、肌で感じることができた。

 

「クラゲかぁ。癒されるよね……」

 

 今はいない誰かに語りかけるように、いや、説得、無理矢理わからせるという意味では脅迫のように呟いた。私は別にフワフワと流される姿を見て癒されるなんて、そんな短絡回路みたいな話をしているわけではない。強いて言うならクラゲの生き方だとか、動き方だとか、そんな高尚な思考のプロセスを経て、結果として弾き出された答えが『癒し』なのである。だからこそ、『癒し』という言葉を聞くたびに自分をクラゲに重ね合わせていたし、『癒し』なんてない今でさえも、こうやって惨めな自分をクラゲに重ね合わせている。

 クラゲは水槽の中をクルクルと回る水の流れに身を任せたまんま、そこで生を受けている。時折、水槽を屈折する前の光の束に触れて、明るいところに顔を出すけど、その存在はこちら側の世界には何も像を残さない。光を透過してしまうから。それは、薫さんの言を借りれば、儚いもの、そのものであった。

 私だって、今は水の世界に溶け込んでいるから、そして況してや、人っ子一人と居ないのだから、なんだって曝け出せる。クラゲみたいに内臓を曝け出すのは無理だけど、ふと感じた一抹の寂しさを曝け出すぐらいは出来る。だだっ広い海の中を浮遊するクラゲのように、一人で不条理を嘆くことぐらいは出来る。

 クラゲは、私が自分を重ね合わせる対象であり、この世の不条理そのものだった。

 

「……クラゲになれたら。……ううん。クラゲみたいに生きられたら、私は幸せなのかな」

 

 それは、クラゲが何も考えずに流されるまま生きているだとか、そういう否定的な意味ではない。さっきから散々、クラゲが水流の中で生きる面を指摘しながらも、私はクラゲが極めて強かに生きていると思っている。フワフワと遊泳するように海中を漂うクラゲは、近づく外敵にはしっかりと触手で攻撃をしようとする。原始的な器官だけを有しながら生存のために多種多様な生存戦略を取る。自然に生きる生物は皆そうとは言ったものの、こんなにフワフワと癒されるクラゲが実は……というギャップこそが魅力なのである。

 ならば私はもっと強かにこの世界を生きていくべきか? 生きていけるのか? その疑問には、私は即答することは出来なかった。敢えて言えば、即答どころか、思考を放棄すらしてしまいたかった。強かになんてなれっこないって、そんな風に思っているから。

 暗い海の中でも、光差し込む海の中でも、どんなところにいても消えてしまうほどに陰の薄い存在となって、消えてしまいたくなった、そんな時だった。

 

「花音」

 

「……え?」

 

 誰も通らない、誰の足跡も聞こえない水の中に響いたのは、君の声だった。それまで食い入るように、水槽の分厚いガラスに掌をついて、海藻が奥の方で揺れているのを見つめているだけだったから、突然の外からの刺激に私の触手は震えていた。

 

「……ごめんっ、探してくれた……よね……」

 

「ん? いや、まぁ、言うほどだけど。メッセージ送ったの、気づいてなかった?」

 

「え?」

 

 私はそんな風に言われて、漸くポケットに入れていたスマートフォンの存在を思い出した。画面が指に反応して明るくなると、そこにはポップアップで君の頼れるメッセージが残されていた。

 

「……ごめん、気づかないで、クラゲのところ、きちゃった」

 

「……うん。おいで、花音」

 

 私は飛び込むように、その逞しい胸元に飛び込んだ。別段、寂しかったとか悲しかっただとか、怖かっただとか、そんな負の感情があったわけでもないのに、その瞬間私はそれまで自分が泣いていたことに気がついた。なんの躊躇もなく私は君の服にその雫の一つ一つを染み込ませていた。服が皺になるぐらい握りしめて、擦り付けるように涙を注ぎ込んだ。

 

「言われなくとも、花音がここに来るかなってのは、分かってたよ」

 

「……そうなの?」

 

 それなら何故入館前には迷子センターらしきところに行けだなんて、ややこしいことを言ったのだろうか。聞こうとしたけど、ここに居ればもうなんでもいっか、なんてそんな投げやりな気持ちになってしまった。

 

「返信が来ない時点で、きっと花音ならどこか行こうとするかなって」

 

「……そっかぁ」

 

「どこかに行こうとするなら、ここだろ?」

 

「うん」

 

 悔しいが、自分から迷子になろうとしておきながら、実は掌の上で踊っていただけらしい。それはまるで、人間の作る水流で無理やり流れるままに踊らされる水槽の中のクラゲのようで。畢竟、私は意図しないながらに、クラゲになっていた。決して強かには生きていないのだけど、それはクラゲだった。

 

「……あ、ごめんね。イルカショー、観たかったよね……」

 

「え? ……ううん。イルカショーは、良いんだよ」

 

「そんなの」

 

 自分も観たいなんて取り繕いながら結果として私はその思いを自分から無碍にした。散々君に優しさの雨を振りまいてもらっている身でありながら、なんと我儘なことだろうか。

 

「イルカショーを観てる間は、花音も足を休められるかなって思っただけだし。今日一日、いっぱい歩いて疲れてそうだったから」

 

「そっか。私は大丈夫だよ?」

 

「うん。それに、水が飛んできて風邪ひいても困るもんね」

 

 どうやらショーの会場の通路まで流された結果、最前列から少し奥の列まで、跳ねた水をモロに観客が食らったところを目撃したらしい。変なところでアクティブな君と私なら、間違いなく少しでも前の列って行こうとしてたから、きっと行かないで正解だった。

 

「……イルカも良いけど、花音と二人でクラゲを見てる方が……楽しい」

 

「……えへへ。今ならいっぱい、二人で独り占めできるよ?」

 

 背中を預けながら後ろを振り向くと、ちょうど上昇する水の流れに乗って、クラゲが天井付近の採光窓の方へと昇っていくところが見えた。こうしてみると、さっきまではただ流されてグルグルと回されるだけだったクラゲが、自発的に光の方へと昇っていっているようで、どこか奇妙だった。

 暫くそんな神秘的な光景にうっとりとしていたものだから、時間の流れを忘れてしまっていた。またもクラゲが下降水流に流されて、中央に鎮座していた岩のオブジェクトの裏に隠れて、漸く私は我に帰ったみたいに、君の方に振り向いていた。

 

「花音?」

 

「……今なら、二人きりだよ?」

 

「……花音」

 

 少しだけ身長差のある私たちは、接吻で小さな毒を伝えるときには、背伸びしたりしないといけない。疲れた脚と体で思い切り背伸びをして、刺しに行こうとするのは少しだけ苦痛なのに、私は淀まずに君の唇を奪いに行っていた。いや、私の唇が奪われたという方が適切なのかもしれないが、お互いがお互いに自らの毒を盛りに行っているのである。

 

「あんまり公共の場所じゃ、ね?」

 

「でも、暗くて見えないよ?」

 

 いや、きっと明るくたって見えていない。そんな暴論とも取れるような我儘をぶつけて、私は結局その毒を吸い出そうとしている。明るくても暗くても、それを見ようとするものがいないなら、そんなものは何ら関係がない。クラゲ同士の戯れなんてものは人間がちょっとやそっと見たところで分からないし、そんなに熱心に観察するような人間なんてのはもっと少数だ。

 

「……そろそろストップ」

 

「うん。もっと欲しくなるもんね」

 

 自ら毒を欲して生きていくような生物がこの地球上に居るのかと問われれば、いるのである。それは間違いなく断言できる。例え自らを蝕んで、おかしくなっていってしまう毒だとしても望んで受け入れようとする愚かな刺胞動物はいるのである。

 そもそも毒なんてものは相対的なものだ。人間が無茶苦茶に食べてもそんな問題のない玉ねぎだって、犬が食べたらそれは毒になる。あらゆる動物が摂取する水だって、飲み過ぎれば中毒症状が起きてしまう。その時の水はその動物にとって毒だ。

 周りの人間にとってみれば毒だとしても、それは私と、君と、この二人の間の中で止まれば、毒とはいえない。毒だけど、毒じゃない。私が君に刺してるこの触手も、私に巻きつく君の触手も、それは一つの戯れだから。

 

「じゃあ、もっとクラゲをみよう? 手は握ったままでも良いから」

 

「うん。私ぐらい水槽に近づいてみても良いんだよ?」

 

「花音はもう顔が水槽のガラスにくっついてるじゃん」

 

 呆れの籠った笑い方だが、嫌じゃなかった。それどころか、自分のことをそこまでちゃんと見ていてくれるのは、純粋に嬉しいのである。自分の身の振り方だとか、イメージの乖離だとかに悩んでいる私でも、ごくごく一般的というか、極めてありきたりな感性は持ち合わせている。

 手持ち無沙汰な君の左手が今度は私の真っ黒な髪を撫でていた。もっと明るい海に浮上できたら、綺麗なマリンブルーになるんだよって言っても、君はダークブルーでも良いんだよ、なんて私の求めている答えとは少しずれた言葉を返してくる。君はいつも、今だってそうだ。けど、今はその言葉の意味がよく分かるし、その冗長性が安心できた。

 

「クラゲって癒されるよね。そう思うでしょお?」

 

「うん……」

 

 君が『クラゲをみよう』って、『癒される』んだって、その言葉は本心からのものだろうか。知る由もないし、その真実を知ったって幸せかは分からない。けれど、千聖ちゃんたちが優しさで、私にクラゲとの触れ合いを恵んでくれるのだとか、そういった優しさを、私は君から貰いたいわけじゃない。

 君からのそんな優しさは求めていないから。それならばいっそ、分からないなら分からないで良い。それこそずっと、私の毒で君が生涯意識混濁としてしまえば、君はクラゲの魅力を勘違いしたままで居られるから。そうすれば、君が私のことを全て知っているということに出来るから。

 諦観にも似た私の独占欲は酷く歪んでいる。自然発生的ではありながら、凡そ親しい人に向けるべきではないようなそんな感情を、私はクラゲの可愛らしい姿に擬態させている。『癒し』という言葉は、あくまでも自分にとって都合が良いかどうかだけだった。

 

「花音は」

 

「……え?」

 

 私が視線を水の中に移して、傘を開いたり閉じたりを繰り返すクラゲたちに向けていた折、君の声が聞こえた。びっくりした私は振り返ると、私の肩にはいつの間にやら君の手が熱を伝えてくれていた。

 

「花音は、クラゲのどういうところが好きなの?」

 

「……え? 癒されるところ……とか?」

 

「具体的に」

 

 そんな風に深掘りされてしまっては、『癒し』という言葉に凝縮させて理解している私にはその問いを答えられない。その場の空気や雰囲気、自分のごくごく単純な感情に、色んなものに流されてしまいがちな自分の感情を、ただ単に私は波間に揺蕩うクラゲたちに重ねていただけだから。

 クラゲが立派なものだと考えて、クラゲの良いところを探して、クラゲの『癒し』を見出して、自分とクラゲの重なる部分を掻き出して。私の考えはそれだけだ。巷では『迷宮のジェリーフィッシュ』なんて言われて、迷子の姿をクラゲの惑う姿に重ねられているが、それは私のほんの一面でしかない。私がクラゲに重ねたいのはそんなところじゃない。むしろ自分の心の醜い部分を含めた、全てなんだ。

 

「どこが好きかと具体的に言われると……。あはは、あんまり考えたことなかったな……」

 

「俺は、花音と似ているところが好きだな」

 

「……私と?」

 

 その言葉はもしかすると、いや、間違いなくその日聞いた何よりも嬉しかったかもしれない。嬉しかったけど、その内実は途轍もなく表面的なものだったらどうしようか。そんなことを言われた暁には、話を適当に合わせられているだけだと君に失望しちゃうかもしれない。だから言わないでって言おうとした瞬間、君の口は言葉を紡ぎ始めた。

 

「クラゲって側から見れば考えなしに一体のクラゲがゆっくり泳いでいるだけだけど、実はみんな同じ流れに乗ろうとしてるんじゃないかなって」

 

「同じ……流れ?」

 

「群れをなすのは、自分から同じ流れに乗って移動しようとするから、周りのクラゲたちと一緒になってるんじゃないかって思ったんだよ」

 

 クラゲが集団を作るのは、ごく自然なことだと理解されているし、近年なら大量発生なんてのも話に聞く。詳しいメカニズムなんてのは知らないが、その群れをなすのが私と似ているなんてことらしい。

 

「花音は優しいから。きっと、こころちゃんだとか、周りの人たちに振り回されながらも、ついていこうって頑張ってるんだ」

 

「そんな……優しいわけじゃ」

 

 優しいどころか、今の私は醜いほどにその対極にいる。ついていこうとしているんじゃなくて、それこそその流れに身を任せて、謂わば周りの何かに流されているだけなのだ。

 

「ただ流れに乗るだけじゃなくて、花音は自分からその輪の中へと入っていこうとしてるところが、なんだか必死に生きるクラゲみたいに見えたんだよ」

 

「必死に生きるクラゲと、私なんかじゃ全然釣り合いは……」

 

 流されて生きるのと、必死に生きるのとでは雲泥の差だって言おうとしたけど、そんな私の弱々しい反論の前に、君の触手は私を貫いていた。

 

「ううん。花音は、あの輪の中で、とっても輝いて、透き通るぐらい綺麗に輝いているよ」

 

 そこに流されているだけの花音はいないから、と。君の優しい毒が私の全身に回った。

 私には自信なんてものがない。だから頑張っているつもりでもその自分を認められるわけではない。だから、癒されるクラゲといつのまにか自分を重ねて、『癒し』という価値を自分の頑張りに類するものとして認めていた。現に千聖ちゃんはずっとそんな私を肯定してくれている。だから、出来ることならクラゲの魅力に気がついて欲しかった。

 自分をクラゲと重ねて見ることを変える必要はないのだろう。そもそも変えられるかも分からない。これまでは、自分自身をクラゲと重ね、躊躇いを無視しつつ、余計な葛藤にいた。

 けど、君の言葉を聞いていると、なんだか自分をすっとクラゲとして受け止められる気がしたから。海の中で姿を消してばかりのクラゲである私を、しっかりと見てくれる人がそばにいるから。それなら私はクラゲでも構わないと、何の葛藤もなしに断言できた。

 願わくは、君も一緒にこの海で、私と一緒に泳いでくれないかな、なんて。散々刺胞で刺しておきながら、なんと都合が良い望みだろうか。

 

「ねぇ、花音」

 

「え? どうかした?」

 

「俺も、クラゲの魅力、分かった気がする」

 

「本当?」

 

「うん……」

 

 太陽光の差し込む光の束と暗い海。光と闇の入り混じる水の中で、私は君と抱き合っていた。クラゲに番なんてものがあるのか分からないけど、あるとすればそれは私たちだ。

 

「クラゲって泳げるらしいぞ」

 

「そっかぁ。……どこまで行けるのかな」

 

 流れに身を任せるでも良いじゃないか。ふと感じた。君と一緒にあの流れに乗れたなら、辿り着く先に君がいるから。

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