今年、68になった。髪の毛も白髪が増えかおには深いしわが刻まれている。体の疲れも取れなくなってきた。と、そんな私の現状をそこまで詳しく描写する必要はない。大事なのは別件である。「話し言葉をどうするか」だ。まずは一人称、会社では「私」それか「僕」友人には「俺」と言っていた。
もうすぐ70歳の身としては、「わし」と言ってもおかしくないだろう。しかし、きょうび「わし」などと言っている人物を実際に見かけることはない。さらに言えば「~じゃわい」なんて言っている老人はテレビや本の中でしかお目にかからない。
しかし、決めたのだ。今日から出先などの顔見知りでない相手には所謂、老人言葉を使うと。そしてそんな自分に違和感を感じないよう、積極的に出かけると。
そしていま「わし」は隣町のスーパーに来ている。早速店員さんをみつけると「あの~洗剤のバダックを探しておるんじゃが、どこかのう」と声をかけた。
頬が紅潮している気がする。
「あの~」が上ずっていたし、早口になってしまったかもしれない。
聞き取れただろうか。あぁ周りの目が怖い。知り合いでもいたら…
などと様々な思いを巡らす間に目の前の店員さんが慣れた様子で「こちらです。」と自分を案内してくれる。洗剤コーナーのバダックが置いてある所へあんないし終わると、そのまま去っていく。
…上手く行った。
上手く行ったのだ。
老人言葉を使っても違和感のない見た目、口調だったということだ。これを自身にどんどんいこう。つぎはレジで袋がいらないと言おう。
「袋はいらん」
これでは少しぶっきらぼうすぎるか。
「あ~いらんいらん」
これも少し怖い感じがしそうだ。……しまった敬語を使うと老人言葉が使えない!
しかし丁度良い言葉とはあるものだ。「いらんぞい」これだ!「いらんわい」と悩むが、「ぞい」のほうが柔らかい印象だ。そしてレジも滞りなくすませ、老人言葉デビューは上手く行った。これに自信を持って、老人言葉を使う自分に持つことができるだろう。
それから隣町に行くことを続け、老人言葉を使う自分自身にも慣れてきている。これなら友人や知り合いと話すときにポロっと老人言葉が出ても恥ずかしがることもあるまい。小出しに喋ってお互い徐々に慣れれば違和感もなくなっていくに違いない。
そんな生活を続け、70歳になるころにはすっかり老人言葉が板についた。
久しぶりに会う友達に「久しぶりじゃな!」とこえをかける。すこぶる自然なふるまい、相手もあっけにとられた顔をしとる。
「お前、なんでそんな喋り方なんだ?そんな喋り方、今じゃドラマでも見ないぞ」
「え?なん…じゃと?」
「俺らが60歳になったころには「〇〇じゃ」なんて言うドラマの方が珍しかっただろ。いまじゃ「〇〇的な」とか、「なくなくない?」とか「チョベリバ」なんて言うドラマまであるな。俺らも使わないなって表現を老人の役者は話してるぞ?」
「つまり、わしの努力は…」
「徒労じゃった。ということだろうな。」
改めて友人と会うことで認識することができた。言葉は時代によって変化すると。そして自分の若いころに話されていた老人言葉は老人という記号の一部だったのだと。
「~じゃ」って現実世界で言ってなくね?と思って、昔の人が使ってた言葉がそのまま老人の言葉になっているのでは?