アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】 作:三上テンセイ
魔樹ザイトルクワエの調査を決行することに決めたモモンガ一行は、一先ずンフィーレアをカルネ村へ帰した。その後ピニスンと再合流し、現在魔樹が封印されているという地へ案内してもらってる最中だ。
足取りは良好にして順調。
トブの大森林を知り尽くしている
「モモンさん、少し楽しそうですね」
「え?」
黙々と歩く中、ニニャにそう言われてモモンガは少し驚いた。全身鎧を着込んでいる上に、彼自身今の状況を別に楽しんでるつもりなどない。それなのに何故そんなことが分かるのだろうと思わずにはいられない。
「そ、そうでしょうか? 自分でも気づかなかったのですが」
「僕の勘違いだったら申し訳ないんですけど、モモンさんの雰囲気がエ・ランテルからの警護任務よりもなんていうか……ワクワクしてるような感じがするんです」
足元の小枝を踏み抜くモモンガは『そうなのか?』と自問しつつ、確かにそうなのかもしれないと思い至る。彼が冒険者として本当に望むのはオーガやゴブリンの掃除ではない。真なる冒険だ。未知なるダンジョンを踏破し、未知なる秘宝を得て、その上で未知なる食べ物を食せるような……そんな大冒険を望んでいる。
……いや、それは少し語弊があった。
モモンガが望むのは、かつての『アインズ・ウール・ゴウン』と過ごした日々の再来だ。しかしギルドメンバー無くしてあの日々の再来はありえない。ありえないのだが、未知なる冒険に触れ、あの興奮の一端でも彼の胸に去来してくれたなら、それ以上の慰めはない。
モモンガはあの日の残滓だけでも、今でも追い求めている。だからこの世界に来て冒険者という言葉に触れ、彼は少しだけ興奮したのだ。
ならば今はどうか。
世界を滅ぼせるというフレーバーテキストの魔樹ザイトルクワエの討伐・調査。モモンガは不安や緊張の中に少し、興奮を覚えていないか。自問すれば、自ずと答えは簡単に出てくる。
「……なるほど」
言われて気づく、自分の気持ち。
モモンガは隣を歩くニニャに自嘲気味に微笑んだ。
「ニニャさん。私は貴方の言う通り、少しだけ今の状況を楽しんでいるのかもしれません」
森の賢王のみならず、世界を滅ぼせる存在を示唆されてもそう言ってのけるモモンガに、ニニャはもう驚かない。
「……すごいですね、モモンさんは」
ニニャのその言葉に、モモンガはふるふると顔を横へ振った。
「かつての仲間達といた頃、こういう状況は少なくなかったんです。世にも恐ろしく強大なモンスターに挑み、ボロボロになりながら勝利し、チームの皆を讃え合うあの日々が重なっただけです。ニニャさんが今思っているような、大層な理由はありません。懐かしさを感じていただけですから」
「本当にモモンさんにとってかつての仲間達というのは……そしてその方達と過ごした日々は、大切なものなんですね」
「……ええ。彼らは、そしてあの日々は私にとっての全てと言っても過言ではありませんから」
モモンガは遠くを見つめながら、そう言った。
そんな彼女の様子に、ニニャの胸中が僅かに濁る。なんというか、モモンは未来を見ていないような気がするのだ。見ているのも、大事にしているのも、いつも過去のことばかり。今を生きているというより、まるで生きながらえてしまった時間を惰性で生きているような、そんな気さえする。
(……きっとモモンさんは、昔はもっと沢山笑う人だったんだろうな)
『かつての仲間達』と隣あってた頃は、もっと無邪気な笑みを見せていたのだろうとニニャは思う。自分達と一緒にいるときは微笑みこそ見せはすれど、モモンが本当の素を自分達に見せてくれているかと言えばそれは否だ。
冒険者モモンは気高く、美しく、何よりも強く……そして孤独な人、というのがニニャにとっての総評だった。そんな彼女の助けに……心の隙間を僅かでも埋められる存在になりたいと願うのは贅沢な話なのだろうかと、ニニャはそう思わずにはいられない。
昨夜モモンに激情をぶつけられたニニャだからこそ、殊更強くそう思う。きっとあの時のモモンだけが、あの時のモモンこそが、本質なのだと思うから。何も自分が『かつての仲間達』の代わりになろうなんて思っちゃいない。ただ、モモンが過去への執着を忘れられるほんの一助になればと……ささやかな願いを彼女は抱いた。
「ここだよ」
そんなことを思っているうちに、件の場所に辿り着いたらしい。
ピニスンの声で立ち止まると、誰とは言わず皆が感嘆詞を漏らした。
「……枯れて、ますね。まるっきり」
皆の感想を代弁するように、ペテルが呟いた。
そう……目の前の景色が、枯れ果てている。
先程まで連続していた鬱蒼とした森の景色がぴしゃりと途絶え、まるで湖を前にしたように枯れ果てた景色が広がっていた。植物は死に絶え、これでは動物も近寄らない。瑞々しかった草葉を先程まで踏みしめていたのに、そこへ立ち入るや水気のないくしゃりとした音が立ち上る。青々とした森に突如広がる土気色の光景は、はっきり言って異様だった。
「……こりゃ、ちょっとマジっぽいな」
鼻の頭を掻くルクルットが、静かにそう呟いた。
彼のレンジャーとしての勘が、悪寒を覚える。生命力に満ちた森がそこだけ枯れ果てているというのは、否が応でも何か死に近いものを連想させるのだ。隣のダインも、大きな喉仏を転がして唾を飲み込んだ。
「植物達の悲鳴が聞こえるようであるな」
「モモンさん……」
ニニャが不安そうにモモンの顔を見上げるも、彼女はじっとそこを見つめるばかりで何も返さない。兜の下のモモンが、どんな顔をしているのかニニャには分からなかった。
「みんな、わかってくれたかい? ここが世界を滅ぼせる魔樹……ザイトルクワエが封印されているという場所さ」
この景色が化け物が封印されていると言われれば納得する他ない。
『漆黒の剣』は一様に喉を鳴らした。先程まで魔樹の話そのものが冗談めいたものにしか感じなかったが、ここにきて一気にそれが現実味を帯び始めていく。
「……肝心のザイトルクワエそのものが見当たらないようですが」
平らな声で聞くモモンガに、ピニスンは首を振って答える。
「言っただろ? 深い眠りについてるって。多分この枯れ果てた場所の地中深くに埋まっていると思うんだ」
「なるほど……」
顎に手を当てて、モモンガは考える。
敵のレベルが分からないのでは自身の方針の決めようがない。探知系の魔法も先程から行使しているがどれも引っ掛からないようだし、本当にここにいるかも不確かだ。これは自分達が無暗に触るよりやはり一度エ・ランテルまで話を持ち帰って、然るべき公的機関に調査してもらうのが──と考え始めたときだった。
「な、なんだぁああああああ!?」
ルクルットが叫ぶ。
彼に倣う様に、他の『漆黒の剣』も悲鳴を上げる。
悲鳴を上げたのは彼らだけではない。
大地が、森が、森に生きる全ての生命達が、悲鳴を上げた。
腹の底に重たく響く重低音。
かつて森の一部であっただろう目の前に広がる枯れ果てた大地が、せり上がる。地が激しく揺さぶられる。『漆黒の剣』は尻餅を突いた。ピニスンは甲高い絶叫を上げている。その中にあってモモンガはただ一人、直立のまま目の前の光景をただ見ていた。
「これは、でかいな……」
固い地をいよいよ突き破り、世界を滅ぼす存在が聳え立つ。
──魔樹・ザイトルクワエ。
世界を滅ぼせる悪魔の一体が、再臨せり。
天を穿つほどの威容。要塞を思わせる幹は余りにも太く剛健であり、そこにかっぽりと開いた大口には恐ろしい乱杭歯がびっしりと生え揃っている。太く長く伸びる六本の触手は、女神をさえも絡めとってあの大口へ運んでしまうのだろうという禍々しさがある。
強大にして、巨大。
森に大きな影を落とすほどの巨躯。それだけで、人間とは生物としての格そのものが違う。ザイトルクワエの麓で尻餅を突いている豆粒程度の存在──『漆黒の剣』は、各々に世界の終わりを肌身に感じていた。
ああ、もう終わるんだなと。
この国は……この世界は、終わるのだと、そう思わずにはいられない。
しっかり者のペテルが呆然自失とし──
温厚なダインが足腰立たなくなり──
お調子者のルクルットがガタガタと鳴る歯を止められないでいて──
冷静なニニャが少しばかり小水を漏らし──
そんな
「カルネ村を頼みます」
トブの大森林を覆うほどの巨大な魔樹に挑む漆黒の騎士。真紅の外套を揺らしてザイトルクワエに歩みゆくモモンの背中に、ニニャは英雄の姿を確かに見た。
究極の聖戦が、今まさに始まろうとしている。