冬虫夏草   作:西風 そら

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蜃気楼の向こう側・Ⅱ

 

 

 

「シド――!! 起きろ! シドオォ――!!」

 

 外からルウシェルの叫び声。

 寮の窓から顔を出したのはソラだった。

 

「どうしたんです、シドはまだ寝ていますが」

 

「叩き起こして!」

 

 室内でゴタゴタと聞こえた後、凄い寝癖のシドが顔を出した。

 

「何なんですかぁ、夕べ遅くまで現場だったんですよぉ」

 

「そこへエノシラは来たか?」

 

「え、来る訳ないですよ、現場の方へは来ないように言ってあるんだから」

 口を一直線に結ぶルウシェルに、さすがのシドもホンの少し表情を変えた。

 

「エノシラがいない」

 

 ルウが起こしに行った寝室はもぬけのからで、借りていた上衣や毛布も綺麗に洗って干されていた。

 診療室も同様。

 薬と診断書は付箋付きでまとめられていた。

 よもやと思って厩(うまや)に行ってみると草の馬がいない。

 

「まさか、置き手紙とかは、無かったんですか」

 

 ルウは首を横に振る。

 手紙って混乱している時には書けない。

 正確に伝えられる自信がなくて、結局投げ出してしまうからだ。

 

 

 

 

 

 厩から里の中央へ続く道。

 トボトボと歩くルウシェルに、道端の樹上から声が掛かった。

 

「お前は一緒に行かなかったのか」

 

「父者(ててじゃ)……」

 

 木陰から目だけ光らせるハトゥンに、娘は泣きそうな顔を向けた。

「シドが一人で全力で飛んだ方が早いから。エノシラはゆっくりしか飛べないし、すぐに追い付けるとは思う。だけれど……」

 

「お前もとうとう奴に愛想が尽きたか」

 

「……うん」

 

 今すぐ追い掛けようとせっつくと、シドは、今日の仕事があるとかグダグダ言い出した。

 ソラが、代講してあげるからと助け船を出して、やっと腰を上げたのだ。

 厩へ歩く道々だって、仕事に支障をきたしたとか、一生懸命新居を建てているのにとか、そんな事しか喋らない。

 

「父者、私はエノシラが大好きだ。西風に来てくれて、嬉しくて天にも昇る気持ちだった。だけれど嫁ぐというのはそんなに単純な物ではないのか? 私も手放しで浮かれていないで、もっと色々気を配るべきだったのだろうか」

 

「まぁそれもそうだが、シドのボンクラは昨日今日始まった事じゃないしな。だが、放っておいている間に、あいつが思う何倍にも、ヤバい事になっているんだが」

 

 ハトゥンは飛び降りて、繁みの一画で何かを引っ張る仕種をした。と、いきなりそこに漆黒の愛馬が現れる。

 

「父者?」

 

「砂漠の飛び蜥蜴のなめし皮だ。そこそこのステルス機能がある。奴らの賭場の戦利品」

 

 父の手の中で、薄い皮が見えたり見えなかったりしながらチラチラ揺れている。

 彼が、西風の里人に見付からずに里の中心のモエギ宅に出入り出来ていた理由が、分かった。

 

「行くぞ我が娘よ」

 

 漆黒の馬に二人乗りで、ハトゥンとルウシェルは西風を飛び出した。

 砂の民の馬は砂塵を巻いて竜巻のように突き進む。

 

「さっき建築現場で得た情報じゃ、奴さん、夕べ近所の爺さんと酒盛りをやっていたらしい。その会話をお嬢ちゃんに聞かれたんだろう。酔って何を宣っていたかは大体想像が付くな」

 

「はぁ、何やってんだ、シド…… 父者、私、修復に力を貸す気が一気に失せてしまったのだが」

 

「誰が修復に協力すると言った? シドのアホタレがボロクズみたいに捨てられる様を、特等席で見物に行くんだろが」

 

「…………」

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 まだはっきりしない頭のまま、シドは悶々と馬を飛ばしていた。

 

 エノシラは夕べ建築現場の方へ来たのだろうか。約束破りじゃないか。

 そりゃ、昨日はたまたまやって来た酔っぱらい爺さんと酒盛りになった。

 でもいつもいつもやっている訳じゃない。そう思われたとしたら心外だ。

 そもそもそれくらいで気分を損ねて家出とか、皆にどんなに迷惑を掛けるか分からないのか。こんなに子供っぽい女性(ヒト)だとは思わなかった。

 

 黄色い砂の原にポツンと緑の草の馬が見えた。

 三つ編みの後ろ姿が、馬を降りて砂の原に突っ立っている。

 その正面の地平の空に、何処かの街の蜃気楼が薄紫に広がっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 西風の中央、モエギ長宅。

 玄関の反対側に、裏口を利用した診療所入り口があり、そちらの植え込みに屈み込む者がいる。

 

「ソラか、そんな所で何をしている?」

 ケープを羽織ったモエギ長が窓から顔を覗かせた。

 

「ああ、すみません。少しお邪魔させて下さい」

 青銀の青年は、両手を地面に当てたまま言った。

 

「それは構わないが…… それ、もしかして、『地の記憶を読む術』って奴か? 蒼の大長殿直伝の」

 

「はい、一昨日シドのどういう言葉がエノシラを曇らせたのか、ちょっと知って置こうと思いまして」

 

「凄い術力の無駄使いだな」

 モエギは肩を竦めて外へ出て、壁に背をもたせ掛けた。

 

「モエギ様は落ち着いておられますね」

「若くて健康なら何も心配いらない。これからどうとでもなれる」

「……そうですね」

 

 ソラが言うには……

 朝、修練所に行って、代講の旨を伝えたら、スオウ教官が一拍置いて真っ青になった。

 エノシラが夕べ建築現場の方へ来たかもしれないと聞いて、狼狽しながら、酒盛りしていた事を告白してくれた。

 近所の爺さん中心とはいえ、女性に聞かせたら鉄平鍋で張り倒されそうな台詞をバカスカ叫んで、盛り上がっていたらしい。

 

「でもねぇ、そういう酔っぱらいの戯言にいちいち怒る程、彼女、幼くもないと思うんですよ」

 そう言ってソラは、更に指に力を込めて集中し始めた。

 

 切っ掛けは一昨日の、ここでのシドとの会話だろう。

 しかしスオウ教官からの又聞きだけでは、ソラにもやはりピンと来なかった。

 それで講義の空き時間を縫って、ここへ直接視に来たと言う。

 

 モエギは腕組みして聞きながら、静かに見守った。

 自身も、エノシラから具体的には聞いていない。彼女は西風と蒼の里の定石の違いを気にし過ぎて、話すと自分達を困らせると思っているようなのだ。

 

 手の中の薄い光がしばらく明滅して、ソラは首を傾げながら身を起こした。

 

「視えたか?」

 

「はい…… でも僕にはやはり、何処がツボだったのか分からなくて」

 

「そうか、ならしようがないな」

 

「しようがなくないですよ。ルウシェル様に『女心が分かる訳ない』なんて言われて、地味に傷付いているんですよ、これでも」

 

 モエギは腕組みを解いて、隣に歩いて行って屈んだ。

「視ながら、私に教えられるか?」

 

「はい」

 

「よし、もう一度視てくれ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 黄色い風紋の砂の上。

 

 おさげ娘は靴を両手に持って、裸足で焼けた砂を歩いていた。

 シドはその十歩後ろに降り立つ。

 

「エノシラ」

 責めようか、叱ろうか、その前に理由を聞けばいいのか? それは甘過ぎないか? 最初の言葉に迷っている間に、相手が先に口を開いた。

 

「シドさん、あれ、何ですか?」

 

 振り向きもしない彼女が見上げるのは、地平に広がる蜃気楼。

 

「何をやっているの? 里の皆に心配掛けて。モエギ様の身体に心労がよくない事くらい分かっているだろう?」

 

 シドは苛つきながら大股で近寄った。

 おさげの後ろ頭は返事をしないで、ゆらゆらと歩いている。

 

「僕だって仕事を」

 

 ――!!?

 言葉が止まった。

 肩を掴んで振り向かせた顔は、溶けてしまったかと思うほどグシャグシャだった。

 泣いたら済むと思ってるだろズルい、なんて言葉も捩じ伏せる程の、原型を留めず腫れ上がった目と鼻、あらゆる水分でドロドロの顔面。どんだけ泣いたらこうなるんだ。

 

「……こんな些細な事にも答えてくれないんですか」

 棒読みの鼻声。

 

「ぇぇ?」

 

「だからあれ何ですか」

 

「し、蜃気楼だ。砂漠の精霊が見せる幻」

 

「マボロシ……」

 

 女性は更にフラフラと歩き出そうとする。

 シドは両肩をガッシリ掴んで引き戻した。

 

「どうでもいいだろ、そんな事っ。何が不満なのっ。診療所も建ててあげるし、助産師でも医療師でも好きにやらせてあげる、薬草学の講師もやっていいって言っただろ。

 ワガママはいい加減にして、里へ帰るよ! 皆に迷惑掛けてんだから、とにかく帰って謝るよ!」

 

 おさげの後ろ頭がヒタリと止まった。

 

「謝る、そう、謝らなきゃ、帰って」

 

「だろ、早く。僕だって今帰れば」

 シドの頭の中は、今帰れば午後の仕事に間に合うという算段で一杯になった。

 

「帰って謝る……蒼の里へ……」

 

「そう、だから早・・え???」

 

「帰る帰る帰る!! 蒼の里へ帰るぅううううう!!」

 

 突然雷が落ちたようなエノシラの絶叫。

 肝が据わっていると評判のシドの馬までもが飛び上がった。

 おさげの先まで電気が通ったようにビリビリ震え、涙が滝の如く目から吹き出る。まだそんなに残っていたのか。

 

「うぇえ――んん!! びえぇぇえ――ん!! どぇ――ん!! ぶっえぇぇえ――――ん!!」

 

 さっきまでの静けさが嘘のよう。いやあれは台風の目の静けさだった。シドでない誰かなら察する事が出来たかもしれない。

 肩を掴んでいたシドは一瞬怯み、振り回す腕に弾かれて尻餅をついた。

 

 

 

「どうすんだ、あれ」

 

 離れた砂山のふもと。

 蜥蜴のなめし皮に隠れた、溜め息のハトゥンと顔を曇らせるルウシェル。

 

「エノシラは溜め込み過ぎなんだ。シドは相変わらずの地雷源でタップダンスだし。これもう、本当に駄目なのかも」

 

「これしきで駄目になるんなら、誰も所帯なんか持てんぞ」

 

 ハトゥンは隠れ蓑の下から這い出て、スタスタと二人の方へ歩き始めた。

 何だかんだ言ってもさすがに仲裁してくれるのか? と思いきや、出て来た台詞が

 

「お――い、チビッ子ナイト、決闘しようぜ!」

 

 だった。

 

 

 

 

 

 

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