アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】   作:三上テンセイ

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12.朝焼

 

 

 

 

 

 ──……朝。

 

 朝日が山の稜線を越えはじめる頃、ガゼフは飛び上がる様に眠りから目覚めた。額に浮かぶ大粒の汗。早鐘を打つ心臓。乱れる呼気。震える手を見つめ、そこに血が通っていることを確かめると、ひと塊の息を肺から長く押し出した。

 

 

(……情けない。まるで新兵だな)

 

 

 汗ばんだ体から、蒸気の様な熱気が放出されている。悪夢にうなされていたらしい。未だ覚醒しない頭で、ガゼフは昨夜のことをゆっくりと思い出していた。陽光聖典と対峙したこと、敗北したこと……そしてアルベドと入れ替わり、意識を失ったこと。

 

 

(生きて、いるのか……)

 

 

 ここはどうやら昨夜転移させられてきた倉庫の中らしい。彼の部下達もいる。皆、昨夜蓄積した緊張と疲労に抗えないのだろう、平和ボケした大いびきをかきながら眠っている。

 

 農村の朝は早い。倉庫の外では、既に雑多な生活音がしている。ガゼフは部下達を起こさぬようそろりと起き上がると、倉庫の外へと出た。

 

 

「……」

 

 

 澄み渡った空気。蒼と橙、紫色にグラデーションがかった空が、今日は一段と美しく目に映った。何か自分が生まれ変わりでもしたかのような清々しさだった。

 

 

「おはようございます。王国戦士長様」

 

「……ああ、おはよう」

 

 

 いつもの日常。代り映えのない毎日のひとつ。村長はそんな様子でガゼフに挨拶をしてきた。村を見渡せば、農作業の道具を担ぐ者、井戸から水を汲み上げている者、家畜に餌を与える者……それぞれの人間が、それぞれに村の営みに勤しんでいる。この掛け替えのない日常を護ったのは彼ではなく、アルベドだ。

 

 

「……アルベド殿は?」

 

「アルベド様ならあちらに」

 

「ありがとう」

 

 

 村長が指をさした方を見やれば、確かにいた。村の少し離れた場所に立つ木の下で、毛布にくるまったネムに膝を貸している。離れていても、彼女は輝く様な存在感だった。最早異物感というのだろうか。どどめ色の世界に、一粒の黄金が混じった様な、そんな印象を抱く。ネムの髪を梳き、頭を撫ぜるアルベドの姿はやはり聖母さながらだった。

 

 ガゼフはひとつ呼吸を置いて、彼女達の下へ歩み寄っていく。

 

 

「アルベドど──」

 

 

 ガゼフに気づいたアルベド──モモンガは、桜色の薄い唇に人差し指を置いて「静かに」とジェスチャーをする。ハッとしたガゼフは、ネムが小さく寝息を立てていることに気づくと、声のボリュームを落とした。

 

 

「おはよう。隣、よろしいか」

 

「おはようございます。どうぞ」

 

 

 ネムを起こさぬよう、モモンガの隣にそろりと腰を下ろす。二人の間に、穏やかな風が流れた。

 

 

「……陽光聖典は?」

 

「追い払いました」

 

 

 モモンガは事もなげに言いながら、寝息を立てるネムの頭を撫でていた。スレイン法国が誇る六色聖典の一つを、まるで庭に訪れた野良猫を追い払った様な……そんな日常の一つであるかの様な物言いに、ガゼフは不思議と驚かない。彼女ならそれほどのことをやってくれるという不思議な信頼と、底知れなさがあったからだ。

 

 

「…………」

 

 

 紫を照らす鮮やかな蒼の上を、鳥が西から東へ滑っていく。それをぼんやりと目で追いながら、ガゼフは呟くようにモモンガに問いかけた。

 

 

「奴らは強かったか?」

 

「それほどでした」

 

「……凄いな」

 

「強いですから。私は」

 

 

 モモンガの横顔は、やはり美しかった。鼻筋が整っていて、大きな目の上に蓄えた睫毛は影を落とすほどに濃く長く、横髪は風にさらわれる度にキラキラと光を溢している。腰から伸びる黒翼も彼女の黒髪の様にあで艶があり、出来ることなら触れてみたいという欲求さえ沸き出した。

 

 ガゼフがそんな美しい横顔をじっと見ていると、モモンガは少し気恥ずかしそうに「何か?」と問う。

 

 

「アルベド殿の種族は、皆貴女の様に強いのか?」

 

 

 横顔が美しかったから見惚れていたと、ガゼフは言えなかった。モモンガはああと相槌を打つと、ふるふると顔を横へ振った。揺れた髪から、春の花のような匂いが薫る。

 

 

「私が特別なんです。多分」

 

「そうか」

 

 

 照れ隠しで咄嗟に聞いただけで、別に聞きたかったわけではない。ガゼフはモモンガに伝えたいことがたくさんある。彼はひと息置いて整理をつけると、語りかけた。

 

 

「……アルベド殿には本当に助けられてばかりだ。我々も、カルネ村も、貴女がいなければ皆こうして新しい一日を迎えることはできなかっただろう。本当に、どう感謝したらいいのか私には分からないが、出来る限りの報償は用意させてもらうつもりだ」

 

「いえ、別に私は──」

 

「『困っている人がいたら、助けるのは当たり前』……貴女はそう言いたいのだろうが、陽光聖典を退けるというのは、全く当たり前じゃない。アルベド殿を客人として堂々と王宮に迎え入れられないことが俺は悔しくて仕方がない」

 

 

 感謝と謝罪を交互に繰り返すガゼフの姿に、モモンガは困った様に微笑んでいた。彼はネムを撫ぜながら、吐露するように言葉を吐き出した。

 

 

「実は『困っている人がいたら』……というのは昔、弱い頃の私を救ってくれた純白の鎧を纏った騎士の言葉なんです。殺されそうな私を助け、居場所を作ってくれた強くて温かい人でした。だから私は、彼の言葉を受け売りしているだけなんですよ。あの人は私の知らないどこか遠くのところへ行ってしまいましたが、彼の言葉を胸に行動すれば私の中で生き続けてくれるような気がして……なんて。はっきり言って自己満足、ですね」

 

「……アルベド殿にとってその騎士とは、大切な存在なのだな」

 

「ええ。私にとって彼は掛け替えのない仲間の一人で、憧れの存在なんです」

 

 

 嬉しそうに……もしくは寂しそうに純白の騎士のことを語るモモンガに、ガゼフは胸の奥に名状しがたい痛みを覚えた。想い人だったのだろうな、とガゼフは思う。そしてその純白の騎士は、何らかの理由があってもうモモンガの前には現れないのだろうとも。彼は胸に抱えた痛みの違和感に気づかないフリをして、言葉を返す。

 

 

「その騎士のことを探しているのか?」

 

「どうなのでしょうね。また会えればすごく嬉しいですけど、心のどこかではもう会えないと分かっている自分もいるんです」

 

 

 モモンガはそう言って、寂しそうに笑った。

 

 

「カルネ村を守ったのは彼の言葉に従ったから。そして戦士長様を守ったのは、貴方があの人に似ていたから……だから本当に、結局全て自己満足なんですよ」

 

「似ている? 俺が、その騎士に……?」

 

「ええ。声とか外見なんかは全然違うのですけど、心の芯みたいなところが」

 

「そ、そうか……」

 

 

 ガゼフは妙な居心地の悪さを覚えた。何か勘違いしてしまいそうで、彼は戒めの意味を込めて自分の頬をぴしゃりと叩く。そんなガゼフを見て、モモンガは目を丸くした。

 

 

「どうしたんですか、いきなり」

 

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 

「……?」

 

 

 きょとんとしているモモンガの目から逃れる様に、ガゼフは腰に差していた剣を鞘ごと引き抜いた。借り受けていたブルークリスタルメタルの剣だ。

 

 

「そういえばこれを返さなくてはな。必ず生きて帰るという約束は俺が弱いばかりに反故にしてしまったが……これが無ければもう少し早く倒れるところだっただろう。感謝する」

 

「……それは差し上げますよ」

 

「いや。いやいやいや、そうはいかないだろう。これほどの秘宝だ。おいそれと無償で譲り受けるわけにはいかん」

 

「だってそれ私にとってはただのボックスの肥やし──ゴホン。私が持っていても意味のないものですからね。剣も振るわれてこそ喜ぶと思いますし」

 

「しかし……」

 

 

 ガゼフは言い淀む。

 彼は貯金が趣味だが、全財産はたいても買えるか分からない価値の代物だ。助けられるばかりか、こんなものまで貰っては立つ瀬がなさすぎる。そんな彼を見て、モモンガは小さく息を吐いた。

 

 

「なら、それは戦士長様にはあげません。貸しておきます」

 

「え?」

 

「戦士長様はまだまだ弱いですから、下手な装備でいられて死なれると寝覚めが悪いんですよ。だから……いつか私を守れるくらい強くなったら、その剣を私に返しにきてください」

 

 

 そう言って、モモンガはガゼフへ剣を押し返す。

 そんな彼を見てガゼフは呆気に取られ──そして、笑った。

 

 

「まだまだ弱い、か……ハハ。そうだな、俺はまだまだ、弱い。弱すぎるくらいだ。きっと……いつかきっとアルベド殿を守れるくらい強くなったら、強い男になったら、その時はこれを返しに貴女の下へいこう」

 

「ええ。楽しみにしておきます」

 

 

 モモンガはそう返して、微笑んだ。ガゼフも笑う。何かが吹っ切れた様な、生命力溢れる笑みだった。

 

 

 

「アルベド様! 戦士長様! 朝餉の用意ができました! ご一緒にいかがですか!」

 

 

 村の方からエンリが駆け寄ってくる。

 ガゼフはしばらく何も口にしていないことを思い出すと、急に腹の虫が鳴いた。

 

 

「是非もない。我々もご相伴に与ろう。アルベド殿、よろしいだろうか」

 

「ええ、勿論。ほらネム、朝ごはんの時間ですよ」

 

「んー……やー……」

 

 

 モモンガはそう言って、ネムの頬をぷにぷにと突いた。ネムは少し擽ったそうに、嬉しそうにしている。

 

 

「……」

 

 

 そんな二人を見ながら、ガゼフは後頭部をガシガシと掻いた。

 

 あの時──ニグン達に追い詰められ、走馬灯を体感した時だ。彼は様々な記憶を見たことを思い出す。村の民、行きつけの酒場の連中、自慢の部下達……そして最後に見たのは、彼が剣と忠義を捧げる国王陛下ではなく、何故かアルベドの顔が浮かんでいた。

 

 その理由をガゼフは何となく分かっていて、しかし彼は今、その気持ちに蓋を閉じた。その気持ちに素直になるのは、何もかもが中途半端だと分かっているからだ。

 

 リ・エスティーゼ王国王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、大きく深呼吸をした後に空を仰いだ。澄み渡った蒼穹には、相変わらず鳥が平和そうに飛んでいる。

 

 今まで以上に強くなる。そう決心した彼の瞳には、覚悟の色が濃く滲み出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一章終了です。
お付き合いありがとうございました。
次回オマケを掲載して、二章に移ります。

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