side 公孫賛
洛陽に到着したのは太陽が空の上に昇り切るよりは早い時刻だった。とりあえず馬を地味にして隠しつつ洛陽の大通りの一区画に繋いで核金を三つほど装備。これで三時間もすれば疲労は完全に抜けているはずだ。前に確認してみたし、間違いない。
そして私はそのまま大通りを抜けて、董卓の居る城に入り込む。私は普通に地味だから誰にも気付かれること無く普通に入れたし、ちょっと厨房にいた料理人や城で働く使用人に挨拶をしてみたら普通に返された。やっぱり私はどこまで行っても普通で地味なんだな。うん。
そしてそのまま城の中を覗いてまわる。執務室らしい所には賈駆が居てぶつくさと文句を言いながら書類を片付けていたり、中庭ではぎこちないながらも武器を持った兵士達が調練を繰り返したりしていた。
しかし……いや、むしろやはりと言うべきか、どう見ても洛陽で董卓は暴政を振るうようなことはしていない。普通の町娘のような格好をして井戸端会議に混じってみても、董卓の悪い噂は聞こえてこない。それどころか連合軍の方が評判が悪い。
……まあ、でっち上げられた理由で攻められた側からすれば当然の事だろうが……桃香がこの事を知ったらいったいどんな反応をするんだろうな?
助けようとした民を怯えさせ、罪無き者を弾劾し、敵も味方も無意味に殺した桃香は……なぁ?
……なんてどうでもいいことを考えながら、私は兵の首に、民の首に、将の首に、軍師の首に剣を降り下ろす。
切断直後に切断を隠したため誰一人として死んではいないが、死んでないと言うだけで私が隠すのを辞めればずるりと首が落ちるだろう。
そして今度こそ、死ぬ。
例え失敗してそうなったとしても、誰一人として私を疑う者はいない。疑うにも、まず私に意識を向け、疑いを持つことからして不可能に近い。何しろ私は地味で地味で地味すぎて、親友から素で幽州の州牧として働いていることすら忘れられるような女だからな。
それに、私は昨日の時点で汜水関に居た。私の特技と馬自体の性能の良さでこうして一夜にして洛陽まで来ているが、私以外には早々できることではない。
一夏は馬の数十倍の速さで走る鉄の馬を持ってるし、そもそもそんな物を使わないでも非常識に早いからできるだろうけど、私みたいな普通な奴はああして馬を使わなくっちゃできないんだよ。
……さてと。それじゃあ前準備も終わったし、次は御本人との交渉といこうか。
side 董卓
戦争が始まって、華雄さんや霞さん、詠ちゃん達が頑張ってくれている。
兵の皆さんも、私のせいで戦争になったのに、私を守ると言って戦場に向かってくれた。
この町に残っている人達も、戦争のために税が上がっているにも関わらず、私に優しい言葉をかけ、笑顔を向けてくれる。
そんな彼らに私ができることなんてなにもない。精々彼等に笑顔を返して、優しい言葉をかけることしかできない。
そんな私が情けなくて、それしかできないことが悲しくて……なにより、そんな風に優しくしてくれる人を死地に向かわせなくちゃいけないことが悔しくて。私は毎晩、自分の部屋で一人になった時に泣いていた。
だけど、それは詠ちゃんにも他の皆さんにも知られちゃいけない事だから、ぎゅうっと体を丸めて、お布団や自分の手で口を押さえたりしながら、誰にも知られないように。詠ちゃんも恋さんもねねちゃんも、自分にできることを沢山頑張っているから、せめて迷惑だけはかけないように皆の前ではずっと笑顔を浮かべて、大丈夫だと言い続けてきた。
「よう、董卓。ちょっと私と話をしないかい?」
そんな声と共に現れた、その人が私の前に現れるまでは。
突然のことに驚いた私は寝台の上で飛び起きようとするけど、直ぐ様近付いてきたその人の手に口を塞がれて両手を抑えられたまま寝台の上に押し倒される。
月明かりに照らされたその人の顔が私のすぐ近くにあって、私は頬を朱に染める。
「悪いけど、騒がないでくれよ? 私がここに居ると知れたら色々面倒だし、お前に危害を加える気も無い。ただ、話をしに来ただけだ。……わかったら、ゆっくり目を閉じろ」
両手を絡め取られ、口を塞がれ、押し倒されている今の状況じゃあ暴れても私じゃ何もできない。それに、この人なら殺そうとしている私に声をかけるなんて回りくどいことはせずに淡々と首をはねるだろう。
それが理解できたから私は強張った体から力を抜き、ゆっくりと一度瞼を閉じた。
その女の人は私からゆっくりと離れて行き、寝台の近くの椅子に座った。真っ赤な髪が月の光に照らされて、とてもとても綺麗に映る。
「乱暴にして悪かったな。騒がれるわけにはいかなかったからそうしたんだが……痛いところはあるか?」
さっきまでの神秘的な空気をそのままに、その人は私に話しかけてきた。私は体を確認するけれど、痛いところは一つもない。
「大丈夫です。……えっと、貴女は?」
私が小さな声でそう聞いてみると、その人は黒(ヘイ)と名乗ってくれた。
「さて、それじゃあ早速本題に入るが……お前、ここで暴政なんて働いてないだろ?」
一日この都を見て回って、本当に暴政を敷いているならこれほど民に好かれている筈がないからなと続ける黒さんに、私はこくりと頷いた。
「だったら話は早い。お前、この戦争をさっさと終わらせたくないか?」
───それは、本当に甘美な誘い。無力を嘆いて泣くことしかできなかった私が、心の底から願った事だった。
「っ!どうすれbぅむっ!?」
「騒ぐなっての」
あまりのことに大きな声をあげそうになってしまった私の口を、黒さんがすぐに押さえる。けれどそれは少し遅く、外から部屋の見張りの声が聞こえる。
「董卓様? なにか……」
「いや、なんでもない。少しばかり夢見が悪かっただけだ。気にせず見張りに戻れ」
そう黒さんは言ったけれど、私以外の声がこの部屋から聞こえるのはどう考えても……
「そうですか……わかりました」
……って、あれ? どうして……。
私がそう思っている事なんて関係無く、外の人達は静かに……それこそ何もなかったかのように静かになってしまう。
私には理由がわからなかったけれど、黒さんがなにかをしたからそうなっていると言うことだけはわかった。
静かになった私の部屋で、黒さんが私に向き直る。
「それじゃあ、話の続きといこうか」
眼前で浮かべられた黒さんの笑顔に、私は頬を染めながら、こくりとうなずく事しかできないのだった。
……へぅ。なんだか胸がドキドキ……。