純白のセーラー服に身を包んだ少女が白亜の13階建てのマンションのエントランスを潜る。広めのロビーで少しきょろきょろとエレベーターを探しているあたりこのマンションの住民ではなさそうだ。エレベーターを見つけると駆け寄り、ボタンで呼び出して乗り込む。少し思い出して8階のボタンを押し、身体が階上に運ばれるのに任せる。
ドアのひとつの前に立ち少女はインターホンを鳴らす。吹き抜けるそよ風に胸元の赤いリボンと桜色のロングサイドテールが揺れる。まもなく、扉を開けて青年が顔を出し少女の名を呼んだ。
「よく来た、春雨」
そう、彼女は艦娘―――。白露型駆逐艦五番艦・春雨。
艦娘―――それは、在りし日の艦艇の魂を持つ娘たち。かつて、人類の敵・深海棲艦と死闘を繰り広げた少女たち。
5年以上続いた対深海棲艦戦争、しかしある日、深海棲艦はその姿を消した。もう何度目になるかわからない大規模作戦、しかしその作戦を期に深海棲艦は急速にその勢力を減じていった。瞬く間に出現個所を減らし、個体数を減らし、いくばくもせず世界の海からいなくなった。
数か月後、各国政府は「深海棲艦との戦争終了」を宣言した。
戦いから解放された艦娘たちを待っていたのは半年間にわたる鎮守府の施設を目的替えしての社会復帰プログラムだった。海の上で、あるいは工廠で生を受け、生まれ落ちたときから艦娘としての戦いの日々を送ってきた彼女たちに与えられた教育プログラム、その中で基本的な社会知識を教え込まれた後、彼女たちは鎮守府から離れ、各地にそれぞれ居を構える場所を与えられ散っていった。
そして数か月の時が流れ―――春雨は”雨宮春香”を名乗り中学に通う身分となっていた。
桜色のロングサイドテールをぴこぴこと揺らし春雨は青年のあとをついてリビングに足を踏み入れる。青年はかつての鎮守府の提督、そのころからの春雨の恋人。戦後街中のマンションに居を構えた提督の新居に初めて足を踏み入れ、春雨は少し緊張気味にバックパックを胸に抱える。
「そんなに固くならなくていい。男やもめの気楽な城だ」
「は、はい!」
「学校から直接来たのか?」
「はい……部活は、休んで」
「サボって、だろう?」
「はう……」
身を小さくする春雨に提督は微笑み向けて振り返る。その薄い肩を両手で抑え、提督はさりげなく口にする。
「おサボりする悪い子には、お仕置きが必要だな」
「え?」
その言葉の意味を春雨が悟る間もなく、提督は春雨を問答無用で押し倒した。
リビングの絨毯の上に、剥ぎ取られたセーラー服が散乱している。その真ん中で、今しがたまで提督に蹂躙されていた全裸の春雨が壊れた人形のように手足を投げ出している。虚ろな瞳を天井に向け、春雨は呟く。
「ひどいです、司令官……」
春雨の抗議に、提督は悪びれもなく返す。
「春雨が可愛すぎるのが悪い」
「ぅぅ……」
のろのろと身を起こし、散らばった下着と制服を集めて身に着ける。上半身を起こした格好で目線を転じると、Tシャツと綿パンに戻った提督はソファに腰かけ大判の雑誌らしきものに目を通していた。
「なにを、見ているんですか?」
ひょこひょこと近づき提督の横から身を屈める春雨の目に映ったのは、夏の高原に建つ瀟洒な建物の写真。
「ペンション、ですか?」
「そう」
「泊りに行くんですか?」
「というより、一軒買おうかと思って」
「え?」
その唐突な言葉に春雨は提督の顔に視線を転じる。ぽかんとする春雨の前で提督は雑誌を閉じ目を天井に向けて語りだす。
「戦争の功績で、俺海軍辞めても恩給が出るらしいんだよな。そうすると、ちょっと余裕ができるだろう?」
「はあ……」
「だったら、辞めてペンションオーナーにでもなろうかと。夢だったんだよな」
そういえばアウトドアが趣味の人だったな、と春雨は思う。春雨も戦時中サバイバル訓練と称して飯盒炊飯やテント張りの技術を半ば無理やり教え込まれた経験がある。それにしてもの突然の宣言に春雨は少し不安げな声を出す。
「あの……春雨は……」
「もちろん春雨もつれていくぞ。学校まで、通うのが少し大変になるけれどな」
その言葉にぱあっと春雨の顔に笑顔が咲く。提督の隣に腰を下ろし、春雨は歌うように話し出す。
「ペンションか~。いいですね~。きっと、毎日楽しいですよ」
「お、その気になったか」
「温泉とか近くにあるといいですね~」
「いいな、それ。温泉地の近くの物件を探すか」
ペンション生活になったら、きっと一緒に住むのだろう。今日みたいに寮の門限をいちいち気にしなくてもよくなる。毎日提督と一緒に目覚めて、毎日提督と一緒にご飯を食べて……そんな想像を羽ばたかせる春雨とは顔を合わせず、提督は口調を変える。
「明日から、しばらく仕事になる」
「……そうですか」
今度はいつ会えます?とは聞けない仕事。海軍の艦隊司令官の仕事はいつ出かけるともいつ帰ってくるとも告げられない仕事。戦時中は、春雨のことを待っているのは提督だった。いつ出撃するかも、いつ帰ってくるかも提督は知っていた。しかし今立場は変わり、春雨は海の上へ出かけていく提督を待つことしか出来ない。
「戻ってきたら、電話する」
「はい」
きっと、これが許される最大限。海軍という機密の多い組織に所属する者の、そしてその人を想う者の、それは宿命。それでも春雨はそのことを不満に思うでもなく、目を閉じ静かに提督の無事を祈るのであった。
数日後、国境付近海上。イージス艦の戦闘指揮所(CIC)の大型スクリーンに黄色いシンボルで空母を主軸とした隣国の艦隊が表示されている。ここ最近軍事的緊張の高まっている隣国の誇示的な艦隊展開にこの国の海軍もまた交代で艦隊を派遣して対峙していた。
「国境線沿いにゆっくりと航行する行動は変わらないな」
「そうですね」
スクリーンを見つめ独り言のように放たれる提督の呟きに副官が呼応する。ここ数日、隣国の艦隊は国境線沿いを行きつ戻りつを繰り返している。外務省を始めとする文官が外交ルートで抗議しているとも聞くが、隣国は公海上の行動であることを理由に抗議に耳を貸さないらしい。
ぴん、と張りつめた空気がCICを覆う。興奮と退屈が共存する時間、そんな時間が刻々と流れる。もう何度目になるだろう、隣国の艦隊が転舵したとき、それまでとは違う動きがあった。
「目標、進路160!こちらに向かってきます!」
CICの緊張度が一段階上がる。隣国の艦隊が国境に近づいてくる。提督の指揮で、オープン回線と発光信号により警告が発せられる。
「こちら日本国海軍。接近中の……国艦隊に告ぐ。貴艦隊は、現在我が国の国境に接近している。直ちに航路を変更し……」
艦隊の進路は変わらない。刻々と、スクリーンに表示されたシンボルが赤い点線で示された国境線に近づく。
自艦隊の武装の安全装置は外されている。軍令部からの指令ひとつで、対艦ミサイルが放たれる。指令ひとつで、戦争が始まる。
ごくりと生唾をひとつ飲み込む。スクリーンを凝視する。その時、彼の胸を去来したものは祈りか、闘志か、本国に残してきたまだ幼い恋人のことか。
レーダーを監視していた要員の声がCICに響く。
「目標、再び転舵します!」
スクリーンの上で、隣国の艦隊がゆっくりとその進路を変えていく。反転し、国境線から遠ざかっていく。
「目標、進路345!」
まだ鋭く場を支配する緊張感の中で、スクリーンに映る艦隊を表すシンボルはそれ以上進路を変えることもなく、やがて周辺海域からその姿を消した。
波音がイージス艦の艦橋に届く。穏やかな夕暮れの海を見つめる提督に、副官が声をかける。
「今回は、ひやりとしましたね」
「ああ」
言葉少なく返す。その後、哨戒機などに見送られ隣国艦隊は彼らの故郷の港の方角へと帰っていった。
それでも、今回で終わりではない。隣国の脅威が続く限り、人の世から争いが消えない限り、海軍の任務はまだ続く。
「俺は……」
現場を覆う緊張感、それに呼応して高鳴る鼓動、押しつぶすかのような重圧感、それを跳ねのける使命感。
「……俺は」
もう一度夕暮れの水平線に目を凝らす。海が、語りかけてくるような気がした。
マンションのキッチンで紅茶を淹れる手を止め、セーラー服姿の春雨は振り返る。
「え?なんですか?」
後ろから何か言われたからよく聞こえなかった。その春雨には目を合わせず、提督はきまり悪そうに後頭部を搔きながらもう一度言いづらそうに口にする。
「俺やっぱり、海軍に残ろうと思って」
使命感、責任感、達成感―――どれも、言葉にしてみれば違うような気がする。しかし、これだけははっきりしている。あの日、あの任務でイージス艦の艦橋で感じた感覚、それは絶対のものなのだと。自分にとって、海軍こそがいるべき場所なのだと。
珍しく気弱な表情を浮かべ、まだ春雨とは目を合わさない提督に春雨は「そうですか」と明るい声向ける。
「よかったです。転校して、お友達と別れなくても済みますから」
その声にようやく提督は顔を上げ、そこに笑顔の春雨を見つける。
「……怒らないのか?」
「なにをですか?」
「いや……だって、俺ばっかり勝手なこと言って……」
くすりと春雨は小さく笑い、提督に向けて歩み寄る。
「司令官が、自分らしくいられることが春雨の望みなんです。ご安心ください、春雨はいつだってどこでだって司令官の隣にいます」
少し驚いて春雨を見つめる。桜色の瞳が、見つめ返してくる。
やっと提督の顔にも笑み浮かぶ。そのまま、ふたり見つめあう。
愛おしい存在を見つめながら思う。いつだって、どこでだってこの人を大切に守っていこうと。
この人と、ともに歩んでいこうと。
―――この愛おしき日々を送り。
了