魔王学院の不適合者~暴虐の魔王の副官、転生して再び魔王に仕える~ 作:シュトレンベルク
レイン・シュティーアが誰かに膝をつき、頭を垂れた。その噂は一斉に広まっていた。しかし、それは当然と言ってもいい話だった。レインは普段からただ一人にしか仕える気はない、と公言していた。その言葉通りに振る舞ってきた。
傲岸不遜。神すら畏れぬ者こそが、レイン・シュティーアという男だ。七魔皇老が相手であろうと、レインは対応を変えることはしない。寧ろ、七魔皇老たちの方が当たりが強い節すらあった程だった。
誰も上に立つことを許さなかった男が、自ら誰かの下に降ることを宣言したのだ。それは誰もが驚愕の感情を向けて然るべきことであるとも言えた。
そんな噂を立てられている本人は――――アノスとミーシャの入学試験を見物していた。
「ミーシャは問題なさそうだな。アノス様は……論ずるまでもないか。寧ろ、ゼぺスが不憫というべきだろうな」
レインは片目で片方の光景を見ていた。つまり、二つの眼で二つの情景を見ていたのだ。それは情報を同時に処理する能力と魔眼の扱いに長けていなければ出来ない事だった。それを余裕綽々の表情で行うのがレインの力量の高さを証明していた。
証明していたが、普通はこんな技を修めている者はいない。はっきり言って、無駄でしかないからだ。一つの情景を見ることが出来れば、大抵の場合は事足りる。こんな技を修めているのは、レインが指揮官として動くことが多かったからである。
部下を指揮する立場であり、下に就く者を見定める立場であったからこそ。広く、多く、全てを見逃すことのない眼を求めた。それ故に、レインと敵対して逃げ切ることのできた者はそう多くない。
「……若様」
「グレイスか。どうした」
「お待たせしました。こちらがお求めになっておられた情報になっております」
「ああ、ソレか。確認しよう」
レインの前に現れたのは、レインの秘書兼副官の立ち位置にいる娘だった。実家が治めている領土に存在している孤児院にいた子供で、レインが才覚を見抜き登用した。教育をレイン自ら施し、二千年前の魔族たちに匹敵するほどの強さを与えた。
グレイスにはアノスの実家の情報を調べさせていた。心配などは一切していないが、必要であれば護衛などを用意しようと考えていた。それだけの価値があるからだ。
アノスは今でこそ、ただの混血の魔族という評価だ。しかし、これからその力を発揮していけば、一波乱怒ることは間違いない。となれば、弱点となりうる家族を守るための術は用意しておいて然るべきだろう。二千年前にはなかったものだからこそ、余計に守らなければならない。
レインはほとんどの相手には傲岸不遜に振る舞うが、数少ない身内には温情を向けている。その相手は両親にミーシャとサーシャ、そして目の前のグレイスぐらいである。目を掛けている者は、絶対に守り通すという強い意志を持っているのだ。
「家族構成は両親とアノス様の三人構成。父親は鍛冶師で、母親は専業主婦……どうやったらこの二人からあの方が生まれたのか分からんな。まぁ、平和そうで何よりだ。余計な力があると面倒だからな」
「いかがなさいますか?」
「今は何もする必要はないだろう。いずれは必要になるかもしれんが、な。そういえば、グレイス。お前は試験は大丈夫そうか?」
「それは若様が一番ご存じな事かと」
「可愛くない事を言うな。心配はしていないが、親心のような物だよ。お前は俺にとって、必要な存在なんだからな。こんな場所で蹴躓いてもらっては困るんだよ」
情報を記された紙を燃やし、レインは立ち上がる。その顔には笑みが浮かべられていた。ほとんどの者が見ることの叶わなかった表情であり、グレイスはその表情を自分に向けてくれる事を誇りに思っていた。主が心を許してくれる存在に自分がなれていると思える。
「若様、あの方が若様が以前から言っていた人物なのですか?」
「ああ。あの方こそ、真の暴虐の魔王。グレイス、お前もこれから知っていくことだろうさ。あの方こそ、この世界において頂点に立つ存在だとな」
「……若様が楽しそうで何よりです」
「楽しそう、か。それもそうだろう。あの方が再びこの世に現れた。俺はあの方に勝る暴力を知らん。あの方であれば、この世界に蔓延る理不尽を一掃することが出来る筈だ。二人の件も、あの方ならば」
「若様では駄目なのですか?」
「俺はそこまで万能ではないよ。出来ない事はある。出来ない事を出来るようにするのは得意だがな。グレイス、かつて俺が言ったことを覚えているか?この世で最も尊ばれるものはなんだ?」
「それは力。ありとあらゆる理不尽を覆し、不条理を相手に押し付けるには絶対的な力がいる。
されど、愛と優しさを忘れるな。その二つを持たずに揮われる力は、決して平和をもたらしはしない」
「その通りだ。俺はそれをあの方から学んだ。強いだけでは悲劇を生むことしかできない。……まぁ、今まであの二人の問題に手を出してこなかったのは、それとは関係ないんだが」
「関係、ないのですか?」
「ない。単純に時期的な問題だ。それにアイヴィスの融合魔法の知識は残念ながら、俺よりも上だったからな。知識の浅い状態で手を出しても、余計な問題を起こす可能性が高かった。二人の命を天秤にかける以上、俺も全霊を持って挑まなければならないからな」
これまで存在していた問題はほとんどがクリア済み。後に必要なものはタイミングだけとなっている。アノスがまだ転生してこなかったのなら、レインが自力で問題解決に動いた。アノスの登場は、その大きな助力となりえるだけで必須ではない段階まで進んでいた。
「あの方がどれだけ強大な存在であろうと。それは頼りきりになっていい理由にはならない。アノス様は俺の主だが、俺が縋り付く相手ではないよ」
「それでは……」
「近々……そうだな。二人の誕生日の前日に動く。それが最も領界が揺らぐ瞬間だ。まぁ、あの男がそれを見逃すとは思えんが……どうとでもなる話でしかない」
レインにとってはそういう話だった。邪魔をする者は総て薙ぎ払う。敵対する者は総て滅ぼし尽くす。もとより、レインにはそれ以外の道などあるはずもないのだから。誰かを愛することも、その腕で抱きしめることも――――レインにはできないのだから。
「……さて、試験もそろそろ終わりか。俺は迎えに行ってくるが、グレイス。お前はどうする?」
「私は……遠慮しておきます。若様が主と仰ぐ方と顔を合わせるには、まだまだ弱すぎますので」
「そうか。それならば、これを渡しておこう」
「これは……?」
「俺が作り上げた魔法理論。それの雛型ともいえる魔法術式を記した魔法書だ。これで勉強すれば、今よりは魔法技術を発展させやすいだろう。特に、ここのページ。どういう内容か理解しておけよ」
「……何が書かれているのですか?」
「それを言ったら問題にならないだろうが。だが、ヒントを与えるとすれば……【
「なっ……若様!?」
「お前には期待しているぞ、グレイス。俺が出した宿題は、今の魔族ではほとんどが解くことはできないだろう。だが、それでも、お前ならば。きちんと俺の期待に応えてくれるだろう?」
今の時代では失われてしまった魔法。それこそが【
そんなグレイスに対し、レインは笑っていた。レインにとっては、そんな魔法書は掃いて捨てるぐらいの価値しかないからだ。そんな基礎理論を抑えた程度で何が変わるわけでもない。重要なのは、その基礎をもとにどれだけ応用することが出来るかなのだから。
「……全霊は尽くさせていただきます。しかし、質問をすることはお許しください」
「それは構わないさ。その程度なら幾らでもすればいい。いつも言っているだろう?思考を止めるな。常に考え続けろ。それでも分からなければ、存分に頼れってな」
「かしこまりました。では、こちらの本は拝領させていただきます」
「ああ。……それにしても固いな。別に誰も見ていない場でなら、砕けた言葉遣いでも構わないんだがな」
「若様は私のご主人様です。公私の分別はつけます」
「そうか。まぁ、好きにすればいい。では、父上と母上には戻るのは遅くなるかもしれんと伝えておいてくれ」
「かしこまりました。ごゆるりとお過ごしください」
レインはグレイスと別れ、校門のところで待機していた。最初にミーシャと合流し、試験がどうだったか離しているとアノスがやってきた。アノスはレインがいたのは驚かなかったが、ミーシャがまだ残っていたことに意外な表情をしていた。
「待っていたのか?」
「後で、って言ってたから」
「そうだったな。では、合格祝いに家に来るか?母さんが合格祝いにご馳走を用意してくれているはずだからな」
「……行く……レインは?」
「そうだな。アノス様、ご相伴に与っても?」
「構わん。俺も父さんと母さんにかつての臣下を紹介したいからな」
「ありがたき幸せ」
「俺の家は分かっているんだろう?連れてくると良い」
「……流石はアノス様。よくご存じで」
「当然だ。どれだけの付き合いだと思っている。お前の考えている事など読めて当然だ」
「失礼いたしました。では、向かわせていただきます。ミーシャ、手を」
「……?【
「知ってるさ。だが、今回はまた別の魔法を見せてやろうと思ってな」
レインはミーシャの手を掴むと、魔法を起動させた。その魔法はくしくもちょうどグレイスに宿題として出したばかりの魔法――――【
「今のは……?」
「【
「レインは使えたの?」
「もちろん。とはいえ、この魔法は簡単なものだ。少し魔眼の使い方をマスターすれば、今のミーシャにも使える程度の魔法でしかない。機会があれば教えてやる」
レインがそう言ったところで、二人の目の前に同じく【
「……アノスは天才……?」
その言葉にアノスもレインも笑う。これよりもはるかに難しい魔法など腐るほどある。この程度でそんな評価を受ければ、それは笑ってしまうだろう。しかし、ミーシャにははぐらかされているように感じられた。
「……冗談じゃなくて本気」
「ミーシャ。この程度の魔法は誇るようなものでもない。陛下もそんな評価を受ければくすっぐたくもなろうさ。なにせ、陛下は暴虐の魔王であらせられるのだから」
「……アノスは本当に転生してきた……?」
「信じるか?」
「証拠は……あるの?」
「ミーシャ。見えないのは無理もないだろうが、陛下の根源を見ればわかる。その魔力はまごうことなく暴虐の魔王と呼ばれた始祖の魔族の魔力そのものなんだからな」
「……確かにアノスの魔力は膨大。私も底は見えない」
「今はそれでもいいさ。いずれ見えるようになればいいんだ。お前はまだまだ発展途上なんだから。それに陛下の傍にいれば自然と分かる。この御方こそが暴虐の魔王なのだ、とな」
「そうだな。何も急ぐ必要はあるまい。そろそろ行くか?」
「……ん……」
ミーシャのその返事と共に、アノスは扉を開きレインとミーシャを招待したのだった。