ドンドルマの外れで古龍の骨を見た。
それ自体は珍しいことではない。ドンドルマは非常に広い街でしかもかなり危険な場所にある。テロス密林に近く、セクメーア砂漠も十分に近い。少し足を運べば氷海やフラヒヤ山脈にも、火山にも地底洞窟にも、とにかく代表的な狩場が近い。それはつまり、通常の何倍も大型モンスター襲撃の危険に晒されているということである。
ミナガルデは似たような立地にありながら断崖且つすぐ近くに砦がある。タンジアはそもそも狩場から非常に近いというほどの立地ではない。
古龍の骨は、危険極まりない土地にあるこの街を守るため各所に設置されている。古龍は残骸ですら他のモンスターを寄せ付けない異様なものがあるらしく、骨を置いているとモンスターの襲撃がめっきり無くなるそうだ。
私の目の前にある骨は、知っている。彼は天廻龍だ。側頭部から前腕にかけての巨大な骨。一体何を思ってこのような切断の仕方にしたのかは不明だが、その特徴的な骨格ゆえに一目でわかった。
一度はその存在すら憎んだ相手ではあるが、しかしこうして哀れな姿を見れば心のどこか奥から慈しみさえ覚える。
まじない以上の効果があるとはいえ、古龍の骨を祀るという獣人でもなかなかしないような暴挙を見ると人という種族は私が思う以上に野蛮なのかもしれないと思えてきた。
「さむい、さむい。今日はほんとにさむいね、お姉さん」
不意に、隣から声が聞こえた。私はその声を何度か聞いたことがあった。故に隣を見ずとも彼女が誰だかすぐにわかった。
「仕事は休みですか」
いつも忙しくしている彼女がこんな何も無い場所に足を運ぶのはおそらく珍しいことだった。
「休みだよ、何も起きなきゃだけどね」
隣に立つハンターはホッと白い息を吐いた。もう寒冷期だった。
「ねぇ、寒くないの?」
「それほど」
「ここにはよく来る?」
「初めて来ました」
「何かやなこととかあった?」
「特には」
「そっか」
我らの団のハンターは以前会ったときよりずっとしおらしかった。声に張りはなく、ありていに言えば元気がないように見えた。何かあったのは私ではなく彼女の方なのだろうと思った。私は何かあったというような出来事は何も無い。私自身には何も起きないし、私の仕事もいつも通りに滞りなく進む。
「何かありましたか」
「あったような、なかったような」
「もし話したければ聞きます」
「優しくしてくれるんだ」
「仕事ですから」
「仕事だもんね」
嫌味だろうか。そこはかとなく彼女を見るのが怖くなって、目の前の天廻龍の骨を注視した。
我らの団のハンターはしばらく黙りを決め込んで、それから私の顔を覗き込んだ。彼女の背中から覗く片手剣は(ロックラックやタンジアの管轄の素材に疎いので確証はないが、恐らく)海竜のものになっていたが、防具は以前と同じだった。
我らの団のハンターの防具は今や我らの団のハンターを有名たらしめる要因の一つだった。他では見られない特別な防具を着ることで彼女はある種の広告塔として機能していた。もしかすると量産体制でも整えているのかもしれない。天廻龍を倒したハンターの防具ともなれば随分と売れるだろう。
無論そんな理由だけで防具を着ているわけではないことはわかる。彼女の防具は綺麗に手入れされているし、よく見れば丈夫なモンスターの素材で補強されている。防御力は火竜の防具などにも決して劣りはしないだろう。
「ねぇじゃあ、聞いてくれる? 相談っていうか、わかんないけど、あんまり色んな人に話せないこと」
「どうぞ、口外はしません」
彼女の話を聞くのは仕事ではない。我らの団のハンターは大老殿所属ではないから、私が敢えて彼女の精神面を気遣う必要はない。ただ、少し聞いてみてもいいと思ったから。彼女が私に話したいというのであればそれを断らなくても良い。
「あたしね、すごいの。ほんとにすごいんだよ。お姉さんもすごいと思うでしょ?」
一言目がそれだった。
「そうですね」
実際、すごいハンターだと思う。古龍を倒す偉業はすごくないハンターにはできないだろう。
「あたしがハンター始めたのって、全然最近の話で、バルバレに行くっていう船に乗って、ダレンモーランが現れて、死ぬかと思ったんだけどなんとかなって、それでバルバレに着いてすぐハンターになった。ほんとはハンターになる気なんて全然なかったんだよ。港の仕事とか普通にするつもりだったし、武器持ったのもその時が初めてだったし」
それはおかしい。バルバレでダレンモーランが現れて、その直後にハンターになった、と彼女は今言った。となると我らの団のハンターの噂が流れ始めた時期を考えれば、彼女は二年程度しかハンターをしていないことになる。あり得ない。いや、あり得ないなんて言葉では足りないくらいの異常性がある。
「すごいですね」
彼女の語った内容に嘘がなければ、彼女はほんとうにすごいということになる。もちろん嘘などあるはずがない。辻褄があっているからだ。つまり彼女は天才だ。
我らの団のハンターの高速のランクアップには書記官や筆頭ハンターの口添えがあったという。我らの団の団長が書記官であったことは一つの幸運だろう。しかしそれは信用を補完するものであって、ハンターとしての強さを補うものではない。どれだけ書記官や高名なハンターが推薦しようが実力のないハンターのハンターランクが上がるほどギルドは甘くはないのだ。
「あたしほんとに、ハンターの才能あるんだと思う。でも、こないだ死にそうになってさ、セルレギオス相手に。知ってる? 最近砂漠の方にセルレギオスがいっぱい飛んでくるの」
「存じています」
デデ砂漠における千刃竜の飛来はかなり問題になっている。というのも、千刃竜を狩猟した経験のあるハンターがほとんどいないからだ。本来なら奥地に住むモンスターであるため、簡単に狩猟に行くことも出来ず、そもそも出現自体が不安定なためクエストも発行されない。
千刃竜は獰猛で狡猾、他の飛竜の獲物を横取りするせいでハンターと飛竜と千刃竜の三つ巴になることも少なくないため、私は非常に危険だと判断している。そのため現在デデ砂漠のクエストを受注するパーティは過半数がG3のハンターのパーティか、砂漠生態に高い適性のあるパーティのみに絞ってあった。
「それ我らの団で最近調べてるの。セルレギオスはもう、六頭は狩ったかな。皆んな困っててさ、砂漠通れないと流通も滞るし、そしたら街の復興も遅れるじゃん? でもセルレギオス狩ったらさ、どこから来たんだろって思って、考えてたらぼうっとしちゃって、何かから逃げてきたのかなって、思って、思ってたら死んだはずのセルレギオスが暴れ出したの。びっくりするよね、狂竜ウイルスに感染してたみたい。そのせいで大怪我して、でもさすがにほっとけないから応急手当てだけしてなんとか倒したの。そしたら帰ってから傷が膿んで悪化して熱出て、さすがに死ぬかと思ったよね」
「それは、大事にしてください」
「まあ今日はその病み上がりの休暇だから大事にはしてるよ」
「そうですか」
「それよりもセルレギオスだよ。今まで狂竜化したことなんてなかったのに」
確かに千刃竜の狂竜化は初耳だ。多分初めてのことだろう。しかしどのモンスターであれ感染する可能性はある。ともすれば千刃竜が狂竜化するのは不思議なことではない。
問題は感染源だ。旧砂漠ではしばらく狂竜化モンスターが出ていない。他の地域では黒蝕竜が感染を拡大させたりウイルスを持ったモンスターが地底に逃げることもあるが、砂漠地域一帯は熱を嫌う黒蝕竜は滅多に現れないし、現状ウイルスを持ったモンスターの飛来も確認されていない。
「千刃竜の本来の生息地に感染源がいるかもしれません。千刃竜の飛来はそれが原因の可能性があります」
「それね、うん、所長さんも同じこと言ってたんだけどさ、探しに行ったりは出来ないんだって」
「そうでしょうね」
千刃竜の生息地は樹海のずっと奥だと言われている。仮に場所が分かったとしてもその場所にハンターを送り込むのは極めて困難だろう。
そもそも探す必要なんてあるのだろうか。感染したモンスターは狂竜化して感染拡大を始めてから一ヶ月もせずに息絶える。ならば放っておけば千刃竜の飛来も感染も止まるだろう。
他に、黒蝕竜が感染源として千刃竜に感染を広げ続けているという可能性もあるが、それは物理的に不可能だろう。黒蝕竜は千刃竜には恐らく勝てないし、千刃竜の群れに勝つのは他の竜種でも極めて困難だ。
「もし、もしも、その狂竜化してるセルレギオスの感染源が見つかったら、それを狩るクエストが出たらさ、多分それを受けるのはあたしだと思うんだ」
「それは、そうかもしれません」
遭遇した千刃竜の狩猟許可はG級未満のハンターには降りていない。それは危険だからというただ一点のみが理由だが報告を見る限りでは上位のハンターも千刃竜を幾らか狩猟している。
彼女はさっき千刃竜を六頭狩ったと言った。六頭も狩ったハンターなんて他に居ないし、狂竜化した千刃竜を狩ったハンターは一人も居ない。偶然かもしれないが、彼女はまた適性が高いという理由で危険なクエストを受注することになるかもしれない。未知の感染源か或いは、天廻龍を狩猟する可能性がある。前者でも後者でも彼女に向けて緊急クエストが発行される可能性は高い。
彼女は不安そうに目を泳がせた。ゆっくり下を向いて、つぶやきを一つ落とす。
「怖い」
「何が」
反射的に聞いた。特に興味はなかった。
「あたしが死んで、そのせいでみんなが困るのが怖い」
「何が困るのですか」
「我らの団のハンターはあたししかいないの。安い報酬金で狂竜化したモンスターの捕獲を引き受けるハンターも、街の復興のために貴重な素材を納品するハンターも、食材現物支給でクエスト受けるハンターも、あたししかしないの」
「それほど不安なら受けなければいいでしょうね。緊急クエストは大抵パーティ単位で発行されますが、拒否権はあります。拒否してハンターに不利に働く事柄はありません」
「それであたしが断ったり失敗したら誰がやるの?」
「あなたより優秀な誰かです」
そんな奴がいるなら、というか実際に居るのだから最初からそいつにやらせればいい、と私は思う。しかしそれでは若いハンターが育たないのかもしれない。
我らの団のハンターはほんの少しだけ嬉しそうな笑顔を見せた。
「その言葉が聞けてよかった」
そんな話を昨日した矢先、悪いニュースがあった。
「極限状態……?」
極限状態とは要するに、極限の生命力を持ってして身体を再生し狂竜ウイルスによる死を克服した状態を指す。
極限状態のモンスターはウイルスによって死に続けているが決して死ぬことはなく、狂竜化を一時的にでも解除することで超再生を止めてその間に狩猟という回りくどい方法で殺すことができる、という計算になっている、らしい。
緊急クエスト。極限状態の千刃竜一頭の討伐。蛇王龍以来安定していた私の世界が一気に崩れたような感覚を覚える。
ギルドは我らの団のハンターを推薦しているようだが、彼女はまだ大老殿には来ていない。もしこれを受注するのが彼女ではないとすると僅かに気が楽になるが、彼女以外にこれを達成できるハンターなどほとんどいない。否、私は彼女以外だと操虫棍のハンターでもなければ不可能とさえ思う。
「なあ聞いてくれよ、ネコを見つけたから撫でたら金を要求してきやがったんだが、おかしいと思わねぇ? 俺は撫でただけだぜ?」
突然現れて謎の雑談を始めるのはG級ハンターの中では操虫棍のハンターを含め三人程度しか居ない。そういう輩には最低限の受け答えで会話を済ませてクエストに行かせるのが常だが、操虫棍のハンターを今日クエストに行かせるわけにはいかない。もし我らの団のハンターが緊急クエストの受注を拒否したら、というかほぼ確実に拒否するから、彼は極限状態の千刃竜を討伐しなければならない。
「そういうこともあるのですね」
「いやまあ俺も悪かったとは思うけどさ、だからって300zも要求するこたねぇよな」
操虫棍のハンターならそれくらい軽く払えるだろう。彼は一週間で何万zと稼いでいる。装備を頻繁に更新している様子も無い。となるともはや使うのが難しいはずだ。それよりも、
「クエストを───」
「ああそうだクエストだな、そろそろ古龍とかあるんじゃねぇの?」
「ありません」
「なんだよつまんねー」
操虫棍のハンターは口を尖らせて不機嫌そうに言った。
「あなたに向けたものではありませんが、緊急クエストが発行されています。もし当該ハンターが受注しなければおそらくあなたが受けることになります」
操虫棍のハンターは少し驚いて静止してから、ニヤリと笑って指を左右に振った。
「お姉さんそれはわかってないぜ。緊急クエストを受けないハンターはいねぇんだ」
「?」
何を言っているのかわからない。
「これわかんねぇよな。たぶんハンターにしかわかんねぇと思う。緊急クエストってのは特別なんだ。いつも俺たちが選んでいる仕事が、俺たちを選んでるってのは、大自然に俺たちが選ばれてるってのと同じことだ」
「そういうものですか」
「そういうもんだ。うし、こいつにする」
操虫棍のハンターは塔の蒼火竜の依頼を私に見せた。彼の話は全く理解できないが、とにかく緊急クエストを受ける気はないらしい。我らの団のハンターは昨日の様子からして確実に受けない。操虫棍のハンターも緊急クエストを受ける気は無いとなると他のハンターを探さなければならない。
考えながらもクエスト受注手続きをする手を止めない。
「お気をつけて」
目がまわる。吐き気がする。
クエストに行く操虫棍のハンターを止めることはできない。
極限状態のクエストの難易度はわからない。しかし、我らの団のハンターが推薦されている以上は、彼女以外では操虫棍のハンターでなければ誰を行かせても殺すようなものなのだ。我らの団のハンターは天才だから、彼女を上回る天才など操虫棍のハンターしか思いつかないから。
私は夕になるまでずっと我らの団のハンターを説得する方法を考えていた。しかし無意味だった。
「怖いけど、余裕だよ。負ける気がしないよね」
夕になって初めて大老殿に来た彼女に、私はいくつもの薄っぺらい言葉を重ねるつもりだったが、彼女は当然のように受注することを選んだ。選んだというよりはそれが最初から決まっていたかのような言動だった。受けない選択肢はないという調子で依頼書を読んでいた。
ハンターは理解できない。
「お気をつけて、死ぬくらいなら撤退を」
「ありがと」
我らの団のハンターは昨日のしおらしい調子はなく、終始彼女らしい快活さがあった。
支離滅裂。翻雲覆雨。それとも付和雷同か。とにかく私にはどうしても理解できない。ハンターは化け物だ。