アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】   作:三上テンセイ

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2.決意

 

 

 モモンガは虚空……アイテムボックスに手を突っ込むと、一枚の手鏡を取り出した。取り出した手鏡を覗き込むと、目をパチクリとしてしまう。

 

 絶世の美女の(かんばせ)が手鏡に映っている。

 

 黄金比で象られた目鼻立ち。僅かに潤んだ蠱惑的な唇。良い香りを纏った黒髪は嫋やかに腰まで流れおち、風が吹くたびにきらきらと光を返していた。

 

 瞳孔が縦に割れた金色の瞳は人ならざる者の証左であるが、僅かに浮かべた微笑は慈愛に満ちた天使さながらであり、見た者はその人外たる瞳の忌避感を上塗りするほどの魅力を感じるに違いない。

 

 傾城傾国とはまさにこのアルベドの美貌のことを表す言葉だろう。

 

 

「すごい……綺麗だ」

 

 

 それほどの美女が、ゲーム内のデータではなくこうして生きていることにモモンガは素直に驚いた。深く呼吸をすれば肺が膨らむし、きりりと睨めば鏡に映るアルベドも睨み返してくる。あー、あー、と声を出せば、鈴木悟の平凡成人男性のものではなく、美しい音が声帯から発せられた。

 

 そうしてるうちにモモンガに悪戯心に似た感情がふつふつと湧いてきてしまう。だから、彼が鏡を見てこう言ったのはちょっとした気の迷いなのだ。

 

 

「鈴木悟様……私アルベドは、貴方様をお慕いしております」

 

 

 …………。

 

 

 長い静寂が訪れた。

 

 ……徐々に鏡の中のアルベドがじわりじわりと紅潮していく。そして茹でタコのように真っ赤に染まったところで、モモンガは手鏡をどひゃーっと放り投げた。

 

 

「くふー! わー! わー! 恥ずかし! 何やってんだ俺! ひー!」

 

 

 ともすればモモンガはその場をゴロンゴロンとのたうち回りたかった。自分でやったこととはいえ、美女に自分宛のプロポーズを言わせた下品な喜び以上に羞恥心が勝つ。それにアルベドの創造主たるタブラ・スマラグディナへの罪悪感もひとしおだ。

 

 ちょっとした童貞心で招いた行動が、ここまでの羞恥を感じる事態になるとは彼自身思っていなかった。

 

 森のど真ん中ですみませんタブラさんすみませんタブラさんと何度も言いながら真っ赤な顔を覆う美女の姿は滑稽そのものだ。

 

 モモンガはしばらく自分の行動に悶絶(自業自得)しているが、落ち着くのはもう幾許かの時間を要するだろう。

 

 ここは異世界で、自分の体はアルベドになっていて、森の中で一人。

 

 さて、これからどうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

「ん……?」

 

 ピクリと、モモンガの肩が弾む。

 祭り……? 或いは争い事の喧騒を、モモンガの聴覚が捉えた。

 

 多数の人間の声。

 怒号、悲鳴……様々な感情が入り混じった多々な人の叫びが、どこか遠くから聞こえてくる。

 

 モモンガは巨木の太い枝に黒翼を使ってひらりと飛翔すると、息を殺して目をゆっくりと閉じた。

 

 

遠隔視(リモートビューイング)

 

 

 そう呟くと、閉じた視界に光が満ちていく。魔法によって視覚器官が作り出され、さながら偵察機の様に喧騒の方へと飛んでいき、モモンガと視界を共有してくれる。

 

 

(……良かった。魔法も思っていた以上に簡単に使えるみたいだ)

 

 

 モモンガは魔法を容易に使えたことに一先ず安堵した。何をどうやって魔法を使えたかというのは彼にも理論的に説明できないが、感覚的且つ直感的に使用することができる。これはユグドラシル内に於いてショートカットのコマンドに設定していた魔法を扱うよりもずっと簡単なのが嬉しい誤算だった。

 

 

(これは……あまり面白いものではないな)

 

 

 小さな娘を連れて庇う様に逃げる少女……そしてそれを追う、鎧を纏った騎士風の男二人。そう遠くない場所の光景だ。

 

 

(装備を見るに野盗の類ではなさそうだが……? なぜあの無垢そうな少女達を……?)

 

 

 騎士達は人をきちんと殺害できる実剣を握っており、力なき少女達を追い詰める様は狩りを楽しんでいるようにも見える。

 

 

「…………」

 

 

 うら若い少女達が殺人鬼に追い詰められているというのに、不思議とモモンガの心は波立たなかった。可哀想という気持ちはあるが、蛇がネズミを捕食しようとしている映像を見ている程度の憐れみしか湧いてこない。

 

 

(……どうする?)

 

 

 はっきり言って無関係を決め込みたい。

『遠隔視』の魔法だけではあの騎士が扱っている剣や鎧のデータ量は判断できかねるし、何よりこの世界の人間達がユグドラシルプレイヤー程度の強さを持っている可能性を考慮するなら、薮の中の蛇を突くような真似は禁物だ。

 

 モモンガは現在総合レベル200だが、大勢のレベル100プレイヤーに囲まれて課金アイテムを大量投入されてしまえば流石に生きて帰れる保証はない。

 

 

「すまないな」

 

 

 あの少女達を見捨てることを決めたモモンガは、せめて謝罪の言葉だけは溢した。

 

 妹なのだろうか、小さな女の子が転んだ。

 姉の方が庇う様に妹を抱き込むが、もう遅い。騎士達が追いついた。彼らはヘラヘラと笑いながら、剣を振りかぶっている。

 

 

「…………っ」

 

 

 瞬時、モモンガの脳裏に純白の騎士の幻影が過った。かつての仲間の、あの時の、あの言葉が蘇る。

 

 

『困っている人がいたら、助けるのは当たり前』

 

 

 それは、異形種の体となったことで知らず知らずのうちに失われたモモンガの人としての倫理観を呼び起こした。

 

 モモンガは自嘲気味に笑むと、額を押さえてこう零す。

 

 

「……たっちさん。貴方への恩は返します」

 

 

 たっち・みーの勇姿を誇る様なモモンガの口調は、軽かった。口を真一文字に引き結び、モモンガは少女達の下へ向かうべく魔法を唱える。

 

 

転移門(ゲート)

 

 

 さぁ、この世界で初めての接敵だ。

 緊張と、自嘲と、誇りを持って、モモンガは転移門の中へと身を投じた。

 

 

 

 




【補足】
本作のモモンガさんはアンデッドではないので精神の沈静化はありません。
また骸骨の肉体と違ってきちんと血肉がある肉体なので、カルマ値は極悪ですが原作ほど人間性は失われていません。


モモンガ(骨)
『初対面の人間は虫けら程度にしか思えないけど、話してみたりすると小動物に向ける程度の愛着は湧く』

モモンガ(アルベド)
『初対面の人間は小動物程度にしか思えないけど、話してみてようやく人間だと思える様にはなる』

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