アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】 作:三上テンセイ
モモンガはこの世界にきた時から、タイトなドレスを身に纏っている。ヒールの高い靴を履き、舗装されてない地を悠然と歩いてきた。頭に数冊本を乗せて歩いても、決して落とさない様な綺麗な歩き方だ。座る時に胡座をかくこともない。椅子に腰掛ける時には自然と股を閉じ、背筋をしゃんと伸ばして綺麗に座す。
笑うときもそうだ。
大口を開けず、口元に手を添え、決して下品なところを見せることはなかった。
モモンガが意図してそうしているわけではない。これは歩くとき、座るとき、笑うとき、全てがアルベドの肉体に宿る淑女たれという『設定』にトリミングされ、強制された結果だ。或いはアルベドの基本モーションに引っ張られているといえばいいのか。彼が意識しないでいると、女神の様な微笑みに表情を変えてしまうのもそれが原因だ。
モモンガという存在は自然体であればあるほど
『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』
モモンガが意識せず振る舞うだけで、この言葉が体現されてしまうのはもうお分かりいただけただろう。意識から行動へ移る手順の中にアルベドの設定というフィルターが挟まれるおかげで、彼はどうしようもなく淑女の所作をとってしまうことが。
故にこの黄金の輝き亭の誰もが、モモンガが貴い身分だということを疑わない。頭の先から指の先まで、彼の取る行動の一つ一つに気品が宿っているからだ。意図せず表れる品というのは、“本物”にしかできない芸当でもあるのだから。
(確かカトラリーは外側から使っていく、だったか?)
モモンガは所謂テーブルマナーというやつを思い出していた。そういう食事の機会のあるたっち・みーに一度話のネタの一つして教えてもらったことがあったのだ。きちんとした食事にすら全く縁がなかったモモンガにとってその話はとても新鮮だったので、強く脳にこびりついていた。その際横で聞いていたウルベルトが『金持ち自慢ですか』と皮肉を言い始め、一触即発の両者の間をモモンガが取り持ったのはご愛嬌。
その後にやってきたペロロンチーノがさも当然の様にテーブルマナーを知っていたことにもモモンガは驚いた。まあ蓋を開けてみれば、エロゲー内のお嬢様ロリ攻略の為に不必要な知識を蓄えていたというだけの話だったのだが。その後に他のギルメンも合流し、あまり耳慣れないテーブルマナーの話題でその日の語らいは盛り上がっていたのを今でも覚えている。
(しかし……)
モモンガがテーブルを見渡してもカトラリーの群はない。清潔なクロスの上に、水の入ったグラスが一つ置かれているだけだ。
「お待たせ致しました」
困惑して待っていると、清潔な服を纏った給仕の男がワゴンを押してやってきた。そしてモモンガの前に、所狭しと料理を並べ始める。籠いっぱいの焼き立てのフカフカな白パン。スパイスソースの香りが湯気から登りたつ分厚いステーキ。酸味の漂う青々とした新鮮なサラダ。
コース料理の形式ではなく、一気に料理が並べられてしまった。置かれたカトラリーも、ナイフとフォークが一本ずつ。それからバターナイフがパン籠の横に添えられているだけ。もしかしなくても、この世界のテーブルマナーというやつは現実世界のものよりも楽なのだろうと推測が立った。
(じゃあ、行儀よくしてれば結構好きに食べてもいいのかな?)
これははっきり言って嬉しい誤算だった。
赤と白の葡萄酒が、二つのグラスに注がれる。宝石の様な、綺麗な色だ。期待値がグングンと上がっていく。モモンガはまだかまだかと給仕の男の準備を待った。口内はもう、涎で塗れている。
「失礼致しますモモン様。こちらから──」
しかしそれから給仕の男の説明が始まってしまった。産地だとか、肉の種類とか、どこにこだわったとか、歴史上のどの人物が好んだとか、そういう話だ。
モモンガは品の良い笑顔を浮かべて聞いているが、内心ではもう完全に『待て』を食らってヨダレを垂らしている大型犬のそれだ。肉の匂いがとにかく食欲を刺激してくる。
(は、早くしてくれぇ……生殺しすぎる……)
優雅に泳ぐ白鳥の水面下の如し。
女神の様な外面を保ちながら、モモンガは心の中で五体を床に投げ出してのたうち回っていた。はよ食わせろという一心で。
しかしそれもそのはずだった。
この品の良い給仕の男、モモンガの美しさに惚れるあまりにいつもより冗長に説明しているのだ。格式ばった物言いで遠回りをし、蘊蓄を交え、引き伸ばす。そうしている時間はモモンガの微笑みを彼だけが独占できていると思えば、この引き伸ばした時間は黄金よりも勝る価値があると言えるのかもしれない。
「──ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
永遠と思われた蘊蓄説明に終止符が打たれる。
その一言をどれだけ待ち侘びたか。
ありがとうと伝えるモモンガは、微笑みの仮面の下で食欲を爆発させていた。これだけの料理を前にしておあずけを食らう身にもなれという話だ。
「いただきます」
モモンガは早速ステーキに被りつこうとナイフに手を伸ばそうとして──
(うっ……)
──周りの目に気づく。
皆が皆、モモンガに注目していた。
彼が視線を辺りに散らすと、全員がその視線から逃げていく。見ていませんよと態度で取り繕われても、そんなものすぐ気がつくに決まっている。
(食い辛い……)
何といってもアルベドの体だ。
こんな美人が現実にいたらそりゃ俺も見るよとモモンガだって思う。彼らは悪くない。しかし本人としては居心地が悪いのは否めなかった。
(いきなり肉に行ったらはしたない女だと思われちゃうよな……)
モモンガは断腸の思いでナイフを取る選択肢を取りやめた。獣の様な食欲に、鋼の理性がバックドロップをかました。
このアルベドの肉体はタブラ・スマラグディナから借り受けているようなものだ。モモンガはこの大切な体に恥を掻かせないと誓っている。この体に『腹が空きすぎて肉にがっつく女』という不名誉なレッテルを貼られるわけにはいかない。だから彼はフォークを取り、サラダについと突き刺した。
(確かたっちさんが言ってたコース料理の順番だとスープ、野菜、魚、肉……? 待てよスープの前に前菜があったんだっけ? やばいそこまでは覚えてないよ……まあでも、初手ステーキは多分悪手のはず。スープはないから、野菜からいくのがセオリーだろ。ここの世界のマナーはそこまでのもの求めてない様な気もするけど……)
サク、と繊維質な音が鳴り、磨き上げられたフォークの先端で青々とした葉野菜がドレッシングを滴らせている。
(美味そう)
カルネ村で見た野菜と随分見た目が違うものだ。冷えていて、痩せてない。生野菜ではなくこれが『サラダ』であると、ドレッシングの掛かった野菜の面構えで分かる。
周りの目も気になるが、食欲にはもう抗えない。モモンガは小さい口で、サラダを迎え入れた。
(わぁ……っ、美味し……!!!)
シャキシャキとした生命力ある歯応え。酸味の効いたドレッシングには果汁の様な爽やかさもある。なるほど、なるほど、これがサラダかと、モモンガは理解した。
大釜で熱せられた様な灼熱の食欲をひとまず落ち着かせる爽やかな清涼感。それと同時に
サラダを食んだモモンガは薄らと上気し、見るからに口角が上がった。目を細めてサラダを楽しむ様子に、厨房から亀の様に首を伸ばして見ていた料理長がガッツポーズをしていることには誰も気がつかない。
モモンガは昔の子供は野菜を嫌うとどこかで聞いたことがあるが、とんでもない。こんなに美味しいもの嫌う理由がないと彼は断言できる。
モモンガはサラダをいたく気に入った様子だった。そしてサラダを楽しんだ後は勿論お待ちかねの肉だ。
(おおおおお……これは、テンション上がっちゃうなぁ……!)
突き刺したフォークと、切り分けるナイフから伝わる肉の感触が柔らかい。繊維がきめ細かく、熱したナイフでバターを切るが如く抵抗が少なかった。断面からじわりと溢れ出る透明な肉汁がソースと混ざりあい、それはもう蠱惑的な香りがモモンガの鼻腔を刺激してくる。アルベドの口に合うよう小さく切り分けると、肉の断面はまるでルビーの様な鮮やかな赤色をしていた。
(いただきます)
ほわほわと湯立つその見た目に、モモンガはもう辛抱ならない。恐る恐る、彼はそれを口の中に運び入れた。
──そして、衝撃が訪れる。
(う、んまああああぁぁぁ……!?)
モモンガの翡翠色の瞳に、爛々と星が瞬いた。
彼の頭頂から巨大なエクスクラメーションマークが飛び出したのを、見ていた者達は錯覚したことだろう。或いは、モモンガの後ろに何万本もの向日葵が咲き乱れた錯覚か。
舌に触れる脂の質は、甘く滑らかだ。
噛めば汁が溢れ、肉の力強い味が主張してくる。そして肉に合うこの香辛料の効いたソースがまた憎い。辛味はあくまでも肉の旨味を引き立たせる一助に過ぎない。スパイスの独特な風味は肉の香りを損なわない程度に抑えられ、しかし舌に絡むこの刺激が食欲を一層に煽ってくる。
モモンガは、少女の様な無垢な笑みを見せた。不純物や添加物の混じらない、満点の笑顔を。
「おいしー……!」
誰にも聞こえないような小さな声だった。後ろで耳を傍立てていた給仕の男だけがそれを聞いていた。モモンガはとろけ落ちそうになる自分の頬袋を心配しながら、付け合わせの人参にもフォークを伸ばす。甘い。これも甘くて美味しい。ソースにもよく合う。パンはどうだ。ひと口千切ると、まるで綿の様に柔らかい。石みたいに硬いカルネ村のそれとは全く別の食べ物だ。食むと仄かに甘く、小麦の豊かな香りが広がっていく。
「……」
モモンガは目頭の奥に熱を帯びていくのを感じていた。
カルネ村の食事も勿論美味しかった。
しかしあれはあくまでも寒村の飢えを凌ぐための食事だ。『美食』の世界に足を踏み込むと、こうも違うのかと溢れ出る感動を抑えきれない。赤い葡萄酒に手を伸ばす。この渋みとアルコール感にはまだ慣れないが、それでもやはり上質のものを頂いているという感は彼にも感じられる。
ニコニコと微笑みながらワイングラスを傾けるモモンガの姿に、周りの客は何だか温かい気持ちになっていた。彼らが足元にも及ばないような気品ある風格と美を湛えながら、その心持ちは初めて高級レストランに連れてこられた童の様。最初はあの全ての不浄を拒絶するような美に圧倒されていたが、次第に庇護欲のようなものさえ湧いてしまう始末だった。
美味しそうに、そして行儀よく食事を頂いているモモンガの姿に、彼らはより一層に虜になってしまうわけだった。男性客は勿論だが、特に高齢の客は若くて美しい娘が料理を美味しそうに食べているのがクリティカルだった。
モモンガの眼中に既に他の客の姿はない。
彼は目の前の料理を無我夢中に、
「美味しかった……」
食後の美酒で口を湿らせて、モモンガは浅く息を吐いた。
美味しすぎた。美味しすぎて、食事の時間は一瞬で終わったように思えた。皿やパン籠の上に食べ残しなど一切ない。モモンガは綺麗に平らげて、充足感に身を委ねていた。
そしてしんみりと思う。
この幸せを誰かと共有したい、と。
(ギルメンの皆も連れてきたいな……たっちさんもきっと、こんなに美味しい料理は食べたことないんじゃないのかなぁ。四十一人のみんなでこの店貸し切ってさ……アインズ・ウール・ゴウン復活記念に! って……きっと騒がしくしちゃうんだろうな。みんな、賑やかな人達だから……)
有り得ない幻影を瞳に映して、モモンガは細く笑んだ。
そんな未来は、もう永劫こない。自分だけこんな異世界にこんな姿で飛ばされて、かつての仲間達に会えるわけがない。
それに……ユグドラシル最終日に現れたヘロヘロの言葉が、今でもモモンガの胸に突き刺さっている。
『まだナザリック地下大墳墓が残っていたなんて思ってもいませんでしたよ』
あの無垢な一言は、今思い返してもモモンガの心に重たい痛みを与え続けてくる。自分だけがアインズ・ウール・ゴウンにしがみついていたようで、虚しさと悲しさと、そしてぶつけようのない怒りが彼の中に滲んだのだ。
わかっている。
誰もアインズ・ウール・ゴウンを捨てたわけじゃない。
みんな夢があって、生活があって、家庭があって、様々な理由があってナザリックにこられなくなったのはモモンガだって理解できている。好きでアインズ・ウール・ゴウンを捨てたわけじゃないんだと。
しかし黄金の輝き亭で美味しい料理を頂きながら、また取り留めのない話を語らえられたなら、それはどんなに素敵なことだろうとモモンガは思わずにはいられない。
アインズ・ウール・ゴウン。
それは、彼の全て。
どれだけ美味しいものを食べても、美しい景色を見ても、勝ることのできない黄金の記憶。かけがえのない仲間達。
例え仲間達がナザリックのこともモモンガのことも忘れようとも、モモンガは決してあの日々を忘れない。忘れることなんてできない。
(……酔ったせいか少ししんみりしちゃったな)
上気した顔で、葡萄酒をグラスの中で遊ばせる。そもそもアンデッドの特性も引き継いでいる体のおかげで酔うことはないのだが、彼は今抱えている寂しさをアルコールのせいにした。モモンガはひと塊のため息を吐いて、グラスを空にした。
(……楽しい時間は終わり。さぁ、明日から気合い入れて働かなくちゃな。ネムも寂しがってるかもしれないし)
モモンガはごちそうさまと手を合わせて立とうとして──
「初めましてお嬢さん。一杯いかがかな」
──行手を塞ぐように、ボトルを持った男が現れた。
サイズの合ってない草臥れた貴族風衣装を着込んでいる男は、見るからに見窄らしいという印象だ。彼はモモンガの前にどんとワインボトルを置いて、自前のグラスをテーブルに置き始めた。
誰も一緒に飲むとは言ってない。
しかし男は、覚えたてみたいな下手くそなお辞儀をして勝手に名乗り始めるのだ。
「私の名は、フィリップ・ディドン・リイル・モチャラス。是非お見知りおきを」
自信満々にそう言い放つフィリップの印象は、モモンガからしたら最悪だった。
【補足】
メニューは原作の黄金の輝き亭でソリュシャンが不味いわと言い放ったあれと同じものを出してます。見た感じコース料理ではなさそうだったのかな。
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三上テンセイ