もはや生きてるかもわかんねえが、これだけは言わせてくれ。
「――丈夫な体に産んでくれてありがとよ、お袋」
振り抜かれた金属バットをギリギリのところで躱し、すれ違いざまに仮面に操られた人間の頭をフライパンでぶん殴った。
ごおん。ぶちぶちっ。既にちぎれかけていた首が、ごろごろマンションの廊下を転がっていった。身体の方はしばらく痙攣していたが、やがて死んでいたのを思い出したかのように動かなくなった。
「警官が人殺しなんて、笑えねえ冗談だぜ」
フライパンに残った血を振って払いながら、廊下の奥の薄暗がりを睨む。
「さあ来いよ仮面ども。俺ぁこれでも剣道が得意なんだ」
「……ギャハッ」
薄暗がりが蠢く。次の瞬間、正眼に構えていたフライパンが弾き飛ばされた。
「なっ……!?」
カランカランと金属質な音を立て、凹んだフライパンが転がる。その横にぼとりと落ちたのは、人間の手首だった。
薄暗がりが蠢いた。そして、ぬらぬらと赤い光を湛えた刃物が振り下ろされ、続いて肉が切れるような音がした。
「おいおい――死体損壊罪だぞ」
慌てて1番近くの部屋の玄関扉を開け、その影に身を隠した。金属製の扉は、即席ながら立派な盾となった。水風船を叩きつけたような音と衝撃が、扉一枚隔てた向こうで次々と炸裂している。
「銃撃戦なんざしたことねえぞ……つーか拳銃よこせよ俺にも。戦力差が絶望的すぎんだろ」
ドアはこちら側に開いた。つまり、部屋に入って籠城はできない。廊下に散らばる肉片や骨片を睨む。空は憎たらしいほどの青空だった。
▽
何でこんなことになってるか、思い出してみる。
空が裂けてからおよそ1週間が経った。その裂け目から大量に現れた仮面は、人間に張り付くと首を無理やり回転させて殺し、死体を操って別の生存者を襲う。
と言っても、ゾンビみたいに不死身だとかそういうわけじゃない。あいつらの強みはリミッターのぶっ飛んだ身体能力ともう一つ、気味の悪い笑い声だ。
なんつーか……あの下卑た笑い声が聞こえると、心が折れそうになるんだよ。何もかも放り出して、自分の死を受け入れたくなるような気分にさせられる。
だから最初の2日は地獄だった。そこかしこで悲鳴が上がって、それが絶叫になったと思ったら、けたたましい笑い声に変わる。情けねえ話だが、そういう時は布団を頭からかぶって恐怖に耐えることしかできなかった。
けど、だんだん日にちが経つにつれて、悲鳴は少なくなっていった。それはつまり――襲う獲物が見つかりにくくなったってことだ。おそらく、この街では死者の方が多くなったのだと気付いた。
そうなると不思議なもので、俺の心に真っ先に浮かんだのは助かったことに対する安堵じゃなく、
俺は警官だ。
俺の仕事は街の平和を守ることで、同僚や上司だってそう思って戦ってる。あの日、空が裂けて仮面が降ってきた時だってそうだ。
そんな中ただ俺だけが、非番だったからという理由で降って湧いたような生にしがみついている。
良いのかよ、そんなので。
自衛隊も増援も来ないこんな状況で、俺以外に誰が街を守るってんだよ。
俺はリュックにインスタント食品を詰め込んだ。台所から包丁とフライパンを持ってきてベルトに吊る。どっかの宿でもらったマッチやいつか買って使わなかった十徳ナイフなんかを引っ張り出して、持っていくものを選別する。
「……うし。まずはこのマンションの安全確保だ」
気合を入れ、ドアノブを開く。ガチャリという音の裏で、「キャハハッ」という笑い声が聞こえた気がした。
▽
そうして――俺は絶体絶命のピンチに陥っていた。
「ジリ貧だな」
何か、この状況を打破する策が必要だ。例えば――扉を固定できれば、その影に隠れて一つ後ろの玄関扉が開けられるかもしれない。それを繰り返せば廊下の端まで退却できるぞ。
リュックを漁り、ドアストッパーの代わりになりそうなものを探して、ふと破裂音が止んだことに気がついた。
「……しくじった!」
慌ててドアスコープを覗く。依然として廊下の奥には仮面どもが身を捩っていたが、攻撃してくる様子はない。
「……距離を詰めてくる訳じゃないのか」
じゃあ一体、何を考えている? 脳裏にいくつもの可能性が過り、それを取捨選択するより答え合わせの方が先に来た。
「ねえ、人間」
「ッ……!?」
俺の足元から聞こえた声は、不協和音とノイズを混ぜ込んで吹き鳴らしたような悍ましさを秘めていた。
いつの間にか、そこには少女がしゃがんでいた。視線を床に固定し、飛び散った肉片を指で突いている。
「人間はさ」
小学生くらいの背丈の少女は、俯いたままノイズのような声で言葉を続けた。スカートの端がぐっしょりと血で濡れていて、嫌な匂いを放っていた。
「1人で生きられないもんね。私もそう。だからね、私、あなたを生かすことにしたんだってさ」
少女は爪のなくなった指を上に向けて指した。
「屋上に行きなよ。鮮度長持ち、みんな嬉しい」
そして、こちらを見上げる。街に蔓延るものとは
「それとも……ここでおしまいにする? 私はそっちの方が面白いけど」
――ギャハッ、ギャハハッ――
気づけば、仮面を被った死体が俺を囲んでいた。首から血を流し、身を捩るその姿は、明確に俺を嘲笑っていた。
幽香出せなくてごめめ
多分次には出てくる