side 公孫賛
私の兵によって占拠された汜水関の中。華雄と張遼を前にして、私はほんの少しだけ前のことを思い出していた。
あの後、私は月を連れて遅くまで起きている賈駆の元へと移動した。誰かに知られるわけにはいかないので月を抱えて移動したのだが、月は何故か顔を真っ赤にしたまま固まってしまっていた。
そして執務室の扉の外に居る兵に適当に挨拶しながら執務室に入り、それからするっと賈駆の口を後ろから塞いだ。
当然賈駆は暴れようとしたが、軽く首元に爪を押し当ててやると静かになる。私は確かにそこらの人間の首程度なら接触状態から予備動作無しで肉を削ぎ落として骨を抜き取ることだってできるが、今までそれを見た相手は全員死んでいるからそう警戒されるようなことはないはずなんだが。
……まあ、静かにしてくれるんならこっちの方が楽だから構わないんだが、あんまり警戒されてると話が進まないから困るんだよな。
私は賈駆の耳元に唇を寄せ、そして囁くように言葉を紡ぐ。
「動くなよ、賈駆」
「静かにしないと駄目だよ、詠ちゃん」
私の直後に聞こえただろう月の声に、賈駆は大きな反応を示す。どうやら月は賈駆に相当大切に想われているらしい。だからこそこんな状況になったとも言えるが、そんなものは私の知ったことではない。
「いい? 大きな声を出しちゃ駄目だよ?」
「……」
こくん、と頷くのを感じて、私は賈駆の口から手を離す。賈駆はゆっくりと私の方を向き、訝しげな表情を浮かべる。
大方私が誰だかわからないのに見覚えがあるからとまどっているんだろうが、それは異常でも何でもない普通のことだ。
「……あんた、誰よ?」
そんな賈駆の問いに、私は外に漏れないような小さな声で答える。
「私は公孫賛。幽州の州牧をやっている。今回は暗殺じゃなくて話し合いに来た」
「ふん!連合を組んで月を嵌めた奴の言うことなんて信じられむぐっ!?」
「静かにしろっての」
しゃべくり始めた賈駆の口を顎ごと止める。口を開いた状態で顎関節の一部を片手で押さえて動かなくして、そのまま月をもう片方の腕で抱き締める。
こうなる可能性もあったから月には先に説明しておいた。だから月は私に抱き寄せられても反抗しようとはしない。
実は反抗されても問題無いように片腕を上手いこと抑えてやってるんだが、月はもう説得済みだからな。話が早くて助かることこの上無い。
……それに、ずっとこの都の人間全員分の傷を地味にしたままだから疲れてるしな。寝ても大丈夫だが、死んだら少しばかり危ないかもしれないな。
「一応言っておくが、私は先に月の所に行って話をしている。そこで互いに真名も交換した。一応信じるに値する者だと思ってほしくてな」
「……」
ちらり、と賈駆が月に視線を向け、月は賈駆に向けてこくりと頷く。
賈駆の肩から力が抜けて、それからぺしぺしと私の手の甲を叩く。
「騒ぐなよ?」
「……ぷはっ。騒がないわよ……」
大人しくなった賈駆を椅子に座らせ、そして正面に回って賈駆と向き合って立つ。これでようやく話ができるな。
「……それで、連合に参加してるはずの公孫賛が、敵の首領に何の用?」
「直球の聞き方で嬉しいね。ここ暫く古狸やら女狐やらと腹の探り合いばっかりで辟易してた所なんだよ」
とは言え、私はこうして諧謔を労するのも好きだから、たまには婉曲に過ぎる話し合いも行うこともあるが……まあ、今回は合わないな。
「単刀直入に、月に聞いたままに聞かせてもらう。お前は、この戦を終わらせたいか?」
「当然よ」
賈駆は私の言葉に即答したが、どうも何かを腹に抱え込んでいるように見える。これは恐らく……。
「……董卓という存在には死んでもらうが、それでもいいか?」
「っ!?」
私の言葉に賈駆は椅子を弾き飛ばすようにして立ち上がろうとするが、それを予想していた私は賈駆の背後から両手と体を抱き締めるように押さえ付け、片手で口を塞ぐ。
私の手に何度も賈駆の歯が突き立てられようとするが、指で押さえている顎は完全に閉まりきることは無いし、口が塞がっている状態は変えられてないから声も出せていない。
「おいおい、暴れんなよ」
私がそう言っても賈駆は止まらない。やっぱり、賈駆は月のことをよほど大切に想っているんだろうな。
「殺すって言っても、殺すのはあくまで董卓という存在だ。董卓が死んでいれば月が死ぬ必要は無い」
ぴたり、と賈駆の動きが止まった。どうやら私の言葉を一瞬で理解して、そしてその益と不益を考えているんだろう。
そしてそれを行ったことによる私の損得を考えて。私を信用するかしないかを考えて……いつまでかかることやら。
実際、私にはそこまで得は無い。周りからしてみれば強い将がいない私の領に華雄や呂布といった勇将猛将を招くことと、賈駆という優秀な文官の確保と言う益があるが、実際のところ私の領は平凡な者達だけで回るように政治形態ができているので必要ない。つまり、外から見れば利益などほとんど無いも同然。
不利益は、バレた場合には連合軍の矛先がこちらに向くかもしれないと言う可能性と、月を至上とする賈駆を取り込むことによる反乱の可能性。つまりこちらは山のようにある。
こんな状況で『信じろ』と言われても……まあ、無理だな。私でも信じない。だからこいつは私がこうして危険を冒してでも月を救う理由を探して考えるんだろうが……実のところただ単に保険をかけるためだけにこうしているとはそう考えないだろうな。
頭がいい人間は失敗した数が少なければ少ないほど自分の予想外の事には弱いものだし、賈駆は数少ない失敗でこうして窮地に陥っている。そこから考えれば、賈駆はあくまでも『普通の天才』だと予想できる訳だ。
「……信じられるわけ無いでしょ。私達を助けてどんな利益があるってのよ」
「なに、気分の問題だ。利益は……精々少し手が増える程度だろうが、見捨てるよりは見捨てない方が気分よく眠れそうだろう?」
私の言葉を受けて、賈駆は呆然とした表情にて無言で雄弁に語っている。
正気かこいつ、と。
「私は正気だよ」
「!? 貴女、まさか私の心が……っ!?」
……いや、今のお前の内心ならそれこそ猪武者と名高い華雄ですら理解しそうなものだったが?
「月も、今のはわかっただろ?」
「……うん。すっごくわかりやすかった」
「月っ!?」
賈駆は月の言葉に狼狽えているが、残念ながら変えようの無い事実だ。
それともう一つ、駄目押しをしてやろうか。
「……ついでに言わせて貰うと、この作戦に月は全面的に賛成している。最も被害が少なくなる良策だと。そして次善の策が、この場で私に頸を取られて戦争を終わらせることだとも」
さあ、それを聞いたお前はどうする? 賈駆。
賈駆はこうして陥落し、私の作戦の最低必要条件は整ったのだった。
……さて。細工は隆々、仕掛けも満載。私、公孫賛の作った戦場を楽しんでくれ。
楽しめるなら、だがな。