塔の環境が不安定になっていると私に話したのは古龍観測所の竜人だった。彼からは長く続報がなかったが、私のことを忘れていたわけではなかったらしい。塔の情報だからと言って落雷に関わる情報かどうかは私にも彼にも判別がつかないが、どちらにしても変化は変化だ。
具体的には、大型モンスターが異常に凶暴になっているとのことらしい。異常な凶暴化は普通に考えれば狂竜ウイルスだ。塔にゴア・マガラが出現したことは一度もないが、温度やその他の環境を鑑みれば出現の可能性は十分にある。
直近の問題はそれだけでなく、もう一つあった。これはハンターにもこの街にも無関係なことだが、私にとってはそれなりに重大な事項だ。
「あなたは近いうちに異動になる、とのことですにゃ」
私の友人は私にそう伝えた。なぜ異動なのかはわからなかった。おそらく彼も知らないだろう。上の考えることは私のような末端の者には理解できない。とはいえこのタイミングで異動が決まったことを思えば、むしろ異動先で私が必要になる事態が起きようとしているのだと予想はできる。そう、考えたのだが、彼は続いてこう言った。
「異動先を、考えておくようにとも聞きましたにゃ」
「なぜですか?」
思わず聞き返してしまった。
「わかりませんにゃ」
彼も困惑していた。つまり彼にとっても不可思議な辞令だったということだ。普通、異動先は私が決めるものではない。私の価値は孤独である点だ。いつでもどこにでも行ける身軽さがギルドという組織における私の役割だと思っている。
「私がこの街を離れなければならないとすれば、なぜだと思いますか?」
彼にそう質問してみると彼は10秒ほど考えてから答えた。
「休暇ではないでしょうか。あなたはずっと頑張っていますにゃ」
「それは……そうだとすれば、少し嬉しいですね。とはいえ、異動先の希望など考えつきませんが」
休暇代わりの異動はあり得そうな理由だった。実際に頑張っているかどうかはともかくとしても、はたから私を見ればそのように感じられる可能性はあるだろう。何度も古龍討伐に立ち会っているし、カチワリ紅蓮隊不在の一年は他のギルドでは考えられないほど忙しかった。休暇が与えられるのは不自然ではない。
「ポッケ村で最近、温泉を引いているのを知っていますかにゃ?」
「いえ、存じませんでした」
「あそこは、いい場所ですにゃ」
彼はいつも通りの平坦な口調だったが、彼にしては珍しい発言だった。
「ポッケ村の出身ですか」
「いえ、少しお世話になったことがあるだけですにゃ」
「そうですか」
彼と雑談をするような仲になったのは最近のことだった。きっかけは彼がハンターの埋葬を手伝ったことだった。そのことに関して後日に私が改めて礼を言ったところ、今後も声を掛けるよう言われた。そして彼はすぐに「失言でしたにゃ、二度とないことを祈っていますにゃ」と訂正した。私は「やはり、もう少しきちんとお礼をさせてください」と言った。それで私は彼と少し親しくなった。
「私は、どの場所であっても龍歴院への転属になると思いますにゃ」
彼は控えめにそう言った。しかしその予想は的を射ているような気がした。休暇という仮定が事実で龍歴院への転属も事実だとすると、休暇を終えたあとにはどうなるのだろうか。ドンドルマ管轄に戻って来られるのか、それとも、そのまま龍歴院で働くことになるのか。
前者だったとして、私が大老殿に戻ることはないだろうと思った。ここは本来私のような若輩がいていい場所ではない。私の取るに足らない知識や経験に基づく職務遂行能力は、竜人が人の何生涯分もかけて積み重ねてきたものと比較すれば足元にも及ばないのだから。
私は編纂者ではないためフィールドワークはほとんどしたことがなく、机上でしか地学を知らない。この街に来た当初は狂竜ウイルスに関する知識を持っている数少ない人間だったが、今や誰もが知っていることしか知らない凡人だ。
私は大老殿に相応しい人間ではない。この当然の事実を私は何度も突きつけられ、理解し、しかしここに至って私は大老殿を去りたいとは思えなかった。
あの日、彼が死んだ日、塔で何があったのか。真実を知りたい。ドンドルマから去ったなら、いや、仮に戻ってこられたとしても、大老殿の受付嬢という今の立場がなければ私はそれを一生知ることはないだろう。
私がいなくてもこの街は歩み続ける。次に塔で落雷があって、そこに私がいてもいなくてもも、必ず誰かがそれを殺す。
私は考える。私がそれを知って何になるのか。例えば新種だったとして、私が生きている間に同じ脅威に対処する可能性がどれだけあるのか。私に意味などなかったとして、私はなぜそれを知りたいのか。
知的好奇心を含む自己満足が理由の大半を占めることはすぐにわかった。知ってもどうにもならないし、どうにでもなる。要するに、それについて考えるべきではないのだ。
「龍歴院といえば、何やら飛行船を造る計画があるそうですね」
「龍歴院は気球の技術力が高いから、物を飛ばすのが得意なんですにゃ」
「博識ですね」
龍歴院は民間人によくハンターズギルドと混同されるのだが、全く別の組織だ。特に研究を主な目的とする点でハンターズギルドとは理念が大きく異なる。
とはいっても人命と研究を天秤にかけるような真似をする組織ではないため、活動自体はハンターズギルドとほとんど変わらない。受付嬢に必要とされる知識も多くは共通したものだ。私が転勤になるのはおかしな話ではない。
「あなたほどの知識はありませんにゃ」
「受付嬢は皆、私と同じかそれ以上の知識があります。私だけが知識を持つわけではありません」
「あなたは、特に武具に詳しい」
彼はそう言い切って、「と思いますにゃ」と小さく付け足した。彼なりの世辞かもしれないし、本心かもしれない。どちらにしても、武具の知識はほとんど意味のないものだ。少なくとも私は役に立ったと思ったことがないし、それ自体、私が他より優れているという自信があるわけでもない。
「ありがとうございます」
彼に礼を言うと、彼は少し表情をこわばらせた。実のところ私は彼の表情はほとんど理解できない。表情をこわばらせたことくらいはわかるとしてもそれが何を意味するのかは理解できない。とはいえ普通に考えれば今の私の返答が間違っていたことはわかる。彼の認識では私は相対的に見てもかなり武具に詳しく、それが私の強みであるらしい。
それから少し意味のない会話をして、彼は仕事に戻った。私も、少しばかり未来に思いを馳せた。異動先はどこがいいか。本当にどこでもいいのなら、ココット村なんかは悪くないかもしれない。ミナガルデ管轄は何かと縁のある土地だし、気候も温暖だ。
時間があれば帰郷もできる位置で、少なくともドンドルマよりは故郷に近い。既にそこは自然に還っているだろうが、それでも私のルーツだ。
何週間か経って、塔のモンスター凶暴化は収まった。周辺地域に被害が出ないよういくつかのクエストを捌いていると、ある日突然ぴたりと止んだ。
そして雷が落ち、クエストが発行された。内容はこうだ。
『キリン二頭の討伐』
あまりに馬鹿げている。大長老をチラリと見たが、眠っていた。私は我らの団のハンターが大老殿に来るのを待つことにした。一応、彼女以外の選択肢もあって、しかしどちらでもいいわけではない。やはり私は、私の直感では、彼女に任せるべきだと思う。彼ら──カチワリ紅蓮隊が無理だとは思わないが、前々から彼女に任せると考えていたこともあって、私の考えはそれなりにまとまっていた。話す内容も、既に決まっている。
「やばいクエストだったりする感じかな」
彼女は天廻龍の片手剣を持って現れ、私に神妙に尋ねた。
「確証はありません。しかし、あなたにとっての未知の存在と対峙する可能性は、高いと言えるでしょう」
彼女は笑った。
「勝てるかな」
「あなたは負けたことがありません。今回も、同様です」
「だよね、だってあたし、強いし」
彼女はどうやら大事の前に緊張するということがないのだろう。言葉も表情も穏やかで、凪いでいた。
「キリン二頭の討伐。契約金は4500z、報酬金は45000zです」
「受けるよ」
「では私から二点だけ、お伝えします。まず、紅い雷に注意した方がいいかもしれません。私の考えでは、まともに被弾すると死に至ります。二点目、ソフィア嬢に助言を仰いでください。彼女であれば私よりも遥かに有効な助言をしてくれるはずです」
「うん、わかった」
彼女はそう言って消えた。私は急に心拍数が上がるのを感じた。呼吸が浅くなり、体温が下がったように感じられた。彼女は負けたことがない、だから負けない。完璧で、穴だらけの理論だ。彼女を励ますための言葉は私自身を安心させられなかったらしい。
指先は震え、めまいと軽い嘔吐感が私を襲う。久しい感覚だった。極限状態の雷狼竜にハンターを送り出したときでさえ、今ほどの恐怖はなかった。私はバルバレ以来の緊張と恐怖に襲われた。
翌々日、私の異動は突然決まった。二日後、ココット村へ。直ちに荷物をまとめること。
成程、これは情報統制の一種なのだな、とすぐに思い当たった。そうでなければ私をこれほどまでに突然異動にする意味はない。塔に居ると考えられる紅き雷は特別な存在なのだろう。
荷物は多くない。異動が多くなることは予想していたので私物は数えるほどしかない。友人に話すと「機会があれば会いに行きますにゃ」と言われた。しかし彼もおいそれと大老殿を離れられないだろう。おそらく今後会う可能性は低い。それは少し悲しいことだったが、問題はなかった。
結局、彼を殺した存在の正体を知ることはできなかったが、何も問題はなかった。強いていえば、運命から逃れられることを微かに喜んでいる自分が、それが腹立たしいことが問題だった。
何もわからないうちに私はドンドルマを去り、道中を含めて一ヶ月もの休暇を与えられた。
私は街を出るまでに何人かのハンターに別れを告げたが、それも時間が不足していた。
後任が来るまで大老殿は機能を失う。しかしそれすらも情報統制の一貫なのかもしれない。私はふと荒唐無稽な妄想を閃いた。かの紅き雷は黒龍で、それが禁忌なのか、と。
考えてみれば黒龍は存在を示唆されている割に情報が少なすぎる。私はこれを黒龍が存在しないからだと思っていたが、もし存在すると仮定したなら異常なほどに情報がない。情報統制の結果なのだとすれば、それは十分納得できる結果だ。だとすれば黒龍は存在するのか。それがわかるのは対峙した英雄、つまり彼女と彼だけだろう。
結局、私はただの人に過ぎず、ドンドルマを離れたからといって仕事上の悩みから解放されるわけではない。信頼と疑念の間を行き来して、結局ハンターを心の底から信頼したことなど一度もなかったかもしれない。
この先、ココット村で仕事をすることを考えると頭がおかしくなりそうだった。誰も死なせないという決意さえ、私の思考が否定しようとしている。経験が私に『無理だ』と囁く。不定期に震える手を押さえ、また不安定に現れる涙の奔流を、上を向いて堪える。もしも彼女でさえも紅き雷に焼かれたなら、私は立ち直れるだろうか。また新しい職場でハンターを救えるだろうか。考えるほど、私の身体は異常を起こす。
ココット村に医者が居ればいいが。
ワイルズのランス楽し過ぎてランス使いになってしまいましたよ。