砂の民の部族はこの地で一番勢力が大きく、人口も西風の数十倍だ。頂点に立つ総領屋敷は何重にも塀のある、ちょっとした城塞となっている。
今その一番大きな正門に、西風の青銀の髪の外交官が訪れる。
「総領様に目通り願えるか? 約束は無いのですが」
閻魔様のような髭を湛えた総領は、城塞の奥の私室で外交官を出迎えた。眉間のシワを更に深くして、いつにも増して苦い顔だ。
「西風のソラよ。訪問の用件は察しが付いている。しかしこちらはそなたらの大切な長を蔑(ないがし)ろにしているつもりはない。むしろモエギ殿の息災を願って……」
「は?」
正装したソラは外交官然とした態度で、総領殿の前に片膝を付いたまま顔を上げた。
「どの、お話しでしょう?」
「いや、いい……」
総領は口一杯の苦虫を噛み締めた顔をして、外交官に椅子を勧めた。
相変わらずの青狸め……
「本日は、遅れ馳せながらご挨拶に伺いました」
ソラは勧められた椅子に座らず、片膝を付いたまま深々と頭を下げた。
「お孫様のルウシェル様と、夫婦(めおと)を前提に交際をさせて頂いております」
総領は忌々しそうに喉を鳴らした。
「本当に遅れ馳せながらだな。そなたが孫娘の婚礼をぶち壊したのは、既に衆目の知だぞ」
「恐れ入れます。しかしながら私がやらなければ父君のハトゥン様がやらかしていたでしょう。もっと派手なやり口で」
「確かに、な・・」
総領は諦めたように大きな息を吐いた。
ああ言えばこう言う……
「私は、総領様」
ソラは片膝付いたまま、真っ直ぐに閻魔様のギョロ目を見た。
「ルウシェル様が『砂の民のルウシェル』でもある事を、常に忘れてはおりません。例えば将来、私とルウシェル様の間に子を授からば、その子は砂の民の子供でもあるのです」
「ふん」
総領はやや眦(まなじり)を緩めたが、渋さの残る顔で言った。
「だから跡継ぎの心配はない。ハトゥンに第二夫人を無理強いせずともよい……という論法か?」
「まさかまさか、そこは私に口出し出来る範疇ではございません」
目を丸くして外交官はシレッと言った。
「では西風のソラよ。ルウシェルが母のように懐妊に向かぬ身体となったらどうする? やはり子を成すのをためらうだろう」
「はい、ルウシェル様が大事ですから」
ソラはまたもやシレッと言い切った。
「しかし状況は日々改善しております。西風に、蒼の里より優秀な助産師が来てくれました。医療の心得も厚い優秀な、全ての女性に心強い存在です」
「あの三つ編みの小娘か?」
ここでソラは初めて表情を変えた。
隠しカードを先に知られていたか……
「ご存じでしたか」
「そなたより半刻程早く訪ねて来たわぃ。ハトゥンの婚約者に会わせろと」
「…………」
「中庭におるぞ。カーリもさして嫌がらず、話に応じておるようだ」
「…………」
「そなたにも想定外であったか?」
「……はい……」
総領は初めて頬を緩めてガハハと笑った。
中庭の巨大な水盆に金魚が游ぎ、その縁に二人の女性が腰掛けている。
「あら、ソラさん」
「驚いたな、エノシラ。一人で来たの?」
「シドさんが仕事前に送ってくれました。一人でも行けるって言ったんだけれど」
エノシラの後ろで、レモン色の瞳を怪訝そうに向ける娘がいる。
「ルウが、殿方の扱いについて、とても為になるアドバイスを頂いたって言っていたので、あたしも恋の悩みの相談に乗って貰いに来たんです」
「それはそれは」
ソラはチョコレット色のキノコ娘をサラリと見た。思ったより幼げな面差しに、ハトゥンの語った修羅場が全然噛み合わない。
「シドは君を悩ませっぱなしだからな。しっかり相談に乗って貰うといい」
「あら、ソラさんもヒトの事を言えませんよ。ルウもかなりな悩める乙女だったようですからね。ねぇ、カーリ」
ここでキノコ娘は、レモン色の瞳をカッと見開いた。
「お前かぁ! チュウもしてくれない彼氏というのは!」
「えっ、えっ?」
ソラは泡喰って飛び退き、エノシラは両頬を膨らませて吹き出すのを堪えている。
「チュウぐらいしてやれ! 減るモンじゃなし!」
***
石造りの城塞の二階の私室から総領は、中庭の三人をじっと見る。
カーリに、先日呼び寄せたばかりの思い詰めた表情は無い。
「不思議な連中だわい」
エノシラを送って来た巻き毛の若者は、会うなり、「あんな危なっかしい
エノシラが持参したモエギ長の手紙には、『あの娘に良くしてやって欲しい』とだけあった。
申し合わせるでもなく、思い思いに動いて、これだ。
まったくあの里の者達には、まったくもって敵わない。
カーリ……漆黒の女神。
亡き友の大切な遺児(かたみ)。
正確には、自分の友ではない。
亡き妻……ハトゥンの母の親友だったのだ。カーリの母親が。
修道院から寝耳に水の連絡が来て、慌てて迎えに行った清宮で、主殿に見せられた古い書簡。
『この娘は我が息子ハトゥンの花嫁に』
総領の刻印の元、流麗な文字は、まごう事なき妻の筆跡だった。
妻の親友……レモン色の瞳のか細い乙女は、清宮で赤ん坊の時から妻と共に育った。
生まれた実家にはかなりな格差があり、成人して清宮を出ると、妻は単身で妻を娶れる高位の総領家に嫁ぎ、親友は市中の十人兄弟の元へ嫁いだ。
嫁ぎ先でどういう扱いになるか。それは千差万別で一概には言えない。
ただ、しばらくして精神を少し病んだという話は、妻以外の他所から聞いた。
女達の間でどのような逡巡があったかは、今となっては知りようが無い。
ただ妻は親友の心を少しでも救おうと、思案の末、約束をしたのだろう。
『貴女に娘が出来たなら、私の息子に嫁がせましょう。貴女の娘には幸せな将来を約束します。けして貴女と同じ道には乗せません』……と。
世界の狭い女性には、それ位しか出来る事が無い。一筆書いて持たせたのは気休めだったのかもしれない。
でもそれは、漆黒の闇に住んだ彼女の、生きる大きな灯火になったのだろう。
十何年か後……
ハトゥンの母は故人となっていたが、カーリの母は、生まれたばかりの娘を抱いて砂漠を渡り、清宮の門を叩いた。
そうして昔親友がくれた書簡と共に赤子を主に託し、その後一人婚家に戻り、誰にも何も告げず、ひっそり黙して逝ってしまったのだという。
赤子が成人の歳になって、初めて総領家へ清宮の主から連絡があった。
花嫁を育成する制度は過去の物となっていたが、瀕死の母親の望みを受けて、そのように育てていたのだと。
全く……知らなかった。
妻にとっては自分も、冷たい、話の出来ない、わからず屋の男どもの一人だったのだ…………
窓下の、カーリのナキネズミみたいな声で我に返った。
また何か新鮮な驚きに出会ったのだろう。
長き土中生活の末、飛び立つ事も出来なかった母親。
その母の願いを糧にこの世へ来た、澄んだレモン色の瞳の娘。
馬鹿息子とどうなろうと、この先自分のかけがえなき娘となる事に変わりはない。
~冬虫夏草・了~