塔は一時平穏を取り戻し、秘境に獄狼竜が現れたことでまたピリピリとした状態になった。大した問題ではない。G3のパーティは皆ドンドルマに帰ってきている。獄狼竜程度と言うつもりはないが、しかし獄狼竜であればG2のパーティでも問題なく倒せる可能性も高い。
炎王龍を制した豪山龍の剣斧のパーティはメンバーの一人がG3に昇格した。多少は自信がついただろう。これもまた予定調和だ。彼らは二週間ほどの休暇を取るらしい。パーティの一人が比較的大きい怪我をしていたのを見るに、休暇は二週間では足りないように思えるが、彼らが二週間と言った以上はその後の彼らの仕事を準備しておく必要はある。G3に昇格したからといって普段の依頼難易度が目に見えて上がるわけではないが、全体的に上がることは間違いないので彼らのための慣らしのクエストを準備しておく必要があるだろう。
そうして繁忙期は終わり、暖かい繁殖期も半ばに差し掛かろうとしていた。古龍出現予測にも特に異常はなく、私の望む世界に近い環境が構築されていた。
「落ち込んでいるかと思いましたが、私の想像よりはずっと平気そうで安心しました」
塔の平穏が戻って、その六日後に帰ってきた龍頭琴のパーティは、リーダーだけが報告に訪れ、私を案ずるように話しかけてきていた。
「それは、どうも」
「彼のことは聞きました。私も残念だと思います。ずっと昔に一度だけ彼とクエストに行かせてもらえる機会がありましたが、彼の実力は圧倒的でした。G級になったと自惚れていた自分を恥じる程度に、彼と私では実力差があった。あなたの心中を察することはできませんが、あなたと同様に悲しむことはできます。彼がいなくなったせいで無理をされているのだとしたら、どうかご自愛ください」
「……ありがとうございます」
彼女は私を気遣って言ったのだろう。しかし休んでいる暇はない、と考えている。
私はあれから幻獣についてかなり調べた。生態や討伐報告。やはり多くは謎に包まれているが、一つ興味深い情報があった。それはポッケ村の特命狩人についての情報でもある。曰く、決戦場で二頭の幻獣が同時に現れ、そしてそれを討ったという。泡沫のようであった、とは報告書の隅に書かれていた戯言だ。
ともかく、二頭の幻獣を討伐するのは決して不可能ではないということだ。というよりも、彼が戦ったのが本当に幻獣だったのかというところから考えなければならない。今のところ紅き雷とやらについて幻獣に関する情報は見当たらない。何かあると考えておくべきだろう。
新種というならひとまず古の文献を漁るしかないが、私は大老殿を離れられない。そもそも竜人に大した伝手があるわけでもないので時間があってもそれを調べるのは不可能だ。
取れる劇的な手段は三つ。
一つは放置すること。何も知らず、何も調べず、ギルドの意向に任せる。とても楽な道だ。私ごときが何を知ったところで変わりはしないだろう。ギルドが何も言わないのであれば塔に異変はないということにする。こんな方法は、とてもじゃないが納得できない。しかし楽で、正しくもある。
二つ目は我らの団に頼むこと。受付嬢である私とて一人のドンドルマ市民であり、我らの団の看板娘に依頼を出せば必ず彼女が動くだろう。依頼難易度が高くなるため大変な金がかかるが、実地調査ができるという点である意味確実な道だ。問題があるとすれば、彼女を塔に送り込むのに適切な報酬を、私個人で用意するのがほぼ不可能という点だ。ギルドが依頼を出さない以上は私個人の依頼ということになるので報酬も当然全額私が支払う。補助もでないだろう。とても払える金額ではないことが予想される。彼女は現物支給でさえ動くことがあると聞くが、受付嬢たる私が適切な報酬を適切な形で支払わないなどあってはならないことだろう。
三つ目は、大長老に話を聞くことだ。いつ起きるかわからない点や不敬罪で減給等の何かしらの処罰が与えられる可能性があるという私にとっては危険な方法だが何か知っている可能性はある。もちろん何も知らない可能性もあるので無駄かもしれないが、長寿で龍に詳しい竜人を私はこのお方以外に知らない。
全てが不可能だった。塔に関してこのまま見て見ぬ振りをするのは操虫棍のハンターの死が全く無駄になるということに他ならない。普通に考えれば何も解決していないのだ。落雷が去ったから異変が解決したなどと、あり得るわけがない。幻獣の死体がそこになかった時点で幻獣ではなく、また幻獣以外の死体もなかった時点で討伐ではない。厳重に調査すべきだし、私自身が知っておかなければ次なる犠牲を私自身の手で出してしまうことになる。しかしだからといって金を用意するのも、大長老を起こすのも、不可能だ。私には打つ手がない。
彼の死を多くの人が悲しんでいる。正直言って、私の想像よりもはるかに多くの人が彼を慕っていた。龍頭琴のハンターの他にもいくつかのパーティが私に彼が死んだことを悲しんでいると言った。私は別段、彼と親しかったわけではない。なるべくハンターとの距離感を保っていたし、私が最も親しいのはおそらく我らの団のハンターだろう。それとて高い頻度で話すわけではない。彼にしていえば、私以外に伝える者がいないから私に言うのだろう。あるいは単に私に気を遣っているのかもしれない。
彼はクエストだけでなく、日常生活でも独りだったと聞く。孤独に仕事をし、孤独に家に帰り、死んだときに哀悼を捧げられる人もない。彼の亡骸だった物はすでに土の下だ。
塔から彼の死体が戻ったとき、しかしそれはほとんど彼ではなく、灰だった。一緒に運ばれてきたタナトスロッドにしがみつくオオシナト、それに氷牙竜の防具だったと思しきいくつかの破片、それから灰。タナトスロッドやオオシナトの紋様から彼だと断言できるが、武器がすぐそばになければ本当にただの灰だった。
紅き雷とやらはG級最高峰のハンターを殺すのに十分な威力だったらしい。少なくとも、氷牙竜の防具の属性耐性が良好でないなどという理由で死んだわけではないことは明らかだ。おそらく雷狼竜の防具だろうか幻獣の防具だろうが結果は変わらなかっただろう。受けてはいけない攻撃を受けてしまった、という風に考えられる。
仕事を終えた私が向かったのは古龍観測所だった。ハンターと研究者のみが利用できる施設ではあるが、情報を聞く程度のことはできるかもしれないと思った。
「紅い雷を操る古龍について知りたいのですが、何かありますか」
煙管を揺らしている学者らしき竜人にそう訊ねると竜人は首を傾げて考えていった。
「ふむ、ハンター以外に教えるものでもないが、何かわけがあるのかのう」
「知的好奇心です」
「ふーむ、しかし雷といえば幻獣じゃが、あれについてわかっていることは何もない」
「幻獣の雷が紅くないことは知っています」
「その通り。つまりわしがおぬしの好奇心に応えることはできないということになる」
「そうですか。時間を取らせてしまい申し訳ありません」
「なに、気にすることはない」
そうして会話を切り上げて帰ろうとしたとき、わざとらしいくらい大きな声で驚いているのが聞こえた。
「ミラボレアスっていないの!?」
「そんなことわしが一番知りたいわ!どいつもこいつも同じことばかり聞いてきおって!」
大袈裟に驚いている人物はわたしのよく知るハンターではあったが、少し近寄りたくなかったので身を潜めて様子を伺う。すると今しがた話していた竜人がコソコソと話しかけてきた。
「あやつ、近頃ミラボレアスについてよく聞かれるらしい。ミラボレアスでハンターが死んで推薦枠が一つ開いたとか言ってな、それを狙っとる輩がミラボレアスについて聞いてくるのじゃ」
「推薦枠?」
「新大陸古龍調査団の五期のメンバー募集、それの推薦じゃよ」
「初耳です」
「知らなくて当然。公募はまだじゃからな」
実のところ、様々なギルドの優秀なハンターをリストアップしているという話は聞いていたため心当たりはあったのだが、まさかそれが新大陸の調査とは思うまい。
その推薦組の一人がミラボレアスとやらによって死んだからと推薦枠を奪い合っているということか。あさましいようにも思えるが、古龍調査団がしょっちゅうメンバーを募集するわけでもあるまい。新大陸に行きたいハンターにとっては人生がかかっているといっても過言ではないのだろう。
「ミラボレアスとやらを倒せば推薦が貰えると思っている輩が大勢いるわけですね」
「まさしく。愚かに思えるじゃろう」
「ええ」
「実のところわしも思っておる。観測所職員としては中立たる必要があるが、わしの考えとしては黒龍は存在せん。やはりあれは御伽話じゃ」
「同意見です」
ミラボレアスは存在しない。より厳密にいうと、伝承や文献は多く残っているが一度も痕跡さえも観測されたことがない。黒龍伝説が非常に古くから伝わる伝承であることからして、それが何かを示しているはずだという理論を展開する学者やハンターは一定数居る。伝承にはほとんどの場合に重要な意味があるという事実も、現実問題存在していないのだから意味がない。
大昔に人知れず滅んだのだろうとわたしは思っている。これほどまでに語り継がれる伝承ではあるのだから何かあっても不思議ではない。しかし実際は何もない。とすると、昔はいたかもしれないが今はいないと考えるのが妥当に思える。
「なぜあの御伽話だけがハンターを惹きつけるのか。わしにはわからんよ」
そうだろうか。少なくとも私にはなんとなくわかる気がする。噂、伝承、伝説、その全てが嘘であったとしても、それを探し求めるのを生きがいとするハンターがそれなりに居ることを知っているからだ。その最も大きなものの一つが黒龍伝説なのだろう。
「あなたとて、龍を識りたくて学者になったのでしょう。ハンターにとってもそれは概ねに同じことではありませんか?」
「いんや違う。利口なお主にはわかるはずじゃ。この世界には、いやこの地方だけでもなお、未解明の謎は数多くある。未知の樹海に始まり未発見のモンスターも居るじゃろう。その中には当然、ハンターの好みそうな謎、つまりは古龍に関するものも多くある。その中にはあと一歩で解明できそうなものもある。なのに奴らはどうして御伽話とされる伝説を追いたがる。時間の無駄じゃとは思わんか」
「……その通りですね。全く時間の無駄です」
黒龍は存在しないとされている。この竜人の言う通り、時間の無駄だろう。しかし。
「しかし、黒龍が存在する可能性が全くないということもありません。完全に否定できる材料はありませんから。ハンターはハンターにとって最も心が惹かれる事柄を追っているだけであって、それが黒龍だっただけでしょう。きっとその原動力は損得ではありえない」
「ふむ、なるほど、理があるようじゃ。己の心の赴くままに探求するのがハンターである、というのをわしは忘れていたようじゃな。わし自身が今なおそうして探究しているというのに。じゃがなぜ黒龍伝説なのか、それがわしにはわからん。あれはそれほど心惹かれる物語なのか。わしにはとてもそうは思えん」
「私はハンターではありませんから、ほぼ想像に過ぎませんが、いくらか予想はつきます。まず、黒龍伝説では国が滅んでいて、今なおその遺跡はシュレイド地方に残っています。
「地は揺れ」「木々は焼け」「小鳥と竜は消え」「日は消え」「古の災いは消え」「これらが続いて数か月後、シュレイドは消えた」
誰もが知る、黒龍伝説の最も有名な一節です。この一節をそのまま信じるのであれば、シュレイド王国は異変が起きてから一年以内に消えたということになります。……私はときおり考えることがあります。もしドンドルマが壊滅するようなことがあるとすればそれはどんなときなのか、と」
「それは龍を退けられなかったときじゃろうな」
「ええまさしく。しかし、ドンドルマに退けられない龍など私にはとても想像がつきません。仮に鋼龍が三頭同時に襲来したとしても、ドンドルマは血を吐きながらなおも退けるでしょう。ええ、きっとそうできます。いえ、きっと今までもそうしてきたのです」
「なるほど、お主の言わんとすることがわしにもだんだん見えてきた」
「ドンドルマを滅ぼしうる龍、これさえ想像できない我々が、どうして国一つ消すほどの龍を信じられるのか、いや、信じられるわけがない。私たちはおそらく物を知りすぎているし、知らなさすぎる。この点でハンターは私たちとは違います。彼らは見たことがあるんです、伝説の古龍を。あるいは、私たちにとっては火竜ですら容易に見ることが出来ないくらいには珍しい。しかし彼らにとってそれは街から出ればすぐに逢うことができる平凡な存在です。そして身をもってその爪の、炎の威力を知ることができる。だからこそ彼らはその貧弱な爪や火球が国どころか街一つさえ滅ぼせないことが直感的に理解できる。鋼龍は嵐を起こして街を消し飛ばし、老山龍は歩くだけでいくつもの集落を消す。それを身をもって知っているハンターが、国を消す黒龍の力に興味があっても、私はなんら不思議には思いません。むしろ興味を持って然るべきでしょう」
生物学的な視点から見れば、国など滅ぼせる必要性など皆無に思える。だからこそ私のような多少知識のある者は黒龍があり得ない龍であることがわかる。目撃例もなく、痕跡もなく、考えられないほどの力を秘めているとされる伝説上の存在。私たちは直感的にそれを存在しないと判断してしまう。しかし、そうではない者がハンターの中には居る、ということだ。
「ふむ。わしはどうやら自分で思うよりもずっとお主をみくびっておったようじゃ。こうも納得させられるとは思わなんだな」
「恐縮です」
とはいえ本気で信じている人間は実際にはほとんど存在しないだろう。近頃観測所職員に黒龍について訊ねるハンターのほぼ全員が、黒龍を探しているのではなく推薦組の一人を殺したとされる龍を探している。おそらく彼らにとってそれが黒龍であるかどうかはさほど重要ではない。新大陸に用があるハンターは他にもっと知りたいことがあるだろう。
「長話が過ぎたようじゃな。わしの方でも紅き雷について調べておこう。近いうちにまた来るといい。有益な情報が得られるとは思えんが、情報がないというのもまた重要な情報じゃからな」
「それはどうも、助かります」
この竜人を軽く見ているわけではないが、しかし一介の古龍観測所職員にわかることには限りがあるだろう。彼のいう通り、情報がないという情報をひとまずは待つことになるだろうか。
「オオナズチって完全に消えられるんだね。じゃあもしかしたらすぐそこにいるかもしれないってこと?」
「実際の隠密性能はそこまでではないと聞くがの。わしにはようわからんが、熟練のハンターは気配とやらで場所がわかるらしい」
「あたしにはわかりそうにないなぁ」
「迷彩が光学的なものである以上、音を完全に消すことはできん。奴が音を立てるよう仕向ければ気配なんぞに頼らずとも居場所を探れるじゃろう」
「そんな方法ある?」
「それを考えるのはハンターの役目じゃ。わしは戦術指南などしようないわい。もっとも、居場所だけがわかったところでまともに戦えるとは思えんがの」
少し離れた場所で別の職員と我らの団のハンターが談笑していた。ついさっきには激怒させていたと思うのだが、一体どうやって打ち解けたのか。彼女に話しかけられても面倒なのでそそくさとその場を離れた。
「蝕みに囚われた哀れな牙竜を解放してやろう。契約書を出せ」
「……はい?」
蝕みに囚われた哀れな牙竜、というモンスターについてどうやら私は何も知らないらしい。いやしかし、この重甲虫の片手剣のハンターの言うことだ。比喩と婉曲を用いた大変詩的でわかりづらい表現であるに違いない。おそらく少し考えればわかるはずだ。
蝕み、という言葉から連想されるのは黒蝕竜、天廻龍。黒蝕竜は原生林で出現したため上位のハンターが狩猟に向かっている。しかし牙竜、という言葉があることを鑑みると、黒蝕竜ではないだろう。黒蝕竜は種のカテゴライズがなされていないが、牙竜でないことは明らかだ。しかしそもそも牙竜で蝕みの……なるほど、つまり彼は獄狼竜について話している可能性が高い。
数秒以内に答えに辿り着けたため、咳払いをしてもう一度口を開く。
「獄狼竜のクエストでしたら、近いうちに移動する可能性が高いため緊急性はありません」
樹海に帰るのであれば下手に手出しする必要はない。
「それはあれを解放しない理由にはならない。契約書を」
人手不足でもない近頃の状況的には別に彼らを塔に送り出すくらい何の問題もないのだが、不要であることは違いない。一応伝えたがそれでも行くというのならせめて無事を祈るばかりだ。彼らが獄狼竜に遅れを取るとは思わないが、万が一はある。塔は操虫棍のハンターが死んでからろくな調査もされていないはずなのだから、何かいても全く不思議ではない。塔とはもともと危険な場所なのだ。
「では、ジンオウガ亜種一頭の狩猟、契約金は1700z、報酬金は16800zです」
「早く印を押せ。蝕みは祓わねばならない」
「環境は安定していると報告されていますが、十分注意してください」
「腐っても蝕みだ。油断などするはずがない。無用な不安を感じる前に、貴様は一度顔を洗うことだな」
「……お気をつけて」
彼らにも何かあるらしい。因縁か、目的か。明らかに集団行動に向いていない彼がパーティリーダーをしているのも、もしかすると彼が始まりだったからなのかもしれない。私は彼らを知るべきかもしれないし、そうすることで彼らを僅かながら救うことができるかもしれない。しかしそうする余裕が今の私にあるとは思えなかった。
塔のこと、操虫棍のハンターのこと、沼地が少し静かなこと、西方の支部の倉庫から火薬がごっそり消えたこと。様々なことがあまりにも不自然で、なぜ環境が安定しているのか、安定ということになっているのかわからない。獄狼竜が塔の秘境に現れるのは一大事だ。ハンターの死因の調査が突然打ち切られるのはおかしい。近頃の沼地は大型モンスターが少なすぎる。火薬の件は報告を見る限りでは明らかに盗難ではない。
私が学校で学んだことは多いが、深い知識はあまりない。おそらく我らの団の看板娘より生物学に詳しくないし、古龍観測所職員より古龍知識は遥かに劣るだろう。私は一つの学問を専攻せず、きっと多くのハンターの助けになればと、無邪気にもなるべく多くのことを学ぼうとした。私にもそういう希望に満ちた時期があった。そしてその中途半端な知識や学こそが私の無力さの一端なのだと思い知らされたのは、我らの団のハンターから看板娘の、ソフィア嬢の話を聞いたときだ。
きっといろんなことを知っていたらたくさんハンターさんの助けになるはず。無邪気な私の無邪気な考えだ。もちろんそうだろう。知は力だ。いろんなことを知っていればきっとたくさんのハンターを救えたはず。けれど私は救えなかった。つまり、私の知は力ではなかった。一方でソフィア嬢は卓越した生物学の知識と並外れた洞察力でハンターを何度も救った。私はずっと無能だった。ソフィア嬢は天才だった。
凡庸な知識から一つ見解を述べるなら、今の環境はとても安定しているとは言い難い。しかしながら何も起きる気配がないのもまた確かだ。均衡がある、とでもいうべきだろう。非常に不自然な状態ではあるが、何かが睨み合って均衡が保たれているかのような、そんな状態だ。
この不自然な均衡を安定した環境だとギルドが言うのならそれを信じるのもまた重要な仕事だろう。くだらないことを気にするべきではない。けれど私にはできない。不自然な均衡を安定と信じることも、その不自然さを解き明かすことも。
どうにかしたい。何もできない。しかし放っておけばハンターが死ぬ。大老殿の受付嬢が私である意味は何だったろうか。極限状態の千刃竜は我らの団のハンターが討って、狂竜化モンスターは大幅に減った。私は既に不要だろう。配属理由は狂竜ウイルスが関係していたはずなのだから。
近頃は同じことばかりを考えている気がした。寝ても覚めても自問自答を繰り返して、無能の言い訳ばかりを探して、塔や沼地の気候変化にビクビクしていた。不安はいつもすぐそこにあった。不安はいつもどうしようもなかった。
彼が命を賭して戦った相手は傷を負って動かないのか、それともこの地を去ったのか。今の平穏が彼の死によってもたらされたものなら。たとえその平穏が仮初だったとしても、彼はどんなに報われるだろう。
彼は間違いなくこのドンドルマを愛していた。
美味しい店に安い雑貨、アリーナやイカした防衛設備も時たま彼の話題に上がったものだ。昼下がりに訪れ、取り止めも無いことを私に話してそれからクエストに行く。彼の日常はそうだった。だから私は僅かに彼の日常だったはずだし、私の日常の一部は確かに彼だった。
彼は同時に探求者でもあった。常に強力なモンスターを探していた。古龍と戦うことに執着していたし、新しいとされる種には飛びついてクエストに向かう姿勢を見せた。彼自身の在り方が彼を強くしていた。彼が若くして最高のハンターであれたのは才能だけのものではなく、経験や意欲あってのものだっただろう。
彼を殺した相手が死んでいたらほんとうに嬉しいが、もしそうでないなら、それは必ずもう一度現れるだろう。だとしたら、私にとっての最大の課題はなんなのか。私には最初からわかっていた。最も確実で、最も多きが助かる方法を取らなければならない。それが私にできる唯一にして最良の方法だった。
つまりその方法とは、それを狩るために我らの団のハンターを必ず生かしておくことだ。そのために他のハンターが犠牲になったとしても、些細なことだと思わなければならない。
結局のところ、それが現れたときに狩ることができるであろうハンターを私はこのドンドルマで一人しか知らないし、実際に彼女しかいないだろう。ともすればどんな苦渋をハンターに飲ませても、それが彼女を生かすためならばきっと私は印を押そう。
彼女がそれに敗れたならおそらくドンドルマは壊滅的な打撃を受ける。万全の彼女に狩ってもらう必要がある。わかっている。覚悟はとっくにできていた。ただ、今はまだ何も起きていないだけだ。
───などと、もし全てが私の妄想で、〝それ〟などとうに死んでいて、覚悟がただの道化だったなら。あゝ、どんな誹りも喜んで受けよう。
閑話的なアレですのであまり話は進みませんで申し訳ない。
「ミラボレアスが存在するかじゃと?〜」というセリフは実際にdosの街の古龍観測所の竜人から聞くことが出来たと思います。