あと、ここからは原作では福音編になりますが、ストーリーそのものにオリジナルがありますので、確認をしてから読むことを推奨します。
「海っ! 見えたぁっ!」
バスの後ろの座席で眠りに落ちようとしていた龍夜の耳に、クラスの女子の声が響く。前方の声に怪訝そうに首を動かした途端、視界いっぱいを光が照らした。
「………騒ぐ程でも無いだろうに」
眩しい光に当てられ、目を擦る龍夜が愚痴のように漏らす。眠気による欠伸を抑え、飲み込む。外の光景に元気そうに騒ぐ女子達を他所に、ふと思考を働かせた。
───7月上旬に始まる校外特別実習期間、又の名を臨海学校。今回の行事は一年全員が参加する事になっており、野外でのISの訓練になる。だが、それだけなら女子等が騒ぐ理由にはならない。真の理由は、自由時間である。
現場となる場所は海の近く、それも今は夏。遊べる時間もあるのだから、盛り上がるのは当然というべきか。
唯一、反応が薄いのは龍夜のような────インドア派の人間だろう。そう思っているとスマホの中で電子妖精が元気そうに笑う。
『まー、マスターって外に出る事自体嫌いだからねー。そもそも学校も行ってないから行事自体今回が初めてだよね!』
「当たり前だ。誰が行くか」
信頼できる相手である家族以外の人間と外に出て動き回るなど、今でも鳥肌が立つ。昔なら嫌悪のあまりに絶対に休んでいただろう。いや、そもそも学校すら行ってないから対処など考えても意味がないのだが。
「え?龍夜さん、学校に行ってないんですか?」
「………?言ってなかったか?」
「少なくとも、わたくしは聞いてませんわ」
前の席のセシリアが気になったのか、そう聞いてくる。少し不服そうな彼女に龍夜は首を傾げた。話してなかったのは事実だが、聞いても面白い話でもないだろう。
そう思っていると、ひょこっとラウラが席の間から顔を覗かせる。話の間に入ってきた彼女は単刀直入に言ってきた。
「だが、婿は学校になど固執してないだろう。それに、満足な生活を出来てたはずだからな」
「……まぁな」
今回ばかりは、彼女の言葉が正しかった(尚、呼び方は絶対に間違っている)龍夜本人、学校に行けなかった事を悔いてる様子もない、正直行かなかった事を当然と受け入れている。
そんな話を軽くしていると、黙って聞いていたセシリアがふと食いついてきた。
「…………お待ちくださいまし。どうしてラウラさんが知ってるような話し方をしていますの?」
「知ってるも何も、私は婿の過去を少しだけ見たからな。後、家族の顔も覚えたぞ」
「───わたくし、初耳ですけれど!?」
「言う程でも無いだろう」
勢いよく憤慨するセシリアに、平然と対応するラウラ。自分達で仲直りしたらしく、基本的に関係は悪いわけではない二人だが、龍夜のことになるとよく食いかかる事が多い(主にというかほとんどセシリアの方が)
飽きないな、と適当に前の席での口論を聞いていると、一番前の席にいた千冬が声をあげる。
「そろそろ目的地に着く。全員ちゃんと着席していろ」
たった一声で騒がしかったクラス一同が静かになる。数ヵ月でこのくらいの切り替えの早さ、流石は元教官と納得する龍夜。
言葉通り数分してから、目的地である旅館に辿り着いた。合計4クラス分の生徒の乗った四台のバスが綺麗に並び、全員がすぐさま整列していく。
「それでは、ここが今日から三日間お世話になる花月荘だ。全員、従業員の仕事を増やさないように注意しろ」
「「「よろしくおねがいしまーす!」」」
花月荘と呼ばれる旅館の前に立つ着物姿の女将に、全員が挨拶を響かせる。女性は元気のある一同に感心しているようなことを言う。会話の内容からして、今回が初めてではなく、何度も臨海学校として訪れているらしい。
「あら、そちらの子達が噂の………?」
「ええ、まあ。今年は男子が二人もいるせいで浴場分けが難しくなってしまって申し訳ありません」
「いえいえ、そんな。それに、二人ともいい男の子じゃありませんか。しっかりしてそうな感じがありますよ」
「感じがするだけです。実際のところ二人とも手のかかる問題児ですよ」
(………言われてるぞ、問題児その一)
(俺もそうならお前もだよ、問題児その二)
上品な立ち振舞いと如何にも大人の女性というべき雰囲気の女将と千冬の会話を前に、小声で言い合う二人。龍夜自身問題児というレッテルは不服なのだが、千冬に叩かれてる回数は十回は越えてるのであまり文句をいえる立場ではないというのも理解している。
そんな風に(小声で)言い合っていると、千冬から「挨拶をしろ、馬鹿ども」と急かされた。二人は慌てて女将に向き直り、挨拶をする。
「お、織斑一夏です。よろしくお願いします」
「…………蒼青龍夜です、よろしくお願いします」
「うふふ、ご丁寧にどうも。清州景子です」
女将──清州景子は薄く微笑み、頭を下げる二人に丁寧なお辞儀で返す。流石は女将だな、と感心している龍夜だが、その視線が目の前を向いて止まった。
「…………」
「?どうした?龍夜」
「………」
クイ、と顎で示す。それだけの意思表示に一夏は怪訝そうになりながらも龍夜の視線の先を探していた。そして、すぐに見つけた。
旅館の入り口────その影から覗き込む三つの人影を。
「───ほわわわ、兄貴。ホントにIS学園の学生達だよ、可愛い娘が多いってのはホントなんだね」
「ウム、それにあの二人。良い身体付きをしている………実に、好ましい」
「────馬鹿ッ!大きな声出すな!体を出すな!お袋にバレたらどうする!サボってた罰でメチャクチャシゴかれるって分かってんの──────ヤベッ!」
同年代と思われる従業員の制服を着た三人組。黄色いバンダナで口を隠す大人しそうな青年、捲し立てた右腕に青いバンダナを巻いた屈強な青年、そして赤いバンダナで眼帯のように片目を隠した青年。
入り口から此方を凝視している三人だが、それに気付いたのか目の前にいた二人の視線を理解したのか、女将がすぐさま振り返る。
慌てて奥へと戻る三人を見て、困ったように笑う。
「あら、またあの子達ったら」
「………あの、あの三人は?」
「うちの息子と、そのお友達です。今は従業員として働いていて、ちゃんと頑張ってるんですよ。
けれど仕事をサボってたらしいので、少し仕事を増やしておこうと思っています」
同じはずの微笑みが、冷徹なものに感じられた。どれだけ穏やかに見えても、身内に厳しいのは当然の摂理か。下手の好奇心のあまり、仕事を増やされるであろうあの三人組に黙祷を送る一夏と、呆れ果てる龍夜であった。
それから、女将に先導され旅館内に案内される生徒達。事前に決められた各々の部屋に荷物と共に入っていく女子達を見ながら、男二人は取り残されたように立ち尽くしていた。
少し経ってから一夏が気になったように口を開く。
「………なぁ、俺達の部屋って何処なんだ?」
「…………俺に聞くな、知りたいのは同じだ」
「んー?おりむーとりゅーやんの部屋ってまだ分からないの~?遊びに行こうと思ってたのに~」
眠たそうにしながらおっとりとした動きで近寄ってくる本音。いつもみたいにマイペースな対応に意識を向けるのではなく、龍夜は彼女の言葉に頭を動かす。
そしてすぐに、答えを見出だした。
(───もしかして、部屋について皆が知らないのは対策だからか?)
「織斑、蒼青、お前たちの部屋はこっちだ。着いてこい」
考えていると、千冬からそう呼び声が掛かる。二人は自分の荷物を持ってから千冬の後を着いていく。廊下は歴史のある内装をしており、如何にも年代が過ぎたという雰囲気がある。なのにも関わらず、エアコンや設備は昔のものではなく、現代でも使われている最新鋭のものばかりだ。エアコンに小さく記載されている『エレクトロニクス機社』の名が目に写った。
「ここだ」
「え?ここって………」
着いた部屋の前に来て困惑する一夏。正直、無理もないだろう。部屋のドアには『教員室』と書かれた紙が貼られているのだから。
大体察した龍夜の前で、千冬が説明をする。
「最初は個室という話だったが、それだと絶対に就寝時間を無視した女子が押し掛けてくるだろくという事になってな。結果、織斑は私と同室だ」
「………では、まさか俺も」
「ああ、お前は山田先生と同室という事だ」
流石に龍夜も、はいそうですか、と答えられる程の話ではなかった。一夏や千冬は姉弟だから同室に問題ないが、山田先生との同室は厳しいのではないか。
「勘違いするな、これは山田先生からの提案だ」
「………マジですか?」
「当初はお前達二人くらい見てやるつもりだったが、姉弟二人の方が良いと山田先生と言われてな………全く、余計なお世話だというのに」
一応納得して、荷物を持ってもう片方の部屋の扉を開ける。山田先生は用事なのか今は居なかった。そのまま部屋へと入ろうとする龍夜だが、千冬から呼ばれた。
「山田先生も教師とはいえ女性だ。手を出さないように」
「俺の事何だと思ってるんですか………一夏じゃないんだから有り得ませんよ」
「ほお、面白いことを言う。私が言うのもなんだが、織斑とて女子に簡単に手を出すような奴ではないぞ?あまりにも鈍感だしな」
「故意じゃなくても、偶然とかあるでしょう。コイツの場合、そういうのが多いはずですから」
「………なるほどな、確かにそれは否定できないな」
すぐに不満そうな顔で異議を唱えてくる一夏だが、龍夜がその具体例を提示すると言葉に詰まっていた。思わず呆れながら、彼は部屋の扉を閉めて、荷物を整理することにした。
◇◆◇
「……………」
「……………」
更衣室のある別館へと歩いていた一夏と箒。本来ならば二人っきりで互いに何を話すのか悩むような事態だが───片方が愚鈍だから悩むことなんてないとか言わない───二人は言葉を発することはなかった。
それは後ろの方から見掛けた龍夜ですら分かる異常であった。
「………何してる、お前ら」
「あ、龍夜。実はなぁ………」
一夏が困ったように口ごもっている。ん?と龍夜すら怪訝そうな顔して一夏の後ろに視線を向け────硬直する。肉体も、思考も、全てが。
────ウサミミが、生えていた。
その場にあるのではなく、普通に植物のように生えているのだ。ウサギの耳というより、文字通りバニーガールが付けるような『ウサミミ』が。
機械的なそれはヒョコヒョコと揺れている。その前には『引っ張ってください』という張り紙がしてある。
「なぁ、箒。これって───」
「知らん。私に訊くな。関係ない」
バッサリと言い切る箒。瞬間に機嫌を悪くさせる彼女に、一夏は思い悩むように頭を掻いていた。
そんな二人を他所に、龍夜は『ウサミミ』へと近付く。腰に巻いたバッグから小型の検温器らしきアイテムと小さなポッドを取り出す。
「?それ、そのポットは何だ?」
「『モルフォ・カプセル』、俺の発明品の一つだ。何かあった場合はコイツが反応するからその際は避難しろ」
検温器らしきもので『ウサミミ』を確認にした後、その近くの張り紙を照らすように動かす。銃で言う激鉄の部分にあるモニターを見てから、口を開いた。
「───何だこれは、普通の『ウサミミ』じゃない。内蔵されている機械は普通の構造のものでは造れない。それにこの動き………ゴム?いや、ナノファイバー?どんな物質で、どんなパーツで自然な動きを再現しているんだ!?こんなの、異次元的だ!!」
口数が増え、声高らかに叫ぶ龍夜は明らかに興奮している。科学者として自分にとって桁違いなものを見つければこうなるのか、彼は一夏や箒に目もくれず自分の世界に溶け込んでいた。
「………えーと、抜いた方が良いよな?」
「好きにしろ。私には関係ない」
本気で関わりたくないのか、その場から去っていく一夏。その理由を理解できている一夏は本気で困り果てているようだった。結果、仕方ないという様子で『ウサミミ』に近寄る。
「おい、おいおい、一夏!邪魔するな!今絶好の機会なんだ!この『ウサミミ』をスキャンすれば、手を出さなくても内部構造だけを確認できる!少しの間!少しで良いからさ、邪魔を─────」
「そうは言ってもなぁ、これは絶対束さんの仕業だし………」
「────は?篠ノ之束?」
ウキウキとしながら、色んなアイテムを取り出して解析を始めようとする龍夜だが、一夏の発言に再び思考を停止させた。
その隙を付くように、横を通り過ぎた一夏は『ウサミミ』を両手で掴んだ。慌てて正気に戻った龍夜が「お、おい!まだ解析が……」と止めようとするが、遮るように一夏は訊いてみた。
「なぁ、龍夜。束さんってお前の憧れなのか?」
「───フッ、お前にしてはよく分かってるじゃないか。篠ノ之束の偉業と才能を、俺はよく理解している。あの人は俺よりも格上に位置する………正真正銘真の天才だ。子供の頃から見たあの凛々しさと天才としての風格、今でも目に焼き付いているさ」
「…………あー」
話を逸らそうとした質問が、龍夜にとって引き金であったのか、捲し立てるように淡々と話し始めた。その言葉の節々には熱が籠っており、彼女への並々ならぬ憧れを示している。
ペラペラと情熱的に語る龍夜に、何と言うべきか躊躇う一夏。彼の反応に、どう説明するべきか、難しい答えに悩まされているのだろう。
そんな最中、一夏が引っ張った『ウサミミ』が地面から外れた。力を入れすぎたのか、思いっきり仰け反る彼に、龍夜も熱が途切れたのか、呆れながら駆け寄る。
その瞬間、独創的なサイレンが鳴り響いた。
『ピーッ!ピーッ!範囲内に飛行物体を確認!此方へと接近しています!マスターと登録者は衝撃に気を付けてください!』
龍夜が地面に置いていたポット型のカプセルが点滅すると共に、上の蓋を展開させる。すると一瞬で全身が変形していき、蝶の形をしたガジェットへと変わっていた。
パタパタと周囲を飛び回るガジェットに一夏は思わず愕然としていた。
「うお!変形した!?スゲェ!」
「馬鹿!んな事言ってる場合か!飛行物体がここに来てるって言ってただろ!早く避難し─────」
ドカ────────ン!!
そんな盛大な音と共に、謎の飛行物体が突き刺さった。その形を目の当たりにした二人が、口に出す。
「に、にんじん……?」
そうは言っても、現実的なにんじんではなく、イラストでよく見るようなタイプだ。戸惑う一夏の他所で龍夜は激しく困惑していた。そのにんじんがウサミミと同じようにハイテクな技術が使われていることに、言葉が出ないらしい。必死に捻り出した言葉が、「………あ、あ?え、え……えぇ!?」だけである。
直後、にんじんが真っ二つに割れた。比喩抜きの、言葉通りの意味で。
「───あっはっはっ! 引っかかったね、いっくん!」
その中から笑い声と大きな演出と共に姿を見せたのは、一人の女性。紫色に近い髪に、青と白のワンピース───物語で言う『不思議の国のアリス』の主人公 アリスが着てそうなもの───を着込んだ彼女はふふん、と嬉しそうに鼻を鳴らす。
パクパク、と声すら出せなくなった龍夜。最早餌のために口を開閉させる魚のようになった彼を差し置き、一夏が話し掛けた。
「お、お久しぶりです、束さん」
「うんうん!おひさだね、本当に久しいよねー!ところで、いっくん。箒ちゃんはどこかな?さっきまで一緒だったよね?もしかして、おトイレだったり?」
「………えっと」
「た、た、たた………束さん!?ま、まさか篠ノ之束、さんッ!!?」
親しげに話す一夏の会話でようやく確信する。いや、理解させられる様々な感情が渦巻き、脳がオーバーヒートしかけていたが、遂に受け入れた。目の前にいる彼女こそが、自分の憧れていた天災にして天才、篠ノ之束であると。
その場に立ち尽くすしかない龍夜だが、その声が聞こえたのか束が振り向く。途端に、彼女はスタスタと駆け寄ってきた。そして開口一番、
「────
純粋な笑顔を浮かべながら、彼女は龍夜の手を取る。握られた時に「ヒュッ」と喉の奥から変な音を鳴らす龍夜は、本気で緊張しているのが分かる。
気にしていないのか、理解しているのか、篠ノ之束は楽しそうに言葉を紡ぎ出す。
「君と同じく、ずっと前から束さんも君に会いたかったんだよね!何を話せば良いのかなー、多すぎて困っちゃうよ!ホントに!」
「…………ま、マジすか」
「───あ!そうだった!今は箒ちゃんに会わないといけないんだった!ごめんね!りゅーくん!夜になったらまた会いに行くから!待っててね!箒ちゃぁーーーんっ!!」
勢いに身を任せるように立ち去る束。まるで嵐、ていうか嵐そのものだ。天災という名も頷けるものである。箒が去っていった方に駆け出していった彼女を見つめるように、一夏が龍夜に寄りながら言う。
「流石だよな………束さん。箒に会いに行ったけど、大丈夫か?」
「────」
「ていうか、龍夜すごいな。初対面なのに束さんがあそこまで気に入るなんて、滅多にない事だぞ?もしかして、束さんとどこかで会ったのか?…………おい、龍夜?」
一言も喋られない青年に疑問を覚えた一夏が肩に手を置く。その瞬間、バランスを崩したように龍夜が砂浜へと倒れ込んだ。
「っ!龍夜!おい、大丈夫か!?」
「──────」
「ま、まさか」
近寄ってすぐに様子に気づいた一夏。震える声で、噛み締めるように呟いた。
「─────し、死んでる」
当然、死んでない(当たり前である)一夏なりの冗談だったが、本気で気を失った龍夜を心配して動き出す。
憧れの人に対面した喜びと興奮、その他多くの感情によりキャパオーバーを迎えた龍夜は満足そうな笑顔で真っ白に燃え尽きていた。
◇◆◇
『────新型の調子はどうだ?ナターシャ候補生』
とある施設、存在すら基本的に明かされていないアメリカの軍事基地。『
「グレイグ司令官、新型なんて呼び方はやめてくださいね。この子にはちゃんとした名前が、『
『………そうだったな、訂正しよう』
通信を交わす相手は、引き締めたような態度で受け答えする。新型のISに乗りながら親しげに話していた女性が、苦笑いを浮かべていた。
『さて、ナターシャ候補生。今回の実験については問題ないな?』
「大丈夫ですって。少し過保護気味ですけれど?」
『………からかうのはよせ。司令官としての威厳が立たん』
「ご冗談を。親子の会話に問題なんてないでしょう」
クスリと笑いながら告げる女性 ナターシャ・ファイルスに壮年の司令官 グレイク・ファイルスは本気で疲れたような溜め息を吐く。
長年米軍に所属する父親とIS操縦者となった娘、二人の関係は悪いものではなく、むしろ良好なものだった。あくまでも基地では司令官として振る舞う父とそれをからかって楽しむ彼女は、基本的に厳しい基地に所属する兵士達にとって、微笑ましいものであった。
今回、彼女等が行うであろう実験は新型ISの試験稼働である。アメリカとイスラエルが共同で開発し、エレクトロニクス機社が全面的に支援した結果、完成したIS、それこそがナターシャの纏う『銀の福音』であった。
今から始まるであろう試験稼働の前に小言を入れられたナターシャがピットの射出口で待機する。開始の合図を示すカウントダウンを聞きながら、彼女はうすく微笑む。
自らの纏う、銀色のISへと。
(────一緒に、空を飛びましょう)
飛び立とうとした直前に、異変が起きた。
「…………ん?」
『どうした、ナターシャ』
「司令官、少し問題が。見たこともないファイルが送られてきました」
『何?……………いや、待て。お前の言う通りと思われるファイルが此方に送られてきた。これは、上層部からか?』
混乱する声と険しい司令官の呟きを訊き、ナターシャはふと、目の前のディスプレイに浮かぶ中を確認する。一番最初に目に入った文字列を、自然と口にしていた。
「────『アナグラムの協力関係にある集落の攻撃及び殲滅について』?」
言い終えた直後に、ピット内の電源と司令室との通信が途絶えた。
◇◆◇
「───これより、作戦を開始する。………めんどいけどねー」
同じ軍事基地のメンテナンスルーム。本来であれば複数人の兵士により監視だけが必要なその一室に、アナグラムのメンバーであるジールフッグは立っていた。
気怠げそうに傾けた首をゴキリと鳴らし、左手で方に取り付けられたカオステクターを右手に装備してから、ポケットからあるものを取り出す。
悪魔とも妖精とも見える黒い影のシルエットのある『灰色のメモリアルチップ』。指で弾いたそれを掴み取り、カオステクターへと差し込んだ。
【───グレムリン!】
複数の声が混じったような不気味な音声。周囲へとかき消える声を無視し、ジールフッグは右手に装備したカオステクターを構える。
スライド式の装甲を、掌で深く押す。その上で、告げた。
「
【カオス・オーバー!】
不協和音のような笑い声が響く。聞くものを不快にさせ、嫌悪感を覚えさせるような声音。悪戯を望み、明け暮れる悪い妖精達がその場にいるような感覚が、周囲に生じる。
ビキビキ、とジールフッグの血管が黒く変色する。足元から流れ出た黒い液体が、彼の体内に存在する『黒』に呼応するように肥大化する。
『ウロボロス・ナノマシン』、ある男の手により開発された物質が、ジールフッグの体内でエネルギーへと変換される。カオステクターを起動させ、幻想を形にした外装を纏う動力となっていく。
突如、ジールフッグの左右の空間が捻れる。ウロボロス・ナノマシンを中心として発生した渦は、彼の体に比類する大きさの丸い鋼鉄の塊。いや、見方を変えればそれは半円形であった。
ジールフッグが指を鳴らせば、左右の半円形が動く。相対するように並ぶ同形状の物体と合体するように、ジールフッグを押し潰した。四方向に接合された爪が固定するように絡み合い、凄まじい速度で回転していく。
瞬間、球体が一気に弾け飛び、中にいたであろうジールフッグが蒸気と共に姿を現した。
悪魔や妖精を連想させる造形の『
「さぁ、ゲーム・スタート───っても、こんなのボーナス・ステージみたいなもんだけどね」
両手を軽く振るう。鋭い爪らしきマニピュレーターの部品がカチカチと動き、目の前に出現したキーボード状のディスプレイを十本の指で叩く。
シフトのキーを押した直後に、背中に浮遊する半円形のモジュールが開く。装甲と装甲の隙間から伸びた無数のケーブルが辺り一帯の大型コンピューターに絡まっていく。
ワイヤーの先にあるUSBコネクタを差し込み、その先から大型端末の内部システムへと入り込む。後は簡単だった。膨大なプロテクトの敢えて強固な部分からハッキングを行い、打ち破った瞬間に対応が追い付かないように乗っ取りを繰り返し、遂にはシステムを完全に制御下に置く。
数秒もしない内に、手を止めたジールフッグが欠伸をする。退屈そうな、一息だった。今現在、メインシステムにハッキングを行ったジールフッグによって、この軍事施設は完全に外界から遮断され、彼の手に支配された。
◇◆◇
「施設内のネットワークが遮断!外部との連絡も出来ません!」
「………上層部への救援を防ぐためか。ナターシャの『銀の福音』との個別通信は繋がるか?」
「────駄目です!強固な電波ブロックが掛かっています!予備回線も、ゲート内部の連絡も通じません!」
チッ! と舌打ちを隠さずに、司令官 グレイクは苛立ちを滲ませる。近くの壁を殴り付ける彼は、拳に響く鈍い感覚により、熱を帯び始めていた感情を静める。
落ち着き始めるや否や、冷静に考えを回らせる。
(狙いはナターシャ、いや『福音』か。基地の全権限まで奪わない所を見るに、福音の回収に力を入れてるようだな。どこの馬の骨が探りを入れてきたかは知らんが………)
「…………基地内部の兵士達の位置情報を確認しろ、動けるものはいるか?」
「休憩時間の兵士達の大半は自室に監禁されてます!扉にロックが掛けられてるようです!────『ハウンティングドッグ隊』、『ヴェノムスネーク隊』、二部隊と通信が取れました!動けます!」
「よし、そいつらに通達だ。他と合流して部隊を編成し、ナターシャ・ファイルスの救援に向かわせろ」
了解! と動き出すオペレーター達から視線を外し、監視カメラから遮断されたであろう暗転をするモニターを睨み付ける。司令官はその間、思考を働かせていた。
(だが、何故今になって攻撃をしてきた?タイミングが可笑しすぎる。実験の存在を知っていたような動きに見えるのは気のせいではないはずだ。
まさか、さっきのデータファイルが関係しているのか?)
その瞬間、すぐ隣のオペレーターが慌てて声を荒らげた。
「ッ!侵入者です!閉鎖された隔壁を突破しながら進んでいます!狙いはナターシャ・ファイルス候補生と新型かと!」
「近くにいる部隊を向かわせろ!連携して対応すれば問題ないはずだ!敵について何か情報があるか!?」
「そ、それが………」
言い淀むオペレーターの様子に怪訝そうになる司令官だが、すぐに話すように促した。口を開いたオペレーターの語る言葉に、司令官は言葉に出来なかった理由を理解した。
「一人です!今現在、隔壁を破ってきている敵はただ一人で侵攻してきています!」
◇◆◇
轟音が、一帯に反響する。
爆発すら防ぐ程の分厚い扉が吹き飛ばされたのだ。凹んだ鉄の扉だった残骸が、近くの壁に激突する。
暗闇の奥から伸ばした脚を、静かに引っ込める。有り得ない事だった。まさか防弾用の扉を生身の蹴りで破壊したなど、誰が納得できようか。
踏み込んできた相手は、誰かに話しかけるような口調で語りかける。
「────流石は『
両手をポケットに仕舞い込んだイルザが、そう呟く。彼の視線の先には、数十人の兵士達が待ち構えていた。道を塞ぐバリケードのように、隙間を作らぬように展開された陣形は、洗礼されたものに見える。
ヒュウッ、と口笛を吹いたイルザは腰に手を置き、笑いながら話し始めた。
「速ェな、流石は『十英雄』の一人が指揮する特殊部隊。俺としてはもう少し時間が掛かると思っていたが………案外侮れねぇな。ま、嘗めてるつもりはねぇが」
自分に向けられた数十の銃口すら恐れていない。脅威ですらないのか、指を突き付けながら続ける。
「────知ってるぜ。今のお前らの戦力、その大半が欠けてることに」
兵士の何人かの指が微かに震えた。その他数人は明らかに動揺していた。その混乱を目にしても、イルザは動かずに話している。隙を狙う事すら、しようとしない。
「国家代表 イーリス・コーリングを含む『名前のない基地』のIS操縦者は既にハワイ沖で実験の為に警護してるんだろ?お前らのやり方じゃなくて、軍上層部の指示だろうが………残念だったな、俺に負けることも無かったってのに」
余裕そうなイルザの立ち振舞いに、一人の兵士が歯を鳴らす。苛立ちを隠せないように、疑問を投げ掛けた。
「…………じゃあ、何だ?お前は生身で俺達とやり合うつもりか?」
「安心しろよ、俺だって生身じゃねぇさ。多少手加減してやるとはいえ─────俺も『鎧』を纏うつもりだ」
そう言いながら、イルザは動いた。左手が腰のベルトに取り付けられた何かを外す。それを手の中に収め、高揚の笑みを刻む。
「最も、俺の鎧は他の奴等とは一味違う。『伝説』そのものだがな」
掌にあったそれは、見た限り不思議なアイテムだった。左右対称のその物体は、金色と赤色という派手な色合いで彩られていた。
イルザは、そのアイテムの左右に指を添え、押し込む。音声が聞こえたのは、その瞬間だった。
【エンシェント!】
カシュン、とアイテムが展開される。まるで咲き誇る花のように両側に展開された装甲の下から更なる装甲が出てくる。音声と共に光るコアに応じるように、イルザはそのアイテムを右手首の腕輪に固定させた。
構えるように上へと突き出した腕、そのアイテムの先から深紅の光が迸る。それを境に、兵士達は躊躇いなく引き金を引いた。
「舞い上がれ」
それでも、イルザは避けようとはしなかった。腕を振るい、指と指を弾き、聞こえのいい音を鳴らす。
銃弾を浴びる直前に、イルザは大声で告げた。
「
瞬間、炎が吹き荒れる。灼熱の炎は周囲を飲み込むように膨れ上がり、爆発的に広がる。銃弾は炎の壁に防がれたのか、或いは熱で溶けたのか、彼には届いていなかった。
その炎が、少しずつ形を変えていく。それはいつの間にか、黄金のように煌めいていた。二つの青い光が灯ったそれを、兵士達は『瞳』であると理解させられていた。
紅蓮の爆炎と黄金の金属で構成された巨大な鳥。イルザの背中から姿を見せたその巨体は、体躯よりも大きな翼を勢いよく広げ、イルザを包み込んだ。
カシュン!とさっきのアイテムを変形させたような音が響いた瞬間、黄金の火の鳥が弾け飛ぶ。いや、分解された装甲はイルザの肉体に纏われていく。
赤一色のダイバースーツに、肩や腕、脚に装備された黄金の装甲。それ以上に目立つのは金と赤が特徴的な、イルザの全長を容易く越える程に広げられた大きな翼。
巨翼は装甲を折り畳み、イルザの背中に収まっていく。ようやく体に合う程の大きさに変わった翼は軽く見て、イルザは小さく笑う。
そして、目の前に向き直ったその瞬間、激しい戦意に高揚しているような狂気的な笑みを浮かべ、宣告した。
「─────さぁ、『福音』を奪わせて貰うぜ」
尚、この作品の束さんは基本的に白いです。真っ白も真っ白、綺麗な束さんです(本当)
因みにイルザの纏う『アレ』はISでも、『幻想武装』でもありません。