独立した別のお話ですので、初見でも全然OK、
初めての方も、『六連星』からの方も、どうぞどうぞごゆるりと
全10話・35000文字位で完結
砂丘の夕焼け空に、羽毛のような筋雲が流れる。
「あの風の流れ方は、ルウシェルね」
本日最後の患者を見送り、診療所の玄関でエノシラは伸びをした。
砂漠の地、西風の妖精達の住む『西風の里』、居住区の中心に建つモエギ長の住まい。
エノシラはそこの一角を借りて診療所を開いている。
昔の宿屋跡だけに部屋は余っていたので、長殿は快く場所を貸してくれた。
遠く北の草原、『蒼の里』からやって来た蒼の妖精エノシラ。
本職は助産師だが、医療師に師事していただけに、簡単な外科治療や薬の調合まで出来る。モエギ長にとっても有り難い新住人だった。
伸びを続けながらエノシラが見上げていると、茜雲から二騎の馬影が姿を現した。
前はモエギ、後に続くのは長娘のルウシェル。
砂漠の風を流すのは西風の長の大切な役割で、ルウシェルは絶讚修行中。最近ようやく厳しい母から及第点が貰えるようになったと、嬉しそうに話していた。
師弟関係の時以外は、すこぶる仲の良い母娘だ。
伸びを終えて視線を落とし、エノシラはビクリと飛び上がった。
三歩先の植え込みに、一人の男性がしゃがんでいたのだ。
「シ、シドさんっ」
「やっと気付いてくれた」
巻き毛の男性はちょっと拗ねた素振りでゆるゆると立ち上がった。
「だから普通に話し掛けて下さいって、いつも言っているじゃないですか」
「そうは行かない」
シドは大真面目な顔で、これまで何度も繰り返した台詞を並べる。
「僕は君を巡っての決闘に敗れた。勘違いだったとはいえ、決闘を宣言した相手を殴り返したんだから決闘は成立している。負けた者は自分から君に話し掛ける事が出来ない。君の正面に立つ事も許されない。これは砂漠の男の掟だ」
「はぁ・・」
お下げ娘は肩を大きく下げて溜め息を吐く。
「いつの時代の誰が決めた規則だか知らないけれど、知らない所で勝手に勝負の報酬にされて不便な思いをする者の事なんか、全然考慮に入れてくれていないのですよね」
以前、エノシラが蒼の里からの出向で初めて西風を訪れた時、シドはまったくの無関係だったのに、彼女を慕う男から誤解されて決闘を吹っ掛けられた。
ボロボロになった所を彼女に手当てされ、そこから異性として意識するようになった。彼女が帰ってからも忘れられず、蒼の里へ押し掛けて猛アタック、見事連れ帰った所までは男前だった、のだ、が ……
正式に婚礼の儀式を挙げるまでは、その時の決闘の結果が生きていると言い張るのだ。
当の決闘相手が、「今更二人の障害になりたくもないし、そもそもが誤解だったんだし、無効にして置いて欲しいのですが」・・と言っているのに、何を意地になっているのか、シドは頑なに『オトコノオキテ』を守りたがる。
「シドってそういう所、あるよね」
夕食の食卓で、ルウシェルが呆れて肩を竦める。
エノシラより五つ六つ歳下だが、最近彼氏と上手く行っているのか、こまっしゃくれた事を言うようになった。
「母者(ははじゃ)、長の権限でそんな掟変えられないのか? 時代錯誤だろ」
「西風の里の規則ではなく、砂漠の男全般に昔から伝わる不文律だからなぁ」
モエギは、エノシラにも分かりやすいようにゆっくりと話してくれた。
「決闘その物が、大昔からの根っ子の太い慣習だ。部族の長だろうと口出し出来ない。せいぜい近世になって、『女性は必ずしも決闘の結果に沿わなくともよい』という後付けが作られたぐらいで」
「あ、でもそれ凄いですね。何気に大改革だわ」
エノシラがパンを皿に置いて両手を併せた。
「誰が作ったの? 母者?」
「お前のおじいちゃんだ。『砂の民』の総領殿」
「あの爺様が?」
「まぁ、作ったはいいが、当所は女性には、決闘の結果に逆らうなんて、中々勇気の要る事だった。だが作って置けば、いつかは少しづつ変えて行ける」
「へえ、先進的だったんだな、爺様。私は怒鳴られてばっかだけれど」
エノシラは分からないながらも、一所懸命二人の会話に耳を傾けている。
生まれ育った蒼の里は喉(のど)かな自由恋愛で、決闘なんて見た事もない。
この土地に嫁いでこれから生きて行くのだから、頑張って覚えて順応して行かなくちゃ。
「ところでエノシラ、シドは何の用事で来たんだ?」
「あ、はい、建築中の新居の進捗を教えに来てくれました。今日屋根が掛かったそうで、今月中には移れるんじゃないかと」
「そうか、良かったな」
所帯を持つに際して、シドは新築の立派な新居を用意しようと頑張っている。
蒼の里の住居は支柱を獣皮で覆った手軽なパォが主流で、石や漆喰でしっかり建てるのは贅沢という感覚だったエノシラには、これも驚きだった。
実際、「パォでいいのに」と言って、モエギに「砂嵐一発で吹っ飛ぶぞ」と笑われた。
シドの現在の住まいは独身寮の二人部屋。当然エノシラを招き入れる事は出来ない。
「まったく嫁さん連れて来るんなら後先ちゃんと考えろ。婚礼の儀式の最後に花嫁が足を踏み入れる『住』をキチンと出来るまで、エノシラはうちで預かる」
モエギ長にそう言われて、彼は慌てて新居の確保に駆けずり回ったのだった。
里内に気の流れの良い土地を見付け、資材を調達し、大工の都合を付ける。自らも仕事の後にせっせと手伝いに行き、エノシラが「私も」と申し出ても、『住』は花婿側の役割だからと応じてくれない。
お陰でせっかく遠路遙々来たのに肝心のシドと全然過ごせず、手持ち無沙汰なエノシラ。
ならいっそ診療所を開いてみてはどうかと、モエギ長が提案したのだった。
前回の出向時に大僧正の病を治したので、里人達の間に、彼女に診て貰いたいとの声が上がっていた。診療所は開始早々盛況で、宿屋の三部屋を使う程にもなった。
それを見てシドは、新居に診療施設も増設すると言い出した。で、また余分に日時が掛かっている。
エノシラは、診療所は今のままで、新居から通う形でもいいのだが、シドはそこにも自分の理想があるみたいだった。
「ホント、シドって頑固だよな。私はエノシラにずっとここに住んで貰いたいよ。屋根、落ちちゃえばいいのに」
ルウシェルが言って、モエギに「こら」と怒られた。
***
夜道を、カンテラを掲げて歩く、巻き毛のシド。
大工はもう帰ったが、やりかけの石積みをキリの良い所まで終わらせたい。
寮に帰ったら明日の講義の準備。教官仲間が残務を替わってくれたり、たまに建築現場の方も手伝ってくれるので、仕事を疎かにするようなみっともないマネは出来ない。
エノシラも診療所で時間潰し出来ているみたいだし、もう少しだ、もう少し……
樹上にガサリと気配。
シドは身構えたが、すぐに肩を下ろして眉間に縦線を入れた。
「よ――ぉ、チビッ子ナイト」
高い枝に、ヨタカみたいな鋭い眼が二つ。
「だからその呼び方はやめて下さいって何回も言っていますよね、ハトゥン様」
夜闇に溶け込む黒い肌の持ち主は、モエギ長の配偶者、漆黒のハトゥン。近隣の『砂の民の部族』の総領息子で、あちらからたまに訪れる通い婚の形を取っている。
しかも表を通らず、いつもこんな感じで樹上からだ。
「そうだな、蒼の里の地元に婚約者がいた女性を、物ともせずに拐(さら)って来るんだもんな。大したもんだ、チビッ子ナイト」
「エノシラの前でそれを言ったら、貴方であろうと殴りますよ」
「ほほぉ、言うようになったな、鼻水垂らして半泣きで俺の後を追い回していたチビッ子ナイトが……」
シドが本気で木に足を掛けて登って来ようとしたので、ハトゥンは立ち上がった。
「夫婦(めおと)ってのは、一緒に暮らしゃあいいだけじゃないぞ。いつまでもガキみたいに鼻水たらして我を通していたって何もならん。相手は全部捨ててお前の所へ来てくれたんだぞ。ちゃんと分かっているのか?」
「貴方にだけは言われたくありません!」
シドの叫びは聞こえていたか、いなかったのか、枝が揺れてハトゥンはもうそこに居なかった。
(お気楽な通い旦那が何を言っている。モエギ様の苦労も分かっていない癖に。僕は貴方と違う。世間に誇れる夫婦となって、ずっと妻に寄り添って、けして寂しい思いはさせない)
***
丘の上の修練所。里を見渡せるこの高台には、西風の子供達の学舎(まなびや)と、独身の教官達の寮がある。寮の玄関前ベンチ、オレンジのカンテラに浮かぶ二人の人影。
「それで、その強欲な王様、どうしたの?」
「結局へっぽこ勇者の剣を没収してしまったんです。お陰で勇者はドラゴンと闘わずに礼金だけせしめる口実が出来た」
「あははは」
「まぁドラゴン伝説もへっぽこ勇者が流したんですけれどね」
「あははは、あははは」
「ああもう月があんな所だ。ルウシェル、今日はおしまいにしましょう」
「ええ、まだ大丈夫だよ、ねぇソラぁ」
青銀の長い髪の男性は、シドと同室に住むソラ。小さい影は長娘のルウシェル。
一応将来を誓い合う二人だが、並んで座る間には、二つのカンテラが置いてある。
ソラの決めたルールだ。
外交官として飛び回り、月の半分しか里にいないソラと、長を継ぐべく勉強中のルウシェル。
逢瀬の時間が限られるので夜になるのは仕方がないのだが、ソラは生真面目に、『清く明るくガラス張り』を徹底している。
「夜にしっかり寝ないと成長によくありません」
「私もう子供じゃない」
「まだまだ伸び代が一杯あるから子供です」
「ぶ――」
「さぁ、坂の下まで送ります」
「いい。じゃ帰るからさ、その前にちょっとだけソラの部屋に行きたい」
「……駄目です」
「本も借りたいからさぁ」
「ダ・メ・で・す」
「ケチ!」
叫ぶと娘は、アッカンベをしながら坂を駆け下りた。
「転びますよ!」
「転んだらソラのせいだ!」
カンテラの灯りが無事に坂下へ付くのを確かめてから、ソラは息を吐いて建物に入った。
ルウシェルももうすぐ十五だ。水浴び場でタオルを持って追い掛け回していた頃とは違う。
一度部屋に招き入れてしまうと、その後断る理由がなくなってしまう。
(まだまだああやって子供っ気が抜けない癖に、外見ばかりどんどんモエギ様に似て色香が増して………… カンテラを置いておかなければ、こちらだって自信がないんだ)