IS 蒼き宙の向こうへ   作:虚無の魔術師

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第62話 闇より深く、黒より濃く

「────ガハッ!ゴホッ、オェ───ッ」

 

 

真っ白な部屋で、一人の少年が蹲っていた。両手で自身の身体を抱き抱えながら、苦しそうに呻く。喉に詰まったような声を漏らす少年の口からは、血の塊らしきものが吐き出されている。

 

 

『────やはり適合は出来ないか』

 

『どうする?この個体も失敗作として処分するか?』

 

『何を言う。ここまで上手くいった個体は彼女以外にいない。それに、まだ壊れてはいない。処分するには早計だ』

 

『そうだな。■■氏が提供してくれたものとはいえ、無駄遣いする訳にはいかん。ここは様子見としよう』

 

 

白衣の大人達が部屋の外から、様子を見ながら語る。淡々とした彼等からは少年への配慮と言うものが感じられない。それも当然、これは極秘裏に行われている人体実験なのだから。

 

生体兵器『ラグナ・デバイス』の適合実験。人間だけに特化した人工細胞 ラグナ・セルを無数に操るラグナ・コアの同調。ラグナ・セルを操るには機械のような電子盤ではなく、人間の脳のような複雑な機構が必要であった。

 

 

しかし、だ。それは実質的に不可能だった。何千も、何万もの細胞を、結合や強度すらも同時に操るなど人間の脳では耐えられない。

 

 

だからこそ、この組織の者達は人工的に作り出された生命を利用することにした。人間を模した、人間以下を。人間により近いだけで、兵器として脳の容量を広げることで、生体兵器のパーツとして機能する部品を。

 

 

遺伝子改造型個体─────それが、閉ざされた箱庭に過ごす彼等の名称であった。彼等には人間としての生活は許されているが、人間としての扱いは受けていない。

 

その理由として、彼等には名前と言うものがなかった。いや、与えられてすらいない。大人達はそんなものは不要と、使い捨てのモルモットには必要ないと考えたのだろう。あくまでも指名する場合は、割り振られた番号でのみ。

 

教えられたのは、自分達の存在意義。人間のために生き、人間のために死ぬこと。それはとても幸福であり、役に立てないことはとても不幸であると。多くの個体はそれを素直に信じてはおらず、ただ納得したように諦めているだけだった。

 

 

「……………ゴホッ」

 

 

個体名『13号』、彼もその一人だった。大人達の教えを前に、半ば諦めを覚えていた。いずれ使い潰されて死ぬであろう未来など、当に見えている以上、彼は無気力に過ごしているだけだった。

 

────どうせ無意味ならば、さっさと死ねればいい。そう思ったのはどれだけのことだろうか。少なくとも、指で数える以上は越えている。

 

 

いつものように、与えられた部屋のベッドの上で、彼は後遺症に苦しんでいた。ラグナ・デバイス適合の副作用。それは多種多様であり、彼の場合は呼吸器官の不全である。

 

どれだけ息をしようと、呼吸が全身に届かない。脳の大半が外部の兵器を制御するために使用されるため、呼吸をして酸素を送ろうとする働きが、脳から除外されてしまったのだ。

 

地獄のような日々は変わることなく、イヴは死なない程度の苦しみを味わいながら生き続けてきた。しかし、それは今日、この日で終わる。

 

 

「────ねぇ、大丈夫?」

 

 

声をかけてきたのは、少女だった。白に近い銀色の髪を下ろした幼い少女。彼女は特殊な個体であった。13号も、それを記憶している。何故なら、『ラグナ・コア』の適合に副作用を発症しない─────本当の意味で、成功体とされるモルモット。

 

彼女は特別だった。ラグナ・デバイスとなりうる存在であるため、ある程度の自由を許されており、記号以外の名前も与えられている。正に自分とは違う、選ばれた存在であった。

 

 

「…………、………っ」

 

「………苦しいの?喉、辛いの?」

 

「………っ」

 

「────分かった。待ってて」

 

 

何処かへ歩いていった彼女が少し後に持ってきたのは、口元を追おうマスクだった。ガスマスクに似た器具、人から見ればそう思える呼吸器具を、13号の口に優しく押し当てた。

 

 

「…………」

 

コフー、とくぐもった呼吸が響く。しかし、13号は酷く落ち着いていた。今まで続いていた喘息に近い過呼吸が、いつのまにか収まったのだ。何故か、本人にも分からなかった。

 

彼は、少女に感謝を示した。特に気にしていなかった彼女だが、それでも13号は何か出来ないかと思った。ここまでしようと思うとは、はじめて他人に興味を覚えたとは、彼自身も知らぬ事実である。

 

だからこそ、少女の名を聞いた。

純粋無垢に自分を助けてくれた彼女を知りたいと、彼は思ってしまった。その問いに少女は迷うことなく、微笑みを浮かべながら答えた。

 

 

 

「……………イヴ、よろしくね」

 

 

それが、己にとって唯一無二となる存在との出会いであった。この記憶こそが彼の、■■■の始まりであると。

 

 

──────

 

 

それから時が過ぎ、二人は距離を縮めていった。時間があれば互いに過ごし、イヴが大人達から貰った本を二人で読んでいた。当初は気にしていた彼であったが、気にしないでと諭すイヴに大人しく従った。

 

本には多くの事実が載っていた。少なくとも、自分達のいる世界が、己の見ていた世界がどれだけ小さいものかを理解させられた。

 

故に、考えた。本来であれば、許されぬことを。大人達から禁じられているようなことを。

 

 

「…………ねぇ、イヴ」

 

「なに?」

 

「俺達、どうやったら外に出られるのかな。どうすれば自由になれるのかな」

 

 

ふと、そんな疑問を漏らした。

そう思ってしまうまでに、彼は世界を知ってしまった。小さな部屋の中で過ごすだけのモノではなくなったからこそ、溢れた言葉なのだ。

 

 

「…………神様、じゃないかな」

 

「そんなもの、いないよ。いたとしたら、私達を助けてくれる………から。最初からいないから、神様は助けてくれないんだよ」

 

 

彼の疑問に、イヴは真剣に否定した。大人達から気に入られている彼女でも、それだけの現実を認識している。だからこそ、救いなどないと理解しているのだ。

 

 

だが、しかし。

彼だけは、静かに考えていた。神様がいないなら、助けてくれるものがいないのならば─────小さな可能性を信じてしまうように、ポツリと呟く。

 

己にとって、何より重要な答えを─────

 

 

 

「……………神様に、なれば─────」

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

黒の中で、光が走る。

周囲の暗闇に僅かに浮いた漆黒の機体 シュヴァルツェア・レーゲンが低空飛行で駆け抜けていく。ISを纏うラウラの真後ろから、伸びた黒い触手が殺到する。

 

 

振り返ったラウラが肩に連結した大型リボルバーカノンを装填し、砲撃を行う。迫ってきた触手に着弾した砲弾は一瞬にして触手を粉々に消し飛ばすが、他の触手が爆煙を掻い潜り、ラウラを狙い続けていた。

 

 

「────ちょこまかと良く動く。まるで羽虫だな」

 

 

黒い海の、この空間の支配者が彼女を嘲り笑う。イヴと名乗っていたモノ、国連の開発した生体兵器 『ラグナ・デバイス』。世界を裏から支配したつもりでいる者達の支配から解き放たれた人の姿をした怪物が、そこにいる青年を体現するものであった。

 

 

「飛び回る羽虫の気分も十分だろう─────今度は叩き落とされる感覚も味わってみるがいい」

 

 

イヴ、いや『ラグナ』の足元の海が脈動する。彼の意識を感じ取った無数の細胞が結合を行い、金属並みの強度を瞬時に引き出す。

 

 

触手から逃げるように飛空するラウラを待ち構えていたが如く、ラグナ・セルで構成された黒い顎が大きく開く。海中から獲物を食らおうとするサメのような攻撃に、ラウラは肩部のリボルバーカノンの一撃を叩き込んだ。

 

 

爆発と共に削り取られた黒い海に大穴が開いている。しかしすぐに、ラグナ・セルが増殖と分裂を繰り返し、開けられた穴を塞ぎ込む。

 

 

(やはりこれでは意味がない!狙うべきは本体────)

 

「…………そうするのは、理解できているんだが?」

 

 

最装填した大型カノンの砲撃が『ラグナ』を吹き飛ばす。厳密には、吹き飛ばされたのは彼の両腕と胴体の前面。凄まじい火力の爆撃に彼の全身が破壊されているが────瞬時に全身が修復される。

 

はぁ、とつまらなさそうに息を吐いた『ラグナ』が目を開いた次の瞬間、彼の顔が綺麗に両断された。

 

 

「─────あ?」

 

 

プラズマで形成された手刀による一撃に、彼の頭部は二つに分かれてしまう。刃の一閃を放ったラウラは深く腕に力を入れ─────両断された『ラグナ』の両眼がギョロッ! と動いた直後に飛び退いた。

 

 

ザザザザザッ!!! と、彼の身体から鋭利な刃が周囲へと炸裂する。剣山のような塊による不意打ちを何とか避けたラウラだが、自身の機体に付けられた傷を見て、僅かな舌打ちを含んだ。

 

 

「……………もうそろそろ、理解できてきた頃合いだろう?どれだけやっても、どれだけ続けても、俺を殺せないという事実に」

 

「────」

 

「コアを有してから、俺は素晴らしい全能感に満ち溢れている。数億ものラグナ・セルを同時に、並列に制御できる。お前が削り切れたのは、約数万程度のラグナ・セルに過ぎない。これだけの消耗ならば、数十人を喰らえば再び取り戻せる程度だ。

 

 

 

対して、お前のISのエネルギーは既に半分に近い。計算というものは出来るだろう?どう考えても────お前に俺は殺せない」

 

 

余裕に満ち足りた言葉。

実際に、彼はラウラを敵としてすら見ていない。殺されないという安心感、自分の方が上という全能感が、彼の心を支配し、一つの感情に染め上げていた。

 

だからこそ、彼は疑問であった。何故、ラウラが諦めないのか。彼女の瞳から戦意が消えようとすらしないのか。自身が見逃したものが答えであるとも知らず、彼は疑問をぶつけた。

 

 

「それでも、お前はまだ俺に挑むつもりか?これだけの、絶望的な状況でありながら」

 

「…………ああ、私は信じているからな」

 

「?俺に勝つことを、か?────随分とまぁ、妄想に近い夢を見ることだ。だが、それは人の言う勇敢ですらない。蛮勇にも劣る愚行だと、理解しても尚の選択かな?」

 

「フッ、お前こそ。理解しているのか?私が何を信じているのかを」

 

「………強さだろう?」

 

 

少しの前の彼女なら、当然だと頷いただろう。しかし、現在のラウラは否定した。首を横に振り、怪訝そうに眉をしかめたラグナに向けて、教えてやると言わんばかりに告げるのだった。

 

 

 

 

「─────共に並び立つ、大切な仲間だ」

 

 

ラウラが言葉を終えた瞬間のことだった。

突然、ラグナが崩れるように膝を着く。その光景は、ここに来てから彼が見せたことのない程の焦りを体現していた。しかしそれは、彼だけではなく、他のものも同じだった。

 

 

『───────ッ!!』

 

 

甲高い奇声のような不協和音が響き渡る、黒い闇の世界が蠢き始める。構築されていたラグナ・セルの結合が外れ、分離を行い始めたのだ。その様子を感じ取ったのだろう、ラグナは苦痛によって生じた汗を吹き出しながら、顔や胸を押さえ込む。指の隙間から覗く瞳を剥き出しにし、彼は問い掛けた。

 

 

「な、何を────したッ」

 

「お前のコア、時結晶を取り込んだコアを破壊したのさ。私の仲間…………いや、私の婿がな」

 

「コアを、破壊した、だとッ!?」

 

 

青ざめたラグナの言葉が途切れる。頭と喉を抑え、過呼吸になり始める青年。大量のラグナ・セルの負荷が、今になって彼に襲いかかる。その負荷を失くす為に、少量のラグナ・セルを制御してきた前とは違い、コアを取り込んだことで全能感に染まっていた彼は多くの命を奪い、ラグナ・セルを増幅させ続けてきた。

 

 

その行為が、今になって彼を追い詰める要因となる。脳を動かす限界を示す信号が頭痛を示し、その負荷が彼の頭脳を圧迫していく。胸をかきむしり、彼は自身を蝕む激痛に苛まれたまま─────フラリと、立ち上がった。

 

 

 

「なめ、やがって───俺を、誰だと思って、やがるッ」

 

「…………」

 

「俺はッ、神だぞ。世界を、人類を超越したッ、究極の存在だ─────お前らみたいな低俗な下等種族なんぞに、遅れを取るわけがないッ!!」

 

 

それは、ラウラに向けた言葉ですらなかった。おそらく自分自身に言い聞かせているのだろう。揺らぎ始めている己の自我を確固たるものへとするために。それしか、縋るものがないだろう。

 

 

かつてのラウラ・ボーデヴィッヒが絶対的な強さを、信じ続けていたように。

 

 

 

「まだだ………!俺は、まだ終わってない!もう一度地下に潜り、時結晶(タイム・クリスタル)を吸収すれば!俺はまた神に戻れるッ!」

 

「────私がそれを、赦すとでも?」

 

「………!この、木偶が!俺の邪魔をするなァ!!」

 

 

禍々しく濁った瞳を輝かせたラグナの纏う黒い闇が蠢き始める。無数の触手が弾けると共にうねり、ラウラ・ボーデヴィッヒは己の武装を展開し、前へと突き進むのだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

『─────13号、イヴ。本日の実験の時間だ』

 

 

思い出すのは、ある日の記憶。白衣の大人に呼び出された13号とイヴは二人で向かっていった。当初は一人ずつの適合実験であった為、困惑していたが隠せなかった。

 

 

その二人の疑問に答えるように、白い部屋に閉じ込められた彼等に『ラグナ・コア』が取り付けられた。互いの顔を見合う二人の少年少女。彼等に対し、大人達は淡々と言葉を送った。

 

────ただし、取り付けられたのは無数のケーブルであり、その先にあるラグナ・コアは一つだけである。常に一人一つは装着されるはずなのだが………そう思っていた二人に告げられたのは、悪魔のような現実であった。

 

 

『───ラグナ・コアの適合実験の果てに一つだけ判明した。ラグナ・セルの制御を可能とするためには一人では足りないらしい。もう一人、ラグナ・セルの制御による負担を背負う個体が必要と仮定される』

 

「────」

 

『そこで、選ばれたのが君達二人だ。比較的に適合率の高い13号と、副作用の効果を受けないイヴ。君達のどちらかが「ラグナ・デバイス」となり、どちらかが負担を補う犠牲になる。それでようやく、我々の望んだ兵器が完成するというわけさ』

 

 

そうして、地獄が始まった。

どちらかがどちらかに負担を、ラグナ・セルの副作用を押し付けるか。二人分の負荷を背負うことになれば、どちらかが死ぬかもしれないと大人達は告げた。

 

閉ざされた真っ白な部屋の中で、適合実験が始まった二人は黙り込むしかなかった。互いの顔は見れない、見てしまえば精神的に追い込まれてしまう。

 

この時点で、13号の答えは決まっていた。

 

 

 

(────俺が、背負うしかない)

 

 

自分が代わりに死のうと、決心していた。イヴだけは、彼女だけは生かしたいと、彼は既に覚悟を決めていた。

 

自分に生きる理由を、存在理由を、誰も知らないもう一つの名前を与えてくれた大切な人なのだ。恩義に、彼女に報いなければいけない。

 

────自由に生きたい、そう願っていた彼女の為に、自分が命を捨てるべきだ。それが彼の、13号が意思であった。

 

 

『────フッー、フッー』

 

 

荒い呼吸が、ガスマスク越しに響く。恐怖心が、死への怯えが、彼の心を支配しようとする。それでも、決意によって何とか抑え込んだ。自分の命を捨ててでも、イヴだけは助けてみせる。人間達の為ではなく、誰よりも大切な彼女のために。

 

 

そう思っていた13号だが──────ふと、気付いた。

 

 

 

 

「…………?」

 

 

いつも続いていた副作用が、呼吸が辛くなる症状が、何故か消えていた。それどころかいつも身体が重くなるはずだが、自然と身体が軽くなっていた。

 

どういうことか戸惑っていた13号は、迷いながら辺りを見渡す。イヴの様子を確認しようとして─────

 

 

 

 

─────全身から血を噴き出して倒れたイヴを見て、思考が空白に染まった。

 

 

 

「────────なん、で?」

 

 

最初に生じたのは、困惑だった。事実を、イヴが倒れている光景を前に、疑問を溢すことしか出来なかった。どうして彼女が倒れているのか、どうして全身から血を流しているのか。それらの答えを見出すことが出来ず、思わず駆け寄ろうとする。

 

 

 

『─────成る程、十三号が生き残るとはな。少々意外な結果だ。彼の方が生への渇望が強かったのかな?』

 

 

感心するような大人の発言に、思考が深まる。どちらかが負担する、背負わせる。それはつまり、その気になれば他人に負荷を押し付けることが出来るという意味か。

 

 

「…………ち、ちがっ」

 

 

一つの可能性に、震えてしまう。脳裏に過る答えを信じたくないと、脳が拒絶しようとする。理解してしまえば、全てが覆ってしまう。己の信じたもの全てが。

 

 

だが、既に理性は受け入れていた。

イヴが死んだのは、自分のせいだと。自分が無意識に生を望んだせいで、彼女は命を失ったのだ。

 

 

 

 

「───────────ッッ!!!」

 

 

発狂した彼の足元から、闇が溢れる。無数のラグナ・セルが自我を有した影となり、激情に呼応するが如く、周囲を蝕んでいく。

 

 

────同日、彼等が望んだ『ラグナ・デバイス』はついに完成した。研究所を己の影で取り込み、そこにいた多くの生命を喰らい尽くしたことで。

 

 

 

そして、誰も知らない事実が、要因が、存在していた。一つは、この実験は外部からの細工がされていた。誰もが知らない小さな悪意が、人為的な暴走を発生させたのだ。

 

 

『────ラグナ・デバイスが暴走した!制御装置を起動させろ!』

 

『無理だ!効果がない!ラグナ・デバイスの機能停止が応じない!これは、どういうことだ!?』

 

『言っている場合か!早く避難をしろ!巻き込まれるぞ!』

 

 

そして、もう一つ。発狂と共に正気を失った『ラグナ・デバイス』は全てを飲み込もうとしたのだ。実験動物として、人間以下として扱われてきた自分達の恨みが、『ラグナ・セル』に伝播したのか。

 

黒い影が襲ったのは、研究所の職員や属していた兵士だけであり、同日には軟禁された非検体達には手が出されなかった。

 

 

『あばっ!? ああああああ ッ!!痛い、痛い痛い痛い!!』

 

『いやだ!いやだぁ!!誰か、誰か助け─────っ!!』

 

 

黒い影は、生命を吸い続けた。

己の細胞を分裂させるためにラグナ・セルが彼等に向けた行為は原始的なもの─────補食であった。

 

人体を喰らい、取り込む。一部をひきちぎり、飲み込む。生きたままラグナ・セルへと変化させ、同化する。そうして、ラグナ・デバイスは多くの生命を喰らい尽くした。

 

 

「────こんな」

 

 

補食行為、細胞を取り込む度に、『彼』は冷静になり始めた。あらゆる知識が、あらゆる情報が、彼の中へと伝わってくる。

 

目の前で死に行く大人達を見た彼は、言葉を呟く。乗せられた意味と、彼が抱いた感情は、濁りきったものであった。

 

 

 

「こんな、脆弱な生き物が───俺達より、上だと?」

 

 

────失望。

自分達より格上だと、生命を捧げて奉仕するべきと宣った奴等の最後。それは自分達が作り出し、実験動物と見下していた人間以下に適応した細胞によってアッサリと殺されていく始末だ。

 

 

「こんな奴等の為に、俺達の命は消耗されるのか」

 

 

人間のために生きて、人間のために死ね。大人達が長年口にしてきた教えだ。それを信じていた者は何人も、何十にもいたはずだ。しかし、同族達は知らないのだろう。

 

 

───人間なんて救う価値がない、自分達よりも欠陥の多い、劣等種であると。

 

 

 

「─────ならば、俺が支配してやる。こんなことしか出来ぬ、無意味で愚かな生き物どもを」

 

 

多くの生命を殺し、喰らった彼の自我は純粋な悪意に支配されていた。自由になりたい、そう願ったからこそ憧れた神という存在を、彼は下等種族の支配という形にすげ替えてしまった。

 

本人に、その自覚はない。ラグナ・デバイスによる精神汚染を受けた彼は己の不義すら疑わず、自分達以外の人間を嫌悪し、怨嗟するモノであった。

 

 

「俺が、いや────俺達が」

 

 

足元にあった亡骸を抱き抱え、彼は呟く。一瞬だけ迷いを見せたのも束の間、彼は少女の亡骸を闇に飲み込み、同化した。大切に思っていた少女を己の一部へと変換し、彼女から手渡されたガスマスクを拾い上げ、口元へと嵌め込んだ。

 

 

そして────彼は『イヴ』となった。

今は顔を忘れた少女の名前だけは忘れぬように、人類への怨嗟と逆襲を刻み込む為に。闇社会に潜み、いずれ神となる時を待ち続けた。人間達に自分達の怒りを教える、それだけのために。

 

 

……………なのに、何故なのか。

 

 

記憶の中にいる彼女は、どうして笑ってくれないのか。自分は、人間に利用される作られた非人間達を救おうとしているのに。

 

何故、いつも自分の手を引こうとするのか。自分を憎んでいるのか、生き残るために無意識に命を奪った自分を、恨んでいるのか。

 

何故─────哀しそうな顔で、此方を見るのか。

 

 

 

何故、何故、何故──────どれだけ考えても、分からなかった。何故、彼女は──────何故、自分は、

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「─────何故だッ!?」

 

 

否定するように、叫ぶ。彼の顔には先程まであった余裕は微塵もない。砲撃により腕が吹き飛ばされ、電子の刃によって喉が貫かれる。それでも、ラグナは無数の細胞で傷を塞ぎ、腕や足を戻していく。

 

明らかに押されていた。制御効果内を越えたラグナ・セルによりオーバーヒートした彼の自我は、即座に思考を立て直す。過剰なオーバーヒートによる激痛の中、己の再生と攻撃にラグナ・セルを転用する。

 

自分の目の前の敵は、ラウラ・ボーデヴィッヒは全力を出せてはいない。既にISのエネルギーも半分を切っており、装甲も損傷が目立っている。

 

 

なのに、なのに。

 

 

「何故まだ戦える!?何故ここまで追い込まれる!?ISなんてモノを纏っただけの同族に!俺が!神となったはずのこの俺が!!」

 

 

シュヴァルツェア・レーゲンとラウラ・ボーデヴィッヒ。自分よりも格下であるはずの存在が、未だ自分に食らいついていた。強い決意の衰えぬ視線に、萎縮し、無意識に気圧されていた。

 

 

しかし、ラグナが追い込まれている要因は、それだけではない。

 

 

(───ク、ソッ───息が───苦しっ)

 

 

脳に及ぶ熱と頭痛、そして副作用であったはずの過呼吸状態。大量のラグナ・セルの制御を行ったことで、彼の状態は酷い悪化を辿っていた。

 

新鮮な空気を求めるように呻くか細い声が漏れる。ふと、ガスマスクの存在を思い出し、縋るように必死に求めた。しかし、覚醒した余韻に満ちていた自身が捨てたことを、同時に思い出してしまう。

 

 

絶望と後悔、殺意と憎悪────様々な感情が渦巻く中、一つの声が耳元で囁いた気がした。

 

 

─────力が欲しいか、と

 

 

 

 

 

 

(────まだエネルギーは残っている!これだけなら、奴を倒すことも難しくはない!)

 

 

ISのシールド残量を確認したラウラは、周囲から迫る黒い闇を打ち払い、切り捨てながら前を見据える。

 

全身を抱き締めるように悶えるラグナ。激痛に苦しむような彼に、ラウラの心に迷いがないといえば嘘であった。しかし、躊躇はできない。彼のことを案じるのであれば、動きを止めることが先決である。

 

 

だが。

目の前で、ラウラの視線の先で、ラグナが大きな変化を示した。

 

ズズズ、と周囲の世界と同化していた黒い闇が、彼の方へと集まっていく。全身を抱き抱えていたラグナを包み込むように、ラグナ・セルが収束していき、ついには彼の身体を包む繭へと様変わりしていた。

 

 

そして─────黒い闇のヴェールを払い、ラグナが姿を現した。

 

全身に影を纏ったその姿形は異形の者へと変貌している。流体となったラグナ・セルが体表を流れ、生きた鎧を構築したラグナは頭部の隙間から瞳を覗かせ、影に浮かび上がる無数の眼光と共にラウラを睨んだ。

 

 

「…………随分、変わったな」

 

『───それもこれも、お前等のせいでな』

 

 

だが、もうどうでもいい、と彼は吐き捨てる。濁りきった憎悪を眼に宿し、ラグナは宣言した。

 

 

『お前を、お前だけは俺の手で殺す。そして、俺は再び神に返り咲く』

 

 

最早、理性など関係ない。神という妄執に凝り固まった人形には、何も見えていない。己が求めた、人類を支配する神という目標以外は。

 

 

無数のラグナ・セルを自分自身に収束させた異形が、一歩踏み込む。それだけで、影の鎧が弾ける。暴発するような勢いで、『ラグナ・セル』で構成された刃が辺り一帯を全て切り裂いていく。

 

 

『────殺す、殺す……殺ス、殺───殺す』

 

 

殺意の塊、全ての攻撃に殺すという意思だけが乗せられている。あの異形の中には、それ以外の思考はない。激痛と苦痛の狭間にある彼の意識が、磨耗しているからである。

 

 

「─────ッ!」

 

 

刃の雨を掻い潜ったラウラが、レールカノンの砲撃を撃ち込んだ。熱と威力を伴った一撃は、流体の鎧を壊すには至らない。────常に流れていく装甲が、修復を繰り返すため、効果が無いように見えるのだ。

 

 

「っ!ならば────」

 

 

プラズマの手刀を展開し、近距離へと縮めるラウラ。縦横無尽に迫る触手の刃を潜り、斬り伏せながら、前へと進み、ラグナを鎧ごと貫いた。

 

しかし、肝心の感覚がない。ラグナ本体に届いた手応えがないことに気付き、咄嗟に腕を退こうとするが────

 

 

 

『─────ラウラァァアアアアアアアッ!!!』

 

 

鎧が弾け、影が殺到する。鎧に中身はなかった。いつの間にか、中身は影の中へと溶け込んでいたのだろう。まんまと攻撃を放ったラウラは偽物の影の不意打ちにより、左側の顔に斬撃を浴びる。

 

 

「くうッ!?」

 

 

呻いた彼女の四肢を、影が縛り上げる。簡単な拘束では抜け出せぬほどの力を込めながら、足元の影から姿を見せた本体が、獣のような形容のまま、歩み寄る。

 

 

『殺す、コロス───殺ス、殺スゥゥゥゥゥゥ!!』

 

 

正気ではない言葉を口走りながら、止めを差そうとするラグナ。目の前に迫る黒い刃の獣を前に────ラウラは不敵に笑った。

 

 

「─────ようやく姿を見せたか」

 

 

直後、彼女は肩部のレールカノンの照準をラグナへと向ける。至近距離、避けることなど出来ぬ距離からの砲撃。

 

しかし、それではダメだ。ラグナの纏う鎧は流体金属のように、強固なものとなっている。至近距離の砲撃であろうと、一撃で倒すことは出来ない。

 

そんな懸念を他所に、彼の鎧に変化が起きた。

 

 

ガチガチ、と砲撃が直撃する部分の影が動きを止めたのだ。固形物のように停止するラグナ・セルは硬化することも出来ず、流れを止めてしまう。

 

 

「さっきのは感謝する─────お陰で眼帯を取る手間が省けた」

 

 

先程の攻撃で眼帯を失った金色の左目を輝かせるラウラ。ISのセンサーの機能を上昇させる左目が展開されたことで、彼女の持つAICが高性能なものとなり、細胞単位まで停止を強制させることが出来る。

 

 

そして─────流体を止めた部分目掛けて、レールカノンの砲撃が直撃した。ラグナ・セル焦がし、それは内側にいたラグナと同化していたコアにヒビを入れた。

 

 

────────ッッ!!

 

 

悲鳴のような音と共に、ラグナ・セルが消滅していく。鎧となって全身を覆っていた影から引き剥がされ、吹き飛ばされた青年は─────自分に叩き込まれた衝撃により、意識を断絶されたのだった。

 

彼が倒れた直後に、公国の領域に広がっていた黒い海、ラグナ・セルの集合体が消失していく。それは、公国で引き起こされた大規模なテロの終焉を示す合図となり、一帯にいた人々に知らされることとなった。

 




次回でこの章は終わりとなります。
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