市内の中学校の校庭、三時間目の体育の授業を終えた体操服姿の少女たちが校舎の横を三々五々歩く。
「露口さん、脚速いね~」
「へへっ、いっちばんいっちばん!」
脚の速さを認められた露口真白が胸を張って笑顔を見せる。短距離走の授業でぶっちぎりの速さを見せつけたことも誇らしく、真白は得意げに鼻の下を擦る。と、前を歩く二人組の会話が真白の耳に届いてくる。
「で、そのあとネチネチとババアがうるさくて~。ほんと、ウザい」
「もういい加減ほっといてほしいよね~」
同じ会話を聞きつけたらしい真白に話しかけていた同級生が真白に耳打ちする。
「加山さん、昨日もお母さんとケンカしたみたいだね」
「加山さんも気が強いからね」
「まあね……ねえ、露口さんのお母さんってどんな人?」
「い!?」
突然の問いかけに驚いて真白は少女の顔に視線を向ける。肩までの髪をふたつに分けたその少女が眼鏡の奥の瞳を好奇心で輝かせる。「えっと……」と口ごもって真白は答えに窮してしまう。真白に母親はいないから。真白は、海で生まれたから。
そう、彼女は艦娘―――白露型駆逐艦一番艦・白露。それが彼女の本名。
艦娘―――それは、在りし日の艦艇の魂を持つ娘たち。かつて、人類の敵・深海棲艦と死闘を繰り広げた少女たち。
5年以上続いた対深海棲艦戦争、しかしある日、深海棲艦はその姿を消した。もう何度目になるかわからない大規模作戦、しかしその作戦を期に深海棲艦は急速にその勢力を減じていった。瞬く間に出現個所を減らし、個体数を減らし、いくばくもせず世界の海からいなくなった。
数か月後、各国政府は「深海棲艦との戦争終了」を宣言した。
戦いから解放された艦娘たちを待っていたのは半年間にわたる鎮守府の施設を目的替えしての社会復帰プログラムだった。海の上で、あるいは工廠で生を受け、生まれ落ちたときから艦娘としての戦いの日々を送ってきた彼女たちに与えられた教育プログラム、その中で基本的な社会知識を教え込まれた後、彼女たちは鎮守府から離れ、各地にそれぞれ居を構える場所を与えられ散っていった。
そして数か月の時が流れ―――白露は戸籍名”露口真白”を貰い受け中学に通う身分となっていた。
母はどんな人か、との問いに白露は「社会復帰プログラム」で教わった通りの答えをする。
「お母さん、空襲で死んじゃったから……」
「あ、ごめんなさい」
「ううん」
嘘をつく罪悪感に顔を伏せる白露の表情を違う意味にくみ取って、少女は申し訳なさそうな顔をする。こう答えれば生前の様子まで聞いてくる相手はいないことは白露も学習済みである。脚を教室の方へ向けながら白露は「お母さんってどんな感じなのかな」となんとなく考えるのであった。
純白のセーラー服に身を包み、ひとり白露は中学の教室に残る。誰にでもいる母親が自分にはいない、ということを今更ながらに思い知らされて白露は放課後の教室で考えに沈む。やはり自分は艦娘、人に似て人に非ざる者。
教室のドアが開かれて豊かな亜麻色の髪を揺らしながらひとりの少女が入ってくる。少女は白露の姿を認めると声をかける。
「あれ?白露、まだ帰ってなかったの?」
「あ、うん。ちょっと……村雨は日直の日誌返し終わったの?」
「うん。戦闘報告ほどじゃないけれど学級日誌も結構書くのメンドウね」
そんなことを笑いながら口にして村雨は白露に近づいてくる。“村上沙紀”の戸籍名を貰い受け白露の同級生になった村雨は、白露の前の席に横座りに座ると白露に顔を向ける。
「白露は今週末は提督に逢うの?」
「え、うん」
ちょっとだけ白露の顔が朱色に染まる。戦時中結ばれたかつての上官の提督、その提督と白露は今もお付き合いをしている。「いいなあ~」と村雨は声をあげ両手の指を組み合わせると腕を身体の前に伸ばす。
「いいなあ~、両想い。村雨も両想いになりたいなあ~」
「家庭教師さんとは、進展なしなんだ」
「う、はっきりいいますね……そうですよー、なんの変化もありませんよー」
大学生程度の教養・知識を顕現時に既に身に着けている艦娘ではあるが、「基本をきっちり学び直しておきたい」というなかなか殊勝な気持ちから村雨は同居の日向の許しを得て大学生の家庭教師をつけていた。その大学生相手に村雨が恋に落ちるのにそれほど時間はかからなかった。そのあたりの話にも興味があり、白露は椅子から立ち上がりながら村雨に提案する。
「帰ろっか、村雨。積もる話は帰り道で……」
「あ、ごめん。これからテニス部の練習」
「そうか、今日は練習日だったか」
手を合わせる村雨を教室のドアの方から呼ぶ声がする。
「沙紀ー、そろそろ行かないと遅れちゃうよー」
「真由美ー、詩織ー、今行くー」
胸元の赤いリボンを揺らしながら村雨は腰を上げる。スクールバッグとテニスラケットを手に部活仲間の方に向かう村雨の背中を目で追いながら白露は思う。
自分もバスケ部に入っているけれど名前で呼び合う友達がいただろうか。
人懐っこいと自他ともに認める性格ではあったが、それは鎮守府の中でだけの話だったのだろうか。
自分はまだ、鎮守府にいるのだろうか。
鎮守府の外に友人を作り、想い人を持った村雨が眩しい―――そんなことを思いながら白露は村雨を見つめる目を細めた。
翌日、昼休みの時間。いつも通り机をふたつ向かい合わせにして白露は村雨とお弁当を広げる。ふたり食べ終わってお弁当箱をスクールバッグに戻したところで黄色い声が教室の片隅から上がる。
「なになに、どしたの?」
持ち前の好奇心の強さを発揮して白露は女子グループに近づく。四人組のうち写真を手にしていた少女が白露に笑顔見せる。
「ゆなちゃんが子供の頃の写真を持ってきたんだけど……かーわいいのー!」
言いながら少女は一枚の写真を白露に差し出す。少し色褪せたプリント紙の中で、ショートカットの幼子が砂場からこちらを見上げている。「へえ、かわいい」と思わず口にする白露に昨日白露の母親のことを訊いた少女が問いかける。
「露口さんって、子供のころどんな子だった?」
答えに窮する。生まれ落ちた時から今の姿の自分には、子供時代なんて、ない。社会復帰プログラムで作ってもらったカバーストーリーではどうなっていたっけ、と必死に記憶を漁る白露の背後から村雨が少し慌てた声をあげる。
「真白は、おてんばだったよ。今と同じ、うん!」
「へえ、村上さんってちっちゃいころから露口さんと仲良かったんだ」
「え!?あ、うん!」
ボロが出る前にふたりは何気なさを装ってその場から離れる。誰にでもあるはずの子供時代、それすら自分にはない―――自分が”人”ではないことを白露はまたも思い知るのであった。
その日村雨と一緒の帰り道、そわそわした様子の村雨に白露は声をかける。
「なんか、落ち着かない様子だね。なにかあったの?」
「よく聞いてくれました!」
ぴょんと身体を跳ねさせて村雨は白露の両肩を掴む。思わず身を引く白露に村雨は顔を紅潮させて勢い込む。
「あのね!昨日、家庭教師のカレに告白したの!そしたらオッケーだって!私と、お付き合いしてくれるって!」
「へ、へえ。おめでとう」
ぴょんぴょん跳ねながら村雨は気圧される白露に言葉継ぐ。
「村雨がホントは艦娘だってことも伝えたの!それでもいいって!受け入れて、くれるって!」
その言葉が小さな棘となった。知らず、白露は呟く。
「艦娘であることは……『受け入れてもらう』こと、なんだね」
「え?」
「ごめん、なんでもない」
笑顔が固くなっていることを自覚しながらそれでも白露は微笑み浮かべ村雨に告げた。
「おめでとう、村雨」
その週の金曜の放課後、白露はかつての上官の提督のマンションを訪れた。
部屋を満たすベッドの軋む音と水音、少女の鳴き声。それが止んで白露は裸身をうつぶせにベッドに横たわる。荒い呼吸が落ち着いてきたころ、白露に背を向ける格好でベッドサイドに腰かけていた提督が背中越しに声をかける。
「元気がないようだな。なにか、悩み事か?」
「え?なんで?」
「抱いてりゃわかる」
その言葉に顔が赤くなる。顔を枕に埋め直して、白露は素直になることに決める。
「私って、やっぱり人間じゃないんだなあって思って……」
「なにかあったのか?」
「特に、なにかがあったってわけじゃないんだけれど……」
言葉を探すようにして白露は呟く。
「お母さんとか、子供のころの記憶とか……そういう、考えてみれば当たり前のものを私は全然持ってないんだな、って。やっぱり、私は人間じゃないんだな、って」
「人間でないと、いけないのか?」
「この間、村雨が言っていたの。『艦娘であることを受け入れてもらえた』、って。……艦娘であることは、やっぱり普通じゃないんだよ。やっぱり、私は人間になりたいよ。人間が、いいよ」
その言葉を提督は黙って受け止めていたが、やがて白露の方に身体を捻ると白露の髪を撫でながら口にする。
「人間って、なんだろうな」
「え?」
「母親の胎内から生まれて、親に育てられれば人間なのかな……人間に生まれながら、人間としての道を踏み外す輩なぞ大勢いる。俺は、白露は下手な人間より人間だと思うぞ」
「…………」
「人間であることに胡坐をかいている奴らより、白露の方がよほど人間らしい」
言葉の意味が全部はわからなかった。それでも少し救われた気がして、白露はそっと目を閉じた。
土日が休みとは限らない軍人の性、翌日の土曜日は提督は出勤日だった。なので白露は純白の軍服姿の提督を見送り、自らもマンションを後にする。少し慣れてきた帰り道を歩いていると、大きな風呂敷包みを大儀そうに背負った老齢の和服のご婦人が声をかけてくる。
「すいません、汐入町三丁目はどの方角でしょうか?」
「あ、えっと……」
町名を問われてすぐにピンとくるほど土地に慣れてはいない。スカートのポケットからスマホを取り出し、地図アプリを立ち上げる。
「あ、ちょっと離れてますね」
「そうですか……どのくらい?」
「えーと」
答えかけて、白露はスマホを仕舞い老婦人に笑顔向けた。
「案内しますよ。荷物、貸してください」
老婦人を子夫婦の家だという一軒家まで案内して白露は今来た道を戻る。予定よりだいぶ遅くなっているので同居人の伊勢に一本電話を入れておこうかと思う。スカートのポケットに手を入れてスマホを探ろうとしたとき、後ろから声をかけられた。
「露口さん」
聞き覚えのあるその声に振り向けば、はたしてそこにいたのは白露の同級生。白いブラウスと緑のプリーツスカートという格好の少女に白露は意外そうな声を向ける。
「波多野さん?なんでこんな場所に?」
「親戚の家に向かうところ。露口さんこそ、なんで制服でこんなところに?」
「あ、えっと……」
恋人の家にお泊りしまして、とは流石に言えない。言い訳を探す白露に、しかし少女はそれ以上の追及をすることもなく声を向ける。
「今、おばあさんと歩いていたところを見てたよ。知らない人の、道案内してたんでしょ?」
「え、見てたの?なんか恥ずかしいな……」
「露口さん、優しいね……人間らしい」
目を閉じ両手を後ろ手に少女はもう一度繰り返す。
「ほんと、人間らしい」
その言葉に不安にも似た感覚を覚えて白露は言葉の意味を問いかけようとする。その白露に目を開いた少女は、一言告げる。
「露口さん、艦娘なんでしょ?」
ぴくん、と身体が震えた。息が、止まった。言葉をなくす白露を少女は見つめる。
「なんとなく、お母さんがいないのかなって……亡くなったとかじゃなく、最初からいないのかなって。そして、子供時代の記憶がないのかなって……ここまでくれば、後は簡単でしょ?」
罪悪感が白露を襲った。何に対しての罪悪感か、艦娘であることを黙っていたことに対してか、艦娘であることに対してか。わからないまま白露は少女に向かって頭を下げる。
「ごめんなさい!」
「なんで、謝るの?」
その素朴な声に白露が顔を上げると少女は更に言葉継ぐ。
「素敵じゃない、私たちを護ってくれて救ってくれて……そんな艦娘さんがお友達だなんて、私鼻が高いなあ」
その言葉に白露は目を見開く。その白露を見つめながら少女言葉続ける。
「いろんな人がいるから、ね。露口さんが艦娘であることを言いふらす気はないけれど、でも、私はお友達に艦娘さんがいることを誇りに思うし露口さんには艦娘であることを誇りに思ってもらいたいと思う」
いたずらっぽい微笑浮かべ少女は最後に確認する。
「お友達でいいんだよね、真白ちゃん?」
満開の笑顔花咲かせ、目尻に浮かぶ涙人差し指で掬い、白露は元気よく応える。
「うん!いっちばんのお友達だね!えーっと……」
「優香」
「ゆうかちゃん!」
ふたり、並んで歩きだす。人間と艦娘が、ふたり並んで歩き出す。海で生まれた人ならざる自分だけれど、人と共に生きていける。人として、生きていける。そう白露は確信する。
艦娘であることも、誇りとして抱きながら―――
―――この愛おしき生まれの下に
了