ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【マスキング】あてのない旅

 まだ空は赤かった。一日の終わりを知るこの時間は妙なほどに気持ちが沈みがちで、それは時節柄、五月病なんて言われたりもする類のものらしい。環境の変化の心労だとか、この四月から感じたことがあったわけないのに、どうも自覚している以上に私は繊細な心を持ち合わせていた。豪放磊落な性格だと自負していただけに、変なところでセンチメンタルになる自分が奇妙だった。

 環境が変わったことの辛さだとかはそう感じない。RASに入り、簡単に扱えない狂犬と揶揄された私がバンドをするようになって、それは大きな変化だがそれにももう慣れたつもりだった。不満を持っているだとか、そういうわけではない。恙なく学校にも通っているし、ドラマーとしての活動もやっているし、だからこそ自分が抱えているモヤモヤとした感覚が何なのか、それだけが判然としなかった。

 赤らんだ空に見下されながら、私がうちの家のマンションの下、それこそ青果店の真ん前に着いたとき、後ろの方からエンジンを吹かせる音が聞こえてきたものだから、私は何事かと振り返った。

 

「よっ、ますき」

 

「……はぁ、びっくりさせんなよ」

 

 フルフェイスのヘルメットだったから、車体を見るまでそのライダーが誰とも分からず、こんなところで無駄な騒音を立てる馬鹿の所業かと思っていた。どうやらこいつのお目当ては私らしく、態々家に赴いてまで声をかけてきたぐらいなんだから、それなりに用があって来たということらしい。

 

「何の用だ?」

 

「いんや、天気がいいもんだからデートにでも誘おうかと思ったけど、ご機嫌斜めか?」

 

 機嫌は良いか悪いかの二択で問われればまず後者であるが、仮にも関係性を当てはめると『恋人』が一番しっくりくるような、況してや家まで来てくれた『親友』を邪険に扱うわけにもいかず、私はどっちつかずの返答をする。向こうとてそんな曖昧な返答に困ったような表情を見せたが、来た以上は何の用も済ませずに帰るのも不満らしい。

 

「……誘いにしても、こんな家の前で誘うなよな」

 

「まぁまぁ。電話かけたのに繋がらなかったもんだから」

 

「あれ……? ほんとだ、悪かったよ」

 

 カバンの中に放り込まれていた携帯電話にはしっかりと着信履歴まで残っている。あんまり文句をタラタラと並べるだけなのも可哀想だ、そんな風に思ったものだから、私はその()()()とやらの話に乗ることにした。

 

「で、どこか行くのか? この時間から」

 

 お世辞にも早いわけではない放課後の時間。既に世間一般では夕方から夜に差し掛かろうとしているような時間だ。

 

「ツーリングでもってな、だからバイクで来たんだけど」

 

「帰りはそんなに遅くできねーぞ? 明日も学校あるんだし」

 

「俺だって学校あるんだから早く帰れるようにするって」

 

 そういうことなら少しだけ待っていろと、邪魔な荷物を一度家に置いて、ライダージャケットを羽織り、また路地の方へと戻ってきた。私が帰ってくると、こいつはクルクルと人差し指で回していたキーをパシッと掴んだ。そして意味ありげな目線をこちらに向けたのだ。

 

「……なんだ?」

 

「おいおい、ますきは運転したいのか?」

 

「は、はぁ?」

 

 発言の意図が全くもって汲み取れず聞き返す。ツーリングと言い出したのはこいつだろうに、バイクを運転しないツーリングなんてものは一体全体どこにあるのか。

 

「ほらっ」

 

「わっ、ちょ」

 

 いきなりこちらに投げられたのは赤いラインが光を反射させるヘルメット。さっきこいつがバイクに乗ってここまで来た時に被っていたヘルメットとほぼ同じようなデザインだった。

 

「ほら、後ろ。乗れよ」

 

「……じゃあ、運転は任せるよ」

 

 ガレージの方に行こうとしていた私を止めたのは元から二人乗りするつもりだったかららしい。二人乗りなんてしたのはいつぶりか。殊に自分が後ろに乗ることなんて、これまででもそうそうなかったはずだ。

 バイクという乗り物自体、万が一事故を起こした場合には大怪我に繋がるし、命を落とすことすらある。それに加えて二人乗りなんてすれば、体重と重心の左右も変わり、バランスを取るのが難しくなる上に、ブレーキの効きだとかも悪くなる。だから二人乗りなんてのはそれなりに運転に慣れてからじゃないとできない。

 これまで、こいつとはツーリングを何回もしているが、それはあくまでも私も別のバイクを運転して、だった。いつものそれとは違う形のツーリングとやらは気がかりではあるが、普段の運転を見ている限りではこいつの運転技術は十分にあるだろう。ならば、まぁ任せてしまってもいいかと思い、ヘルメットを被り、顎紐を締めた。

 

「ちなみに、どこ行くんだ?」

 

「内緒だ内緒。隠された方が興奮するだろ?」

 

「興奮ってなんだよ……」

 

 謎理論を展開しながらも、こっちに来いと指をくいくいと動かして私を跨らせる。両太腿でしっかりとこいつの体を挟み込んで、腕もこいつの腰、腹へと回した。

 ジャケットを着込んでいるし、グローブも着けているから分かりづらいけど、それでもガッチリとした体つきなのが、腕を回せば容易に分かった。自分の体がそう華奢ではないと思っていた私だったが、改めて生まれながらの性別を自覚するような比較をすれば、そんな考えは願望混じりのものだったと気付かされた。

 

「じゃ、しっかり捕まっとけよ」

 

「分かってるって」

 

 そうして二人を乗せたバイクが私の家の前を後にする。当然のことだが、走り始めは住み慣れた街を走っているから、学校の帰りなんかに通り過ぎるコンビニや、何度も往来を重ねた交差点を通り過ぎていた。

 謂わばそんな変わり映えの景色を見ていたのだが、今日、今、ここから見る景色はなんだかいつもとは少し違って見えた。具体的にどう違うかと言えば言葉にするのは難しいし、どうしてもパッとわかる違う部分と言われれば、恋人兼親友の肩越しに見る標識や、スピードの割に風を感じないことだとか、そんな表面的、物理的な違いしか指摘することは出来なかった。

 

「あ、行く予定の場所は決まってるけど、何か要望とかあれば聞くぞ」

 

 信号待ちで他の車の横に停まった時、ふと前からそんな呟きが聞こえてきた。こちらを振り向いているわけではないが、話の内容からして私に向けられたものに違いない。そもそもこいつはどういうつもりで私をこのツーリングに連れ出しているかも私は知らない。デートなんてのはただの口実だろうから。

 

「要望も何も、私からバイク乗ろうって持ちかけたわけじゃないだろ」

 

「それでもノープランってことはないだろ? 行きたいところとかないのか? 遠くのラーメン屋とかでもいいぞ」

 

「……今はラーメンの気分じゃないな」

 

「珍しい。絶対ラーメン食いたいって言うと思ってたわ」

 

 ラーメン店で働いているからといって、万人が万人、ラーメンを常に食していたいわけではないだろう。現に私とてそういうわけではない。その辺りにまで思案が及ばない残念な思考回路じゃ、多分私のこのモヤモヤ感を払拭するには至らないだろうと嘆息をもらす。何かの切欠程度にしか考えていなかったから、元々期待はそれほどだったのだが。

 

「別に……ラーメン食べたいなら、ラーメンでも良いけどさ。晩飯まだなのか?」

 

「そりゃあ高貴なレディーをこんな時間から食事に誘おうってんだから、食べてないに決まってるだろ。それこそ高級ホテルのディナーとかでも良いと思ってた」

 

「さっきラーメン屋って言ってたやつがよく言うよ」

 

 ラーメン屋と高級ホテルのディナーは相容れない存在ではないのか。少なくとも私のバイト先なんかと高級ホテルという存在は無縁と言っても過言ではないし。

 チグハグな発言の節々からこいつの考えの浅はかさというか、飄々として私を翻弄するような無遠慮さへのイラつきをほんの僅かに振りかけて、駆動音の静かな前の軽自動車に向かって吐き出した。

 

「ならバイト先行くか?」

 

「絶対やだからな。というかお腹空いてないからな」

 

「そうか。じゃあもう寄り道なしでいっか」

 

 そうしてくれた方がありがたいよ、と。ぶっきらぼうな返事をして数秒、私はそれなりにこいつなりの優しさが入り混じった適当さを粗雑に扱ったことに後悔した。素直になりたかったわけではないが、適当さの中に隠れていた思いやりを無碍にしてしまったのは、心残りだった。

 

「あ、そうだ。あそこ、行きたいな」

 

「無理して捻り出さなくていいぞ」

 

「そういうのじゃなくて……」

 

「え? なんだって?」

 

「わっ。ちょ……」

 

 私たちの乗っていたバイクはトロトロと走っていた前の車を悠々と追い越した。急に加速したものだから、突然の浮遊感に吃驚して、五パーセントぐらいの抗議をこめながら思い切り腕に力を込めた。自分には足りない体格の良さだとかをまたも再認識させられた。

 

「……あっぶねぇ」

 

「で、別にいいからな」

 

「……いや。無理してるわけじゃないから」

 

「普通に走ってるから、行きたいところの前通り過ぎそうになったら言ってくれ」

 

「……あ、あぁ」

 

 お互いヘルメットだってしているし、そこそこのスピードで公道をバイクで走っているわけだから、表情だとかそんなものを確認することは出来ない。けれども、私は粗悪な歯車のような心の噛み合わなさをはっきりと感じて、ただただドライだった先程の自分の反応を悔いた。

 後悔をしたからといってツーリングが突然終わりを告げるなんてことはなく、それからは長い時間、僅かにジャケットの裾を揺らす風を感じるのみだった。別段話す話題もなければ、こいつも当然の如く運転に集中するだろうし、後悔を晴らすには私が何かしらの話題を持ちかける他なかった。

 けれどもそんな都合の良い話題もなく、風を切る音とバイクのエンジン音に耳を傾ける他なかった。これからの目的地を聞いてもはぐらかされるし、他の話題は何も思いつかない。いつもなら頭に浮かぶ下らない文句や軽口すらも今この時だけは臆病にも引っ込んでいた。

 

「なぁ、いつ着くんだよ?」

 

 辺りを見渡せば、家を出る前の赤い空はとうにどこかへと消えて、街並みもガラリと変わって、高い建物はほとんどが姿を消していた。辺りにある人工物で一番空に近く見えるのはシルエットすら潰れかけた送電塔という始末だった。

 まるで見たことのない街並み。さらには自然がすぐそこに隣接していて、強調するほど建造物が多いわけでもない。見当もつかない目的地にぽつりぽつりと不安が湧き始めてきた私は、幾度となく聞きそうになった質問をポンと投げかけた。

 

「そろそろ着くと思うぞ、俺も分かってないけど」

 

「大丈夫かよ……」

 

 目的地を知っているのはお前だけだろうとついつい文句を言いたくもなるが、きゅっと口を結ぶ。口は災いの元、後悔の元、二の舞にはなるまいと、そんな弱々しい決意を込めながら。

 

「ま、目的地決まってるだなんて、嘘だからな」

 

「……は?!」

 

 いやいやまさか。正直最初はこいつの心底下らなくて聞く価値もないようなジョークかなにかだと思った。だが、ヘルメット越しでも容易に聞き取れるような、分かりやすい笑い声。勿論派手なリアクションは事故を起こすから、そんな大きなものではない。けど、わざとらしいような不自然な笑い方は、適当な物言いの真実性をより高めていた。

 

「え、どこか行きたいところがあって私を連れてきたんじゃないのかよ?」

 

「何言ってんだ。俺は何も考えずにただ行きたい方向にバイクを走らせてただけだぞ」

 

「……はぁ?!」

 

 どれだけ信じがたくても、あまりに無謀なツーリングはどうやら暴走の域に達していたらしい。念のため、というか一縷の望みをかけて、今いるこの町の名前を尋ねたが、分かるわけがない、皆目見当もつかない、などと俄には信じ難い返答をされる。

 

「どうやって帰るんだよ、なぁ!」

 

「反対方向に走り続けたらいつか見知った街に着くって」

 

 そんな無茶苦茶な旅があってたまるか、なんていう反論は最早意味をなさない。だってこのツーリングの旅は未開の大海へと既に出航してしまっているものだから。そりゃあ国道に出て、太い幹線道路をずっと走り続けていればなんとか帰れるかもしれないが、どうしてこんな平日の夜にそんな冒険に出かけないといけなかったのか。

 

「まぁ帰れなかった時は帰れなかった時だし」

 

「あ、あのなぁ……」

 

 呆れて声も出ないが、こいつが唯一の足となっている以上は私に逆らう余地もない。こんなところで降ろされでもしたら私は愈々帰宅難民と化する。

 片方は山が迫り出し、道路のすぐ側は真っ暗だけれど、たまに光があたればはっきりと分かる。紛れもなく海である。空気を切って走る間に鼻腔をついたこの潮の匂いは、この道路が海沿いを走っていることを入念に教え込んでくれた。

 

「あてのない旅なんてのも良いものだろ」

 

「せめてそうならそうと出発前に言えよ……」

 

 そうしたら心の準備だとか、もっとちゃんと交通標識を見たりだとか、計画を持ってツーリングを進められた。サプライズだと思ってツーリングを楽しんでいたら、面倒ごとに突っ込むタイプのサプライズだったわけだ。

 

「……言っちゃったら、多分断ってただろ?」

 

「え?」

 

 前半はエンジン音で隠されて上手く聞こえなかったが、誘いを断る云々の話は聞こえてきたものだから改めて考える。私はあてのない旅に今から行こうと言われて、果たして着いていっていたのか。いや、きっと行っているはずだ。根拠はないが、多少無茶な計画だと思っても、流石に断るまでのことはないだろう、そんな風に思った。けど、私がいくら否定しようと、こいつは頑なに考えを曲げようとはしなかった。

 

「だから別に断りは……」

 

「いや、ますきは断ってたよ」

 

「……まぁ良いけども。それならそれで、あてのない旅に出た動機ぐらいは、そろそろ教えてくれても良いだろ?」

 

 サプライズのツーリングは、私の誕生日を祝うためだとか、そんな感じのサプライズを心の隅で期待していたわけだが、それでもなお、断ると想定していたはずなら私をこのあてのない旅に連れてきた理由がよく分からない。多少なりとも嫌がられる可能性を考慮に入れているなら、そもそも別の計画を立ててくれても良かったろう。

 卑しい態度も憚られるのでこれきりにするが、サプライズで祝ってもらえることならなんだって嬉しい。ツーリングに限らずだ。それは私の意見でしかないから、言わなきゃ伝わらないと言えばそうなのだが、それでも他の案の余地はあったはずだ。

 

「あてのない旅に連れてきたら、まぁ色々変わるかな、なんてだな」

 

「は、はぁ?」

 

「色々だよ、色々」

 

 核心的なことを何度聞いてもその度にはぐらかしてくる態度にはそろそろ限界を迎えそうだった。でも、別にこいつに怒りをぶつけたいわけでもないし、グッと堪えて、その真意を探る。

 

「お、ここら辺いいな。よし、降りるか」

 

「へ?」

 

 と、その瞬間にバイクは減速する。車も通りがかりこそすれど、都心の幹線道路ほどではない。この辺りで駐車できそうなスペースをざっと探した私たちはバイクを止め、久方ぶりの地上に足を伸ばした。長いこと座りっぱなしだったもんだからお尻も痛い。自分一人でバイクに乗っている時とは勝手が違い、自由に体勢を変えたり出来なかった分、却っていつもより体には負荷がかかっている気がする。

 

「よいしょと……。で、どこなんだここ……」

 

「さあなぁ。ナビアプリで大体の位置ぐらいは分かるだろ」

 

 海を望む道路をナビアプリで辿ってみる。どうやら無計画に運転を続けていたのは本当らしく、この辺りは別に景勝地だとか、観光の名所だとか、道の駅が近くにあるとかそういうことですらない。しかも明るい時間の航空写真を見れば現在地の状況は一目瞭然。本当に道路が山の緑と海の水色に挟まれて、道路自体の存在が希薄になっていた。屋根はポツンと疎らな点のようにしか見えないし、航空写真からですら人の気配がまるでなかった。

 

「さて、海岸にでも降りるか」

 

「こんな暗いのにか?」

 

「暗かろうと海は海だろ。折角海に来たっていうのに海岸まで行かずして帰るつもりなのか?」

 

 言っていることはその通りなのに、どうにもこうにも腹が立った。さっきまでも散々適当なことをペラペラと話していたのに、一段と腹が立ったのだ。

 

「じゃ、手を貸そう」

 

「良いって……」

 

 適当な割には実に紳士的な言い草で、そのギャップは最早私を煽り散らかしているようにしか思えない。けれど、五月の半ばなのに少しだけ肌寒さを感じさせる潮風の中では、その熱は私の狂犬としての心を宥めすかしていた。

 

「階段あるから気をつけろよ」

 

「言われなくても分かるって」

 

「てか暗すぎて海見えないな、笑うわ」

 

「だから言っただろ……」

 

 道路の上、風の中で聞いた笑い声に比べれば、その笑い声は愉快さがそのままなのに、暖かみのある笑い声へと変貌を遂げていた。それはまるで目新しいものを見つけて感心に浸るガキのように。

 

「砂浜まで来たんだからやることは一つだよな」

 

「あ? なんだ?」

 

「砂で城を作る」

 

「本当にガキなのか?」

 

「冗談だ、そんな目で見ないでくれ」

 

 暗闇の中でも白く映える笑顔を振り撒くそいつは、心から穢れのない純粋なガキに見えた。いつからか私がどこかに落としてきたような純朴さを波打ち際に残していた。

 結局握ったまんまの私の手を一切離さないまま、波が寄せてくるギリギリの、湿っていない砂の上までやってくる。しゃがむと随分と細かい砂粒だと分かる。これは座れないな、なんて思った瞬間、こいつは何の躊躇いもなく自らの着ていたジャケットを脱いで、砂が舞うんじゃないかってぐらいに潔く浜の上に敷いた。

 

「さ、座れよ」

 

「汚れるぞ?」

 

「ケツが汚れるよりマシだ」

 

「寒くないのか」

 

「俺は心が冷たいから体はあったかいんだ」

 

「なんだそれ……。って本当にあったかいな」

 

 私の方が数枚着込んでいるのだから、普通に考えればこいつよりも温かい環境にいるはずなのに、少し触れた肩は服の生地越しでも熱が伝わってくる。ただただ、熱かった。

 

「……で、何もしないのか?」

 

 私が離れ難い熱に魘されていると、惚けから揺り戻すような声が届いた。どうやらここまで連れてきておいて、私に何かをしようと持ちかけるでもないらしい。

 

「お前はしたいことないのかよ」

 

「ん、なんでだよ」

 

「お前が私をここまで連れてきたんだろ……」

 

「ツーリングに決まった目的がいるのか?」

 

「……は?」

 

 何を言うか。海岸まで降りずに帰るのか、なんてついさっき疑問を投げかけてきたのはお前だろうがという思いを込めて見つめ返す。けれど私の脳神経を焼き切るような不思議な熱さの視線が私を突き刺していた。どこかで、私が置き忘れてしまっていた熱い視線だった。

 

「……言い方が変だな。計画通りのツーリング、それだけで楽しいか?」

 

「楽しい……けど」

 

 私は計画通りの旅を肯定しようとしているはずなのに、その歯切れは悪かった。それは、自分の中で見ないフリをしていた何かに気がついたからだった。

 

「そりゃあ何処に行くか、何時に帰るか、それを決めるのも大事だな。けど、それだけじゃあつまんないだろ?」

 

「だから……あてのない旅をしようってか?」

 

 私の手はいつの間にか震えていた。それは夜の波打ち際の寒さのせいだろうか。

 互いに触れ合っていた、細かく震え続けていた華奢な肩が突然震えを止めた。それは、真っ暗な海の向こうをただただ真っ直ぐ、静かに見つめ続ける燃えるような瞳に釘付けになったからだった。

 

「いつも計画通り行くわけじゃねえし、気持ちの向くままに、行きたいところを目指す。偶にはそんな旅もしなきゃな。……それにさ」

 

 ゆっくりと腰を上げて立ち上がったそいつは、私よりももっとずっと先にいた。明かりが少なく、その表情は見えなかったが、あどけなさの残った、清々しい顔だということだけは、よく分かった。

 私はただ、その口の紡ぐ魂の震えに恋をしていた。

 

「自分のやりたいように出来るって、最高だろ?」

 

 私がその手を掴んでいなければ、こいつは目の前の真っ暗な海へと突っ込んでいきそうだった。駆け出そうとしていただとか、そういうことでもないし、私はその猛進を止めたいわけでもなかった。

 むしろ、私は一緒に駆け出したかったのだ。後先考えずに、例え周りが止めようとも、風邪を引くだとか、遭難をするだとか、何が起きたとしても、ただ自分がやりたいようにあてのない旅に出たくなったのだ。

 

「……良い顔してるな」

 

「こんなに暗いのに、私の顔が見えてるわけないだろ」

 

「バレたか」

 

 意識をせずとも、私は一緒に立ち上がっていて、少し前に立って、変に格好つけたこいつの背中へと飛び込んでいた。柄でもないかもしれないが、これだって私がやりたいようにやっているだけなのだ。誰にも咎められたくはないし、文句を言われる筋合いもない。張本人であるこいつにすら。

 

「……海、真っ暗だな」

 

「あぁ。何も見えねぇな。こんなに近くにあるのに」

 

 こいつはそんなことを言いながら、海水が波として押し寄せているであろう砂浜の限界の限界まで歩き始める。偶に波が強い時には、靴だって濡れてるだろうに、そんなこともお構いなく。私はその後を追うように、湿った砂と溢れ出る真っ黒な海水を踏み抜いていた。

 やがて、足首の辺りまで濡れそうなそんなところまで来て、漸く無謀な突進は止まった。未だに前に広がっているであろう海面は見えないし、音と冷たさでしか海の存在を知ることはできない。

 まだそれほど暖かくもない海水に体を冷やされてなお、燃え上がる私の心は熱い体を求めていた。すると、さっきまで波を押しのける音やらで煩かったはずの周囲が急に静かになった。何も聞こえないこの真っ暗な世界で確かに存在していたのは、何があっても離したくないと思えるような熱い魂と、私の心をゼロ距離で燃やし続ける、幼く逞しい道標であった。だってそうだろう、私はここに至るまでその澪標に導かれてきたのだから。

 

「砂浜と海の境すら見えねぇな」

 

「……あぁ。何も見えないなら、見えるようになるまで、歩くしかないな」

 

 見えるようになるまで歩くなんて言いながら、私たちはより暗い方へと進んでいた。

 

「ははっ。歩くどころか、泳ぐになりそうだけどな」

 

 笑い声が静寂の海に届いた時、僅かに雲の隙間から月が出た。心細い月明かりは海面を照らすまではいかなかった。

 けれど、無邪気で奔放な、悪く言えばじゃじゃ馬な私たちを。あてのない旅をする私たちの一つの道標を、ただただ無言で、真っ白に照らしていた。

 

 

 

 

 

 こいつは奔放そのものだった。私がいつしか見失っていた、封じ込めなきゃいけないって思い込んでいた奔放さを持っていた。

 思えばこいつは、私らしくなれなかった私を助けようとしてくれたのかもしれない。狂犬であることと、RASのドラマーであることとの間で揺れる私に、一筋の光を注ごうとしてくれたのだろう。

 

「へっ……へっ、ヘックシッ!! さっむ!」

 

「お前があんな海の方まで行くからだろ? というか、心が冷たいから体があったかいんだよな? なら私のこともしっかりあっためろよ」

 

「体が冷たくなる時だってあるんだよ……!」

 

 長い間、足先を海に浸しながら、月明かりに照らされたその表情の虜になっていた私は、やっとのことで我に返り、こうやってなんとか砂浜の方へと戻ろうとしている。偶に吹く風が皮膚を摩り、全身まで冷えてしまいそうだ。

 

「って、ジャケットどっか行ったぞ?」

 

「さっき砂浜に敷いてたからな……。飛んでいったんじゃないか?」

 

「マジかぁ」

 

 靴が犠牲になってしまったのはこの際どうでもいい。だが、これからバイクに乗って帰らないといけないだろうに、二人して冷たい空気に晒されるというのは、さっきまでの暴走気味の自分達を恨まざるを得ない。

 

「……ったく、ジャケットは私が着てた奴貸してやるからよ」

 

「……は? それだとますきが」

 

「良いんだよ。いくら無謀のツキが回って来てても、思いやりを捨てちゃあ、ただのクズだからな」

 

 あてのない旅なんだ。それぐらいのトラブルがあったって良い。それが楽しいのだから。ぽかんという反応をされたが、それもすぐに笑顔に戻っていた。私はざわめく心を鎮めながら、バイクに跨ろうとした。

 

「……帰り道どっちの方角だっけ」

 

「あ? 帰りは私が連れて帰ってやるよ。安心しな」

 

「それならジャケットはますきが……、って……はぁ」

 

 ふと背中が暖かくなる。それは私のジェスチャーに乗せた想いが届いたから。こんなに背中が熱いなら、どれほど逆風に吹かれても、むしろ涼しいぐらいだろうなって、こいつにだけは見えないようにニヤリと笑った。

 

「さーて、どこまで連れていってやろうかな」

 

「おい、あてのない旅は終わったんだぞ? 帰るんだよな?」

 

 いや、まだまだ旅はこれからだ。出来ることならもっとずっと、いつまでも、どこまでも走り続けてやる。だって、喩え先が真っ暗だろうとも、私の背中はこんなにも暖かいから。

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