都内の女子大のキャンパスを今年の新入生らしい女子学生が歩く。黒のカットソーと色を合わせたフレアスカート、オフホワイトのジャケット姿。見るものを振り向かせる美貌を飾るロングヘアも鮮やかに、まだ幼さとあどけなさ残す年代だろう乙女は家路につくところなのか女子大の門を抜けようとする。一歩学外に出たところで、彼女を呼び止める声がする。
「はるなー♪」
はるな、と呼ばれた美女は振り向き、そこに入学後の語学クラスでできた学友の姿認め微笑む。近藤春奈、それが彼女の名前。いや、全世界を巻き込んだ深海棲艦戦争後に彼女が改めて貰い受けた名前。
彼女の本当の名は―――榛名
そう、彼女は艦娘―――金剛型戦艦三番艦・榛名
艦娘―――それは、在りし日の艦艇の魂を持つ娘たち。かつて、人類の敵・深海棲艦と死闘を繰り広げた少女たち。
5年以上続いた対深海棲艦戦争、しかしある日、深海棲艦はその姿を消した。もう何度目になるかわからない大規模作戦、しかしその作戦を期に深海棲艦は急速にその勢力を減じていった。瞬く間に出現個所を減らし、個体数を減らし、いくばくもせず世界の海からいなくなった。
数か月後、各国政府は「深海棲艦との戦争終了」を宣言した。
戦いから解放された艦娘たちを待っていたのは半年間にわたる鎮守府の施設を目的替えしての社会復帰プログラムだった。海の上で、あるいは工廠で生を受け、生まれ落ちたときから艦娘としての戦いの日々を送ってきた彼女たちに与えられた教育プログラム、その中で基本的な社会知識を教え込まれた後、彼女たちは鎮守府から離れ、各地にそれぞれ居を構える場所を与えられ散っていった。
そして数か月の時が流れ―――榛名は、都心近くの女子大に通う大学生となっていた。
「西ヶ谷さん、あなたもお帰りですか?」
「もう、アスナって呼んでっていいっていったじゃん。それから同学年なんだから堅っ苦しい敬語もなし!」
「ごめんなさい、クセで……」
困ったような曖昧な笑み浮かべる榛名に西ヶ谷明日奈はこれまた「しょうがないな」というような笑み返す。フェミニンな榛名の装いと対照的にも見える英字ロゴをあしらった長袖TシャツとGパン姿、榛名と同じくらい長い髪を一本の緩い三つ編みにしている。眼鏡のふちをくいっと持ち上げ明日奈は榛名にまた声向ける。
「もう今日の講義終わったんだ?サークルには顔出さないの?」
「今日は、ちょっと早く帰ろうかな、と思って」
「そっか~……じゃあさ、駅まで一緒に行こうよ」
榛名に異存のあろうはずもない。ひとつ頷き返事とする。友人と連れ立ち榛名は再び足を進め街中の喧騒へと紛れていった。
榛名の通う女子大は都心近くにあり、周囲にいわゆる学生街はあまり発達していない。榛名たちが今歩いている、一階にブティックやカフェが入るビルの並ぶ広めの歩道はクリスマスにはイルミネーションで飾られるらしく今から榛名はそれが楽しみだ。明日奈と何気ない会話を交わしながら少しゆっくり歩道を歩く榛名の目に、とあるビルに備えられた大型スクリーンの映像が映り込む。
『……戦争の終結から……ヶ月……戦没者の慰霊……』
どこかの慰霊碑の除幕式らしい映像に流れるテロップ、何となく榛名たちは足を止めその映像を見やる。
「あの戦争が終わってからそんなに立つのかあ~……」
なにか感慨深げな明日奈の言葉に榛名も頷く。と、明日奈が榛名に顔を向け唐突とも聞こえる言葉出す。
「ね、艦娘って知ってる?そりゃ知ってるわよね?」
「え?ええ、まあ……」
「私も艦娘なんですよ」とその時榛名が言いよどんだのは、社会復帰プログラムで習った『自分が艦娘であることは極力隠せ』という教えからよりも、明日奈の言葉から感じた気配。はたして明日奈は榛名に向けてこんなセリフを口にする。
「深海棲艦と互角に渡り合った人型兵器、どこから来たのか誰も知らない」
「………」
「全身に艤装と呼ばれる武器を纏い、娘の外観を持ちながら巨大艦船すら一撃で沈める破壊力を持つ……まあ、言ってみれば深海棲艦と同じバケモノよね」
こういうことか、と榛名は初めて社会復帰プログラムの教えの意味を知る。戦時中艦娘のことは秘匿されない代わりに喧伝もされなかった。おかげで榛名たち艦娘は休暇時にはその正体を知られることもなく街中に気晴らしに出られたが、そのように情報が少ないことも艦娘に対して好意的ばかりではない見方を醸造する一因となっていた。
榛名の心中知ることもなく明日奈は言葉続ける。
「ねえ、知ってる?戦後、艦娘たちは人間のフリをして街に紛れ込んでるんだって。なんか怖いよね~、街ですれ違う女の子が実は艦娘だったりして…あ、案外春奈も艦娘だったりして!」
内心飛び上がりそうなほど驚くが、戦場で鍛えた精神力で表情の変化を押さえる。「あはは…」と曖昧な笑み浮かべ榛名は明日奈の言葉いなす。その榛名の様子に不審なものは感じぬまま明日奈は再び歩き始め、若い女性らしくコロコロと話題を変えて榛名に今話題のロードショー映画の話をするのであった。
その日の深夜、一糸まとわぬ均整取れた肢体をベッドにうつぶせに横たえながら榛名は呟く。
「榛名は、人間にはなれないのでしょうか……」
榛名の傍らに横たわりベッドに肘をつき頭を支えた格好で榛名のかつての上官は榛名と同じように裸の姿をベッドサイドの明かりに浮かび上がらせながら問いかける。
「どうした、いきなり?」
かつての自分の上官、かつての提督―――いや、今でも海軍で鋼鉄の艦隊の指揮を執る提督に榛名は今日あったことを囁く。ひと通り聞き終わったところで提督は榛名の髪に手を伸ばし、漉くように撫でながら言い聞かせるように答える。
「榛名は間違いなく人間だよ……自信をもっていい」
「そうでしょうか……」
「人間だけだからな、あんなに気持ちよさそうな顔したり気持ちよさそうな声出したりするのは」
「もう……提督は意地悪です」
恥ずかしさをごまかすように身を竦め榛名は提督見つめ微笑み浮かべる。自分の頭を撫でてくれる手のひらの温かさ優しさを感じられることが人間の証なんだと信じることにした。
それから数日後の週末、榛名は明日奈と街中を歩く。明日奈が前に話していたロードショー映画、それをふたりで見に行くことに決めたのだ。今日の榛名の装いはシンプルな白のブラウスにピンクのロングスカート、淡いブルーのカーディガンが榛名の清楚さを引き立てている。対する明日奈の恰好は黒の薄手の皮ジャンに白Tシャツ、デニムの短パンに黒タイツといつも通りのカジュアルさだ。大学近くの歩道を歩き人並みに身を任せるようにして歩を進めながらふたりはたわいないお喋りをする。
「あーあ、花の乙女が男っ気もなくオンナだけで映画鑑賞かあ~……」
「まあまあ、たまには女性だけで映画も楽しいですよ」
「たまには?……へいへい、エリート海軍将校サマをカレシに持つ人は余裕だね~」
そんな憎まれ口を叩いても嫌味っぽく聞こえないのは明日奈の持つ人徳だろう。榛名そこまで話したっけかな?と榛名は一瞬自分の情報管理力に懐疑心を持つ。人差し指を顎にあててどこまで自分が隣の親友にカレシ自慢をしたか思い出そうとする榛名に向けて明日奈は華やいだ声向ける。
「ねえねえ!今度、春奈のカレシの友達紹介してよ!あ、なんなら合コンとか……」
「あの~……」
ふたりの背後から遠慮がちにかけられる若い男の声に、ふたりは警戒感もあらわに振り向く。榛名の美貌は言わずと知れているが明日奈のルックスもなかなかだ。ふたり歩いていれば会うのも珍しくないナンパかとふたりが身構えた時、ナンパをするにしては朴訥とした雰囲気のチェックシャツの青年は榛名だけに向けて問いかけた。
「ハルナ、さんですよね?」
「なんであんた春奈の名前知ってるのよ」
「いえ、僕らの間じゃ有名ですよ…金剛型戦艦三番艦・榛名!あの戦いを勝利に導いた勝利の女神、艦娘のひとり!」
途中で興奮気味に声を強めながら青年は憧憬の眼差しで榛名を見つめる。美女美少女揃いの艦娘、戦乙女のイメージとも相まって戦時中から一定数マニアと呼ばれる層はいた。決して多くない情報をかき集め、秘匿されていない代わりに喧伝されていない艦娘たちの実像に迫ろうとした、目のの青年もそんな中のひとりなのだろう。
熱を帯びる青年の態度と反比例するように榛名の顔が青ざめる。見るのがあまりに怖い、それでも見ないといられない傍らの親友の顔にぎこちなく視線向ける榛名に向かい明日奈は声を絞り出す。
「春奈、あなた……」
違う、隠そうとしてたわけじゃない、騙そうとしてたわけじゃない。ただ、タイミングを逃しただけ。自分の正体を明かすのが怖くて、あの言葉を浴びせられるのが怖くて―――
榛名の思考読んだわけでもなかろうが、明日奈はその言葉を甲高く叫んだ。
「……バケモノ!」
数日後、白ワンピースに淡いブルーのカーディガン姿の榛名は今日も講義を終えキャンパスを離れようとする。榛名の様子が暗いことに同居する姉妹(艦)たちは心配そうだったが、なんとかこの数日を誤魔化し続けた。休みたい気分の大学に通い続けたのも、姉妹たちに余計な気を使わせたくなかったから。門を抜け、赤信号の横断歩道で足を止めたところで榛名は紺ジャケットとベージュの綿パン姿の青年に声をかけられた。
「榛名、」
「提督…」
「よかった、今電話しようとしてたところだ…昨日、いやにお前が沈んでいたような気がしてな」
伝わっちゃったか―――声を聴いて安らぎを得たくて、昨夜提督に電話した。明るく振舞ったつもりだったけれど、それでもカンの鋭いこの人をごまかすことは無理だったらしい。何を伝えればいいのかと考えながら榛名がふと横断歩道の向こうに視線を向けた時、午後の講義に出るところなのだろうそこに立つGジャンキュロット姿の明日奈と目が合った。
―――そして、目を逸らされた。
ぼんやりと明日奈の姿が視界の中で霞む。失ってしまったものの、重みを知る。傍らに立つ提督に向けてか、自分に向けてか、榛名はうわごとのように呟く。
「榛名は……人間にはなれない……」
その呟き聞き逃す提督ではない。驚いたような声を提督は榛名に向ける。
「何言ってるんだ榛名!お前は立派な……」
「榛名は人間にはなれないんです!人間のフリをしても所詮艦娘、榛名は決して―――」
涙ながらに提督に向き直り訴える榛名の言葉を止めたのは、いきなりその場を割った悲鳴だった。
思わず榛名は提督越しに叫び声のした横断歩道の方向を見やる。榛名の目に映ったのは、車道に向けて手を伸ばす若い母親らしき女性と横断歩道を転がるサッカーボール、そしてそのサッカーボールを追いかけて車道に飛び出した幼い子供の―――
―――考えるより前に身体が動いていた。榛名は、車道に飛び出した。艤装がなければ女のそれに過ぎない力の細腕に渾身の力をこめ、幼子を歩道に突き飛ばし―――
急ブレーキの音、なにかがぶつかる重い音、全身を砕く衝撃。それが、榛名の最後の感覚だった。歩道に叩きつけられるより一瞬早く、榛名の世界は暗転した。
…ゆらゆらと意識が戻ってくる。今、朝だっけ?とぼんやりした頭で考える。重い瞼を開くと目に飛び込んだのは自宅とは違う見慣れぬ無機質な天井。
「榛名!」
「ていとく……?」
自分を呼ぶ声の方角にゆっくりと大儀そうに顔を向ける。そこに見慣れた提督の姿認め、問答無用の安心感に包まれながら榛名は小さく問いかける。
「ここは……?」
「海軍横須賀基地―――前の、横須賀鎮守府だ。」
「ちんじゅふ……」
もはや懐かしい響きもあるその言葉、その言葉が榛名に更なる安心感を与えてくれる。到着した救急車に懇願し、不本意ながら地位と権力もちらつかせ、提督は普通に考えればあまりに遠すぎるこの場所に榛名を運んだ。予算削減を理由に渋る上層部や官僚や事務局を説き伏せて何かの時のために横須賀含む各地に保存しておいた“入渠ドック”が功を奏することを祈って。
果たして、致命傷だった怪我からかすり傷ひとつ残すことなく回復した榛名はその回復ぶり見せつけるようにベッドから起き上がると提督にしがみつく。
「提督!」
「は、榛名、その……」
そこで榛名は違和感に気づく。提督のキャラからしてこーゆーときは榛名が抱きつくより早く榛名を抱きしめるはず。そんな榛名の内心の疑問に答えるように提督が種明かしをする。
「実は、この病室に、もうひとり客が―――」
「え」
言われてベッドの反対側を振り向く。果たしてそこにいたのは、気まずそうな表情を隠そうともせず立ち尽くす、ここまでふたりをタクシーで追ってきた明日奈の姿。
「きゃ!」と小さく叫んで提督から飛びのく。その軽々とした動きに表情を変え、明日奈は感に堪えないかのように呟く。
「すごい、ホントに治っちゃった……あんなに血が出てたのに……」
「あ……」
そう、艦娘のみに与えられた入渠ドックでの治癒能力。自分が艦娘だと、人に似て人に非ざる者だと告げる事実のほんのひとつ。そのこと思い知り俯いて榛名はなぜか謝罪の言葉口にしようとする。
「明日奈さん、ごめんなさ……」
「ゴメンナサイ!」
いきなり明日奈が頭を下げる。驚いて榛名は明日奈を見やる。榛名の顔見られぬまま、明日奈は榛名に言葉向ける。
「私は、あの時あの子の隣にいた……だけど、身体が動かなかった。身が竦んで、怖くて、なのに春奈は……」
顔を伏せたままだったが、榛名には明日奈が泣いているのがわかった。しゃくりあげる声が、明日奈の流す涙を告げていた。それでも告げなければならぬ言葉、万感の思い込め明日奈は榛名に告げる。
「私なんかより……私たちなんかより、春奈の方がよっぽど人間らしい……」
「榛名は人間らしいんじゃない……」
そこで挟まれる提督の呟き、それは小さくもはっきりとその場にいるふたりの耳に届いた。
「人間、なんだ」
都内の女子大のキャンパスを今年の新入生らしい女子学生が歩く。黒のカットソーと色を合わせたフレアスカート、オフホワイトのジャケット姿。見るものを振り向かせる美貌を飾るロングヘアも鮮やかに、まだ幼さとあどけなさ残す年代だろう乙女は家路につくところなのか女子大の門を潜ろうとする。一歩学外に出たところで、彼女を呼び止める声がする。
「はるなー♪」
はるな、と呼ばれた美女は振り向き、そこに入学後の語学クラスでできた学友の姿認め微笑む。その微笑みに誘われるかのように西ヶ谷明日奈は近藤春奈に追いつき、おどけたような声向ける。
「さて、今の“はるな”は“春奈”と“榛名”、どっちのはるなでしょう?」
「えー?わからないですよ、そんなの」
笑い、答えながらふたり門を抜ける。春の陽光がふたりを照らす。暖かな日差し、暖かな想い、自分をぬくもらせるのを感じながら榛名は親友と歩を進める。
これからもいろいろなことが起こるだろう。泣きたいときもあるだろう。それでも自分は大丈夫、きっと前を向いて生きていける。この先、なにが待ち受けていたとしても―――
「―――はい!榛名は、大丈夫です!」
そう自分に約束する。大切な人たちと前に進み続けると。笑顔広げ榛名は、新たな世界へとその足を踏み出す―――
―――この愛おしき時の中で
了