アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】   作:三上テンセイ

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おまけ

 

 

 

 この日のカルネ村の朝食は、村の中心で全員が輪を描く様に座って摂ることとなった。昨日のこともあり、死んだ村人の穴埋めやこれからのカルネ村の行く末をどうしようかという会議としての側面もある。

 

 皆は各々に土の上に腰を落としているが、モモンガの前には比較的綺麗なテーブルと椅子が差し出された。それは女神に対して地べたに座せというのは村民にとって不敬なことであり、見事なドレスに土をつけるのは不味いという配慮でもある。

 

 

「簡素なもので申し訳ないですが……」

 

 

 食事を配膳してきたのはエンリだ。

 盆の上にはスープが入った木製の椀と、丸いパンが乗っていた。草臥れた野菜と、気持ちばかりの干し肉……それらに塩を振っただけのスープをモモンガに食べさせるのはカルネ村の皆が心苦しい思いだったが、それでも彼女達が精一杯心を込めて作ったものだ。

 

 

「ありがとう」

 

 

 モモンガはそれを受け取って、微笑んだ。

 腕の中の湯気が香る。良い香りだと彼は思った。本物の野菜や肉の入ったスープなんて、モモンガは今まで食べたことがない。

 

 

(……思えばこの世界にきて初めての食事だな。悪魔(サキュバス)だから食事も睡眠も別に必要ないんだけど……)

 

 

 モモンガ──鈴木悟の生きる地球は死の星と化している。きちんとした野菜や肉は最早一部の上流階級しか口にすることはできなかった。

 

 モモンガの常用食は栄養を摂るためだけのゼリーや、粘土の様なエネルギーバー、それとサプリメントが主だ。生まれてこの方、食事を楽しいと思ったことはない。ただ胃を膨らませてエネルギーを詰めるだけの煩わしい作業としか思わなかった。

 

 モモンガは木匙でスープを掬うと、そこに浮かぶ葉物をじっと眺めた。野菜。ほわほわと湯気を立てている。ゲームのグラフィックでも何でもなく、水と太陽で育った緑色の食べられる植物。それをまさかこうして口にできる日が来るとは彼自身思わなかった。

 

 

「いただきます」

 

 

 まああの食事が、こんなヒラヒラした草みたいなものの汁に変わったところでそう大差があるわけもなく──

 

 

「…………!!!?!?!!」

 

 

 ──その時モモンガに電流が走る。

 

 スープに口をつけた瞬間、全身の細胞が沸いたようだった。

 野菜の甘味。塩気。干し肉から滲む滋味。僅かに汁に浮かぶ肉の脂。申し訳程度に振られた香辛料の香り。そのひとつひとつが、彼の中に眠っていた味覚という感覚を呼び起こす。

 

 

(う──)

 

 

 モモンガの瞳に、いくつもの流れ星が瞬いた。

 ぱちぱちと目の奥で火花が弾け、背筋を知らない感覚が駆け抜けていく。

 

 その瞬間を見ていたガゼフが、エンリが、ネムが、カルネ村の人間が、モモンガの雰囲気が劇的に変わったことを察知した。

 

 

(う──)

 

 

 何というか、モモンガは彼らにとって神性的な存在であった。比肩する者がいない程美しく、穏やかでありながら妖艶で、慈悲に満ち、卓越している上位存在。何か自分とはかけ離れた様な、御伽噺の中の人物といった感じだ。

 

 しかし今……そう、この瞬間だけ、その雰囲気が一気に様変わりした。なんというか、幼児がプレゼントの封を開けているときのような、ああいった無邪気さや壁の無さが滲み出ている。

 

 女神というより、どこにでもいる様な可愛らしい少女の存在感に近いかもしれない。どこを切り取っても聖画の様なモモンガの雰囲気が、ふんにゃりと軟化したのだ。

 

 

 

(うまー!!!!)

 

 

 

 モモンガは天を仰いだ。

 美味しいという感覚を知らなかった。これほどまでの感動。これほどまでの衝撃。もはや受け止めきれない。

 

 

「美味しい!? アルベドさま美味しい!?」

 

 

 嬉しそうにネムがぴょんぴょんと弾んで聞くと、モモンガはこくこくと何度も頷いた。

 

 

「美味しい!」

 

「ほんと!? やったー!」

 

 

 エンリとガゼフは呆気に取られていた。顔を突き合わせて、お互いの驚愕を確認しあっていた。だって、本当になんでもない野菜のクズをかきこんだだけのスープだ。貧しい村が貧しい村なりに作った程度の食事に過ぎない。

 

 それがあの女神をあそこまで変容させるとは思いもよらなかった。空腹の浮浪児に食べさせても、あそこまでの感動はないだろう。モモンガの瞳には今もなお流れ星が飛び続けている。

 

 ならばと、モモンガは横に供えてあるパンに手を伸ばした。軽い。軽くて硬い。口元に持ってくると、確かに薫る小麦の匂い。彼は小さな口を開くと、パンに齧りついた。

 

 

「〜〜〜〜〜〜!!!!!」

 

 

 美味い。

 これも美味い。相当に硬いが、齧ると小麦の香りが鼻腔を抜けていく。あの無味無臭の塊を食道に流し込む食事とは、余りにも違う。その様子を、ネムはニコニコと見ていた。

 

 

「アルベドさま! パンはね、こうやってね、スープに浸して食べると柔らかくなって味もついて美味しいんだよ!」

 

 

 天才か? とモモンガは思う。

 目から鱗とはまさにこのことだろうと。彼は横でそうして食べるネムに倣ってパンを汁に浸すと、少しふやけたそれを小さな口に放り込んだ。

 

 

(う、うま──!!!!)

 

 

 先程感じた美味しいの次元をひとつ突破した。モモンガは心の中でネムに感謝しながら、夢中で食事にありついた。

 

 

「おいしっ、おいひっ」

 

 

 もはや今のモモンガは、ちょっとふやけているといってよい。そんな彼の様子をカルネ村にいる人間が少し呆気に取られて見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アルベド様、そんなにお腹が空いていたんですね」

 

 

 

 食後。

 目をまんまるにしているエンリに言われ、モモンガは顔が赤くなるのを感じていた。

 

 

(しまった……美味すぎて夢中で食べてしまった……ふ、普通に恥ずかし……)

 

 

 隣を見ればガゼフも……いや、周りを見てみればカルネ村の誰もが目を丸くしていた。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。隣のネムだけはニコニコとしているが。

 

 

「す、すみません。ちょっとはしたなかったですよね……」

 

「いえいえ全然そんなことありません! むしろこんな粗末な食事で申し訳ないくらいで……」

 

「全然粗末なんかじゃありません! その……とても美味しかったです」

 

 

 ふるふると顔を横に振るモモンガは、自分ががっついてしまった理由を彼らに話そうと思い至る。食欲に負けた自分のはしたない姿を見られたという羞恥を、少しでも軽減する為に。

 

 

「わ、私がいた世界……いや、国は環境汚染がとても進んでいたところなんです。空はスモッグに覆われていて、外に出ようと思ったら防護マスクがないとたちまち病気になるくらい酷いところで、鳥や魚……虫も生きられないくらいの死の土地だったんです。食べ物といえば人工的に作り出した、食べ物といえないくらい無機質なものばかりで……」

 

 

 ぽつりぽつりと語るモモンガの話に、カルネ村にいる全員が聞き入っていた。そして決して少なくない衝撃を受けることになる。これほど美しい女性が、自分達が女神と讃える村の救世主が、そんな過酷な場所で生きていたことに驚きを隠せなかった。だから、と付け加えてモモンガは続きを語る。

 

 

「こんなに美味しい食事初めてだったんです。きちんとした野菜やお肉を食べられるなんて……その、美味しいなんて感覚生まれて初めてでした……。カルネ村の皆さん、ご馳走様でした」

 

 

 話を聞き終えた者達はみんな衝撃を受けているようで、僅かの間沈黙が流れた。啜り泣いている者さえいる。こんな粗末なスープに感動した女神の過酷な生い立ちに触れ、彼らは動揺を隠せなかった。

 

 

「アルベド様、おかわりはいりませんか」

 

 

 誰かがポツリとそう言った。

 誰かが言って、誰もが我に返った。そうだ、今まで食事の楽しさを知らなかったのなら、我々がもてなせばいい。この村にいる間は、我々が決してひもじい思いなどさせないと。彼らは口火を切ったようにモモンガに詰め寄った。

 

 

「アルベド様! 是非私の分のパンもお食べになってください」「私の家にチーズがあるのでそれも是非!」「おい誰か! 森までいって適当な果実を取ってこい! 俺は果実水を作ってくる!」「夜には鶏を出すか。今のうちにお前んちの倅に血抜きさせとけ」「酒はどうだろう。初心者にはちときついか?」「馬鹿野郎まだ朝だぞ」「アルベド様、わたし実はパイを作るのが得意でしてね。あっ、パイというのは──」

 

 

 

 逆に次はモモンガが目をまんまるにさせる番だった。

 彼らは我先にと、家から食べ物を持ってきてモモンガに差し出してくる。何やら昼と夕方には特別な料理でもてなしてくれるそうで、村は何やらちょっとしたお祭りの様相を呈していた。

 

 モモンガはこの日、食事の楽しさを知り、食事の醍醐味を知る。そして食事を知った彼がこう思う未来はそう遠くないだろう。

 

 

『未知の美味しいご飯を食べる為に、この世界を一人旅してみようかな』

 

 

 

 

 

 

 

 


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