大学キャンパスの中央広場にあつらえられた噴水が5月の爽やかな気候に彩りを与えている。その噴水を拝む位置にあるベンチにひとりのまだ少女と言ってもいいあどけなさ残す乙女が座っている。白のニットと濃茶のロングスカートを纏い、膝に置いたノートにシャープペンシルで何やら書き込んでいるその少女に、同じくらいの年恰好の少女が声をかける。
「大橋さん」
「あ、こんにちは。えーっと……」
「本宮真由美。同じ語学クラスだよ」
「ごめんなさい……」
名前を思い出せなかったことに大げさに恐縮し身体を縮こませる大橋と呼ばれた少女に真由美と名乗った少女は言葉を続ける。
「そんなに恐縮しなくてもいいって。大橋さん、下の名前が確か珍しい名前だったよね。なんだっけ?」
「栞鳳。本の栞に鳳凰の鳳と書いて”しおん”と読みます」
「そうだった。きれいな名前だよね」
真由美の素直な誉め言葉に栞鳳も嬉しそうな微笑みで答える。その後二言三言言葉を交わし、真由美は栞鳳に手を振ってその場を離れる。入れ違うようにして銀髪をふたつにまとめたやはり栞鳳と同じくらいの歳に見える少女が栞鳳に近づいてくる。鹿内依織、それが少女の名前。しかし栞鳳は依織のことをその名前ではなく”本名”で呼ぶ。
「鹿島さん」
依織、否、鹿島も栞鳳のことを大橋栞鳳という”戸籍名”ではなく本名で呼んだ。
「大鳳さん、お元気そうね」
そう、彼女は艦娘――――大鳳型装甲空母一番艦・大鳳。
艦娘―――それは、在りし日の艦艇の魂を持つ娘たち。かつて、人類の敵・深海棲艦と死闘を繰り広げた少女たち。
5年以上続いた対深海棲艦戦争、しかしある日、深海棲艦はその姿を消した。もう何度目になるかわからない大規模作戦、しかしその作戦を期に深海棲艦は急速にその勢力を減じていった。瞬く間に出現個所を減らし、個体数を減らし、いくばくもせず世界の海からいなくなった。
数か月後、各国政府は「深海棲艦との戦争終了」を宣言した。
戦いから解放された艦娘たちを待っていたのは半年間にわたる鎮守府の施設を目的替えしての社会復帰プログラムだった。海の上で、あるいは工廠で生を受け、生まれ落ちたときから艦娘としての戦いの日々を送ってきた彼女たちに与えられた教育プログラム、その中で基本的な社会知識を教え込まれた後、彼女たちは鎮守府から離れ、各地にそれぞれ居を構える場所を与えられ散っていった。
そして数か月の時が流れ―――大鳳は、都内の総合大学に通う女子大生になっていた。
大鳳の横に鹿島は腰を下ろす。膝の上に置いていたノートを傍らのトートバッグにしまいながら大鳳は鹿島に声を向ける。
「鹿島さんも、講義の谷間ですか?」
「はい。というか、この時間の講義が休講になってしまって」
「鹿島さんは教育学部でしたよね」
「そうです。法学部の大鳳さんとはあまりお会いできませんね」
いつだったか、鹿島本人に聞いた鹿島の将来の夢。それを確かめるかのように大鳳は鹿島に問いかける。
「鹿島さんは、卒業したら小学校の先生になりたいんでしたっけ」
「ええ……まだまだ勉強しなくてはいけないことがたくさんありますけれどね」
肩をすくめてちょっと照れくさそうに微笑んで見せる鹿島に、大鳳は羨望を覚える。自分はと言えば、将来の夢といえるようなものは何もない。法学部に入ったのだって、確かにその分野に興味を惹かれたのもあるが、正直「つぶしが効くから」という理由も少なからずあったことも事実だ。
戦うための存在として新たな身体を得て艦の姿から生まれ変わり、生れ落ちるとともに人類のため、静かな海を取り戻すためにその本分を果たしてきた。そして戦いが終わり、静かな海を取り戻し、悲願を達成したはずなのに、そこから自分は動けていない。
隣に座る鹿島の、次の自分の舞台を見つけてそこに向かい続ける姿が大鳳には眩しかった。
大鳳はサークルなどにはまだ加入していない。美貌を誇る大鳳のこと、入学式以降受けた勧誘は質量ともにものすごい勢いになるが、どれもピンとこなかった。自分の課外での居場所を見つけられなかった理由も今となってはなんとなくわかる。自分が何をしたいのか自分自身わかっていないからだ。
それでも、暇な身分でありがたいこともある。軍人という職業故休日が不定期な恋人に予定を合わせるのが容易なことだ。なのでその日も大鳳は途中寄ったスーパーでの買い物品を詰めたエコバッグを片手にかつての上官の住むマンションの一室を訪ねる。
「提督、こんにちは」
「よく来たな、大鳳」
玄関先で嬉しそうな表情を見せ恋人を歓迎する提督に誘われ大鳳は提督の客となる。ダイニングに進みエコバッグを床に置き、大鳳は提督に声を向ける。
「まだお夕飯の準備には早いですね」
「そうだな。まだ時間はある」
言いながら提督がダイニングに立つ大鳳に近づく。その肩に手をまわし、大鳳を抱き寄せながら提督は大鳳に囁きかける。
「時間は、たっぷりあるぞ」
「え、提督待って、まだこんなに明るい……」
躊躇うような大鳳の囁きを塞ぐように提督は大鳳の唇を奪い、ゆっくりと、しかし断固たる力で大鳳を床に押し倒した。
うつぶせに裸の身を横たえ、ベッドの上で大鳳は呟く。
「もう……ひどいです、提督」
「優しくしたつもりだがな」
「だって、あんなに強引に……」
「そういうのが好きだろう?」
顔が熱くなり、ぷくっと頬を膨らませて大鳳は言葉以外の方法で抗議する。それでもあまり提督には堪えた様子は見られない。ふと物思う表情になりながら大鳳は小さな声で呟く。
「大学生になって、恋人の部屋にあがって、お夕飯の支度をして……」
「ん?」
「これが、平和、なんですよね……」
言葉以上に何かを言いたげな大鳳の呟きを拾うように提督が大鳳の髪を撫ぜながら言う。
「そうだ、大鳳たちが勝ち取った平和だ」
「私はまだ、戦争の途中にいるのかもしれません……」
儚げな響きを孕んだ大鳳のその呟きに提督の手の動きが止まる。それでも自分の髪から離れようとはしない提督の手のひらの感触感じながら大鳳は寂しさすら感じさせる声で呟き続ける。
「わからないんです……自分が、何をしたいのか。戦うために生まれて、その使命の通り戦いの日々を送って、そしてようやく静かな海を取り戻したというのに……そこから自分が、どこに行けばいいのかわからなくなってしまったんです」
そこまで言って大鳳は目をつぶる。言葉の代わりに再び自分を撫でてくれる提督のくれる温かさが、今の大鳳にとってせめての慰めだった。
その日も空は透き通るような五月晴れだった。噴水前のベンチに座りノートを膝に広げながら大鳳は空を仰ぐ。水色のシンプルなブラウスにオフホワイトの膝丈フレアスカートといういでたちの大鳳に、前から近づいてきた白ジャケットと黒のパンツルックの鹿島が声をかける。
「大鳳さん」
「あ、鹿島さん」
自然な仕草で鹿島は大鳳の傍らに腰を下ろす。
「この間もそのノートを広げていましたね……法学の勉強ですか?」
「あ、これは……」
思わず大鳳はノートを閉じ、言葉を失ったように黙り込む。しかし、鹿島相手に隠し事をする気もなく大鳳はそれでも少し言い辛そうにノートを胸に抱えて鹿島に答える。
「これは、記録なんです」
「記録?」
「そう、鎮守府にいたころの……そのころのことを思い出しては、このノートに記録しているんです」
自虐するような笑み口元に浮かべ、大鳳は鹿島の方ではなく虚空を見つめながら言葉続ける。
「おかしいでしょう?鹿島さんはとっくに夢を見つけて未来へ向けて歩き出しているというのに……私は、あの日々から解き放たれることないまま今も彷徨い続けている。過去に捉われている」
戦うための存在が、戦いから解放されたとて何ができるのか。わからないまま、日々の流れに身を任せ根なし草のように生きている。そんな思いを抱える大鳳の横顔を鹿島はしばらく見つめていたが、やがて正面を見つめなおすと通る声で語り始める。
「私が、小学校教諭を志したのは海防艦のみなさんを教導していた経験からです」
「え?」
「ほら、私練習巡洋艦だから演習の教導を勤めることが多かったでしょう?それで海防艦のみなさんがちっちゃな身体で頑張っているのを見て、あ、いいなって思って」
そこで鹿島はまた顔を大鳳に向け、こちらに顔を向けていた大鳳と目を合わせると微笑み浮かべて言葉続ける。
「戦後になって、社会復帰プログラムを受けながらそのことを思い出して。戦後は、小さな子供たちを導く仕事につきたいな、って」
話の行方は分からぬものの何か大事なことを教えてもらっている気がして熱心に鹿島の話に聞き入る大鳳に鹿島は諭す。
「過去に捉われている、と大鳳さんは言いましたけれど……私は、過去に思いを馳せることが必ずしも悪いことだとは思いません。未来も現在も、過去と地続きなのですから」
「地続き……」
「そう。私たちは、人々の未来のために戦った。そのことは、誇りに思っていい。そしてその鮮烈な日々の記憶が、今の自分に深い影響を与えているとしても当然でしょう?」
海防艦との日々を通じて小学校教諭を志したという鹿島、過去と未来は地続きだと言う鹿島。その眼差しに、大鳳は一筋の光を見る。知らず上がる鼓動を抑えるようにノートをぎゅっと抱えなおしながら、大鳳は頬が熱くなるのを感じていた。
風に、初夏の気配が混じり始めていた。提督のマンションでリビングに背を向けながら大鳳はお夕飯の洗い物を進めつつ背中越しに提督に声を投げる。
「これから、私少し忙しくなるかもしれません」
「ん?なにかあったのか?」
新聞を読む手を止めてソファの上からダイニングに顔を向ける提督の方に足を進めながら大鳳が答える。
「実は、文芸部に入部いたしまして」
手をハンドタオルで拭きながら近づいてくる大鳳の唐突といえば唐突な言葉に提督は目線で先を促す。その提督の隣に腰を下ろしながら大鳳は先を続ける。
「小説家を、目指そうと思いまして」
少し恥ずかしそうに大鳳がする告白に提督はちょっとだけ面食らう。その恋人の驚きもさもありなんと大鳳は言葉を継ぐ。
「私、前に言いましたよね。『戦後、どこに行けばいいのかわからなくなってしまった』と。でも、鹿島さんが教えてくれたんです。過去と未来は地続きだと」
「鹿島が」
「ええ、それで思ったんです。戦うための存在である自分を否定するのでも忘れるのでもなく、かつて戦った者としてその記憶を人々に伝えていこう、と。過去と未来がつながっているのなら、未来に記憶をつないでいこう、と」
そこまで伝えて大鳳は笑う。釣られるように提督の顔にも微笑み浮かぶ。その手を大鳳の髪に伸ばしながら提督は大鳳に語りかける。
「それで小説家か」
「はい、それが私の夢です」
「いい夢だ。応援するよ」
大鳳の笑顔が大きく広がる。その大鳳の髪を提督は撫でる。いつも自分を安心させてくれた提督の手のひらの感触、その暖かさに大鳳は自分の選択が正しいことを確信する。
戦うために生まれてきた、その使命の通り戦い続けてきた、その日々は確かな自分たちの記憶、伝えていきたい自分たちの記録。
だから、将来につないでいこう。自分たちは確かにそこにいた、と。果てなき未来につないでいこう。自分たちの存在を、その想いを。
――――忘れることなきその想いを
――――この愛おしき夢とともに
了