冬虫夏草   作:西風 そら

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冬虫夏草・Ⅱ

 

 

 

 月に照らされる、修練所の丘。

 自宅の騒ぎなどつゆ知らず、独身寮前のベンチで、相変わらずソラに駄々をこねるルウシェル。

 

「部屋に行きたーい」

「駄目です」

「ケチ!」

 からの、アッカンベ。

「転ばないで下さいよ」

 までがワンセットの、いつものお約束。

 

 

 坂の下までカンテラが到達するのを見届けてから、ソラは玄関を入って部屋に戻った。

 相方のシドはまだ帰っていない。

 ここの所、新居建築現場で頑張る他、期末を迎える教官の仕事も忙しいらしい。

 しっかりやり遂げなければ妻を迎える資格などないと気を張る気持ちは分かるのだが、何となく、頑張り所を間違えているんじゃないか? という気がしないでもない。

 まぁ、言い出したら聞かない奴だからな……

 

「おや」

 扉を開けると訪問者が居た。

 開け放たれた窓辺に積み上げていた書物が散乱し、ベッドにぐったりと倒れ込む漆黒の男性。

 

「わりぃ、ちょっと休憩させてくれ」

 

「また何かやらかしたんですか? 早目に謝っておいた方がいいですよ」

 

「何で常に俺が悪い前提なんだよ」

 ハトゥンはうつ伏せだった身体をゴロリと回して、全身で溜め息を吐いた。

「女は所詮、女の味方だった」

 

「??」

 

 

   ***

 

 

 坂を一気に駆け降りたルウシェルは、集落の入り口で足を止めた。

 そこの民家の軒先に吊るされた干し野菜に、暗がりから手を伸ばす者がいるのだ。

(盗人?)

 ルウはそっと近寄って、後ろから盗人の手首を捕まえた。

 

「ひっ!」

 振り向いたのは、意外や同年代の、レモン色の瞳の女の子。

 しかし背はルウより大分小さく、木箱とタライを重ねて踏み台にしていた。

 

 ガラガラグァン と賑やかな音が響き、窓が開いて女将さんが顔を出した。

「あれ、あんたかい」

 

 地べたにはひっくり返ったタライと、尻餅を付いた長娘。

「すまない、ボケッと歩いていて、つまづいてしまった」

 

「いつも健気だね、どうだい、チュウぐらいはして貰ったかい?」

 ソラの堅物具合を知っている女将さんは、ここを通るルウシェルを度々からかっていた。

 

「清く明るくガラス張りですから!」

 ルウが口を尖らせて、女将さんは笑いながら窓を閉じた。

 

 

「もういいぞ」

 

 大きなタライの下から、キノコ頭が這い出して来た。

「来い」

 女の子の手を引いて、ルウは来た道を戻る。

 

「なぁ、チュウって何だ?」

「チュ、チュウって……接吻の事だ」

「へえ、そういう言い方もあるのか、面白い響きだな、気に入ったぞ、チュウ、チュウ」

「…………」

 

 人家のない坂の下まで来てから、ルウは懐から紙包みを取り出して女の子に渡した。

 今しがたソラに貰った、出張土産の豆菓子。

 袋を開けるとフワリと甘い香りがし、女の子は唾を飲み込んだ。

 

「一個残して置いてな」

「…………」

「腹が減っているんだろ、食え」

「あんたのチュウもしてくれない彼氏に貰った物か?」

「そんな事言うんなら返せ!」

「嫌だ! いっぺん貰った物だ!」

 

 

   ***

 

 

「それで、逃げ回っているんですか?」

 書物の山の中から蒲萄酒の瓶を引き抜いてナイフで開封しながら、ソラは細い眉を八の字にした。

「申し訳ありませんが、僕もエノシラと同じ意見ですよ。逃げ回っていないで、一度きちんと話し合ってみるべきじゃないですか?」

 

 杯に蒲萄酒を注がれながら、ハトゥンは近年稀に見る情けない顔をする。

「お前は、アレの襲撃を受けた事がないから、そんな喉(のど)かな事が言えるんだ」

 

 

   ***

 

 

「そんなにいっぺんに頬張るからだ」

 ルウは水場から汲んで来た水のコップを、キノコ娘に差し出した。

 菓子を喉に詰まらせて目を白黒させていた娘は、慌てて水にむしゃぶりついた。

 

「はあ、ゲホホ……」

「大丈夫か?」

「返せとか言うから……」

「本気な訳ないだろ。あ――あ、一個も残してくれなかった」

 

 袋を逆さにしてガッカリするルウに、女の子はケロリと舌嘗めずりをした。

「こんな甘い物、初めて食べた」

「そいつは良かったな」

「食べたかったか?」

「まぁな」

「チュウもしてくれない彼氏のくれた物だからか?」

「今度それを言ったら殴るぞ」

 

「わらわのダンナ様もチュウしてくれないぞ」

「??」

「それはわらわを箱の中のガラス細工のように大切にしてくれているからだ。お前の彼氏もきっとそうなんだよ」

 

 ……もしかして、慰めてくれているつもりなのか?

 

「ぉ、ぉお……私もそう思っていたい……だけど」

「違うのか?」

「まったくずっと、何もしてくれないんだ。一番最初に手を握ってくれただけで、それ以降は間にカンテラを置いて、指先にさえも触れてくれない。さすがに不安になるだろ」

 

「指先にさえも触れてくれない間、お前は何をしていた? 努力をしたか?」

「えっ!?」

 ルウは耳まで真っ赤になった。

「し、してるさ。部屋に入れてくれって頼んでみたり」

 いや何で初対面の女の子にこんな事を話しているんだ?

 

「その程度は努力と言わない!」

 女の子はきっぱと言って、残りの水をグィと飲み干した。そして、口端から流れる滴を手の甲でキュッと拭う。

「部屋に入れて貰うのではなく、予め忍んで待ち伏せていれば良かろう。準備万端整えてな」

 

「じ、準備万端って……?」

 ルウはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 

   ***

 

 

「はぁ…… 寝所で油断しまくっていた所に、いきなりベッドの足元から…… はぁ……」

 ソラはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「親父も使用人も抱き込み済みで、戸口をガッチリ固められていた。退路を経たれた上に妖しい煙を焚かれ、いきなりタランチュラみたいに絡み付かれてみろ。恐怖しかねぇぞ。あれで良いと思ってんなら、どいつもこいつもオンブバッタ以下だ」

「…………」

 

「必死で正気を保って、シーツにくるんで縛り上げて、換気口から逃げ出して来たんだ」

「それは……御愁傷様です」

「話し合いもクソもあるか、あっちは執念の塊なんだ」

 

 ソラは蒲萄酒をチビチビやっていた手を止めて、ハトゥンをジッと見た。

「相手がそこまでやるんなら、腹を括ったらどうです?」

「お、おぃおぃ……」

「総領殿が自分の所に跡継ぎが欲しいと思うのは当然じゃないですか。そのお嬢さんも乗り気なんでしょう?」

 

「俺を種馬扱いするのかよ!」

「実際そうじゃないですか。総領家の一人息子だからそれなりの恩恵を受けて生きて来たのでしょう? だったら果たさなきゃならない役割も当然あると思います」

「お前な!」

 

 胸ぐらを掴もうとした手をすぐに下ろして、ハトゥンは項垂れた。

「お前、冷たい奴だと思ってたら、本当に冷たいな」

「客観的に判断しようとしているだけです」

 

「違うだろ、うちの親父方の縁故の派閥に実権が移ったら、西風としては困るからだろうが」

「それは・・ …………ええまぁ、その通りです……」

「分かってるよ、その点では利害は一緒だ。あいつら、西風を見下していやがるからな。隙あらば養分にして蹂躙する事しか考えていねぇ。心配するな、連中に何かやらせるようなヘマはしねぇ」

 

 そう、だからこのヒトは、砂の民の中央を離れられず、ごくたまにしか妻子に会いに来られない。

 ソラは相変わらず蒲萄酒をチビチビやり、ハトゥンは手酌の杯をあおる。

 

「まぁ客観的にズケズケ物を言ってくれるのはお前だけだ。女は感情に走るし、シドはガキだし」

「…………」

「そろそろ行くわ、蒲萄酒ごっそさん」

「あの」

 

 窓枠に足を掛けて出て行こうとするハトゥンに、ソラは声を掛けた。

「モエギ様は……あの方は、大地の母のような方です。貴方の跡取りが誰の腹から産まれようと、大切に尊重されると思います。だから……」

 

「お前、ホンットに分かってないな」

 書物の山を崩して、ハトゥンは乱暴に出て行った。

 

 

「ふぅ……」

 ソラは溜め息吐いて、ハトゥンの駆け去った夜闇に目を凝らす。

 総領殿の悩み所も分かるのだ。

 

 モエギ長は、ルウシェルを身籠った時、極度に身体を傷め、出産の時は命の危機にまで陥った。

 身体がまだ子供を育めるまでに成っていなかったのだ。風の妖精の成長の仕方はまちまちで、他所の種族からは分かりにくい。

 

 ハトゥンは表に出さなかったが、多分無茶苦茶に自分を責めていた。それから、病気をしやすくなったモエギとの間にもう子供をもうけようとはしなかった。

 ソラがハトゥンには敵わないと思ってしまう理由の一つだ。

 

 砂の民の総領殿はモエギ長の事を気に入ってはいるが、それとこれとは分けている。

 他の女性との間でいいからとっとと跡取りをもうけてくれ、総領家の直系の血筋を安泰な物にしてくれ……そう思うのは、至極全うな考えだ。

 ルウシェルを何年か面倒見ていた時も、状況次第ではそのまま引き取るつもりでいたのだろう。

 

 世継ぎが必要な者が、第二第三夫人を持つのはままある事だ。モエギ長だって多分責めない。

 それをあそこまで拒絶するのは…………

 

「はぁ……」

 ソラはもう一度溜め息を吐いた。

 あのヒトは朴訥なのだ。モエギ様に対してただただ少年のように、健気で一途なだけなのだ。

 それも、何ともあのヒトには敵わないと思わせられる理由の一つだった。

 

 

 ***

 

 

「ふ……ふうん……」

 生々しい表現で色々説明されて、ルウシェルは目を白黒させる。

「す、凄いな、そこまでやって努力って言うのか」

 

「努力の入り口だ。その他にダンナ様の父上にも気に入られ、召し使いも味方に着けて置くなどの、細々とした努力も必要だ」

「お、おぉぅ……」

「わらわの目指す所は甘ったるい恋人ではない。一族に嫁ぎ繁栄をもたらす、価値あるお嫁様なのだ。清宮(せいみや)の主様にそう教わった」

 

「清宮……」

 砂の民の総領屋敷で数年を過ごしたルウシェルも、その意味を知っていた。

 

「一昨日そこから出て来た」

「おととい? それじゃお前、ダンナ様と会ったばかりじゃないか。その、それで、いきなり、えっと……努力って奴……出来るのか?」

 

 女の子は、何を馬鹿言ってる? という顔をした。

「ダンナ様はダンナ様だ。好き以外の何があるというのだ。それに、初対面という訳でもない」

「あ、面会とか来てくれたんだ?」

「いや、清宮は全くの男子禁制だ。だから主様にダンナ様の絵姿を貰った。それをベッドの枕元に貼って、朝晩挨拶をしていたんだ」

「絵姿……」

 

「もちろん返事なんかしてくれないけれど。ダンナ様はどんな声なのかなとか、どう笑うのかなとか、想像するのは楽しかった。だから清宮から呼び出されて、本物のダンナ様にお会い出来た時は、天にも昇る気持ちだった」

 

 女の子はうっとりとした表情になる。

 恋する少女の表情。しかしそれは相手との間に育まれた物ではない。

 

 清宮に預けられた女の子は、立派な花嫁となるべく教育を与えられる。でもそれ以外……例えば夫になるヒトにも一人一人違う心がある事とかは、多分誰も教えてくれない。

 

「そっか……」

 ルウシェルは、小さな爪に似合わない赤い爪をそっと見た。

 

「なあ、そういう事、ダンナ様と話した? 毎日絵姿に挨拶していたとか」

「いや……まだ、ダンナ様とはゆっくり話す機会を持っていない」

「じゃあさ、そういう事、話してみたら? そしたらダンナ様もお前の事、ガラス細工みたいに大事にするだけじゃなくて、別の感情も湧くんじゃないかなあ」

 

「……そうか? 別の感情……湧くかなぁ」

 今まで自信満々だった女の子が、初めて不安な表情をした。

 

「お前だって、やっとダンナ様の本物の声が聞けたんだし、これからもっと話して、もっと好きになって行けたらいいじゃないか」

 

「うん、ああ、そうだな」

 

 

 坂下から見える人家の灯りが消え出した。

 そろそろ帰らないと母やエノシラに心配を掛ける。

「お前、こんな時間から砂の民の集落へ帰れるか? 何だったら送って行くか?」

 

「大丈夫だ。ダンナ様と一緒に帰る」

「そうか」

 西風の里にも、砂の民との混血の者や、親族になっている者が住んでいる。ダンナ様が何かの用事で来訪するのに付いて来て、待ちくたびれてつい野菜に手を伸ばしたのだろう。

 

「私はルウシェル、お前は?」

「わらわは……」

「あ、砂の民は滅多な事で名乗らないんだっけ、ごめんごめん」

「いや、いい……お前には重ね重ね世話になった」

 女の子は顔を上げて、レモン色の瞳を向けた。

 

「カーリだ。砂の民のカーリ」

 

「うほ! 素敵だ!」

 カーリというのは、殺戮(さつりく)の黒女神だ。

 砂の民は、女の子に悪い魔が付かぬよう、わざと恐ろしい名を名乗らせる。真名(まな)は親しか知らずに、そっと隠してある。

 ちなみにハトゥンが付けた『ルウシェル』は、『地上に落っこちた悪魔』だ。

 

「じゃあな、カーリ」

「ではな、ルウシェル」

 二人は手を振って夜闇に別れた。

 

 ルウはカンテラを持ち直して、修練所への坂を登る。

 早く帰るべきだが、どうしても一つだけ、今日中にやって起きたい事があった。

 

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:豆菓子 
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挿し絵:葡萄酒 
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