side 趙雲
公孫賛殿から兵を預かり、私達は急いで黄巾党とやらに襲われていると言う情報のあった村へと駆ける。
公孫賛殿が保有している馬は皆足腰が強く、頑丈であるがゆえに体力もあり、その上足も早いと言う非の打ち所の無い名馬ばかり。どのような伝を使って馬を仕入れてきているのかは知らないが、公孫賛殿の努力の結晶とも言える騎馬隊を任されているのだから……早々負けられませぬな。
「……しかし、相手は一万もの大軍であると聞きます。たった二千程度の増援が向かった所で、どうにかなるような数ではありません」
「なに、問題なかろう。こやつらは単独でも十分にそこらの兵とは一線を画する実力を持っているが、数が増える度にその実力を越える力を発揮するからな」
孔明軍師の不安げな言葉を、愛紗が当然のように吹き飛ばす。事実として公孫賛殿の兵は数を増やせば増やすほどにその実力を倍々で増していくと言う、実に数の力を理解している軍なのだ。
単騎でも五十人以上の賊を討ち取れるだろう実力を持つが、それが二人になれば百二十、三人になれば二百もの賊を討ち取れるような……一騎当千ならぬ『十騎当千、百騎当万』の公孫賛殿の軍。それを率いている私達が、高々数が多少こちらより多いだけの訓練すらしていない賊などに遅れをとることなど……まずあり得ない。
……だが、前にもこのように油断をして一般兵に倒された経験のある私としては、ここで油断をすることがどれほど危険なことかはそれなりに理解はしているつもりだ。
故に、私は敵を殲滅するまで気を抜かない。あの時は訓練であり、味方だったから私の命は助かった。
しかし、実戦で破れれば私は確実に命を落としていた。……あるいは、女として辱しめられることにもなり得た。考えたくもないことだがな。
「……この速度なら、あと一刻もすれば目的の村まで行けると思います。馬には無理をさせてしまいますが、急がないといけないんですよね?」
「まあな。だが、その程度は無理には入らんさ。なあ?」
私は後ろを走る陽戦隊機動騎馬組第八班の班長へと話しかける。私が知っている限りでは、確か騎馬を扱う者達は毎日二刻、騎馬を扱う訓練をしていたはず。
その間は騎馬はひたすら走り続け、騎乗しながら片手で馬を操り、もう片方の手で剣や槍を扱う者や弓矢を扱う者等、騎乗者も騎馬も限界近くまで鍛え上げられていた筈だ。
私の問いに、機動騎馬組の第八班長は答えた。
「無論です。この程度で潰れるような馬も兵も、伯珪様の常備軍の中には存在しません」
堂々と、誇らしげにそう答える班長に、彼の部下が同じように胸を張る。
全員が当然のように馬を駆りながら姿勢を正す姿は、公孫賛殿の軍の精強さをうかがわせる。
……だが、私は孔明軍師と士元軍師の体の方が心配であったりする。
馬に乗ると言うのは、それはそれで疲れるものだ。かなり揺れるし、体勢を崩せばそれを戻すのにも体力を使う。
まっすぐ走らせるだけでも体力を使うところを一刻も乗り続ければ、大の男でも疲労する。鍛えていない幼子ならば……疲労で気絶してしまってもおかしくはない。
……だが、どうも乗りなれているのかそれとも見ていないところで鍛えているのか、孔明軍師と士元軍師には疲労している様子は無い。
それどころか、騎馬の上でこれからの戦術を詰めている様子まで見られるのだから頼もしいと言う他無い。
……さて、そろそろ武辺者である私の出番か。考えることは苦手ではないが、やはり私は思うがままに行動する方が性に合っているのだから仕方が無い。
武辺者は武辺者らしく、目の前の敵を滅ぼすことに全力を向けるとしようか。
……公孫賛殿はあまり怒らない分、一度怒ると手がつけられませんからな。前に一度白金殿を冗談混じりで誘惑してみた時など…………いや、言うまい。と言うか思い出したくない。
あれは…………怖かった。武人としてではなく、女としてではなく、人間としてでもなく……一つの命ある物として、あの時の公孫賛殿は本当に怖かった。
……しかし、何が悪かったのであろうな? 誘惑していても、初めのうちは常の苦笑いを浮かべていた筈なのだが、いつの間にかあの悪鬼羅刹のような表情に変わってしまっていた。
いったいどの行為が公孫賛殿にあのような表情をさせてしまったのか……それがわからねば再び誰かが同じような状態になってしまうやもしれん。そうなったらもう、公孫賛殿を止められる者は白金殿しかいなくなってしまう。
しかし白金殿は公孫賛殿の行動を諌めることは殆どしない。と言うよりも、この世全ての事象をどうでもいいものとしか見ていない節がある。そんな白金殿が公孫賛殿の行動を抑えることなどはまず無い。
流石に他者の命が掛かっているときには多少なりとも行動するそうだが……どこまで信用できるか怪しいものだ。
「……星? どうした? 顔色が悪いようだが……」
「……む? いやすまんな、少し考え事をしていただけだ」
……それこそ、もしかしたらこの大陸の行く末をも左右するやもしれん重大な考え事を……な。
私はそんな思いを振り払い、徐々に迫る黒煙の根本に向けて馬を走らせる。
あそこで今も一万の賊と千人長率いる公孫賛殿の兵が戦っているのだ。一兵たりとも無駄な血を流させることは許されない。
「急ぐぞ、愛紗!」
「応!」
私と愛紗は互いに鼓舞し合い、借り物とはいえ精鋭と呼べるだけの実力を持った軍を率いて戦場を睨み付けた。