ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【山吹 沙綾】ワガママを言いたくて

「はぁ、疲れたぁぁぁ。一旦休憩しよー!」

 

「あはは。パン持ってきたから、食べながら休憩しよっか」

 

「わぁ、コロネだぁ」

 

 蔵に広がっているのは、私のいつもの何気ない日常を形作る優しい光景だった。古めかしい蔵の中には異質とも言えそうな楽器がズラリと並ぶ。一般のバンドからすれば、ライブハウスなんかやスタジオを使わずに練習をするなんてのは物珍しいのかもしれない。けど、ポピパにとっては、私にとってはこれはなんてことのない日常の姿そのものだった。

 

「はい、有咲は何食べる?」

 

「私は……うーん」

 

「有咲決められないの? なら一緒に食べよう!」

 

「だぁー! 今考えてるから話しかけるな!!」

 

 素直になれない有咲や、それを知ってか知らずか振りまわし続ける香澄。それを見て優しく笑うりみりんに、ぼんやりとどこかを見つめるおたえ。そこには、私の居場所があった。私の持ってきたパンにみんなが笑ってくれて、それが私にとって幸せな一小節だった。

 

「おたえ? 食べないの?」

 

「食べるよ? でも、お腹がぐーって鳴らないから」

 

「そんなの待ってたらいつまで掛かるか分かんないだろ?! ライブも近いんだから早く食べろよ!!」

 

「あっ、鳴った」

 

「……なんなんだよ!」

 

 ライブが近くても、みんなが一つの同じところを向いて、夢の先を掴もうとしている。それだけで、私は何でもできるような気がしていた。

 だからこそ、私はその知らせを聞いて、呆然とした。

 

 

 母さんが、倒れた。

 

 

 ポピパの活動も軌道に乗っていて、何もかもが上手くいくって、盲目的に信じ込んでいた私の足元が大きく揺れた。どうやって蔵から病院にまで行ったかとか、何も覚えてはいない。ただ、薄暗い病室の中で静かに眠っている母さんを見て、安堵で足が震えて、床の冷たさを感じていたことだけが記憶に残っている。

 母さんの無事を知って、けれど眠った母さんの顔を見ていると全身が震えて、フラフラになりながら病室を出た。リノリウムの床が私の靴裏と擦れて変な音がして、それにすらひどく怯えた。空調から流れ出る無駄な冷房が、私の皮膚を舐め回すようだった。何もかもが得体の知れない恐怖にへと成り代わって、私は病院を飛び出した。

 外に出れば、そこには普段から目にする街並みがあった。ありふれた舗装材の上を歩いて、早く家に帰ろうと足を必死に動かした。

 

 そういえばライブが近いからってお店の手伝い、少しだけ疎かにしてたのかなって帰り道にふと考えた。帰り道は真っ暗だったものだから、思考は悪い方へと悪い方へと向かう。

 

「あーだめだだめだ」

 

 こんなことを考えたって気分が悪くなるだけなのに。母さんが取り敢えずは無事だったことを喜べばそれで良いはずなのに、後悔だけが募るのである。懺悔の念を振り払おうとしても、今日はお店大丈夫だったのかな、なんて方向に思惟が向かえば、結局は母さんのところへと帰ってきてしまう。

 恐らく母さんが店先に立っていて、そこで倒れて病院に運ばれているということは、店は閉めているのだろう。本当なら今日は、私が店番のはずだったし、この時間だったらまだギリギリ店先で、どのパンが売れ残りそうかなんて考えていたはずだ。けれど、ライブが近いからって母さんに送り出してもらったのだ。悔いの残らないように練習してきなさいって、強い口調で。

 別段母さんのせいにするなんてつもりはない。それでも練習に行くのを決めたのは私だし、行きたいと思っていたのも私だったから。けれど、誰かに迷惑をかけてしまっているという自覚を一度持って仕舞えば、それを完全に見ないフリをして自分のしたいことだけをするなんてのは、私の性分から考えても不可能であった。ならば、私は自らの置かれた環境の不幸を何かに転嫁して、自分の心を慰める他なかったのだ。

 

「着い……あれ?」

 

「……あっ、沙綾」

 

 私が解決することのない無限の問答と戦いながら家に帰ってきた時、お店のシャッターの前で立ち尽くす人がいた。よく見知った顔なのは、共にこの商店街で生まれ育った仲であるから。

 

「今日、やまぶきベーカリー休みだったんだな」

 

「あ……。ちょっと……ね」

 

「……そっか、悪い」

 

 白い街灯に照らされた顔を隠すように俯いた彼の表情は見えなかったけど、その声色からは私の事情を察したであろうことがすぐ伝わってくる。謝られるほどのことではないのだけど、仮にも古い付き合いである彼なりに、そこまで配慮が行き届かなかったことを申し訳なく思っていたりするんだろう。

 

「そうだ、純と紗南は、元気か?」

 

「え? うん、毎日はしゃいで大変なぐらい」

 

「なら良かった。最近顔を見てなかったから」

 

 小さい頃からの知り合いということもあって、私の弟や妹とも仲の良い彼は、無邪気さの薄れた微笑みで、寂しそうに呟いた。部活だ何だで忙しいらしく、帰ってくる時間もこの時間になるぐらいなのだから、純たちと会う機会もめっきり減っているのだ。中学三年生ぐらいの頃は今よりももう少し小さい純と遊んでくれてたりもしたし、その記憶もあるから、余計にこちらまで寂しかった。

 

「あはは、純たちも言ってたよ? 会ってないーって」

 

「あちゃあ。顔だけでも、ちょっと出そうかな。それとも日を改めた方がいいかな?」

 

 そうやって問うてきた顔には躊躇いも見える。事情を詳しくは知らないなりに、慮った部分も大きいのだろう。

 

「……ううん。母さん、今日は帰って来れないし、父さんも店の掃除とか明日の仕込みとかで忙しいだろうから、おいでよ」

 

「ならちょっとだけ、上がろうかな」

 

「うん。じゃないと、いつまで経っても来ないでしょ?」

 

「……いやぁ、耳が痛い」

 

 ここに来たくないだとか、そういうことではないだろうけど、中々来る機会というのがないのだろう。それを態々指摘するのは少し性格が悪いかもしれないが、弟たちの相手をしてくれるとなれば、それはそれでありがたい。晩御飯を作る間ぐらいだけでも面倒を見てもらおうなんて、都合の良い考えを隠しながら私は彼を家に招いた。

 

「純、紗南! ただいまー」

 

 私が家の奥へと声をかけると、木の板の僅かに軋む音がして、続け様に大きな声が上がる。それは久しく見るお兄ちゃんの登場に騒ぎ立てるものであった。本当の姉は私だけなのだが、この子達から見れば近所に住んでいる優しいお兄ちゃんという、ある意味では特別な存在なのだろう。

 小さな興奮に翻弄されているのを尻目に、私は早く晩御飯の軽い支度だけでもと思い、その場を完全に任せてキッチンへと駆ける。この時間からそんな大層なものを用意するのも難しいだろうから軽食を作ろうか。

 お店で余ったパンを出したら足りるだろうかなんて考えながらキッチンで慌ただしく料理をしていると、後ろから控え目な足音が聞こえてきた。

 

「あれ? 純と紗南、どうしたの?」

 

「それが……。久しぶりに遊んで燥ぎすぎたのか、寝ちゃって」

 

「えぇ。私、もうそれなりにご飯作っちゃったのに」

 

「ごめんごめん……。一応タオルケットは掛けてあげて、起こそうと思えば起こせると思うけど」

 

 言葉のあちこちに彼の優しさは散りばめられているのだが、優しさでご飯は減らないし。この時間に寝ちゃったのなら、多分純と紗南は起きないかもしれないし。父さんと私じゃ、と思った時どこからか、昼間にも聞いた腹の虫が鳴った。

 

「……あはは」

 

「そうだ。食べていく? 晩御飯」

 

「え、いいのか?」

 

「うん、父さんと私だけじゃ食べ切れないし」

 

 無理に起こすのは忍びないからね、と付け加えて私は仕上げにかかる。その間に父さんを店の方から呼んできてと使いに出し、私は慣れた手つきで盛り付けにかかる。

 数分も経てばリビングの方から二人分の話し声が聞こえてきたものだから、完成した野菜のスープだとかのお皿をリビングへと運んだ。

 

 

 

 三十分もしないうちに、中々に珍しい晩餐が終わった。三人もいればどうにか作った晩御飯は大方消費し終わって、もう洗い物にも取り掛かれそうなほどになっていた。

 

「そういえば、純や紗南の面倒を見てくれて、ありがとうね」

 

「本当に、沙綾の面倒も見てくれたら助かるよ」

 

「またまた亘史さん。僕が面倒見てもらってるぐらいですから」

 

「二人とも恥ずかしいからやめて」

 

 私を巻き込んで夫婦漫才を始めようとする奇妙な父さんと幼馴染に辟易した私は無視をしてキッチンに逃げようとする。だが、父さんがそれを許さなかったらしい。

 

「あぁ、洗い物はやっておくから。積もる話もあるだろう?」

 

「何から何まで、上り込んで、すみません」

 

「良いんだよ。純と紗南と、沙綾の面倒まで見てもらって」

 

「だからもうやめてって……」

 

 父さんに無理やり追い出された私はリビングで彼と二人、困り果ててしまった。あそこまで散々弄られている上で、晩御飯は食べ終わったんだからさようなら、というのは余りに非情というか、自分が人でなしであるような気がして気が進まなかった。

 

「その、帰った方が良いかな?」

 

 だから、そんな質問にはどうにもこうにも答えようがなかった。けれど、流石に自分の部屋に招くというのは少し恥ずかしいし、他の部屋で話をしていては、純や紗南たちを起こしかねない。どうやら背に腹はかえられないらしい、そういう風に自分を納得させて、私は彼を伴って階段を昇った。

 

「部屋、入っても良いのか?」

 

「小さい頃とかは遊びに来たこととかもあったでしょ? 気にしないで良いよ」

 

 見られて恥ずかしいようなものなんてのもないし、なんてお決まりのような台詞を残して私はドアを開ける。洋室の子供部屋なものだから、取り敢えずのクッションをポンと渡して、座ってもらう。改めて部屋に二人きりという事実を自覚すると、どことなく不思議な感覚に包まれたものの、意外と心は落ち着いていた。同世代の異性と自室に二人きりだなんてここ最近じゃまともに経験した覚えもないのに動揺一つしないというのは、それだけ幼い頃からの関係性が深いことを意味しているのかもしれない。

 

「ちゃんと整頓してあるよな」

 

「まぁね。……気にしないで良いよとは言ったけど、そんなにジロジロ見られるのは恥ずかしいかな」

 

「あぁ悪い」

 

 幼い頃からの仲があるとは言っても、一度会話が途切れてしまうとなかなかその糸口を見つけだすのは難しい。下手に話の流れを途切れさせてしまった自分に呆れながら、私は必死にここ最近にあった話題になりそうなことを思い出す。けれど、私がそれを見つけだすよりも前に、彼の方が先に話すことを思いついたらしかった。

 

「CDとかも結構置いてあるけど、バンドの方は順調?」

 

「え? うーん。まぁライブしたりとかは、……うん」

 

「そっか。聴きに行けてなくて、ごめんな」

 

 なぜそれぐらいで謝るんだろうなんて不思議に思いつつ、暗い顔をしていた幼馴染の気持ちをそっと探った。

 

「気にしないで。バンドなんて、私が好きでやってることだし」

 

「Poppin'Party、だっけ。最近名前結構聞くよな」

 

「そう、だったら嬉しいな」

 

 お陰様でそこそこの知名度は得ているのだと、少しだけ誇らしくなった。ガールズバンドなんてものに一欠片も興味のなさそうな彼が名前を知っているぐらいなのだから、Roseliaだとかには知名度で勝てなかったとしても、ちょっぴり嬉しかった。身近な人に応援されていると言うのは、やはり快いものだから。

 

「ガールズバンド、そんなに流行ってるんだなぁ」

 

「うん。最近は色んなバンドが出来てるからね。Roseliaとか、聞いたことない?」

 

「……なにそれ?」

 

「えっ、知らないの?」

 

「……うん」

 

 絶対に知っているだろうと思っていたところを知らないと突き返されたわけで、拍子抜けした私は次々とガールズバンドの名前を挙げていく。しかし、彼の答えは一様で、さっきまでガールズバンドの流行に感嘆の声を上げている者の発言とは思えなかった。それだけに、何故ポピパだけは知っているのかとどうしても気になってしまう。

 

「でも、ポピパは知ってるんでしょ?」

 

「そりゃあ……沙綾がいるから、な」

 

「そ、そっか……。あはは……」

 

「……すまん、なんか追っかけかストーカーみたいだな、今の」

 

「えっ、ええっ?!」

 

 それは幾らなんでも飛躍しすぎだろうとツッコミを入れたくもなるが、幼馴染と雖もそれほど目をかけてもらっている謂れも分からない。それは恐らく、私が逆に彼のしていることだとかを詳しく知らないからであろう。逆の立場になった時、何故そんなにも意識して見てくれているのかということが分からないからだ。

 

「私が、かぁ」

 

「ま、心配だからな」

 

「心配?」

 

「沙綾のことが」

 

「私そんなに、危なっかしいかな?」

 

「そういう意味じゃないけど」

 

 彼曰く、私はなんとなくでも無理をしていそうだとか、そんな風に思われているらしい。多分私から見た、香澄とかの暴走具合に対する危なっかしさとか、そういうものとは性質が違うのだろう。それは話を軽く聞いているだけでも伝わってきた。

 

「家のことやりながら、バンドもやるって、そこだけでも大変なのに、な」

 

「それは……」

 

「沙綾のことだから、バンド内でもメンバーの面倒を見るのに奔走してそうだし」

 

「そんなこと……ちょっとあるかも」

 

「だろ?」

 

 予想が当たったのがそれなりに嬉しいのか、心底楽しそうに笑う彼の顔は、小さい子どもの持つ無邪気な一面が浮かび上がっていた。けれど、そんな一面を隠そうともせずに、冷静に人の考えだとかを見抜いていく、その乖離が酷くおかしくて、私はずっと穿った見方をしようとしていた。

 彼の洞察は私のことをそこそこに理解したもので、単にパン屋が云々の域を超えて、困ったポピパのみんなを見守ったりだとか、自分のことだと思って聞くと恥ずかしくなるような言葉ばかりだった。だからこそ、今の私がそれを聞いていると、自分の中のもう一人の自分がそんな大層なことではないと戒めてくるのである。

 

「……だから、沙綾はポピパの中の、母親みたいなポジションになってるんじゃないかって」

 

「……ううん。逆に私が振り回してばっかりだったりするから、ね」

 

「そうなのか?」

 

 こんなことをこの場で口に出してしまっても良いのだろうか。自問自答するも答えが分からないうちに私は静かに口を開いていた。愚痴や相談の皮を被った私の自虐を聞かせるのなんてとんでもないと思っていたけど、逆を言えばここぐらいでしか私がその負の感情を吐き出す場面はなかったのかもしれない。自分の独白をこうして正当化しつつ、私が重ねたのは自己嫌悪だった。

 

「文化祭の時も、結局ギリギリまで香澄たちに迷惑かけちゃったし。今だってポピパを続けられるなら、CHiSPAを抜けちゃった意味も、よく分かんないし、なんて」

 

「CHiSPA……。沙綾が中学の時にやってた」

 

「……うん。って、その時は練習の後に会ったりもしてたもんね」

 

「あぁ、なんとなく覚えてるよ」

 

「その時から考えても、私がバンドのみんな、振り回しちゃってたから」

 

 結局私はCHiSPAのみんなとはライブ出来なかったし、夏希たちとの蟠りは溶けたとは思っているけど、私の都合で振り回した事実は消えるものではなかった。それが分かっているからこそ、今もこうやってずっと悩みの種を抱えているのだろう。

 

「いつも結局は私が振り回しちゃって。だから、私は全然ポピパの母親になんて、なれてないよ」

 

「今日だってそう、ってか?」

 

「……え。……うん、まぁ」

 

 さっきまではあんまり踏み込まないようにしていたのかと思っていたら、急に痛いところを突かれて困惑した。私がこれまで話の中でどうにか触れないようにって持っていったつもりだったけど、どうやら中途半端に優しい幼馴染は逃げることを許してくれないらしい。

 

「今日も練習してたら、お母さんが倒れてお見舞いに行った、そんなところか」

 

「凄いね、もしかして私の後ずっと尾けてた?」

 

「そこまで暇じゃない」

 

「そっか。でも正解だよ、百点満点」

 

「それで、またバンドを続けるのに悩んでるって、な」

 

 褒めたのだからさっきみたいに得意げな顔の一つでもしてくれたらこっちだって気が楽になるのに。そんな恨言を心の中で吐いてみると、いきなり核心を突かれた。

 別に私だって前みたいにポピパを抜けようだとか、バンドを辞めたいみたいなそういうことで悩んでいるわけではない。母さんから背中を押されていることも分かっているし、ならば迷いなくポピパの活動に集中するべきなのだろう。

 けど、また改めて自分がバンドをして、負担をかけたことでまた母さんが倒れて、それでもなお自分がバンドを続けられるほど図太い性格にはなれなかった。今日は練習中に倒れたと聞いたものだから練習を抜けて病院に駆けつけたが、明日からはどうするのだ。

 ライブだって近い。みんなが同じ方を向いて頑張っていたところに水を差すことになる。なら店を無視するのか。今母さんはいない。いつまでも店を閉めるわけにはいかない。

 どっちを選んだって、私にとっては中途半端な選択肢になるだけだった。

 

「……どうせ分かんないよね。私が悩んでるとか言ったって」

 

 言ってしまえば自暴自棄。思考の放棄。私がいくら言葉を並べてぶつけようが、部外者である彼にとっては瑣末なことで、悩んでいる私を幾ら可哀想と思ったところで解決するような問題じゃないから。私は閉塞感への鬱憤をぶつけることで、心の平穏を保とうとしていた。最悪な人間だった。

 

「……まぁ。そりゃあ俺がバンドを肩代わりすることも昼間から店に立ってやることも出来ないから、何を言っても絵空事にしかなんないけど」

 

 話を聞いてやることぐらいしか俺には出来ないからって、そう言い切るなり、本当に何も言わなくなってしまった。そこは何か助言の一つや二つでもくれるのではないかと期待してしまっていただけに、私はなんだか心の奥底に沸々と沸き立っていた思いを吐き出してしまいたくなった。

 

「母さんは、バンド頑張ってねなんて言うけど無理しちゃうし、ポピパのみんなも、私が店番するってなったら手伝おうとしてくれるんだよ」

 

 最初こそ私の心の中にあった漠然とした感情が、時間の経過と共に少しずつ言葉になる。運命の不幸さへの呪いも、次第に言語へと変わっていった。

 

「私が無理を通そうとしたら、それに合わせて周りの人がみんな、私のせいで無理をするから。それなら私は何もワガママ言わない方がいいじゃんって」

 

 周囲の人間を責めるつもりだなんて毛頭ないのだ。

 

「でも、自分の気持ち押し殺しちゃったら、なんでこのタイミングで倒れちゃうんだろって、なんで今、ライブの予定組んじゃったんだろって。最低だよね、愚痴ばっかりで」

 

 けれど、運命を呪うためには、そんな間の悪さをボロクソに言うしかなかった。そしてそんな最悪な自分を盛大に嫌悪することで、自分の中の人間性の正当さを自分に理解させようとしている。極めて醜悪で、最低な行いだった。これを誰かに批判されることで、私はさらに悲劇のヒロインへと成り下がろうとまでしてしまっているのである。

 私のワガママに従順になる周囲への反抗でもあった。せめて誰かが私に叱ってくれたら、私は何の迷いもなくバンドというものを諦められるから。結局は他人の言葉で、誰かに許されてこの狭間から抜け出そうとしているだけだった。

 

「話を聞いて思ったでしょっ? 私、最低なんだよ、ワガママばっか言って、自分が悩んでること他人のせいにして、楽な方に逃げようとしてるっ。クズ、だからっ」

 

 クズだと言われることで、クズだと認められることで、私は漸くこの葛藤に終止符を打つことが出来るんだって、そう思いながら心に沈澱した真っ暗な気持ちを叫んでいた。

 そんな思考を辿っていたから、私は無意識のうちに、罵られたいと思いながらも、それを偉大な愛で包んでほしいという、矛盾した感情を抱え込んでいた。罵られることで自分を悲劇的に描いて慰めたいと思いつつ、誰かに優しく声をかけてもらうことで純粋に一時的にでも楽になりたいという、矛盾した想いを。

 

「え……」

 

 だから、次の瞬間、私の頬を襲った突発的な痛みに、私は呆然とするしかなかった。

 

「クズって、そんなに連呼してんじゃねぇよ」

 

 右手で自分の頬を確認する。少し熱を持っていた。女の子を叩いたがどうとか、普段だったら言うのかもしれないが、私は何故そんな風に言われたのかが分からなかった。

 

「……なんで」

 

「沙綾がクズなら、そのクズを応援して倒れた沙綾の母さんは、そのクズを信じてライブへの準備を怠らないポピパの仲間は、とんでもない馬鹿か間抜けだな」

 

「……そんなこと、……そんなこと言わないでよっ!!」

 

「お前が山吹沙綾を否定するっていうのは、そういうことなんだよ」

 

「……そんな、つもりじゃ」

 

「沙綾は自分がクズって言われて、自分が可哀想だとか思いたいのかもしれねぇけど、沙綾が沙綾をクズって認めたら、そのクズを慕って、信じた人間は誰も報われねぇよ」

 

 これまで自分が考えてきたことが全てひっくり返されたようだった。私はどうせならいっそ、徹底的に人間としてのクズになりたかったのに、それは私の身の回りの人間全てを馬鹿にするようなものだったということらしい。今はそんな他人に気を回せるほどの余裕がなかったけど、自分のせいで誰かがバカを見る、それは許せなかった。

 

「卑下したって何も解決しないし、誰かを悪戯に傷つけるだけだから。それが分かったら、クズなんて言うな」

 

「……でも、私はみんなを振り回して」

 

「沙綾の母さんが倒れたのは沙綾のせいじゃないし、ポピパやCHiSPAのみんなが沙綾に気を遣ってるのは沙綾のせいじゃない」

 

 そんなこと分かっていると反論しようとして気がついた。私のせいでみんなを振り回しているというのは私から見たらそう見えるだけなんだって。自分のせいにすることで、結局はカタルシスじみた慰めをしたいだけで、捉え方次第なのだと。

 

「沙綾の母さんが沙綾を応援するのもワガママだし、ポピパが沙綾を助けようとするのもワガママだ。沙綾が母さんやポピパのことを想うみたいに、みんな沙綾のこと心配してるんだよ」

 

「……クズだって、思ってたのに」

 

 それでも私は最後の抵抗のように、何か、何か自分を守れる最後の襤褸布を探していた。これまで自己嫌悪に浸ってきた過去の自分の意地を守ることができる、ボロボロの盾を。自分は最低な人間なんだと唱えることのできる証を探していた私の愚行は、遂に止められた。

 

「……どうして」

 

「俺の知ってる沙綾は、俺の大好きな沙綾は、クズじゃない」

 

「……なんで、全部知ってるのさ……」

 

 自分が無意識のうちに求めていた、自分への批判も優しさの塊も、全部が全部、一瞬のうちに全て注がれたのだ。動揺しないはずがない。けれど、先の痛撃もその抱擁も、私を落ち着かせるには十分すぎた。

 詰まるところ、私はどこか誰かを頼ることが出来ていなかっただけなのかもしれない。誰かを私のワガママで振り回して迷惑をかけるぐらいならって思いが邪魔をして、誰にも頼らないようにしていた限界がやってきたのかもしれなかった。

 

「……なんで泣いてるの。泣きたいのは、私の方だよ」

 

 私の精一杯の抱擁への抵抗にも何も答えない。けれど、それで良かった。変に心を見透かされてしまっては、私の方がさらに泣いてお話にならなくなるから。既に二人とも泣いてしまって、そのまま抱き合ってるなんて奇妙な絵面になっているのに。私が今まで出したくても出せなかった顔を、出さざるを得なくなっているのに。もうこれ以上泣いて仕舞えば、戻れなくなってしまう。

 だから私は、静かに、顔を見ることもなく泣いていた。

 

 泣き止んだのは十分も経った頃だろうか。流石に我に返って恥ずかしくなったのか、今は同じ部屋にいるのに微妙な距離感を保っている。ついさっきまでの暗い空気はなくて、そこに漂っていたのは甘いパンのような、発酵を繰り返した香りだった。

 

「ごめん沙綾。痛かった、よな」

 

「……え?」

 

「ほっぺた」

 

「……あぁ。ううん、気にしてないよ、大丈夫」

 

 そういえば私は一連の嘆きの中でビンタされたんだっけ。まさか家に招いて自己嫌悪に浸ったぐらいで叩かれるなんて思ってなかったけど、裏を返せば、だからこそ私はある意味で吹っ切れたのかもしれない。

 

「まぁでも、女の子をキズモノにしちゃったんだから、責任は取ってもらわなきゃ」

 

「……えっ?」

 

「責任、だよ?」

 

 その時の私は愉快にも笑っていただろうか。さっきとは違い、困惑した表情を浮かべる幼馴染を翻弄して、してやったりという顔をしていたに違いない。

 勿論あのビンタが本当に痛かったわけではないし、傷がついたなんて寸分も思っていないけど、乙女を泣かせた罪は重い。まずはライブに来てもらおう。そこで自分が犯した罪の重さをじっくり理解してもらって、その時にまた打ち明ければいい。今度はワガママを言うと決めたから。

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