アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】   作:三上テンセイ

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5.女王

 

 

 

(なんか、嫌いな人種だなーこの人……)

 

 

 モモンガは欠伸を噛み殺しながら、近くに座るつまらない男の話を笑顔で聞き流していた。

 

 男の名はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラス。

 下級貴族のモチャラス男爵家の三男坊の彼は、自分の誕生月をいいことに、親に無心してここエ・ランテルまで観光にやってきたらしい。曰く、家督を次ぐ長男や父より先進的な価値観を持っているらしく、モチャラス領が上手く回っているのは全て自分の助言のおかげだとかなんとか。今回黄金の輝き亭を訪れたのは、そんな自分へのご褒美らしい。家督を有能な自分に継がせてくれたなら、素晴らしい領地経営ができるとフィリップは今まさに熱弁を振るっているところだ。

 

 男の贔屓目の自分語りほどつまらないものはない。モモンガは既に退屈していた。それになんというか、語りながらちらちらと胸元に視線がいっているのが丸わかりだった。女性は男性のそういった視線に敏感だとモモンガも聞いたことがあるが、実際にその身になってみると本当に分かりやすい。どうせアルベドの体が目当てなのだろうということは、容易に分かった。

 

 

(……ハズレだな)

 

 

 モモンガは内心で溜息を吐いた。

 貴族だから邪険にもしにくい。コネクションになればまぁ儲けかと、少しの間なら席を共にしてもよいと言ったことを激しく後悔した。

 

 フィリップから聞かされるのは自分が如何に有能であるかとか、親兄弟は奴隷根性が染みついていてああはなりたくないだとか、自分が王国を治めたらならこう回すという絵空事じみた自論の展開だとか、それはまあ聞くに値しないことばかりだった。

 

『自分の知能指数を理解できず、周りの人間を侮っている馬鹿貴族』

 

 モモンガのフィリップに対する総評としてはこんなところだろうか。

 この男と会話している時間がこの異世界にきてからぶっちぎりで意義がなさすぎて、モモンガはどこで区切りをつけて部屋へ戻ろうか困っていた。

 

 

「であるからして──おおそうだ! 貴女の名前はなんと仰るのですか。いやはや、聞くのが遅くなり申し訳ない」

 

 

 フィリップが思い出したように質問をぶつけてきた。

 呆れたことにこの男、自分語りに熱が入り過ぎてモモンガの名前すら聞くことを忘れていたのだ。モモンガは内心で深いため息を吐きながら、質問に返した。

 

 

「……モモンと申します」

 

「ほう、モモン殿……ですか。姓をお聞きしても?」

 

「いえ、特に姓とかは……私は平民ですので……」

 

「……なるほど。ということはどこかの大商会のご息女であらせられるとかですかな? 立派なドレスを着ておられることですし」

 

「いえ。実は私、冒険者なんです」

 

「は、え、ぼ、冒険者?」

 

「ええ。今日登録してきたばかりなので、銅級(カッパー)なのですけれど」

 

 

 そんなわけあるか! と、黄金の輝き亭でモモンガらの話に耳を傍立てていた紳士淑女達が一斉に内心で突っ込みをいれた。あの立ち振る舞い、あの気品、あの美貌で、ただの平民の銅級冒険者などあるわけがない。仮にそうだとしても、姓のない名前や銅級冒険者というのは世を忍ぶ仮の姿ということでしか有り得ないだろう。

 

 平民冒険者というのは鵜呑みにはせず、何故そういう低い身分を語るのか──と、普通の人間……少なくともこの場にいる全員がそういう思考にシフトしていく。それはモモンガを見ていた者なら当然の反応であり、正常な思考回路を有しているものであれば普通考えつくはずだ。

 

 ……しかしこのフィリップという男は、そうではなかった。

 

 

「なんだ。平民の、しかも一介の弱小冒険者であったか」

 

 

 コロリとモモンガの言葉をそのまま飲み込んでしまった。

 しかも相手の身分を侮り、敬語も取りやめてしまう始末。周りで見ていた紳士淑女は、フィリップの馬鹿さ加減にほとほと呆れていた。そして彼はこう続ける。

 

 

「ならば金に苦労しているのではないか? 銅級の冒険者が稼げる額など、程度が知れているだろう」

 

 

 自分がモモンガよりも上位者であると結論付けたフィリップの声は軽い。

 それに、さも平然と言ってのけるこの台詞も突っ込みどころ満載だ。

 そもそも普通の銅級冒険者ならこんなところにいないし、この様な見事なドレスを例えレンタルでも纏えるはずがないのだから。ええ、まぁ、と苦々しそうに頷くモモンガの姿に周りの客は心苦しくなった。他の客が黒服に目を向けても『諦めろ』と首を横へ振る。この会話は一応同意の下に行われていることだ。モモンガからヘルプの指示が無ければ、動くことはできない。

 

 フィリップは、更に調子づいた。

 

 

「そうか、そうか。ならばこれも何かの縁だ。俺の妾になるのはどうだ。今よりずっと良い思いをさせてやろうではないか」

 

「いえ、別に私は……」

 

「よいではないか。別に悪い話じゃなかろう? 何を遠慮して──ああ、そうか。恥ずかしいのだな」

 

 

 フィリップはこれでも、心からの台詞を言っているのだ。

 自分なりの思考をもって、自分なりの結論をもって。

 

 モモンガがフィリップの申し出を断ったのは、この様な公の場でそういったことを話すのは恥ずかしいからだろうと思い至る。何故ならこの女は金を持たぬ平民。貴族の自分が娶るといったら泣いて喜ぶのは間違いないのだから。フィリップは得心したとばかりに笑みを作ると、椅子をぐいと寄せてモモンガの耳元に近寄った。

 

 

「この近くにいい場所を知っているのだ。そこでなら個室で、二人きりでゆっくり話せる。酒を飲み直しながら、今後についてゆっくり話そうではないか」

 

「ち、ちょっと……」

 

「よし、決まりだな」

 

 

 フィリップはそう言って、モモンガの手を取ろうとした。フィリップの小汚い手が、白魚の様な細い指に迫る。これには周りで見ていた客達がもう黙ってはいられない。彼らは示し合わせた様に、激しくその場から立ち上がる。

 

 

「おい貴様! 先程から黙って聞いてい、れば……──」

 

 

 一人の紳士が威勢よく吠えようとして──意外な光景に勢いを削がれた。

 

 

「な、な……」

 

 

 その場で一番呆気に取られているのはやはりフィリップだろう。

 彼はいつの間にか顔と一張羅が、ずぶ濡れになっていた。前髪からポタリと、アルコール臭い葡萄色の雫が垂れていく。

 

 先程までの空気が嘘の様に、黄金の輝き亭は冷たい静寂に包まれていた。

 

 

「少しは頭が冷えましたか?」

 

 

 空のグラスを弄ぶモモンガは、救い難いものを見る様な冷ややかな表情をしていた。

 

 フィリップが自分の身に何が起こったかを把握するのに、五秒ほどの時間を擁する。『目の前の平民の女が、注いでやった高い酒を公衆の面前で俺様の顔に浴びせやがった』という事実を、彼はやっとのことで理解した。

 

 

「き、き、貴様ぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 

 表情が、面白い様に切り替わる。

 怒髪天とはまさにこのことだろう。ヒヒイロカネ級のプライドを傷つけられたフィリップは、顔を真っ赤にしてモモンガに叫んだ。彼にとってみれば平民の冒険者という卑しい身分の女が、王国の未来を担う自分に恥をかかせるなど言語道断の出来事だった。

 

 許せない。許せるものか。

 この女は絶対に、泣いて俺の慈悲を懇願するまで辱めてやると、フィリップの怒りの炎が轟々と猛り狂う。

 

 

「このフィリップ・ディドン・リイル・モチャラス様に向かってなんたる狼藉! し、しかも斯様な場で、恥をかかせるなど、到底許されるものではないぞ! 分かっているのか女!!」

 

 

 フィリップは毛細血管を千切れさせながら、モモンガに向かって叫び散らした。

 

 ……しかし、勘違いも甚だしい。

 怒り狂ってるのは、何もフィリップだけではないのだ。

 

 モモンガはフィリップと対比になる様に席から離れず、翡翠の瞳で睨み上げる。その瞳には、死を連想させるほどの凍てつく波動が宿っていた。その眼光に射竦められ、フィリップの心の劫火は一瞬にして消え去った。

 

 蛇に睨まれた蛙、などという表現は最早生温い。

 フィリップの首筋に確かに今、死神の鎌の刃が伝った。身動きすれば比喩表現なく死ぬと、フィリップの小さな脳味噌でも理解することができた。

 

 この体は、タブラの娘のような存在。

 そんな大切なものに穢れた手で触れようなど、モモンガにとってみれば万死に値する行為だ。

 

 モモンガの口から、鋭利な言葉が発せられる。

 

 

「お前のような小汚い下郎がこの体に触れようなどと、恥を知りなさい」

 

 

 剃刀の様な声色だった。

 フィリップを見上げる目にあの慈しみに溢れた聖母の様な気配はない。まるで糞に塗れた豚を蔑む様な、上位存在が下等生物を見る冷ややかな色をしている。

 

 フィリップの背に寒気が走った。

 今、自分は何と会話をしている? 

 今、自分は何と対峙している? 

 

 あの瞳の仄暗い光の中に化け物の片鱗を垣間見たような気さえし、フィリップは一歩後ずさった。

 

 

「げ、下郎……? こ、この俺に向かって、小汚い下郎だと……? へ、平民の女風情が、栄えあるモチャラス家の、き、貴族の俺に向かって……」

 

 

 絞り出した憎まれ口は、震えている。気勢は完全に削がれた。ここまでの圧を喰らい、それでも反論できるのは見上げた根性なのかもしれない。もしくは、これでもなお事態を理解できない愚か者なのか。

 

 モモンガは蜃気楼のような静かな怒気を仄立たせ、生まれたての子鹿のような戦意のフィリップを嘲笑う。

 

 

「モチャラスだかなんだか知らないですけど、周りを見なさい。皆、貴方の様な見窄らしい姿と違って素敵な装いをしていらっしゃいます。何が栄えある、ですか。この私を……いえ、女性をエスコートしたいなら彼らのようにもっと身なりを整え、清潔にしなさい」

 

 

 はっきり言って不快です。

 そうきっぱりと言い放つモモンガに、周りの紳士淑女達は胸がすく思いだった。身なりを褒められた男達は、少しだけ得意そうに頬を緩める。

 

 女性達にクスクスと笑われ、フィリップの頭に再び血が昇っていく。

 

 

「女……そこまでこの俺に言って無事に──ヒッ」

 

 

 反論の頭を、あの氷の視線で黙らされた。

 モモンガは呆れましたと言わんばかりに肩をすくめて溜息を吐く。

 

 

「……ここまで言ってまだ分からないのですか? 早くここを立ち去りなさい、と申し上げてるのです。これ以上ここでその何とかという家名に恥を上塗りしたいのであれば、ご自由になさっていただいても構いませんが」

 

「ぐっ……こ、の……!」

 

 

 周りの冷たい視線が、フィリップの肌に纏わりつく。

 ピリピリとした気配に彼は慄いた。特に周りの男達は、これ以上は許さないと言わんばかりに怒気を露わにしている。恐らくここでまたモモンガに突っかかっていけば、彼らが黙ってはいない。

 

 圧倒的不利をようやく察したフィリップはその場で子供の様に地団駄を踏むと、捨て台詞と言わんばかりにモモンガの顔へ罵声を浴びせた。正直興奮が行きすぎて何を言ってるか誰も分からなかったが、これが彼なりの最後の精一杯の抵抗らしい。

 

 フィリップは黒服に肩を掴まれると、相変わらず言葉にならない叫びを上げて、退場していった。その姿はやはり、要求の通らない子供さながらだった。

 

 

 

「……」

 

 

 

 ──黄金の輝き亭に、静寂が帰ってきた。

 

 シンとした空気に、モモンガはハッと顔を見上げる。

 周りの客達が、皆モモンガのことを見ている。

 

 

(やばい。ちょっと目立ち過ぎた……普通に恥ずかしい)

 

 

 彼は生粋の日本人。

 仕事でもなければ、大勢の人間にこういったことで注目されるのは恥ずかしいことでしかない。

 

 モモンガは熟れたトマトの様に顔を赤らめると、小さくなりながら周りにぺこりと頭を下げた。

 

 

「た、楽しいお食事のところお騒がせして申し訳ありませんでした。皆さま、失礼致しました!」

 

 

 その言葉、その所作のところに、先程の氷の女王の様な気配はない。寧ろ赤面して焦っているところなどはもはや町娘の様だ。親しみやすさすら感じられる。

 

 ……モモンガの謝罪はすぐに、拍手となって返ってきた。

 顔を上げると、皆温かい目でモモンガのことを見てくれていた。彼らの気持ちは、ひとつだった。勘違いした馬鹿貴族にあれほどあけすけに物言いができるモモンガを見て、すっきりとした痛快さを感じていた。これほどの美しい容姿を持ちながら、自分の意思をもってはっきり拒絶できる芯のある姿に、彼らは敬意と親しみをモモンガに持ってくれたのだ。

 

 

「素晴らしい!」

「すっきり致しましたわ」

「あと少しで俺の拳が出るところでしたよ」

「これほど可憐な女性にあれは中々できることではありませんぞ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 モモンガはやはり恥ずかしくなってありがとうございます、ありがとうございますと、赤面したままぺこぺこと頭を下げ続ける。そうして何だかこの空気にいたたまれなくなって、彼は逃げる様に自室へ引っ込んでいった。その際も、拍手は止むことがなかった。

 

 高貴なる身分と推定できる新人冒険者のモモン。

 その美貌、立ち振る舞い、そして身分を偽るミステリアスさ。この一幕は、翌日から実しやかな噂となって王国中の上流階級に知れ渡ることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの女、モモンといったか……必ずこの報いは受けさせてやる。このフィリップに恥をかかせたこと、絶対に後悔させてやるぞ」

 

 

 黄金の輝き亭の外につまみだされたフィリップは、怨嗟に身を震わせて拳を握り込んだ。その目には悔しさと羞恥と怒りで、涙さえ滲ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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