都内の大学の大教室、階段状に机の並ぶその教室で初老の教授が学生たちを前に講義を進める。
「では68ページの5行目を……そこに書いてある通り……」
教授の言葉を熱心に聴いていた女子学生がノートにシャーペンを走らせる。明るい色のキャミソールにオフホワイトのスプリングコートを合わせたその姿、銀髪に彩られた見るもの振り向かせるその美貌。今年の新入生、鹿内依織。
否、彼女の本当の名は―――鹿島。
香取型練習巡洋艦二番艦・鹿島。
彼女は艦娘、かつて人類の敵・深海棲艦と死闘を繰り広げた護国の乙女。
ある日、深海棲艦はその姿を消した。もう何度目になるかわからない大規模作戦、しかしその作戦を期に深海棲艦は急速にその勢力を減じていった。瞬く間に出現個所を減らし、個体数を減らし、いくばくもせず世界の海からいなくなった。
数か月後、各国政府は「深海棲艦との戦争終了」を宣言した。
戦いを終えた艦娘たちを待っていたのは鎮守府の施設を目的替えしての半年間の社会復帰プログラムだった。海の上で、あるいは工廠で生を受け、生まれ落ちたときから艦娘としての戦いの日々を送ってきた彼女たちに与えられた教育プログラム、その中で基本的な社会知識を教え込まれた後、彼女たちは鎮守府から離れ、各地にそれぞれ居を構える場所を与えられ散っていった。
それから数か月―――鹿島は、都内の大学の教育学部に通う女子大生になっていた。
講義を終え、鹿島はキャンパスを歩く。今日は、サークルには顔を出さない予定である。なぜなら―――
「依織」
戸籍名で自分を呼び止める聴き慣れたその声に鹿島は笑顔見せて振り向く。はたしてそこにいたのは鹿島の想い人。長身の青年は鹿島の方に足を進めると鹿島のことを本名で呼び直す。
「鹿島、よかった。会えた」
「提督さん、よく私の場所がわかりましたね」
「いや、偶然だ。今電話をかけようと思っていたところだ」
戦時中に結ばれ、今なおおつきあいを続けるかつての上官に鹿島は笑顔広げる。戦後も海軍に籍を置く彼との逢瀬は、彼の仕事が土日休みと限らないこともあって少しばかり久しぶりだ。紺のジャケットにベージュのチノパン姿の提督はさらに鹿島に言葉向ける。
「大学にも、慣れたか?今日の講義はどうだった?」
「ええ、とても有意義でした」
「鹿島の夢のためだからな……頑張れ」
小学校教諭、それが今の鹿島の夢。その夢を少し恥ずかし気に自分に伝えてきた時のことを提督は今でも覚えている。鹿島にはあっているな、と改めて思いつつ提督は鹿島を誘い歩き出した。
戦時中から戦後を見据え、艦娘たちをどう処遇するかについては議論があった。人型のサイズで大型艦を一撃で沈める戦闘力を持つ彼女らを戦後も兵器として保持しようという意見は当然ながら各国で根強かった。しかし、その考えを前に立ちはだかる大きな壁があった。
人を愛し、人のために戦う艦娘たちは、それが故人を撃てない。
戦時中艦娘たちの生態を研究する中でほどなく明らかになったその事実を前に、各国は戦後艦娘を兵器運用することを諦めざるを得なかった。結果、各国で艦娘たちは一般市民として戦後新たな生活を歩むことになった。
街を並んで歩きながら提督は鹿島に話しかける。
「今日は、泊っていけるんだろう?」
「え、でもお着換え持ってないし……」
「一日くらい構わないさ。泊っていけ」
「それは提督さんは構わないかもしれませんけれど……」
ちょっとほっぺたを膨らませながら、それでも鹿島は提督の誘いに抗えないことを自覚している。下着だけは近くで買っていこうと算段し、お夕飯は何を作ろうかなと早くも鹿島は心をはばたかせた。
戦後国防省の海軍軍令部に籍を置く提督は都内のマンションに居を構えている。レンガ模様の外観のそのマンションのエレベーターに勝手知ったる様子で鹿島は乗り込み、慣れた手つきで提督の部屋のある階までのボタンを押す。
「おじゃましまーす」と少し頭を下げ鹿島は提督の部屋の客になる。いつか「ただいま」と言ってここに入る日が来るのかな、などと少しばかり気の早い想像をして顔を赤らめながら。ジャケットを脱ぎに寝室に入る提督に一歩遅れて鹿島はリビングに足を進めた。
ふたり、近所のスーパーでお夕飯の材料を買い込む。今日の献立はチキングラタンにするつもりだ。カートを提督に押してもらいながら鹿島は慣れた手つきで材料をカートの上の籠に入れてゆく。
トントンと包丁が食材を刻む音がする。こちらに背を向けて料理にいそしむ鹿島のことを見守りながら、提督はソファに腰を下ろし新聞の夕刊を広げる。
ほどなく、チキングラタンが出来上がる。パンとサラダを添えて食卓に並べ、鹿島は提督と向かい合って座る。「いただきます」とふたり揃えて口にして、早速鹿島の手料理をふたり口に運ぶ。
「ん、うまい」
「ほんとですか?よかった」
提督はいつもこうして簡単な言葉ながらも鹿島の料理の腕を褒めてくれる。そのことがいつもながらに嬉しくて、鹿島は笑みを顔に浮かべた。
食後、皿洗いを終えて鹿島はソファに座る提督の隣に腰を下ろす。難しい顔でテレビを観る提督の視線の先には、先日開戦した異国の戦場を映し出す画面があった。
廃墟と化した黒焦げの建築物を移す無残な画面を見つめながら鹿島が呟く。
「……どうして、人は人同士争うのでしょうか……」
提督はその問いに無言だった。鹿島としても答えを求めての呟きではなかったが、提督が何も言わないのは少しだけ物足りなかった。提督の隣、体温を感じる距離に座り鹿島は更に問いを続ける。
「……提督さんも、戦争になれば人と戦うのですか?人を、殺すのですか?」
軍人である提督に対する、素朴すぎて今更過ぎる質問。今更思い知る恋人の職業。その問いに提督は当たり前すぎる答えを向ける。
「人を殺したいと願ったことはない。しかし、命令とあれば殺るのが俺たちだ」
鹿島に横顔を向けたまま放たれる短い応え。その当然の応えに鹿島が身を竦ませる。提督の横顔見つめ、すぐに顔を俯かせて鹿島は小さく呟く。
「そうですか……」
俯いた姿勢のまま、鹿島は更に呟きを繋ぐ。
「……私は、将来の自分の教え子たちに人を殺してほしくはありません」
提督からは、今度は返事はなかった。
翌朝、鹿島の目覚めは早かった。ベッドに裸身を起こし、隣で無防備に寝顔を見せる提督を見つめる。しばらくその顔見つめた後、鹿島は服を身に纏い早朝の街へと向かい玄関を開けた。
マンションからほど近い公園は結構な面積があり散歩コースとしては最適だ。犬を散歩させる老婦人や近道にこの道を使う朝練前だろう学生とすれ違いながら鹿島は昨夜の会話から沈んだままの心抱え公園を歩く。
途中のベンチに腰を下ろす。向こうから遊歩道をランニングする人影が近づく。人影は近づいてきて、鹿島の前で止まり膝に手をつき呼吸を整える。五分刈りの青年のその髪型を見て警察官か軍人かな、と鹿島は見当をつける。何とはなしに鹿島はその青年に問いかける。
「軍人さん、ですか?」
「え?自分ですか?はい、よくわかりましたね」
「……どうして、軍人になったのですか?」
それは、昨日本当なら提督に向けたかった問い。怖くて、向けることができなかった問い。その唐突な質問に青年は「え?」と一瞬驚いた顔を見せるが、実直に「うーん……」を空を仰いで考えるとやがて一言答える。
「……子供たちに、将来人殺しをさせないため、ですかね」
その言葉に鹿島ははっとした表情で顔をあげる。その鹿島には顔を向けず空を仰いだまま、青年は更に言葉続ける。
「自分たちが訓練を続け国を護り続けていれば、抑止力として戦争を防ぐことができる。よしんば不幸にして戦争になってしまったとしても……」
そこで青年は鹿島に顔を向けにっこり笑ってこう告げる。
「……自分たちが戦えば、それで十分じゃないですか」
空から注ぐ陽光が、直接心に届いてくる気が鹿島にはした。
マンションに帰ってきて、リビングに足を進める。そこで目にしたのは、純白の海軍将校制服でリビングの中央に立ちマグカップを傾ける提督の姿。
「鹿島、散歩にでも行ってたのか」
「はい。ごめんなさい、朝ごはんも準備しないで……」
「気を使わなくていい」
マグカップを台所のシンクで手早く洗い、提督は腕時計をちらりと見る。そろそろいつも通り迎えの車が来る頃だな、と考える提督が顔を上げると、澄んだ微笑み浮かべる鹿島と目があった。
「提督さん、私は、提督さんのお仕事を誇りに思います」
いきなりの鹿島の言葉に提督は面食らった表情浮かべる。そんな提督の様子に向かいくすりと小さな笑い声あげて鹿島は更に言葉紡ぐ。
「これからも、私たちのことを護ってください」
どう返事をしていいものか、提督は迷う。しばらく迷った後に一言だけ、提督は鹿島に告げる。
「……行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
鹿島にお見送りされ、提督は鹿島とすれ違い玄関を潜る。提督の出かけた後の玄関をしばし見つめた後に、鹿島はひとり声をあげる。
「さて、私も大学に行かないと」
笑顔で鹿島は思いを新たにする。これからも、ふたり並んで歩いていこう。これからも、ふたりそれぞれの場所で戦っていこう。それが、ふたりがこの世界にできることだと思うから。それが、ふたりこの世界に生きていくことだと思うから―――
―――この愛おしき世界によせて
了