アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】 作:三上テンセイ
「……何者だ」
ニグンはそう問わずにはいられない。
ガゼフ・ストロノーフと、その部下の兵士達の姿が消え、代わりに現れた一人の
一目で分かる豪奢なローブにすっぽりと身を包み、顔には赤色の面妖な仮面をつけている。そして何より目を引くのが、白肌を惜しげもなく晒した胸部だ。鎖骨の辺りから臍までがっつりとローブが開かれており、下着を付けていない豊かな双丘に薄布が引っかかっているだけ……の様な状態なのである。
(女……
ニグンの目にはそれ以上の情報は得られない。一陣の風が草原に淡いさざ波を作ると、仮面の女は美しい声で答えた。
「……初めまして、スレイン法国の皆さん。名乗るほどの者ではないので、名前は覚えてもらわなくて結構」
陽光聖典を前にして、堂に入った語り口だとニグンは思った。それほどの強者か、ただの馬鹿か。
「あの村とは少々縁がありましてね」
「村人の命乞いにでもきたのか?」
「いえいえ。実は──お前と戦士長の会話を聞いていたのだが、本当に良い度胸をしている」
ゾワ……。
途端、ニグン達の背中が粟立つ。女が纏う雰囲気が、決定的に変わった。まるでドラゴンに睨まれた様な……あるいはそれ以上の、戦慄。女は恐ろしい雰囲気を纏ったまま、続ける。
「正直、お前達法国と王国がいくら戦争しようが“俺”からすれば非常にどうでもいいことなんだよ。その結果、良い魂をもつ人間が死のうと仕方があるまい。戦争をやるとひと口に言っても、その裏には様々な思惑があるからな。宗教的価値観だったり、自国の領土を侵犯されないよう楔を打つ為だったり、凡人の俺が想像にも及ばない様々な狙いがあるのだろう。人類を導く立場にある法国は特にな」
自分は無関係な人間だからと線を引く女からは、確かに王国への愛着のようなものは感じることができない。しかし滔々と語る仮面の女の語気に宿るのは、無関心と怒り。その相反する二つの感情がありありと滲み出ていた。女は静かに、言葉を続ける。
「……だが、お前達は
「なに……?」
「何か目的があってガゼフを付け狙うのは戦争の範疇だろう。しかし人類の導き手を自称しているお前らが、カルネ村を守ろうと立ち上がるガゼフ・ストロノーフのあの姿を嘲笑うのは一体どういう了見なのかお聞かせ願いたいな」
「……彼奴は腐り切った王国を生かし続ける癌だ。生かしておけば王国に更なる膿を作り続け──」
「言い訳などどうでもいい。人類の為だかなんだか知らんが、国に住まう無辜の民の笑顔を守る為、隣人の明日を守る為、命を賭して立ち上がるあの勇者を嘲笑う資格がお前らのどこにあるというんだ。なあ……?」
「貴様はどうやら我々のことが気に入らないらしいな。しかし、だとしたらどうするというのだ? えぇ!?
ニグンが吠える。
しかし頭は冷静だ。彼は部下達に視線を配ると、天使達に裏から突撃させるよう暗に命令を下した。
「やれやれ」
仮面の女は、呆れたように首を振っている。おそらく背後から近づいている二体の天使に気がついていない。ニグンは内心、半殺しにした後あの仮面を剥いて顔を見てやろうとほくそ笑んだ。
二体の天使達はゆるりと、仮面の女の背後を取り……そして串刺しにした。
「……はは」
その呆気なさに、ニグンが笑う。いくら強者のフリをしようが、化けの皮を剥がせばこんなもの。
「無様なものだ。この私に説教などと──ぇ?」
「俺に……何かしたか?」
女はゆるりと振り向くと、天使の顔をむんずと掴み、草原に叩きつけた。それだけのことで、ガゼフ・ストロノーフでさえ撃破に苦労した天使達が一瞬にして消え失せる。
「……馬、鹿な」
「図に乗るなよ
怒りの色が濃く滲み出た声だった。
陽光聖典は、直感する。もしかして我々は、怒らせてはいけない相手の怒りを買ったのではないかと。
女は天使達に付けられた埃を払う様な仕草を取ると、ゆっくりとした足取りで距離を詰めてくる。
「六色聖典だかなんだか知らんが、お前達にはガゼフを笑う資格もなければ、カルネ村を滅ぼす理由もない。人類を導くという大義名分に酔いしれてるだけの、ただの快楽殺人集団だよお前らは」
「く、口だけは立派なものだな
女はやれやれと首を振る。児戯につきあうこちらの身にもなれと言わんばかりに。
「……やれ。我が
「へ?」
女が指を鳴らした瞬間、ニグン達の体が草原に力を失った様に倒れ込んだ。まるで、糸が切れた傀儡の様に。倒れ伏したニグンが起き上がろうとしても力が入らない。麻痺系統の魔法か。彼は草原の土で頬を汚しながら、女を睨んだ。
「貴様! 一体我々に何をし──」
吠えながら、ニグンは気づく。肩口が熱い。両腿の付け根が熱い。遅れてやってきた、烈火に炙られるような熱さ。……そして、彼の目の前に転がる自分の四肢。
「ひぃっ──あああああああああああああああっ!!!!!」
痛い、熱い、寒い。
ニグンは、彼自身気がつかぬ内に両手両足を切断されていた。それは彼一人じゃない。生き残った陽光聖典の隊員全員が、四肢を失い、草原をのたうち回っている。気がつかなかった。気がつかない内に、切断されていた。
「
「な、何を言って──ひぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいい!!!!」
ゆるりと近づいてくる女の周りに、次々と悍ましいアンデッドが現れる。ニグン達が見たこともない、強大で悍ましい異形の数々。まるで最初からそこにいて、透明化の魔法が解けたかのように、彼らは女に付き従っている。
奴らは皆、生者に恨みを持つような光を眼窟に灯していた。ニグンの体に、夥しい量の汗が噴き出す。あれは、あれらは、人類が敵う様な存在ではない。そして今からあれらに、何をされるというのか。
「ひぃぃい、ああああああああああ!!! やめ、やめてくれ!!!! わかった!!! わた、私が悪かった!!!!!! 望むものを用意する!!! だ、だから!!! 私!!! 私だけでもい!!! 私だけにでも、じ、ご慈悲を!!!!」
女が近づいてくる。化け物共が近づいていくる。
近くなる度、化け物共の解像度が上がっていき、陽光聖典は喉が破れる様な悲鳴を上げた。
「……慈悲だと?」
女が、はてと首を傾げる。
異なことを申された、とでも言わんばかりだった。ニグンはそんな彼女の心に取りすがろうと、必死に絶叫して慈悲を乞う。恥も外聞もない。何もかも投げうって、額を地に擦り付けた。そんな彼を蹴とばし、胸板を踏みつけると、女は底冷えのする声でこう言い放った。
「勘違いするなよニンゲン。俺は、悪魔だ」
仮面を消し、頭を覆うフードを下ろす。
ニグンの目に映ったのは世にも美しい女の
『あの村には、俺より強い御仁がいるぞ』
瞬間、ガゼフの言葉がフラッシュバックする。
ふざけるな、と声を大にして言いたい。強いなんて次元じゃない。あんなアンデッドを大量に従える悪魔など、法国が擁する最強の部隊・漆黒聖典でさえ──。
「お前達はもはや俺や俺の僕達が手を下す価値もない。その体のまま、装備の一切を剥かせてあの森の奥地で獣の餌にでもするとしよう」
女が指さした先は、トブの大森林。
強大なモンスターが棲息していると言われる、魔の森だ。陽光聖典は、ニグンは、自分達の未来を想像し、再び絶叫した。
「お、慈悲ぃぃぃ!!!! お慈悲!!!! お慈悲をぉぉぉぉ!!!!!!」
「……耳障りだな。後で声も奪わせるか」
女が視線を配ると、彼女の傍に控える化け物は「御心のままに」と傅いた。
「お前達が今まで滅ぼしてきた村の恐怖、そして苦痛を味わうんだな」
「まっ、待って……待ってください!!! 待って!!! 待──」
女は言うだけいって、姿を消した。
草原に残されたのは達磨と化した陽光聖典と、見るも悍ましい化け物達の群れ。今夜は彼らにとって最も長く、最も苦しい、最期の夜となった。
ちなみに覗き見しようとしてた風花聖典の巫女も爆発した(無慈悲)