ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【宇田川 あこ】ゲームの外のカッコよさ

 あこがいつも求めているもの。それはカッコよさ。

 あこを聖堕天使あこ姫として認めてくれるゲームの世界は、何の否定の余地もなくあこにとっての桃源郷だ。何も取り繕わなくても、あこの思い描くカッコよさをそのまま表してくれる。あこのなりたいと思うカッコいい存在になれる、それがゲームの世界だった。

 

『やったぁ! レイドボス撃破!! 我が漆黒の力が彼の地を守る地獄の門番を打ち破ったり!!』

 

 あこの頭の中に思い浮かんだ雰囲気を醸し出すような字面がチャットで流れて、パーティーメンバーのみんなもそれにノリ良く返してくれる。確かに所謂オフ会でリアルな顔を何度も見た仲、つまり現実の世界での関係もあるわけだが、ここにいる皆が、この夢の世界に入り浸って関わっている。謂わば、あこが理想とするような摩訶不思議な力を自由自在に操れる世界のもとで、仲間とその世界で闘い続けることができる。それだけであこの心は満たされた。

 

「ふぅ」

 

 その瞬間、世界は色を変えた。

 レイドボスを倒してちょっとだけ息を吐いて、画面から一瞬目を離す。すると、生まれてからずっとそこに居たと錯覚しそうな作り込まれた世界もそこにはなく、黒く縁取られた派手な色のフィールドに動くアバターの群れの中で楽しんでいたことを嫌でも自覚する。

 もちろん、ネカフェでゲームをプレイしているに過ぎない以上、あこが聖堕天使あこ姫であるという事実はこの世界において全く存在し得ない。それは理解しているつもりでも、ふと現実に引き戻されるこの瞬間は、自分がまるでカッコよくなれていないようで途轍もなく嫌だった。

 

『あこちゃん? どうかした? (´・_・`)』

 

『なんでもない!』

 

 パーティーみんながレイドボスを倒して、フィールドの物色に励んでいる中、リアルの嫌悪感に引き摺られて何も動かないアバターを心配したりんりんからチャットが飛んでくる。

 今日はRoseliaのみんなとプレイしているわけではない。そもそもりんりんや紗夜さんはまだしも、リサ姉や友希那さんが参加してくれる機会は滅多にないし、紗夜さんもその気にならないと中々プレイしてくれない。

 そんなわけで必然的にりんりんや、いつもNFOを一緒にプレイするネット上の友人と、その理想の世界を遊ぶことが多かった。あこがカッコいいあこで居られる世界に生きられる時間は、Roseliaのみんなとプレイするよりもそれの方が長かったのだ。

 

『二人とも、宝箱とかいいの?』

 

『レアドロップしてますね! 今行きますね (`・ω・´)』

 

 パーティーメンバーに声を掛けられてりんりんのキャラがレイドボスが最後に朽ち果てた方へと駆け出していく。黒い枠のギリギリにまでりんりんが消えていくのをみて漸くゲームの世界のことを思い出したあこは、急いでキーボードとマウスに意識を戻す。

 

『これあこちゃんがずっと欲しがってた装備! いつもこの装備の話してたもんね、良かったねあこちゃん (o^^o)』

 

 その枠の縁の方に出てきたポップアップにあこはハッとさせられて、NFOの世界——聖堕天使あこ姫が生きる世界——と、現実の世界——あこが宇田川あこである世界——の境目がドロドロと混じり合っていく。そんな不思議な世界の融合が頭の片隅をよぎるだけで、あこがカッコよくないと後ろ指を指すような人間の囁きが聞こえてきた。

 何度も頻繁に動きを止める聖堕天使あこ姫を心配してなのか、現実世界とリンクするトリガーが何度もあこの目を奪い、思考を奪う。いつもなら気にかけてくれるりんりんの音のない声が、今日だけは煩わしく聞こえた。それでも延々とその声を無視し続けるわけにもいかず、心配はかけないようにしなきゃと頭の中でグルグルと思い浮かんだ適当な文句を並べてタイプした。

 

『家族がちょっと部屋に乱入してきちゃった! 一旦落ちます!!』

 

『えっ? あこちゃんドロップアイテム何も回収してないよ ∑(゚Д゚)』

 

『また後で!』

 

 物凄く短いメッセージを送り、ダンジョンの中なのにあこはログアウトを押していた。それまで茶色ベースのダンジョンの背景を見続けてきた瞳は、画面暗転の僅かな闇に吸い込まれて、そこに映るあこが宇田川あこであることに気がついてしまう。

 これだ。これこそが嫌なのだ。嫌だとわかっていながらも、自らが聖堕天使あこ姫であると認識をするためには、後々これをいつか経験しなければならない。一時の自己陶酔の尻拭いとして、この罰は甘んじて受け入れなければならない。あこが聖堕天使あこ姫であると思い続ければ思い続けるほど、あこは宇田川あこであると認めなければならないのだ。

 カッコ良さを求めるためにNFOの世界に浸かり込んでいるというのに、浸かり込んだ結果は聖堕天使の織り成すカッコいい世界には遠く及ばない現実世界へのリンクだった。

 

 こんこんこん。

 

 そのノックの音で自分自身がネカフェの世界に居たことを思い出す。視界の端に映ったタイトル画面から目を背けながら、あこは振り返って扉がゆっくり開いていくのを見つめる。

 そこに立っていたのはりんりん。そうか、今日はいつもと気分を変えようと、家でプレイするのではなく態々ネカフェに来てNFOの世界に入ろうとしていたのだった。りんりんの登場であこの頭の中は急に冷えていくように、思考がクリアになっていた。

 

「あこちゃん……何かあった?」

 

「え、何かって?」

 

「その……、あこちゃんが……ずっと欲しいって言ってた、『古を屠りし悪魔の杖』がドロップしたのに……、ログアウトしちゃったから……」

 

 なんだ。ゲームをプレイするために訪れたネカフェの扉が開いてりんりんが訪れたのだから何事かと思えばその程度か。何か頼んだ料理が届いたりだとか、利用時間を尋常じゃないほどオーバーした客を注意するだとか、そんなことが無い限りネカフェの扉が開くことなんてないのだ。だから、そこに現れたりんりんが何かおぞましいほどの何かに気がついたからだとか、そんなことかと思ったら。

 

「ネカフェでプレイしてるって……言ってたのに、家族が来たってあこちゃん言ったから……、みんな凄く心配してて……」

 

 そういえばさっきそんな嘘を吐いたっけ。その嘘だけ聞けば、ノックの後扉を開けて入ってきたのはおねーちゃんみたいだ。あこがカッコいいと憧れを抱き続けるおねーちゃんが、あこのことを心配して色々と気にかけてくれる瞬間の時のように。あこがある意味目指すべき理想の姿の一つを体現しているおねーちゃんの来訪と勘違いした。

 

「あこちゃん……? さっきから、……大丈夫?」

 

「え?」

 

 あこが聞き流していただけで、どうやらりんりんはあこに色々と話しかけていたらしいが、まるで聴こえていなかったあこはりんりんの方に視線を向けた。それまでぼんやりと、朧げながら茶色い壁の隙間から浮かび上がっていたおねーちゃんの像がどんどんと薄くなっていく。それまで目が冴えるほどの煌々と燃える紅を放つ髪色は、暗い店内の照明に染め変えられるように黒へと変わった。もう一度目をパチクリと瞬きすると、そこにいたのはおねーちゃんじゃなくて、ずっとあこのことを心配してくれていたりんりんだった。

 

「あっ、りんりん! えっと……何か言ってたっけ?」

 

「その……、『古を屠し悪魔の杖』が折角ドロップしたけど……、あこちゃんがログアウトしちゃったから……、その、拾ってないよね……?」

 

「……え? ……あぁっ?!」

 

 あこの脳内で、手強かったレイドボスが膝から崩れ落ちていく姿がもう一度再生され、その体から飛び出した宝箱が光り輝いていた様を思い出した。そっか、チャット欄があまりに騒がしかったのは。

 

「あこの欲しかった杖が?!」

 

「あ、あこちゃん……ここ……お店……!」

 

「あっ!」

 

 りんりんに言われてふと現実を思い出した。そういえば今あこは、宇田川あことしてこのネカフェの利用客になっているのだ。だからこのように騒ぎ立てるのは宜しくないのだと。

 それと同時に、もう一つ嫌なことを思い出してしまった。嫌なことと言えば語弊もあるのだが、あこの親友であるりんりん、ということだ。これだけだとりんりんが親友であることが嫌だと、そう聞こえるかもしれないがそうではない。聖堕天使あこ姫とパーティーを組むRinRinではなく、今目の前にいる私の大親友であるりんりん。その現実に辟易としてしまい、嫌な気分に浸っているのだ。

 公共の場で騒いでしまうあこを優しい言葉で嗜めてくれるりんりんは、現実世界にいるりんりんなのである。

 

「……ごめんなさい」

 

「分かれば……大丈夫だよ」

 

 いつものあこなら、超低確率でしかドロップしないレア装備を取り逃したショックで、内なる邪悪な欲望を喰らう悪魔に唆されて発狂してしまいそうなほどなのに。どういうわけだろうか、今のあこには、そんな超ショックな出来事すらも些細で、唾棄すべき過去の幸せの残滓に思われた。

 

「あこちゃん……」

 

 あこを心配するような、憐れむようなりんりんの声は、回線に隔絶されたあこ姫に届いてはいなかった。

 

 

 

 

 

 それから少し経ったからだろうか。以前から親交のあるパーティーメンバーとのオフ会の日だった。オフ会とはいえ、仮にも学生の身分であるあこや、りんりんは自衛も考えて、休日の昼間の時間に街に繰り出して、ちょっとご飯を食べるぐらいだ。

 りんりんは人見知りだから、あこが守らなきゃいけない。それはまるでお姫様を守る騎士のような気概だった。まぁ、守ると大層な物言いをしたところで、所詮は幾度となく同じパーティーで動き続け、リアルでも何度も会ったことがあるメンバーばかりだ。少しばかり年齢の違うパーティーメンバーでもチャットで話すような雰囲気でこれまでも話してきたものだから、それほど身構える必要はなかった。

 

「あ……あ……」

 

「大丈夫? りんりん?」

 

「うん……大丈夫……」

 

 とはいえ、りんりんのそれは極度なものだからあこがどう言おうとこうなるのは避けられないだろう。みんなもそれが分かっている上で関わりを持ってくれるものだから、他所のコミュニティに飛び込むよりはよほどマシかもしれない。

 それはそれとして、ネットの友人と現実で会うオフ会は、実を言うとあこにとって楽しみでしかなかった。

 今までのあこの考えを表面的に見ればそれは意外かもしれない。だって、自らの理想をそのままにした仮想に生存できる世界が現実とリンクした瞬間であると意味つけすることが出来るから。きっと、ネットの友人とリアルが交錯するオフ会をそのように捉える人は多いだろう。

 しかし、あこの考えは少し違う。このオフ会は、りんりんがネカフェの部屋を訪れたその瞬間とも似ても似つかないものだ。

 

「あこ姫久しぶり! RinRinも!」

 

「我との久方ぶりの邂逅を存分に……えーと、悦に入るがいい!」

 

「……あこちゃんも……、久しぶりに会えて……嬉しいんだね……!」

 

 現実世界に生きる人間たちと相見えているというのに、みんなはあこを聖堕天使あこ姫として見ているのだ。ネットの世界で交わしていた言語のやり取りの枠を超えた交流だというのに、そこではあこが宇田川あこになるのではなく、聖堕天使あこ姫としてこの世界に生きているのだ。

 りんりんと一緒にいる時も、もちろん楽しい。二人でNFOの話をする時も、Roseliaの話をする時も、楽しい時間であることは否定しない。けれど、りんりんと二人でいる空間においては、あこは聖堕天使あこ姫にはなれない。親友として居ることが出来るが故に、自らをカッコよく見せるアバターを失ってしまっている。みんなに余り理解してもらえない言葉の数々は、ただカッコよく聞こえるから言いたいだけでなく、自らのカッコよさを保つ努力の結晶だった。

 

「RinRinは相変わらず、あこ姫の付き人みたいだなっ!」

 

「あはは、ほんとほんと! 見てて面白いんだけどね!」

 

「そう……ですかね……」

 

「私もそう思うよ〜? 良いコンビネーションって感じ〜」

 

 一応現実の性別が女性であるメンバーが多いパーティーなもので、集合場所に集ったメンバーはほぼ女性ばかりだった。みなとは言ってもあことりんりん含めて五人だけで、うち男性メンバーは一人。そうは言いつつも、アバターの容姿が現実とリンクしない以上、普段は性別がどうだとかを気にすることもゲームでも、それを基にしたオフ会でも余りないので、もはや頭の中からそんな情報整理も消えそうになっていた。

 

「あれ、まだ……五人……?」

 

「あっ、そういや休みって連絡がさっき来てたっけな」

 

「おっ、ハーレム到来かなー? このこのー!」

 

「ま〜、そんなの気にしないけどね〜」

 

「俺だってそんなこと気にしないっての」

 

 元から六人集まる予定が、五人しか集まらず、女四、男一のパーティーになったらしい。けれども、普段からアバターに包まれ、そのキャラとして絡んでいるのにハーレムがどうということもないので、みんなそれを茶化すだけで特に問題にもしていなかった。

 そんな五人パーティーを組んで、訪れたファミレスの座席につく。そこから始まったのは和気藹々とした、ごく一般的なオフ会だった。

 

「いやー、イベランお疲れ様でした!」

 

「近距離範囲攻撃と同時に遠距離射撃してくるの超うざかったね〜」

 

「ほんとに! あこも詠唱めちゃくちゃ中断させられた!」

 

 話が盛り上がるのは、つい先日のレイドボスを只管狩り続けるイベントの話題。NFOで集まっているのだから、盛り上がりを見せるのは当然その話題の時だ。

 

「だから俺がちゃんとボスの攻撃モーション何度も叩き潰しただろ?」

 

「それでも前衛ならちゃんと攻撃全部受け止めてもらわないと〜」

 

「範囲攻撃と同時の遠距離をどうやって受け止めろって言うんだよ!」

 

「……ふふ」

 

 普段なら人見知りを発揮してしまうであろうりんりんも、この場ではチャットほど活発でないとは言え、相槌を打ったりと会話に参加出来ている。オフ会という名目ではありつつも、やはりここはNFOの世界を現実に移したところだった。

 

「いやー! でも前衛の役目果たし切ってからふんぞり返って欲しいかなってあたしは思うけどな!」

 

「その通りだよ〜。もっとちゃんと働いて貰わなきゃ〜」

 

「だよね! あこもそうしてくれたらもっと魔法の撃ち合い出来たのにな!」

 

「無茶言わないでくれよ……」

 

「戦士が紗夜さんみたいだったらなぁ」

 

「紗夜さん?」

 

「あっ、あこちゃん……」

 

「え?」

 

 あこは何も意識しないままにRoseliaのみんなで遊んでいた時のことを思い出しながら喋っていた。どうやら、タンクへの軽々しい不満を面白おかしく言う過程の中で、紗夜さんの名前まで出してしまったらしい。当然ここはRoseliaのみんなで集まっているわけではないし、NFOを普段プレイするパーティーのオフ会だ。

 やばっ、と直感的に思ったあこは口をつぐんだ。全く違うコミュニティのネタを出したところで、場が白けるだけなのに、なんて思いながらどう取り繕うかと考えを巡らせていたあこ。けど、みんなの反応は意外なものだった。

 

「あ〜、Roseliaの紗夜さんだよね〜? あの人も戦士でやってるんだ」

 

「……え? ……知って、るんですか……?」

 

「あこ姫とRinRinがRoseliaでバンドやってるなんて、あたしでも分かるよ!」

 

 今の今まで、オフ会やゲーム内チャットでの会話の中で、ゲーム、それも専らNFOの話でしか盛り上がったことがなかったせいか気づいていなかった。しかし、一緒にパーティーを組んでたみんなはあこたちがRoseliaだということを知っていたらしかった。

 

「え、なんで知ってるの?」

 

「そりゃああこ姫とRinRinも、オフ会で何度も話してるし分かるよ〜」

 

「むしろこれだけ話してて気がつかない方が違和感あるだろ?」

 

「た、確かに……!」

 

 でも、そんな答えを聞いて安心するのではなく、あこはより一段と身構えた。しかし、それも杞憂だった。

 

「……Roseliaって分かって、……どうしてパーティーを組んでくれるんですか……?」

 

「え? だってあこ姫とRinRinとゲームしてるわけだし?」

 

 その答えを聞いて安堵した。もしあこの発言が原因でりんりんのゲームする友達まで奪うことになってしまったら、そう思ったからだ。

 そして、安心するだけじゃなくて嬉しかった。Roseliaのあこだと知られてもなお、まだあこは聖堕天使あこ姫で居ることが出来たから。それを理解した時嬉しかったのだ。

 でも。

 ……嬉しかったからこそ、あこは次の言葉に落胆した。

 

「あこ姫、Roseliaの中じゃ、妹ちゃんって感じで可愛いよね!」

 

「……えっ?」

 

「RinRinが世話を見てそうだね〜」

 

「あこちゃん……、実はRoseliaでもわたしのことをよく……助けてくれるんですよ……!」

 

 その瞬間、あこは現実を直視した。カッコよくなりきれない、中途半端なあこが、ゲームの中の人格から滲み出てきてしまった。そして、不幸なことにりんりんも、嬉々としてあこがRoseliaのドラマー、宇田川あことして生きている瞬間を語っている。きっとりんりんに悪気はない。あこはむしろ、積極的に話しかけられているりんりんの勇気を褒め称えるべきなのに。

 

「でも……、確かに、Roseliaのみんなから……あこちゃんは可愛い妹分みたいに……思われてるかもしれません……!」

 

「……そうなんだよ! あこだけ二つも下だから、ね!」

 

 偽りの笑顔に身を隠す。闇があこを包んで、周囲の人々が見るあこが、本当のあこと見間違えるように。こうすればりんりんの勇気を尊重しつつ、今のギリギリのあこの自己肯定を維持できるから。一瞬だけ、一瞬だけカッコよくいられる聖堕天使あこ姫から、妹のように可愛がられる、カッコよさのかけらもない宇田川あこになってるだけだから。

 

「だよね〜、私がRoseliaのメンバーでも、あこ姫可愛がる自信あるなぁ〜」

 

「あこ姫可愛いもんね!」

 

 やめて、その名前のあこを、可愛いだなんて言わないで。それは自分の理想のカッコよさを全て併せ持った、世界で一番カッコよくいられるあこだから。

 あこは何も聞きたくなくて、知りたくなくて、耳を塞ぐこともできずに目に力を込めて、下を向くしかなかった。

 

「そうか? 俺からすればカッコいいんだけどな」

 

「……え?」

 

 でも、唐突に聞こえてきたあこをあこのままにカッコいいと評する声に、あこの意識は吸い取られた。今、いや、これまでずっと欲しかったその言葉をいとも容易く投げかけられたのだから。

 

「あれだけハードな曲調で、ドラムを叩き続ける姿は、強敵相手に呪文連発するあこ姫みたいで、カッコよくないか?」

 

「言われてみれば……。風格あふれるRoseliaのリズムを刻んでるんだもんね!」

 

「あこ姫は可愛さを兼ね備えた超カッコいいドラマーなんだね〜」

 

「あこが……カッコいい……」

 

 自分がそう思い込むだけでは決して得られなかった自信が、回復魔法を浴びたように一瞬にして取り戻されていったのである。それも、目の前で演奏に圧倒されたファンからの声じゃなくて、黒魔術のカッコよさに塗れたあこ姫に見慣れたみんなの声で。

 

「ただ聖堕天使あこ姫がカッコいいだけじゃなくて、Roseliaのドラマー、宇田川あこだって、カッコいいってことだな」

 

「……っ、うん!!」

 

 あこはもしかすると単純なのかもしれない。こんなに簡単に自分の中に渦巻いていたカッコよさの劣等感が消えていくのだから。

 これまで黒い縁より内側の、電子上にいるあこが、聖堕天使あこ姫のカッコよさだけが、あこが持っているカッコよさだと思っていた。だからその世界が途切れて現実に戻る瞬間、これ以上ないほどの虚無感に襲われるのだ。

 けど、あこがおねーちゃんの姿をカッコいいと思うのときっと同じで、そのカッコ良さはおねーちゃんに勝てずとも、あこの中にしっかりと生きている。それが分かっただけで、あこは幸せだった。

 

「……あこちゃんがいるだけで、すごく……心強いよ……!」

 

「RinRinにとっても、ヒーローみたいなんだな」

 

 あこにとってのヒーロー、謂わば憧れの対象がおねーちゃんなら、りんりんにとってのヒーローはあこなのだろうか。……もしそうなのならば、あこはとても嬉しい。親友という関係に積み重なろうとする憧憬の感情は、あこのカッコよさと気品をさらに漆黒に染め上げようとしていく。

 

「えへへ……それほどでも」

 

「……よかったね……、あこちゃん」

 

「……うんっ、りんりんもありがとう!」

 

「でも、こうしてみると、ね」

 

「うん。あこ姫はやっぱり妹かな〜」

 

「な、なんでぇ?!」

 

 まるでおねーちゃんがあこを撫でる時のように可愛がろうとする手つきに、思い切り反抗も出来ないでいる。りんりんも、その場の雰囲気に慣れてきたからか笑顔が増えたのは良かったが、あこの方をにこやかに微笑んでるだけで助けてくれない。

 

「ほらほら、みんなで撫でよ!」

 

「気高き聖堕天使あこ姫様を撫でるだなんて、俺には畏れ多いや」

 

「そ、そうであろう?! 誇り高きあこ姫様に、仕え奉れ!」

 

「あこ姫様のドラムには、我では足元にも及びませぬ!」

 

「へっへー! そうであろーそうであろー!」

 

 あこ達の大好きな、その世界の住民に、憧れの存在になりきることの楽しさが、今この瞬間にも溢れてくる。しかも、ただカッコいいのは聖堕天使あこ姫だけでなく、あこが自信を失っていた宇田川あことしても、カッコよいと理解されているのだ。

 

「俺も、こんな人間になれたらな、なんてな」

 

「えっ?」

 

 ファミレスでの会計。小さく呟かれた、あこのカッコよさの恩人の声にあこは気を取られた。みんな、たらふく食べたことの満腹感に浸っていたものだから、話しかけるのも憚られた。だからこそ、あこはその小さな呟きの真相を探りに話しかけにいっていた。周りの人達は聞いていないという安心感と一緒に、素直な気持ちを聞いてみたくなったのだ。

 

「えっと、どうかしたの?」

 

 ゲームのアバターでは決して見ることのできない、神妙な面持ちにあこの視線が吸い込まれていた。

 

「NFOでも、現実でもカッコいい。それがちょっと、羨ましくなっただけだよ」

 

「え……?」

 

 さっきまでNFOの世界のあこ姫にばかりなろうとしていたあこにとって、現実のあのがカッコいいと言われることが気恥ずかしいのと同時に、あこを立てるような思慮深さを持ちながらのその発言に、あこはキョトンと惚けた。むしろ、あこなんかよりよっぽど大人だろうに。けど、疑問を直接ぶつけるのもなんだか気が進まなくて、あこは深く考えずに、照れという表現で葛藤を隠した。

 

「あこ、NFO以外でもそんなカッコいいかな……」

 

「……俺からすれば、ね」

 

 NFOの世界にいる時はいつも、例えばレイドボスや、例えばダンジョンのボスに果敢に接近戦を挑む姿しか見てこなかったから、それほど弱々しそうな姿は想像もつかなくて、いざ目の前にしたあこは困惑していた。けど、そのあこがそんな目線を送っていることに気がついたのか、ずっと俯き加減だった顔が上を向いた。店の照明を斜め前から浴びたその顔は、どこかゲームの世界の神秘性と、現実の哀しさの両方を映し出しているようだった。

 

「Roseliaのライブ、今度俺も見に行くか」

 

「えっ、ほんとっ?」

 

 突然聞こえてきたRoseliaの名前に、あこは興奮気味に反応をしてしまう。あこの反応に釣られたのか、その場の空気はどこか急に明るくなった。さっきまでのよく言えば厳か、悪く言えばどんよりと重たい空気の僅かな距離が、一瞬で切り裂かれたような気がした。

 

「まぁ、ちょっと、気になるから」

 

「是非見に来てよ! ね、りんりん! って、あれ?」

 

 気がつけば、他の三人は店を出ようとしているところで、あこは慌ててその後を追いかけた。

 視界が途切れる僅かな瞬間。ついさっき明るさを取り戻したと思っていた表情に、またもや陰が差し込んでいた。あこは一瞬だけ振り返って、その陰の正体を探ろうとしたけど、それはまたも束の間の笑顔で隠されてしまった。

 あこはゲームの中の表情と、その笑顔と葛藤の顔に狭間で揺れる神聖な表情がずっと気になっていた。りんりんの背中に追いつくというその瞬間でさえ、その表情のことが何故だか頭から離れなかった。あこの求めるカッコよさとはかけ離れた、カッコよさに羨望の眼差しを向ける、その違和がずっと気がかりだったのだ。

 その時はそれ以上の追求も出来なかった。理屈だとかは分からないけど、なんだか無粋だと感じたのだ。ただ、現実のあこの持つカッコよさを成長として讃えることに無理矢理にでも目を向けた。得体の知れないその感情を、落ち着いて遠くから眺めていくために。

 あこは新しく見つけたカッコよさを胸の中で大事に育みながら、あこの心の微細な変化の一つ一つを、どこかゲームの中の自分を操作するかのように眺め続けているのだった。


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