「─────」
モニターが照らし出す光景に、千冬は立ち尽くしていた。彼女の手から端末が落下し、激しい音で転がる。しかし千冬は端末を手に取ることなく、目の前のモニターを黙って見ていた。
監視カメラに接続された画像が、浮かぶ。レヴェル・トレーターの一人、ヴォルガ・ハザードと名乗った男が龍夜と接敵し、激しい戦闘を行った。その最中、民間人を殺し、その親子を人質に取ったヴォルガの脅しにより─────龍夜は武装を放棄した。
有り得ない光景だった。
誰より理知的であり、合理的であった青年。自分の目的の為ならば、容赦もなく淡々と動く。それこそが千冬が初めて見たときの蒼青龍夜の評価であった。
そんな彼が、他人のために動いたのだ。しかし、それを前に喜ぶことなど、今の彼女には出来なかった。
────無防備になった龍夜を、ヴォルガ・ハザードは嘲り笑い、彼の腹を抉った。噛みちぎられた部分はあまりにも大きく、人体に与えた損傷はあまりにも深い。倒れ伏した龍夜の生体反応を示すモニターは、ただ一つの単語を表示していた。
『心肺停止』、出血多量による心肺の機能停止。つまり、死。鳴り響くアラートを前に、千冬はただ黙って見ていた。その手に、拳に力が込められる。
『─────千冬』
「………何だ、ザック」
『ここの指揮はオレが代行する。有無を言わさん、自室にて待機しろ』
自分勝手な命令口調で、アレックスが千冬に言う。彼女は反論しようとして、有無を言わさぬ雰囲気の彼の視線を受ける。静かに、千冬はか細い声で呟いた。
「…………ありがとう、ザック」
『───フン』
旧友同士には、十分な気遣いがそこにあった。
良いから行け、と促すアレックスに従い、千冬はオペレータールームを離れた。人のいない廊下を歩く彼女は、周りの気配が無い通路に入ると、一言告げた。
「────理事長」
『やあ、織斑先生。作戦はどうなってるか───』
「生徒が死亡した。蒼青だ」
『…………………何だって?』
遠隔通信を繋げていた穏やかな少年 時雨理事長の顔から薄笑いが消えた。千冬の発言が嘘ではないと理解した彼は、悲痛と行き場の無い怒り、後悔を宿し、俯いていた。
しかし、平静を取り戻した時雨は思い出したかのように、話を切り出す。
『────織斑先生。彼は今どうなっている』
「………不明だ。その直後から、モニターが出来なくなった。だが、恐らくは────」
『そうか、ならいい。つい先程、援軍を送った。事情故に一名が限界だが、戦力としては申し分ない。彼の事よりも先に、セシリア・オルコットと更識楯無の援護を優先する』
淡々と、時雨は切って捨てた。冷淡極まりない発言だ。彼は常時であれば生徒を大事に思う程優しく、思慮深い。しかし、彼のような少年が理事長に成れたのは、子供とは言えない程の合理的かつ冷酷に近い思考である。
穏やかで善意を信じてきた兄 村雨とは対照的、いや彼の間違いを知っているからこその成長なのか。IS学園という一つの存在を統治する器には相応しい、相応し過ぎた。
しかし、千冬には納得できなかった。煮え滾る激情を胸に秘めた彼女は指揮をする立場よりも、戦うことが得意であり、気持ち的にも合っていた。
だからこそ、今この現状。何も出来ず、安全圏にいる自分が、一番許せなかった。
「理事長────『コード・ブロッサム』の発令し、封印を解け。私が出る」
『ダメだ、それは許可しない』
怒りを抑え込んだ千冬の言葉を、時雨は冷たい声で制した。いつものような呑気な雰囲気は感じられない。冷酷に満ちた為政者の
感情的に動こうとする彼女を押し留めるのは、少年の放つ正論と過去の決意をなぞらえた記憶だ。
『君自身、アレを封印した経緯は忘れていないはずだ。来るべき宿敵、君が打ち倒すべき、本当の敵のために。アレを眠らせることを決めたのは、他ならぬ君自身だ』
「─────」
『今は、“その時”ではない。君が今出てしまえば、黒幕達は喜んで君という最強を狙うだろう。多くの悲劇が増える。だからこそ、君は「英雄」に戻ってはならない』
「────なら!私に生徒を、教え子を見殺しにしろと言うのかッ!?」
『見殺し、ねぇ』
フフッ、と理事長は笑いを溢した。その軽はずみな含み笑いは千冬の感情を逆撫でする程に、淡白かつ呆れたような物言いであった。しかし、激昂しなかったのは、彼女が言葉節々に感じるものを感じ取ったからか。
『…………織斑先生、一つ勘違いを正そうか』
そんな彼女に、時雨は落ち着きに満ちた様子のまま、言葉を紡いだ。
『彼は死なないよ。それが、クインテットシスターズに選ばれるということだ』
「…………何だと」
『アレはISとは違う。世界への憎悪を振り撒き続けてきた八神博士が遺した、僅かながらの善意と祝福。ISが兵器でありながら翼であるのなら─────アレらは破滅を与えるものであり、世界を救う奇跡でもある。正しく、博士が世界に向けて遺した矛盾の意思。災厄の可能性を内包した福音だよ』
あまりにも遠回しな口ぶり。だがその言葉から理解できる一つの事実を、千冬は確信と共に噛み締めた。
────この少年は、何かを知っている。龍夜が死なないと断言する程の何かを、彼のISのコアの役割を担うクインテット シスターズなる存在を。
「理事長………貴方は、何を知っている?」
『さぁね。時がくれば話すさ。だが、まだその時ではない』
だが、と時雨は確信めいた笑みを深める。何もかも話せない状況下で、自分が語れる確実な事実とは────
『彼が、世界を救う救世主だということをさ』
────救世主は、世界を救う前に死ぬことはない、と。
◇◆◇
「─────ぐッ」
打ち付けられる音が、二つ。離れた場所で静観していたレギエルが片目を動かす。近くの瓦礫、建物の残骸に打ち飛ばされた二人の部下 アルネとカシューラク、意識を失いかけた彼等を見て、溜め息を吐き出した。
「…………まぁ、このくらいが妥当か。それなりに実力はあったが、貴方達の足止め程度には及第点というべきだな」
あくまでも平然とした態度。余裕が抜けないのは、想定していた事態だからなのか。既に自身の部下へ意識を外し、煙の向こうから姿を現した三つの影へ、視線を向け直した。
「冷たいのね。善戦したのは事実なんだから、感謝してあげたら良いんじゃない?」
「───失礼だな。これは俺なりの感謝だ。無法者ばかりの組織はどいつもこいつも役には立たんが、コイツらのような俺に心酔するタイプはちゃんと動いてくれるからな。感謝が足りないくらいだ」
両手を広げながら、レギエルは隠れた口元に笑みを刻んだ。本当の意味で、言葉通りの事実を証明するように。
「そして、お前達にも感謝を送ろう」
「………?何を───」
「あの二人と戦い、全力を引き出させてくれた。お陰で奴等の幻想武装は最大出力を発揮したままだ────
瞬間、周囲を警戒していたレッドが、楯無とセシリアに向けて叫んだ。
『────二人とも!サマエルって蛇がいない!どっかに移動している!』
「っ!セシリアちゃん!レッド君!───下よ!」
三人が反応を示した次の瞬間。
レギエルの前方で建物の瓦礫が突如として弾けた。アルネという少女が倒れていた場所を吹き飛ばし、金属の装甲を纏った蛇 サマエルが姿を現したのだ。地中から飛び出してきた長身の蛇が口を開き、地面に向けて突撃する。
そして────倒れていたカシューラクに突撃したサマエルの体躯が、ビクンッ と跳ねた。金属の装甲に伝わるように、光のラインが浸透していく。その異変を、サマエルの変化を前にしたレギエルが、喉の奥に溜め込んだ笑いを吐き出した。
「────フッ、良いぞ。少しだが、満たされた。感謝するぞ、アルネ、カシューラク。お前達は充分、俺の役に立てた」
「な、何をしたんですの………!?」
『アルネとカシューラクって呼ばれてた二人の生体反応が消えた。…………まさか、アイツ』
「────殺した、のね。仲間を」
絶句する三人。掌を見下ろしていたレギエルの隻眼が動く。肩を竦めながらも、彼は口の中で転がした喜びを嗜めながら、笑う。
「理解力が浅いな、更識楯無。そんな無駄な事を俺がすると思うか。……………そうだ、こうしてみれば分かるかな」
ガバッ、とサマエルの口が全開される。口の中に装填された装置がエネルギーを収束させ、武装として解放する。
そして、サマエルの口から放たれたのは────冷気を帯びたガスであった。氷結の息吹と思える冷気が彼女達に殺到する。
『─────!』
いち早く、前に出たレッドが火炎放射により相殺していく。熱と冷気が作用し合う中、レッドは片腕を変形させ、ビームライフルを狙撃する。放たれた閃光の狙撃は────サマエルが展開した光の障壁により、弾かれた。
『あの力、アルネって人の!?』
「さっきのもカシューラクの幻想武装だったはず…………ああ、そういうこと」
それだけで答えに行き着いた楯無が静かに眼を細める。槍を握る手に力を込めながら、自身の結論を確かめるように問い掛けた。
「幻想武装を取り込む、それが貴方の幻想武装 サマエルの能力でしょう?」
「────半分正解だ。取り込めるのは幻想武装だけじゃない。他の兵器も可能さ。無論、ISもな」
藍色に染まる瞳を向けてくる言葉に、セシリアは青ざめたように身構える。楯無も平然とした様子ではあるが、冷や汗が拭えていない。
自分達にとって唯一無二のISすらも取り込むことが出来る。もしそうならば、手段も限られてくる。下手に接近すれば、あのサマエルに奪われてしまえば、その時点でISを失った無防備な少女しか残らなくなるのだから。
「…………安心しろ。お前達のISも奪う必要はない。何より、他のISコアを取り込むことは出来ない。別のコアが複数入り交じると、元の形には戻せなくなるからな」
「そう、でしょうね。もし出来るのなら、最初から言わない方が警戒されずに済むから。そうやって意識させることで、時間を稼ぐことが目的でしょう?」
「─────本当にやりづらいな、貴方は」
懐かしむように、呟いたレギエルが僅かに遠い目をする。青瞳に何かを思い浮かべ、隠された口元を薄く緩める彼の変化に、楯無すら気付くことはなかった。
ズズズ────と、彼の隣の地面から溢れ出た黒い液体に、全員の意識が向いたからだ。粘液のように粘り気のある液体は空中へと伸びていき、人の形を形成していく。
「…………遅かったな、イヴ。寄り道でもしてたか?」
「───それは此方の台詞だ、レギエル。いつまで遊んでいる。予定の時間はとっくに過ぎているぞ」
「俺に言われても困る。…………そもそも余計なことをやりたがっていたのは
「……………なら、奴の手綱くらいちゃんと握っておけ」
「冗談じゃない、手を噛まれるのは御免だ。こちとらただでさえ片腕失ってるんだから」
露骨に機嫌の悪そうな言葉を吐き捨てるイヴに、レギエルは軽く眉を動かし、困ったように肩を竦めて見せた。そんな彼に怪訝そうな眼を向け、ガスマスクの青年は疑問を口にする。
「…………。予定の物は、どうするつもりだ」
「───心配ない。今、エーゼルが取りに向かっている。アイツが動いた以上、心配は不要だ」
「なら俺は、エーゼルを待てば良い訳か。…………大人しく、待っておく」
そう言い残し、イヴの形が揺らぐ。液状へと変化した黒い闇が、排水溝に流れていくように、地面へと沈んでいく。異様な変化を前に────楯無が、誰よりも早く動いた。
彼女としては、その青年が何なのかは把握しきれていない。大体分かるのは、報告書によるデータ。機械蛇サマエルを付き従えていたテロリストの一人、仲間を平然と見捨てる冷酷な人間だと。
レギエルとの対話からして、確信した。彼こそが、レギエル達にとって必要な存在であると。この襲撃自体が彼を中心とするものであり、ここで見逃すと被害が甚大なものへと広がる、と。
流水を帯びた槍が、回転を起こしながら迫る。液状に変わるイヴへと向けて放たれた一撃は、間違いなく相手を仕留める為に放れていた。
「────っ!」
しかし、その一撃は弾かれた。片腕を軽く振るったレギエルが前へと飛び出し、彼女の突き出した槍の一突きを防いだのだ。
────空中から発生した純白の光を伴う閃斬。機械的な機能を有した刀剣によって。
「貴方のやりそうな事だ。俺の会話からして、イヴを核と認識して狙うとは相変わらずだ───しかし、分かっていては意味がない」
「…………その、武器は」
「─────さぁ?どういう意味だろうか。この武器が何なのか、についてか?それとも、見覚えがあるという意味かな?」
その武器を、刀剣を見た楯無が思わず眼を見開く。平静を崩さないはずの彼女が驚きを隠さないのは、それがISの武装であったからだろうか。─────何処かの資料で、世界有数の男性操縦者の扱う近接武器である刀剣と類似しているからなのか。
答え合わせは、行われなかった。片手で刀剣を握るレギエルの背後に、巨大な蛇が蠢く。口内にて複数の装置を稼働させるサマエルを従えながら、レギエルは意図的に深めた笑みのまま、食むように言葉を紡ぐ。
「さぁ、第二ラウンドといこうか。………手加減してやるんだ、簡単にやられないでくれよ?」
◇◆◇
目が覚めた龍夜の視界に広がったのは、真っ白な景色だった。全ての色という色が抜け落ちた、鮮やかさもない不気味な世界だ。
しかし、嫌悪や不安はない。この世界には見覚えがある。かつてここに、訪れたことがあるからだ。精神世界、自らが有する聖剣、その中に眠る巫女との対話の際に。
しかし、今回は違った。自分は何故か、机と椅子の前に立たされていた。廃墟というには近代的な白い建造物の上で、龍夜はポツリと置かれた机と椅子────反対側に座る人物の姿に視線を向けた。
「────やぁ、初めまして。未来を紡ぐ担い手」
白衣を着込んだ、科学者らしき男性。くたびれた様子でありながらも、穏やかな笑顔を浮かべる人物の姿を見た龍夜の感情が昂ることがない。何故だろうか、自分でも有り得ないことだった。
自分は、この人物を知っている。尊敬している人間の一人に並ぶくらいだ。それなのに、認識が追いつかない。矛盾を覚えるはずの思考が、当然のものとして受け入れてしまう。
「挨拶は不要さ。全て把握している。君がこの世界に落ちてきた直後に、あらゆるデータが私に蓄積される仕組みにしてある。─────この一時の為に、この世界を利用させて貰った」
目の前に置かれたティーカップを手に取り、静かに口に添える白衣の博士。飲み終えたティーカップを小皿に乗せ、彼は眼前に立ち尽くす龍夜から、外の景色へと視線を移した。
────人為的な、戦争などによって滅んだ世界が。広がる廃墟や残骸の街並みを見つめながら、落ち着いた雰囲気を拭うことなく、語る口から続ける。
「君も気にはなっているだろう?この世界が、ただの精神世界ではないと」
「……………」
「そうなった世界線さ。
自嘲するように、博士は語った。悔いるような発言を口にする彼の顔は見えない。言葉に出来ないような感情の渦に飲まれているのだろう。
しかし、男は一瞬で表情を切り替える。人間的な振る舞いでありながら、その動きだけは機械に近い。博士は机に両肘を添え、組み添えた両手に自身の顎を乗せて、起伏のない落ち着いた声で、問い掛けた。
「─────蒼青龍夜、君に問おう」
「────」
「この力は、誰かを救うことも、世界を滅ぼすことも可能な力だ。それ故に、君は力に振り回され、多くの悲劇を見ることになるだろう。君が人類に失望し、世界を見放したしても、私は咎めない。君自身が願った選択ならば、私はそれを受け入れよう。責任も、重圧も背負う必要はない。
その上で、君は何を望む?彼女達を用いて、君は何を為す?是非とも君の考えを、私に聞かせて欲しい」
果たして、これは意図されたものだろうか。
龍夜は同じ問いを、最近別の誰かにされた記憶があった。鮮明ではない、あまり記憶の中には残っていない。
両目を静かに伏せた龍夜が、瞑想するように黙り込む。しかし、数秒後に。彼は自身の結論を臆することなく言葉に出した。
「─────復讐だ」
「…………」
「家族を奪った理不尽を、両親を殺した仇を、俺は許さない。奴を倒さなければ、俺自身が納得できない。たとえ誰が何と言おうと、俺は復讐の為に生き続ける」
彼の意志は、望みは変わらない。
蒼青龍夜にとって、家族は、両親は、一番心を許した存在であった。他者を見下し、毛嫌いしてきた自分が唯一憧れ、幸せを願った二人、その命を奪い、自分達家族を引き裂いた元凶。
それを見過ごし、平和に過ごす選択肢など、有り得ない。全てを諦めて普通に生きるくらいならば、死んだ方がマシとすら思う。
だが、何も復讐だけが、望みというわけではなかった。
「…………だが、まぁ。復讐以外の為に戦うのも、悪くはなかいと思う」
「─────そうか」
「俺はこの世界が嫌いだ。人類も、正直嫌いだ。だが、あいつらだけは違う。何と言うか…………気に入っている。だから、あいつらとの日常だけには手は出させない。そのついでに、他の奴等も世界も守ってやるとするさ」
「フフッ、世界を守るのもついでか。………成る程」
復讐という強い憎悪に凝り固まっていた龍夜の心は、少しずつだが溶かされていた。己の人生を、命すら捧げるとまで言っていた彼が迷う程に、気紛れ程度とはいえ、そこまでの関心を向けること自体が、昔の彼を知る者からすれば信じられない事実なのだ。
「あの子が、束が君を選んだ理由が分かった」
博士が呟き、吐息を漏らした。
静かに両手を下ろし、立ち上がる。身を包む白衣を軽く整えた後に、博士は目の前に立つ龍夜へと顔を向けた。
「こんなしがない男の話を付き合ってくれて、感謝しかない。君には迷惑をかけた。詫びとして一つ────君に送ろう」
「────何を」
「封印を。君の聖剣の枷を解除しよう。君の持つ聖剣 エクスカリバーの本来の力を扱えるためのコードだ。…………だが、多用はオススメしないね。その力を求める輩が増えるだろうから」
笑いかけながら語る博士。そうしていると、変化はあった。精神世界、いや、彼と一時的に繋がった聖剣が内包する仮想世界の崩壊が、蒼青龍夜の意識がこの世界から離れていこうとしていた。
その意図を、博士は理解していた。聖剣に眠る巫女によって、現実世界の肉体が修復を終えた頃合いなのだろう。意識が分離されていく青年を前に、博士は思い出したように口を開いた。
「そうそう、少しだけ。小言を一つ」
「…………?」
「────君の信ずる選択を。どんな困難や悲劇に対しても、君が信じたい未来を、可能性に従いなさい。少なくとも、後悔するような選択は取らぬよう」
教育者としての言葉さ、と付け足して笑う。それだけで終わらせるように口を閉ざした博士だったが、あっと思い出したように口を開けた。
個人として伝えるべき、大事な言葉を。
「─────ルフェを、娘を頼んだよ」
悔恨と希望を抱いた、悲哀の笑みを浮かべ、博士は白い世界から消える青年を見送った。かつて多くの命を奪う程の厄災を起こした極悪人と同じ姿の男は、世界中が語り続けてきた悪評とは欠け離れた、儚い笑顔のままで取り残されていた。
◇◆◇
「これがエクスカリバーかァ…………ようやく、手に入れたぜ」
幻想武装 ケルベロスを纏うヴォルガが、鎖が繋がった頭部が咥えた銀色の長剣を見て、不気味な笑いを口の中で転がした。
彼の意識は既に、あらゆるものを認識していない。付近で怯えている一般人達、そしてつい先程、自分が瀕死に追いやった蒼青龍夜すら、興味を失っている。
しかし、ふと考え込んでいたヴォルガが、口元を緩める。その顔は、狂気の笑みに染まっていた。偶々、彼の脳裏に最低な考えが過ったのだ。
「どォせなら─────試し斬りも、してみてェよなァ」
命を奪うことに頓着を持たぬ怪物だからこその、思考なのだろう。恐怖の余りに壁際に寄り添う一般人達を見渡していたヴォルガだったが、もう片方のケルベロスの顎が捕らえている二人の男女の事を思い出した。
しかし、これだけ人間がいるなら、試し斬りは他の奴でも出来る。そう思ったのだろう。面倒そうに鼻を鳴らしたヴォルガは─────迷うことなく、顎に力を入れ、噛み砕こうとした。
つい先程まで、龍夜に人質に取った二人、手放すことを条件に彼を無力化し、腹を噛み千切ったのだ。なのに、ヴォルガはその約束を無視し、躊躇いなく殺害を決意した。
そんな感じで、また殺しを行おうとしたヴォルガだったが、ある違和感を覚えた。
ケルベロスの顎が咥えていた銀剣が、唐突に消え去る。それと同時に煌めいた一瞬の閃光が、民間人二人を咥えていた顎に炸裂し、民間人を助け出したのだ。
「…………あ?」
呆然と、ヴォルガは首を傾げた。現実が理解できないのではない。彼は既に、何が起きたのか認識は出来ていた。全ての意識が向いているのは、彼の視線の先。
変形した蒼銀の剣 エクスカリバーを携えた蒼青龍夜が、平然と立っていた。何かを思うように、瞑想する彼の身体には、欠損がない。ヴォルガが与えた致命傷が、消えていた。
クツクツ、とヴォルガは笑い出した。呆れや混乱などではない、喜びだけが剥き出しになった不気味な程に裂けた笑顔を。
「──────ハ、ハ。それが、クインテット・シスターズの力、世界を変える程の力の一端!それは!俺んものだァァァァーーーーーッッ!!!」
修復された幻想武装 ケルベロスの双頭が、口から業火を放つ。爆炎の塊となった砲弾はただ一人、龍夜に向けて直進していく。
灼熱の波を前に、龍夜は掌を翳し、告げる。
「────エクスカリバー・フレーム」
直後、上空から飛来してきた金属の板らしきものがケルベロスの火球を防いだ。盾となった装甲には傷一つなく、それどころか攻撃を吸収すらしていた。
複数の蒼銀の装甲が、宙を舞う。一つ一つが自我を持つように浮遊する中、龍夜は蒼銀剣 エクスカリバーを握り締めながら、まるで語りかけるように口を開いた。
「行くぞ、エクスカリバー…………ルフェ。一瞬で終わらせる」
エクスカリバーは、呼応するように光を高めた。目の前の光景を前に、ヴォルガは全身から爆炎を放出する。その熱で周囲を巻き込むような勢いで、力を膨張させていく。
「ギャハハハ!良いぜ!良いぜェ!その力!ますます欲しくなってきた!ソイツ、その力を俺に寄越せよ!渡さねぇなら、何をしてでも奪ってやるからよォ!!えぇ!?俺の為に死んでくれよォ─────ッ!!!」
獄炎の悪魔と成り果てたヴォルガ・ハザードが、狂乱した勢いで叫ぶ。全てを破壊し尽くす程の紅蓮となり、全身にトゲと鎖を纏い、三つ首の悪魔が突き進む。鎖と炎を周囲に撒き散らし、己の欲望のままに暴れていこうとする。
だが────それを、一瞬にして移動してきた龍夜が止めた。片手で、膨大な質量と熱を纏う狂犬を受け止めていた。素手の筈の片手に異常はない。人肉を焼き焦がす炎を受けても尚、彼の手に異常は存在しない。それ自体が、あまりにも異常な光景であった。
振り上げる蒼銀の剣に、飛来していた装甲が纏わりつく。接合されていくフレームが形を変化させていき、数メートルの巨大な刃を数秒にして作り上げた。片手でケルベロスを制しながら、もう片方の腕で─────エクスカリバーを、振り下ろす。
「勝手に死んでろ─────畜生が」
無音の斬撃が、叩きつけられる。
迸る蒼光────視覚化される程の膨大なエネルギーを伴い、王の剣が猛獣を斬り伏せた。
業火を纏う獣の鎧が、一瞬で打ち砕かれる。ISと同様とされた耐久力を有する幻想武装が光の粒子となり、辺り一帯へと溶けて消えた。
殺戮と闘争の狂気に取り憑かれていたヴォルガ・ハザードは自身を打ちのめした蒼銀の一閃を理解できぬまま、片眼を失い、ようやく意識を失った。自身が味わったこともない激痛と敗北の味を、噛み締めることすらなく。
多くの命を巻き込みながら、暴虐のままに動き続けた怪物を見下ろし、龍夜はエクスカリバーを振り払う。冷徹な瞳を向け、彼は呟くように言葉を残した。
「言ったはずだ。一瞬で終わらせると」
◇◆◇
一つの戦いが終わったその瞬間、ルクーゼンブルク公国にて新たな変化があった。
公国内部でも、王子達に選ばれた精鋭部隊しか知らぬ禁則域。一般人は存在すら知らぬその場所は、公国にとっても重要な資源を管理するために入り口だった。
金庫の扉のような、何十にも厚い金属の板。公国の地下に通ずる扉が、開け放たれる。凍りついた扉は意図も簡単に、厳重に仕組まれた防御システムは、そこを防衛する精鋭部隊と共に機能停止に追い込まれていた。
冷えきった空気を纏い、出てきたのは一人の男だった。何かを片手に持った男性は────氷の世界と化した中で一人、平然と行動をしていた。氷像と化した精鋭部隊に見向きもせず、男──────エーゼルは周りに向けて、呟きを漏らした。
「─────目的のものは手に入れたぞ、レギエル」
鮮やかな色合いの特殊な結晶体 『