鈍い音が響いた。
それはまるで荷車でも思い切り壁へ激突したかのようなそんな音、充分に大きく響く音ではあるがこと戦場においてはいささか弱い音。だがしかし、その音を出した存在が問題であった。
山羊人らの王たる豪王バザー、彼のラージシールドを用いての武技〈盾突撃〉は亜人人間問わず、武器破壊の次に知れ渡っているモノだ。だが、あまりにもその激突音は不可思議極まりないもの。激突音?本来ならば暴走馬車であっても比べようもない破壊力を叩きだす一撃であり、その軌道上のモノはどんなモノであろうとも即座に轢殺し破壊するそれを正面から受けて耐えられるものは果たしているのだろうか?どのような英雄であろうとも間違いなく回避を選ぶだろうソレに耐えることが出来るとすれば、それは竜王を始めとする超常の存在という他ないだろう。
もしくは、聖王国を守るためのこの城壁か。
そんな破壊の一撃がこんな激突音を響かせるか?城壁に対し放ったのならば、まだ理解はできる。しかし、いまバザーが放った先にいたのは騎士だ。
回避など間に合う筈もなかった。ぶつかればそのまま轢殺されるか吹き飛ばされるはずだというのに、なぜ今の様な激突音が響いた。
思わず、近くで兵士と戦っていた山羊人がその視線を音の出所へと向けて、その動きが止まった。
「は?」
そんな呟きが戦場に静かに木霊した。
いったい、誰が呟いたのだろうか?山羊人の誰かだろうか、兵士の誰かだろうか、戦いを見ていたオルランドだろうか?それともパベルか?もしかすればそれはバザー本人だったかもしれない。誰がそれを呟いても何らおかしくない光景がそこにはあった。
激突しそのままオーバーランをしたわけでもなければ、その場で止まったわけでもない、激突した衝撃で僅かに後退させられたバザーと先ほどから一歩も動くことなくその場に佇む騎士の姿がそこにあった。
「な、なんだ、それは……?」
バザーの〈盾突撃〉で巻き上げられた土煙が落ち着いていき、全貌が露わとなる。
ネームレス、そう名乗った騎士はその身に纏う岩の如き鎧に微塵の土汚れも見せず、ましてや傷などどこにもありはしない。
頑丈な鎧で外見は護られようとも、衝撃で逆に中身はグチャグチャになっている筈だ、という希望的観測を思考の片隅でバザーは抱いていたが、次の瞬間には身体の動きを確かめる様に軽く首を動かし始めた騎士にバザーはすぐさまその思考を放棄し、勢いよく後方へと跳躍し距離を取る。
「……なるほど」
まるで抱き留めるように腕を広げ、文字通り受け止めた騎士、ネームレスは手首を鳴らしながら視線をバザーへとゆったりと向け、その手に握っていた斧槍を軽くその場で回していく。
その動きに、微塵も先ほどの自身の全力の一撃にダメージを感じていない、という見たくもない現実がバザーの目の前で動いている。
バザーは思わず一歩後ろに下がり、
「(違う……!今のは何か、武技か何かだ)フ、フフフ、フハハハハハハッ!!よくぞ、俺の一撃を防いだな!だが、もはや何もできまい!せめて、俺の全力の一撃を防いだことを誇って死ねッ!!」
恐怖した、そして現実を否定する様に虚勢ともとれる叫び声を上げながら、グレートソードとラージシールドを構え直す。
その姿は正しく山羊人の王らしい姿なのだろう。
だが、正面でそれを見据える騎士、ネームレスにはもはや透けて見えていた。
「虚勢、だな」
ラージシールドを前に据え、身体をその後ろに隠す様に構える。
それは自身の種族に、自身の力に、誇りを抱き多くの敵を打ち滅ぼしてきた豪王バザーがするにはあまりにもらしくない、守りを意識した構えと言えた。
他の周囲の者からすれば、そういったモノは感じないのかもしれない。だが、この戦いを俯瞰する人間がいれば、きっとバザーの無意識的な部分を感じてしまうだろう。ましてや、正面からバザーを見据えるネームレスであるならば、なおさら。
「おおぉぉ!!
見透かされている事すらバザーは無意識に無視して、その手に握るグレートソード本来の力を解放させる。正式名称:
放たれた砂嵐によって、ネームレスの視界はそのほとんどを砂一色に変えられてしまい、自身の手の届く範囲もまともに見えなくなっているが……
「かあぁぁぁぁああッ!!」
砂嵐の向こう側より、砂を掻き分けバザーの一撃が放たれる。狙いは、当然首元。
岩の鎧、それが如何に強固であろうとも鎧と鎧の間にある僅かな装甲がない部分、鎧には必ずそう言う場所が存在しておりそれは目の前の騎士であっても変わらない事実。
バザーはその部分へと当たりを着けた上で一撃を放つ。
だが、
「なっ……!?」
そう、うまくいかないのが現実である。
音すらたたず、バザーの一撃は止められた。防御されたのではない、弾かれたのではない。
首元、鎧と兜の隙間へと寸分たがわず放たれた一撃はそこにある鎖帷子一枚で容易く止められたのだ。まるで壁に棒を押し付けているだけ、うんともすんとも言わないような状態。
ありえない光景を目の当たりにし、バザーはその目を大きく見開くがそんな光景を隠す様にラージシールドを目の前の怪物へと叩きこむ。
「〈盾強打〉!」
胸部を勢いよく殴りつけたが、やはり鈍い音を響かせ思わずバザーは数歩反動で下がっていくが、ラージシールドをネームレスの空いた手が掴みバザーの後退を止める。いや、それどころか、ネームレスの掴んだ部分に亀裂が生じていく。
その事態にもう何度目かわからないが目を見開きつつもすぐさまにラージシールドを放棄するという選択をしたが、僅かに足を止められたという隙がそこにはあった。
ましてや、砂嵐で見えなくさせていたにも関わらず、その少しの時間だけでもそこにいるというのを悟られている。
「こうか?」
バザーがラージシールドを放棄した瞬間、勢いままに自分側へと引き寄せたラージシールドをまるで普通の盾かのように軽々と扱いながらも一歩前へと踏み込んだネームレスはラージシールドより手を離しそのまま裏側にある持ち手へと手を滑らせ握りしめる。
「盾強打」
「ガフッ……!?」
まるで先ほどのバザーの武技を真似るようにバザーの胸部、亀の甲羅模様のブレストプレートへと奪ったラージシールドをネームレスは叩きこむ。
自分が放つ一撃と比べてなお強打というべきそれを受け、バザーは血反吐を吐き出し砕けた自らのブレストプレートを見下ろす。武具の性能など何も変わっていないはずなのに、つい数舜まで自分が使っていた盾で自身の武具だけが破壊された。
口元を血で濡らし、強打された胸部を手で抑えながらバザーはよろよろと後退る。
気が付けば、砂嵐は消えていた。武技という観点で言えば、まったくもって自分のソレに及びもしない、いやそれどころか武技として及第点ですらない。あまりに未熟なソレでありながらも、目の前の騎士の技量と筋力が自分では到底及ばないモノだと、バザーはようやく認めながら思考を巡らせる。
ここまでされた以上、撤退するべきという考えが過る。しかし、同時にここまで来て撤退するのか?あの天啓を無視するのか?という疑問が浮かび上がって────
「は?」
気が付けば、鐘の音はどこからも聴こえていなかった。
導きが、天啓が、無い。
まるで親を見失った幼子の様に、闇の中で唯一の光を失った様に、バザーは何かが自分の足元が崩れていく様に感じ。
「あっ、ああ……」
目が、視線が、定まらない。
狼狽えたように声が漏れていく。
「あ、あ、ああああぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
錯乱。
そうと言う他ない絶叫を上げながら、バザーはその手のグレートソードを目の前のネームレスへと叩き付ける。そこに技量の欠片も無ければ、戦士としての勇者としての矜持もありはしない、あるのは目の前の恐怖から逃れようとするばかりの癇癪。
もはや、豪王バザーの姿はどこにもない。
叩き付けられた一撃は簡単にネームレスの鎧に弾かれていく。
だが、そうなればもう一度、もう一度、もう一度、という様に見るに堪えない一撃を弾かれる度にバザーは放っていく。
「……もういい」
何度目になるかも数えていない一撃を弾いたところで、そうネームレスが呟いたと思えば次の攻撃を左腕で大きく外側へと弾けば、バザーは大きく体勢を崩す。武器を持っている腕は大きく外を向き、空いている片手での防御など間に合うわけもない。致命的な隙を晒した者に戦場で訪れる末路は一つ。
「あ」
バザーの身に着けている装備など柔肌を裂くかの如く、その腹部に捩じ込まれるネームレスの振るう斧槍。山羊人の厚い獣皮や獣毛などなんの障害にもならないと言わんばかりに斧槍はバザーの身体を貫き、その切っ先を背中から出した。
致命傷だ。
思考を取り戻したバザーはそう理解できた。まだ、一度腹を貫通されただけだ。などという安直な考えなどもはや湧いてくることはなかった。いま、開けられた孔から、何か大事なモノが零れ落ちていくような感覚を覚えながらバザーはその目を穏やかなモノにして、目の前の騎士を見る。
「…………名を、聴かせてほしい」
「ネームレス。……ああ、だが、俺の名であるのは違いないが、不服なのだろう?」
気が付けば、そんな言葉が口に出ていた。
敗者の言葉など、それこそ見るに堪えない振る舞いをしたような者に向けるモノなどない。だが、ネームレスは答えた。
「
これから、この世界で名乗っていく名を告げ、バザーの身体を貫いていた斧槍を切り払いバザーの胴体を半ば切り飛ばしながら、蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされ地面に仰向けに転がっていくバザーはその腹部からとめどなく血を流しながら、やはり身体の奥底も底、血ではないが何か致命的なモノが流出していくのを確かに感じながら痛みに呻くのではなく、その視線をネームレス、その被っている兜のスリット。そこから覗きこちらを見ている鮮血よりもなお赤い火の如き赤と闇の様な黒が混ざった瞳を見つめながら
「ああ……
山羊人の王、豪王バザーはその命を終えた。
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