冬虫夏草   作:西風 そら

2 / 10
冬虫夏草・Ⅰ

 

 

 

 

 その日は患者が立て込んで、診療所の終了がやや遅れた。

 

「急に冷え込んだせいかしら」

 エノシラは身震いしながら、手水を屋外に撒いた。

 

 故郷の北の草原は今頃雪野原で、気温の低さは比べ物にならないのだが、この土地の昼夜の寒暖差には中々慣れない。昼間は汗ばむ程なのに、夕暮れになると急に身を切るような風が吹く。

『太陽の子供の精霊達が、日暮れて空に戻る時、地上の温もりを懐にかき集めて持って行ってしまう』

 ルウシェルはそう教えてくれた。それにしたって少し位残して行ってくれてもいいのに、と思う。

 

 シドはここ何日か姿を現さない。一日も早く新居を完成させようと、寝食惜しんで頑張っているらしい……と、ソラ経由のルウシェルから聞いた。

(直接話しに来てくれればいいのに……)

 そうすれば、身体が一番だから無理をしないでと、こちらの気持ちも伝えられるのに。

 

 診察で里の老人と話していると、そこここに、(ええっ!?)と声を上げそうになる常石があった。

 自分はこれからこの地に仲間入りをさせて貰う身。うっかりした事をやらかして、モエギ長やシドさんに恥をかかせてしまっては大変だ。

 そう思って、中々行動に移す事も出来なくなっているエノシラだった。

 

 暗くなった植え込みを眺めて溜め息一つ吐き、戸締まりをしようとした所・・

 

 ガタン! ドン、ゴン!

 

 窓からいきなり何かが飛び込んで来た。

 黒づくめの男性。

 

「きゃあああ!」

 

「どうした!」

 お下げ娘の悲鳴で駆け付けたモエギ長は、診察台の下に潜り込む男性を見て肩を下ろした。

「ハトゥン?」

 

「説明は後だ、隠してくれ!」

 シーツを引っ張って更に奥へ潜り込む黒い肌の顔は、確かに最初に紹介して貰ったモエギ長の夫君。何回か会っているが、身体中傷痕だらけで怖そうで、エノシラはちょっと苦手だった。

 

 言われる通り、大きなシーツでベッドを覆っていると

 

「ダンナ様!!」

 

 ナキネズミみたいなキンキン声が響いた。

 振り向くと、窓枠にチョコンと小さな手と顔が乗っている。

 肌と髪の色が褐色の、砂の民の女の子。細かいウェーブの掛かったチョコレット色の髪が円錐に広がり、肩で水平に切り揃えているので、まるでキノコ。まなじりの上がった大きな瞳は、砂の民には珍しいレモン色だ。

 ルウシェルと同い年位だろうが、えらく厚化粧で、爪も唇も真っ赤っか。

 

「今ここに砂の民のハトゥン若様が来られなかったか?」

 

「来たが、お前の声を聞いて尻尾を巻いて()()()()ぞ」

 シーツの掛かったベッドに腰掛けて、部屋の中からモエギが言った。

「ハトゥンがお前に何ぞ悪さでもやらかしたのか?」

 

 エノシラは、ベッドの下の気配が、何かに焦ってギュッと固まるのを感じた。

 

「無礼者!」

 女の子はつり目を更に吊り上げて、モエギをビッと指差した。

「『若様』だ! 砂漠で一番偉大なる砂の民の総領息子殿を、こんな矮小部族の者が名前で呼ぶなどおこがましい!」

 

 二人の間でキョロキョロと動揺するエノシラ。新常識の出現だ。えっと、これは何処の誰相手に気をつけねばならない常識なんだろう?

 

「もうよい」

 女の子が踵を返して去ろうとした時、

「待って」

 窓越しにエノシラが手首を掴まえた。

「肘を擦りむいてる。モエギさん、消毒薬を取って下さい」

 

 ベッドのモエギが「ああ」と言って立ち上がり掛けたが、それより早く、女の子が手首を振りほどいてバッタみたいに跳ねた。

「モエギというのはお前か!」

 

「だったらどうした?」

 たっぷりの碧緑の髪を掻き上げて、モエギが悠然と窓辺に歩いて来た。

 女の子は負けずに外から睨み上げる。

 

「そもそも名乗れ。ヒトの家を訪ねて名乗りもしないのが、砂の民の礼儀か?」

「砂の民の名は、お前達のように安っぽくはない。だいたい略奪者に礼節を要求される謂われなぞ無い」

 

 りゃ、略奪者!?

 物騒な言葉にエノシラは双方を二度見する。

 

「略奪者とは?」

「略奪したであろう! 砂の民から、大切な後継者であるハトゥン若様を! 総領家の血脈を継ぐべき貴人を、お前のような矮小部族の馬の骨が、身の程も弁(わきま)えずにたぶらかし!」

 

 モエギの表情が、怒りを通り越して無になった。

 エノシラはもう新常識もクソもない、訳の分からない理屈に、脇でオロオロするばかり。

 

「だから、わらわが呼ばれたのだ。総領家に、正統かつ純血なる後継者を産ましめる役割を仰せつかった名誉ある花嫁として。お前などと言葉を交わすと汚れてしまうわ!」

 

 頭に響くキンキン声で結構衝撃的な内容を捲し立て、キノコ娘は後退りして闇に走り去った。

 

 

 窓辺に残された女性二人、同時にそろりと振り返る。

 ベッドの下から這い出した『若様』が、太い眉を思いっきり八の字にし、覚悟を決めた風体でドッカと胡座をかいた。

 

「説明してもらおうか・・」

 エノシラの横で、砂漠の女性が発するとは思えない氷点下の声。

 

 

 ***

 

 

「俺だって寝耳に水だったんだ」

 

 いつもは斜に構えたハトゥンが、雨に濡れた犬のように肩をすぼめて釈明を始めた。

「ついでに言うと親父も同じだ。そもそもは俺が生まれたばかりの頃の大昔の話だ。里外れの田舎に親父の竹馬の友が居て、酒盛りの酔った勢いで、お前の娘ならばうちの息子の嫁に欲しいぞ的な事を口走ったらしい。本人はあまり覚えていないのだが」

 

 エノシラはその位なら理解出来た。酔っぱらいのお父さん同士には珍しくない会話だ。

 

「ところがその竹馬の友殿、思いっきり本気にしていた。娘が生まれた時は十何年も後(のち)の事だったのに、しっかり覚えていて、生まれたら即座に清宮(せいみや)に預けちまった。だけれど周囲にそれを知らせないまま、急逝(きゅうせい)しちまったんだよなぁ」

 

「清宮?」

「まだそんな制度が生きていたのか」

 モエギが、首を傾げるエノシラに解説をしてくれた。

「砂の民のちょっと良い家では、女の子が産まれたらすぐに修道院の奥にある清宮って施設に預ける習慣があったんだ。高い塀の中で大切に囲って純潔なる乙女として育て上げる……ぶっちゃけ花嫁に箔を付ける為の育成機関だな。清宮ブランドの女の子は結納金の桁が上がる、修道院は寄付金をたんまり頂けてホクホク……まぁそんなシステムだ」

 

「はあ……」

 さっきの女の子が修道院出身? 清宮ってどんな教育をする所なのだろう。

 

「だがその習慣は大分前に廃れ、今は女性の駆け込み寺的な場所になったと聞いている。まさか奥の奥を総領殿が把握していなかったとは有り得ない。そうだよな、『若様』」

 

「勘弁してくれ……」

 ハトゥンは苦い顔で項垂れた。

 

「まったく、ルウシェルが出掛けていて良かったぞ。幾ら何でもあんな言葉は聞かせられない」

「すまん……」

「私はいいんだ。西風の老人にもああいうのは居るから、お互い様だ。いつも波風立てぬよう忍んで訪ねてくれるのは、申し訳なく思っている」

 

「あ、あの、私は食事の支度に行って来ます」

 聞いていてはいけない気がして、エノシラは立とうとした。

 その膝をモエギが押さえる。

 

「ああ――・・エノシラ。シドは私の家族で、その妻になるエノシラも家族だと思っていたいのだが……いいか?」

「えっ、はい、勿論です」

「ではここに居てくれ」

「……はい……」

 

 ハトゥンは少し眉を動かしただけで特に何も言わない。エノシラはおずおずと座り直した。

 

 モエギはゆっくりと、エノシラに、この地の事から説明を始めた。

 

 元々砂漠地方全体で、女の子の出生率はやや低かった。それが、各部族がいまだに入り口を隠して閉ざしている起因でもある。

 女性が少ないくらいで? と思われそうだが、ヒトの往き来が隣近所程度な社会では、只事ではない。どんなに強い種族だって、子を宿し産み出す存在がいなくなれば絶えてしまう。

 

 砂の民はその中でもとりわけ女の子の出生率が低かった。

 案の定何百年か前までは、女性を巡った争いの火種を周辺部族に撒き散らしていた。

 一対一の決闘など、まだ穏やかな部類。

 

「その辺りが決闘の発祥ですか」

 エノシラは思わず恨みがましい一声を上げた。

 

「まぁまぁ、エノシラ。決闘は元々この地全体に太古から存在していた。昔はもっと物騒な代物だったのを、ヒト死にが出ぬように掟を作って恨みの怨鎖を防いだのが、何百年か前の砂の民の総領殿だ。それから『一妻多夫制度』。これもその時に始まったんだっけ?」

 

 モエギの投げた続きをハトゥンが受けた。

 

「一人の妻が一兄弟単位の夫に嫁ぐ制度な。それは親父の先々代。似たような形は以前から存在したらしいが、女の子の出生率が右肩下がりだったんで、きちんと制度化する必要があった。

定着させるのに清宮がかなりな貢献をしたらしい。その辺りが落ち着くと秩序が生まれ、それからやっと、教育やら産業やらにに力を入れられるようになったって話だ」

 

「いっさい、たふ……」

 口に出してみたが、エノシラにはピンと来なかった。草原には一夫多妻の種族は居たが、それは一族の子孫を多く残すという、生物としての答えある形だ。

 

「あの、その複数の夫になる方達の目的って?」

「あ? 妻を持っていたいからだろうが。男は妻を持ってやっと一人前の社会的地位を得られる。その制度なら、花嫁の頭数が少なくとも容易に妻帯者になれる」

「…………」

 

 ハトゥンのぶっきらぼうな答えに、エノシラは口をつぐんだ。

 それって、たった独りで、妻としての奉仕を人数分要求される、って事なのだろうか……

 一人のお姫様を沢山の王子様が守る図なんて想像できる程、エノシラは乙女ではなかった。

 

 生家には人数分の結納金、婚家には妻帯者というステイタス、では高い塀の中で育てられる女の子達のゴールは?  ……………… 多分、自分と同じ役割を背負う、女の子を産む事だ…………

 

「それも今は廃れた制度だぞ、エノシラ」

 どょんと沈み込む娘に、モエギが掬い上げるように言ってくれた。

「ナーガが駐在者として訪れた時代に、砂の民の総領殿の所に出向いて、その制度を否定した」

「ナーガ様が……」

 ナーガは今の蒼の里の長だが、長になる前の青年時代に西風に出向し、修練所設立など様々な事に貢献していた。エノシラも薄っすら聞いた事がある

 

「女の子が産まれなくなって行くのは、一妻多夫が元凶なのだと。部族内が近親者で溢れ返って、血が煮詰まり過ぎたのが原因だったんだ。何せその時には、女の子は十人に一人産まれるか産まれないかまでに減っていた」

 

「外から言われなきゃ分からんもんだな。ありゃ目ウロコだった」

 ハトゥンが視線を逸らせたまま、鼻の下をボリボリ掻いた。

 

「今は西風と婚姻に限定した交流を開いて、産まれる男女の比率は同じ位になっている。一夫一妻が主流だ」

 

 そこまで聞いて、エノシラはやっと肩を下ろした。

 その土地にはその土地の歴史がある。色んな価値観があって、暗中模索して来た歴史。

 きちんと知って置かなければ。ここの一員になるのだから。

 

「だからな、エノシラ。外の常識を持っているお前に聞いてみたいんだ。あの娘をどう思う?」

 

 エノシラは顔を上げた。

 閉ざされた清宮で、こうあるべきだと刷り込まれ、表の世界から置き去りにされた女の子。総領息子の花嫁になれる事だけを胸に抱いて……

 

「ハトゥンはどうすべきだと思う? そして私は、どんな心持ちでいればよいのだろう?」

 

 目を丸くして妻を凝視するハトゥン。

 エノシラは少しの時間考え込んでから、しっかりと二人に向き直った。

 

 

 

 

 

 

 




* 青年時代のナーガ(幼名・ナナ)
  ここでは偉業を成した事ばかり語られていますが、モエギを巡ってハトゥンに
  決闘を挑み一発でのされる、なんて事もやらかしています
  参照:『春待つ羽色のおはなし』内 『ムーンピラー』


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。