お待たせしました。
本編12話です。
よろしくお願いします。
かのんが唐さんと一緒に新しい道へ進み始める決意を固めてから次の日、俺は昨日のあいつの姿が脳裏からこびり付いて離れずにいた。
原因は分かっている。ここでかのんと再会してから彼女が笑顔でいる所をまともに見たことがなかったからだ。昨日、『歌えるようになった』と嬉々として唐さんに話していた時、幼い頃の千砂都と三人で遊んでた頃の純で真っ直ぐな彼女に酷似していた。
酷似しているとは言っても、それはどちらも澁谷かのんであるから当然のことなのだが昨日の彼女は見てて思わず目をつぶってしまいそうになるほど笑顔が眩しかったのだ。
あんなに溌剌とした彼女を見ると無性に胸が痛む。それは久しぶりに見たかのんが異性として魅力的に見えたからなのか、彼女に対して今の自分は昔から何も変わっていないと錯覚してしまう程の劣等感を抱いてしまったからかは分からない。
だが、それらについて言及しても仕方のない事だった。異性として魅力的に見えても今の俺達は縁を切っているし、自分に抱いた劣等感はその場限りの感情でしかない。今の俺を形成しているのは彼女らと離れてから誕生した大好きな音楽を追い求める執着心。その結果、俺は今この場に立っているのだ。
「お二人とも、わざわざ付き合わせてしまってすみません」
「気にしないで葉月さん。一人でここにある楽器の点検をするのは流石に大変だと思うから私たちにもお手伝いさせて?」
そんな事を考えていると葉月さんが俺と日向さんに頭を下げてきた。
今、俺達は音楽室に来ている。もちろん遊ぶために来たわけではなく仕事の為に馳せ参じている。
恋さんは今後実施する音楽の授業や部活動が円滑に行われるように音楽室に置いてある楽器の点検をしてほしいと先生から頼まれていた。先生曰く、楽器数が膨大であるから一人ではなく他の生徒にも声を掛けて一緒に実施するようにと忠告を受けたみたいでそのパートナーとして俺と日向さんを指名してくれたのだ。
「にしても歴史ある学校とは言えどここまで楽器が多いとは思わなかったな……」
恋さんが俺達に声を掛けてくれたことを嬉しく思いつつ、目の前に広がる音楽室の光景に声が出なかった。
これは音楽室が汚れや埃まみれになっているからというものでは決してない。音楽室の広さ自体は中学校までのそれより少し広いと思うくらいなのだが、楽器の数が途轍もなく多いのだ。通常の音楽で使うピアノはもちろんの事、吹奏楽部が使うであろう管楽器やこれも授業で使用するのかアコースティックギターなどの弦楽器も1クラス分相当の数が揃っていた。
「音楽に力を入れている学校ですからね。ここに置いてある物だけでなく、部活動でなくても生徒が練習したいと要望した際には基本的に拒むことなく受け入れていたそうです」
「それでこの数……神宮音楽学校の時から活気に溢れてたんだね……!」
「日向さん、やけに楽しそうだな?」
恋さんから音楽室の実情について目をキラキラ輝かせながら聴いている日向さんを見て、普段の彼女らしからぬ様子に見えてついそんな質問をしてしまった。
「だって私、沢山の楽器に触れて勉強していきたいなって思ってたんだもん! ここにいる子たち以外にもまだまだ楽器はあるんでしょ? それらを今後触らせてもらえるって考えただけでも今からワクワクしてくるよ!」
日向さんは突然スイッチが入り熱弁になる。いつもより饒舌になる彼女を見て、そういえば『演奏できる楽器のレパートリーを増やしたい』と自己紹介の時に話していたことを思い出し、突然の様変わりにも納得がいった。
だが、当の本人は急に語り始めてしまった自分が恥ずかしくなったのか手をもじもじとさせ声が小さくなっていた。
「あっ……ご、ごめんね! 急にこんな事喋り始めちゃって……」
「ふっ、別に俺は日向さんの新たな一面を知れてよかったけど? まさか楽器の事を子って呼ぶとは思わなかったけど……」
「うぅ~~それは癖みたいなものだから掘り下げないで~……!」
日向さんの反応が面白くてからかう口が止まらない。からかい過ぎた結果、日向さんは顔を覆いながら蹲ってしまった。
そんな事をしていると恋さんがこちらをジトっと睨みながら苦言を呈す。
「二人とも、おしゃべりはそこまでにして下さい。時間も惜しいですから点検を始めますよ?」
「はいはーい、日向さんも行くよ?」
「も、もう……一体誰のせいなんだか……」
恋さんからお咎めを貰ってしまったが俺は過剰に反応する事もなく剽悍に受け流す。そして、当初の目的である楽器の点検を始めようと日向さんに促すが彼女はどの口が言うのか、と言わんばかりに目を潤ませながらブスッと文句を呟いた。
「私は管楽器の点検をやっておきますので、お二人で弦楽器やピアノの点検をお願いします」
「オッケー」
恋さんからの指示に二つ返事で快諾すると彼女から離れて各々の作業を始める。
「じゃあ、とりあえずこの紙に書いてある点検をしていけばいいんだよなぁ……?」
事前に恋さんから日常点検の内容を纏めた紙を貰っているので、それを元に弦楽器のチェック作業に取り掛かる。
アコースティックタイプのギターに手を掛けたところで俺はとある事を思い出した。
(あっ……、そういえばあいつが使ってたのも……)
目の前にあるギターは大人が使用するサイズのものではあるが、これの子ども用をかのんは持ち合わせていた。
遊ぶこと以外に歌うことも好きだったあいつは千砂都と三人でいる時もギターを持ち寄っては、自分は弾いて俺たち二人はそれに合わせて歌うという形で遊んだりもしていた。
ここに来ている時点で彼女の中で音楽の熱は変わらず燃え滾っていることは分かっているがギターも続けているのだろうか。
立て掛けてあるギターに触れ、指で弦を撫でる。アコースティックギター特有の優しい音色が俺の耳に静かに伝わってくる。コードと呼ばれる音階の作り方は今でも分からないが、ミスをせずに曲を奏でられるあいつは本当に凄いと心の底から思う。
感傷に浸っていると突然ピアノの演奏が聞こえてきた。ピアノの前には日向さんが腰掛けており弾き始めていたのだ。
「日向さん、何してんの?」
「ちゃんとピアノの音も問題なく出るかのチェックだよ? 一音ずつ確認するのも大事だし、音の繋がりも違和感がないか聴くのも大事でしょ?」
「あぁー……意外とそういうもん……なのか……?」
恋さんから貰った紙にはピアノ内部のハンマーが破損してないか、弦が切れてないか等の項目はあれども音に関する項目は特に書かれてない。調律は素人に出来るものではないのは百も承知なのだが、その点については日向さんは知識を有しているのだろうか。
日向さんの言葉にスッキリしない様子を見せていると日向さんは俺に構わず演奏を始めた。
曲は世間一般で歌われるアイドルソングで、ピアノ経験者である日向さんは特に詰まらせる様子もなく流暢に音楽を奏でていた。柔和な笑みを浮かべながら丁寧に一音一音紡いでいく日向さんの姿はプロのピアニストさながらの所作であり、まさに才色兼備とは彼女に相応しい賞賛の言葉だろう。
「ふぅ……とりあえずピアノは問題なさそうだね」
目、耳共に日向さんへ集中していたらいつの間にか演奏は終了していた。俺は言葉が出る前に拍手をしており、それに気づいた日向さんは恥ずかしそうに笑って頬を掻く。
「さすが経験者ってところか? つい聴き入ってたよ」
「えへへ、そう褒められるとなんだか恥ずかしいな」
「でも、実際上手なんだし謙遜する事もないと思うけど?」
「これでもブランクはあるし私なんてまだまだ大したことないよ?」
「そんなもんなのか?」
「うんうん、そういうものだよ」
彼女の技術も中々のものだと思っていたが世間ではこれよりももっと上がいると思うとどんな人物がいるのか逆に興味が湧くかもしれない。それでも彼女の技量や人柄に触れた補正はそうそう負けないと思うが。
「ひとまずピアノは大丈夫そうだな。じゃあギターの方を……」
「ねえ、折角なら湊月くんの歌も聴いてみたいな?」
「はっ?」
ピアノ鑑賞もとい点検も一区切りして別の楽器の点検に入ろうと思ったが、ふと日向さんは俺の歌をリクエストしてきた。突然の振りに俺も思わず素っ気ない返事をしてしまう。
「だって湊月くんって今はダンスが出来ないけど、この学校に入れたのってそれ以外の技能が良かったからでしょ? もしかして歌が上手だからなのかなって思って、つい気になっちゃった」
「……まあ、歌や聴音テストが良かったのはあるかもしれん」
俺自身、何が良くて受かったのかは聞かされてないため、こんな歯切れの悪い返事しか出来ない。
だが、そんな俺の返事が彼女の提案に抵抗を示してるように聞こえたからか日向さんはすぐにフォローを入れる。
「あっ、でも湊月くんが嫌ならいいよ? ただ好奇心が出ちゃっただけだから……!」
「んー……」
日向さんの言葉に俺は少し考え込む様子を見せる。
正直なところ、今日は遊びに来たわけではないので彼女の提案に乗る理由はない。しかし、先ほどの彼女のピアノ演奏を聴いておいて──俺が彼女に懇願したわけではないのだが──自分は何もしないというのは些か不公平に思えてしまう。
まあ聞かれて減るものでもないしと思い、彼女の提案に乗ることにする。
「しょうがないな。じゃあ一曲だけな?」
「えっ! ほ、本当にいいの?」
「別に聞かれたくないわけじゃないし、日向さんがピアノを披露してくれたからそのお返しも込めてってところ」
「あっ、ありがとう……!」
快く彼女の提案を引き受ける俺に日向さんは嬉しそうに笑ってお礼を述べる。まさか快諾してくれると思わなかったようで少し戸惑いを隠せない様子だった。
「でも、恋さんに見つかったらその時は二人仲良くお叱りを貰おうな?」
「ふふっ、うん! その時は私も一緒に♪」
見つかったら連帯責任。その条件に日向さんは反対の意を見せる様子もなく笑顔で返事をする。
彼女の合意も取れたことだし他に心配する事もなくなって安堵した俺は、二人だけの小さなゲリラコンサートに身を投じるのだった。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花