アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】 作:三上テンセイ
「これは一体、何があったというのですか……」
──トブの大森林、深部。
ザイトルクワエ復活の地に、十三名の男女が呆然と立ち尽くしていた。
スレイン法国が擁する六色聖典が一つ──漆黒聖典。
隊員の一人一人が英雄級の力を持つ、最強の特殊部隊。強大な装備で身を固めている彼らは、目の前の光景にただただ立ち尽くすしかない。
骸と化した魔樹ザイトルクワエ。
大木を押しつぶす様に横たわるその巨体の中ほどで、巨大な隕石でも落ちたかの様に森ごと身が抉れていた。ぐつぐつと煮える熱波の余波が、離れていても突き刺すように肌を焼く。
「
純白のチャイナドレスを纏う老婆──カイレが、額に汗を浮かべながら小さくそう零す。
──
漆黒聖典第七席次『占星千里』が予知した、世界を滅ぼせると言われる存在だ。近い未来に復活すると予知されたその『破滅の竜王』こそが、今彼らの前で絶命している島と見紛う程巨大な木の怪物なのだろう。
『漆黒聖典』は復活した『破滅の竜王』討伐の為に、遥々この地までやってきた。というのも、時は陽光聖典が滅ぼされた時まで遡る。一つ一つ、順を追って説明していこう。
ガゼフ・ストロノーフ抹殺の任務を遂行していたニグン率いる陽光聖典──その先遣として、王国の村々を滅ぼしていた部隊を覚えているだろうか。ネムやエンリの両親を殺し、カルネ村を恐怖のどん底に陥れたベリュース率いるあの部隊だ。モモンガと遭遇した結果部隊は容易く半壊し、残った隊員は法国への敗走を余儀なくされた。
あの後、モモンガに関する報告が上層部に上がったのは言うまでもない。王国から法国まで中継地点には簡易的な伝達魔法を使える
突如出現した謎の異形種ということで、神官長達は念の為にと風花聖典に陽光聖典の動向の監視の指示を出した。しかしモモンガの動きを覗き見しようとした巫女は彼が巡らせた攻性防壁の魔法に引っ掛かり、爆発四散。神殿もろとも吹っ飛ばされるという凄惨な事件となった。
神官長達はこの異例の事態の数々から『破滅の竜王』復活と判断し、『漆黒聖典』にこれの調査及び撃破の密命を与えた。
密命を請け負った『漆黒聖典』は、
「これが『破滅の竜王』として……一体誰がこれを討ったというのですか」
第五席次──クアイエッセ・ハゼイア・クインティアは、いつもの平静を保てないでいた。『一人師団』と呼ばれる人類最強のビーストテイマーの彼だからこそ、目の前のザイトルクワエの脅威を感覚的に掴めてしまう。
故に鳥肌が止まらない。
クアイエッセは己の寒気を和らげるように腕を摩った。この魔樹と対峙した想像をして、カイレの持つ世界級アイテムや隊長がいなければ生存できる自信が彼には全くなかった。
「人の身で滅ぼしたとは思えない。単に復活時に力が暴走して自爆しただけじゃないのか」
鏡の様な巨大な盾を二つ持つ男── 第八席次『巨盾万壁』が訝しむ様に言う。
「いえ、これは自爆ではありません。間違いなく外部からの力によって絶命に至ってます」
『巨盾万壁』の疑問に異を唱えるのは見窄らしい槍を持つ中性的な顔立ちの男──第一席次の隊長だ。彼は赤色の瞳でザイトルクワエの骸を睨みながら、滔々と語る。
「よく見てもらえますか。『破滅の竜王』の体が、真っ二つに割れてます。一見自然に崩壊してああなったのだと思ってしまいそうですが、そうではありません。明らかに何者かに斬られています」
「斬った……? この巨大な化け物を、ですか」
「ええ。それも、たったの一太刀で」
「そ、んなことが……? 有り得るのですか」
隊長の言葉で、クアイエッセの額にやにわに汗が滲み出した。そんな彼に言葉を掛けたのは、カイレだ。
「不可能を可能とする力。それは確かにある。この『ケイ・セケ・コゥク』がまさにそうではないか」
「まさか、我らが神の秘宝と同じ力を持つアイテムを保有する者が存在すると?」
「……可能性の一つとしてはな」
カイレの纏う『ケイ・セケ・コゥク』……これは如何な精神支配無効の者にも精神支配効果を与えることができるという、六大神が遺した秘宝中の秘宝だ。確かにこれと同程度の力を持つ秘宝を用いたとすれば、『破滅の竜王』撃破も可能となるだろう。
しかしカイレは胸中で、もう一つの可能性を睨んでいた。
神と同じ力を持つ存在──ぷれいやーだ。
六大神がおわしたという世界からやってくる、強大無比の存在。もし百年の揺り返しが起きていたとして、ぷれいやーが降臨しているのであれば確かに『破滅の竜王』撃破も成せるだろう。
……しかし人間種以外のぷれいやーであれば法国にとっては厄介極まりない。可能性としては陽光聖典を滅ぼしたという白い悪魔が挙げられるが、話を聞く限り低位の魔法ばかりを使用していたらしいのでぷれいやーの可能性はなさそうではある。
だが、ぷれいやーか『破滅の竜王』との何らかの繋がりはあると見て良いだろう。これも調査必須の項目か。
(世界を滅ぼす存在を両断できる者、か……)
歳のせいで発汗が薄くなってきたというのに、カイレの体からは否応なく汗が分泌されていく。悪寒が止まらない。
これほどの化け物を下す存在だ。
警戒して然るべきだろう。
しかしもし『破滅の竜王』を討ったのがぷれいやーだとして、人間種又は死の神スルシャーナの様に人間に味方してくれる存在の所業であったなら──。
(人類を導く新たなる神の降臨、と見てもよいのか……)
絶望と希望、二つがカイレの身の内を満たしていく。
『破滅の竜王』の復活──消滅。
陽光聖典を滅ぼした謎の白い悪魔。
現れたかもしれない、ぷれいやーの存在。
「……撤収する」
カイレは静かに、そう告げる。
疑問、懸念、様々なものが錯綜する今、ここに長居は無用。迅く帰り、神官長達と情報の擦り合わせを──
「あれは……」
──と思ったところで、クアイエッセが何かを見つけて指さした。
森の中にある一本の大木。
幹が枝分かれを始める辺りのところに、何かがいる。いや、生物とも物とも判別がつかぬ今は、何かがあると形容したほうが正しいだろう。
『漆黒聖典』の面々が頷き合ってその木の下へ近寄っていくと、次第にその何かの解像度が上がっていく。
「ひ、と……?」
……人。男。
何かは、人の様な何かだった。幹の枝分かれの溜まりのところに、引っかかっている様にしなだれかかっている。しかし人と言うには少し躊躇われる点が多い。
まず、手足がない。
それぞれの四肢が肩口と腿の付け根から無くなっており、傷口はどうにも焼け爛れていた。そして酷く痩せこけている。皮の直ぐ下の骨が浮き出ており、鶏ガラを思わせる程だった。全身の血の巡りが悪いのか、一糸纏わぬ剥き身の肌は蒼白で、死人の様な色をしていた。
誰もがあれを死体だと思った。
モンスターに弄ばれた結果、ああなってしまったのだと。
「なんと酷い……」
カイレが目を伏せ、祈りを捧げようとした時だった。
四肢のない男が、ずるりと木から滑り落ちた。土草の上に落下したそれは、なんと衝撃によって唸り声をあげたのだ。
──生きている。
隊長が駆け寄ると、更に驚愕の事実を目の当たりにする。上向けで倒れたその男の名を、彼は知っている。
「ニグン・グリット・ルーイン……?」
痩せこけ、屍同然と化している陽光聖典の隊長は、それでもか細く呼吸を繰り返していた。
「──もう終わりか?」
ガゼフ・ストロノーフは目に触れる汗すら厭わず、そう言って辺りを見回した。喘鳴する彼の部下達が、死屍累々と芝の上に転がっている。
「戦士長、そろそろ昼の鐘が鳴ります。頃合いかと……」
「お……そうか」
顎髭に伝う汗が、ぽとりと芝に落ちる。
部下の一人にそう言われたガゼフは刃を潰した訓練用の剣を収めると、解散の号令を鋭く出した。日の出からぶっ続けだった訓練がようやく終わり、彼の部下達はほっとした様に喜色ばんだ。
……しかし即座に立ち上がれる者はいない。
足が笑い、腕が引き攣り、呼吸もままならない。
だが、その中にあってガゼフ唯一人が悠々と訓練所を後にする。運動量だけで言えば部下達の倍以上はあったというのに、だ。
そんな戦士長の逞しい背中が、部下達は誇らしい。上裸の肉体から仄立つ汗の熱気が、ガゼフの剣気を表す様に蜃気楼の如く揺らめいていた。
「……最近の戦士長、すごいな」
「ああ、益々剣が冴え渡ってる」
「体もなんだか分厚くなったよな」
「訓練にも身が入ってるってレベルじゃないぞ」
「今の戦士長ならあの時の陽光聖典相手でも勝てるんじゃないか?」
「強くなったよな……明らかに」
「これってやっぱり」
「ああ、アルベドさんと出会ってからだな」
井戸から汲み上げた水を、ざぶりと頭から被った。熱された鉄の様な肉体が、ひやりと冷却されていく。
「ふー……」
自然と深い息が溢れ、疲労感が泡立つ。
全身の筋繊維が、打ち水に喜んでいる様だった。訓練の後のこの瞬間が、彼は好きだった。
ガゼフはゴワゴワの手拭いで乱暴に体を拭うと、午後の国王警護の為の装備へ着替え始めた。急を要する国の戦士として早着替えは必修科目と言ってよい。彼は面白い様に衣服と装備を着脱すると、鏡の前で今一度身なりを整えた。
いつもの動きやすい鎧。
そして腰に差すのは──アルベドから貸し与えられたブルークリスタルメタルの剣。
「……」
剣身の美しさは抜剣しなければ分からないが、それでも鞘がまた美麗だった。巧緻な意匠を凝らされた彫り細工は戦闘用の剣というより寧ろ演舞用の一振りの様で、野性味の強いガゼフの腰に差すと少し浮く。
これを見て、重みを確かめる度に、ガゼフはアルベドを思い出していた。美しい容姿、微笑みは勿論、思い出されるのはあの言葉だ。
『戦士長様はまだまだ弱いですから、下手な装備でいられて死なれると寝覚めが悪いんですよ。だから……いつか私を守れるくらい強くなったら、その剣を私に返しにきてください』
まだまだ弱い。
この宝剣を差す度に、そのことを思い出して身が引き締まる。克己心が高まる。更なる高みへ、更なる強さを。王を守れる強さを、アルベドに並べられる強さを、ガゼフは強く意識することができる。
(アルベド殿……貴女は今、何をしておられる)
もう一度会いたいと思う。
しかしそれは今ではない、とも。
もっと強く、もっと大きく、アルベドに一人の男として見られる程の存在になれた時に、再び相まみえたい。
そんなことをぼんやり思いながら城の廊下を歩いていると、向こうから知ってる男がやってきた。ガゼフは壁に背を向け、ぴしりと背を伸ばすと小さく頭を垂れる。
「ストロノーフか」
「お久しぶりです。バルブロ殿下」
男──リ・エスティーゼ王国第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ。弟と違って厚い筋肉を纏う彼は、太い指で顎髭を擦りながら値踏みする様にガゼフを睨んだ。
「聞いたぞ。帝国兵に敗北を喫しそうになったところ、謎の戦士に助けられたそうじゃないか」
「ええ。あの時は本当に危ないところで──」
「たるんでるんじゃないのか? 仮にも王国戦士長の名を戴くお前がどこぞの馬の骨とも分からぬ者に助けられたなどということが近隣諸国に知れ渡ったら、次代の王となる俺のメンツも丸潰れじゃないか」
「……面目もございません」
「ふん……まあいい。精々父上の──おい、なんだそれは」
「は……?」
「その腰に差しているものだ」
バルブロはそう言って、アルベドの剣を指さした。剣に明るい彼は、美しい見た目のそれに興味がそそられているようだ。ガゼフは少し渋って、それに答える。
「これは例の私を助けてくれた戦士から頂いたものです」
「なんだと? どこの馬の骨とも分からぬ者から貰った剣で父上を守ろうというのか」
「……陛下からは了承を得ております」
「まあ、よい。少し興味がある。見せてみよ」
「…………はい」
気まずくならない程度の沈黙の後、ガゼフは腰のそれをバルブロに差し出した。アルベドとの絆に触れられるようで、彼は僅かな嫌悪感を抱いてしまう。
「おお……っ」
バルブロは素直に、感嘆の吐息を漏らした。
芸術品の様な鞘から抜いた剣身は、鞘の美しさにも勝る。
ブルークリスタルメタルを薄く伸ばしたそれは、まるで薄氷に映る青空をそのまま切り出したかの様だ。見定めるバルブロの顔を剣身が鮮やかに映し出し、そして向こう側にいるガゼフも透けて見える。
「美しい……」
「殿下、私はそろそろ陛下のもとへ行かなければならないので──」
「おお、おお、そうか。ならば早く行くがよい。これは私が貰う」
「何ですって」
ガゼフの顔が驚愕に染まる。
……いや、正直彼も見せろと言われた時点で嫌な予感はしていた。
しかしこれはアルベドから貸された、物の価値以上に大事な剣だ。いくら王子の頼みといえど、おいそれと了承はできない。
「で、殿下……お戯れを」
「そうだった、代わりの剣が要るな。ならばこれと交換してやろう。喜ぶがいい。俺がずっと愛用していたものだ」
そう言ってバルブロは腰に差していた剣を抜いてガゼフに押しやった。何の変哲もない剣だ。等価交換がどうこうという次元じゃない。ガゼフの顔が、流石に顰めっ面へと変わる。
「殿下、お戯れが過ぎます」
「何だと? この第一王子……未来の国王となる俺が手ずから剣を与えると言っているのだ。栄誉あることなのに、なんだその言い草は。それとも何か? 俺よりその戦士に貰うものの方が大事だと言いたいのか」
「そういったことを言いたいのではなく──」
「いいや、これはもう決まったことなのだ。このような剣は俺の様な高貴な男の腰に差してこそ映える。それに貴様、有事には『
「し、しかし──」
「話は終わりだ。俺はもう行くぞストロノーフ。父上の警護の務めをしっかりと果た──」
「お戯れがッ!!! 過ぎると言っているのですッ!!!!」
廊下中に日々渡るほどの声。
しん、と辺りが静まり返る。
発言したガゼフはその一秒後、自身の声量を誤ったことを自覚した。しまったと思わずにはいられない。当然の感情とは言え、王子の前でこれほどの怒りを発露させてしまうなど。
「……」
恐る恐るバルブロの顔を見ると、彼は茹蛸の様に顔を真っ赤に染めていた。どうやら、怒りを買ったらしい。
「き、貴様ッ! このバルブロに対し声を荒げるなど、何たる狼藉か! 王族への敬意よりこの剣の方が大事なのか、この卑しい愚か者め!」
「も、申し訳ございませ──」
「謝罪はいらん! 言い訳も聞きたくない! ああ、そうか! やはり王国戦士長といえど、やはり平民の出ということなのだな! よくよく理解できたぞストロノーフ! お前は──」
下げた頭に、散々罵声を浴び続ける。
ガゼフは下唇を噛んだ。一番厄介な相手の不興を買ってしまった。
平民でありながらも任される王国戦士長という立場。発言には重々気をつけていたのに、これだ。
ガゼフは心の中で猛省した。
無論バルブロへの謝罪の為ではない。自分の立場の自覚の無さからだ。
バルブロは今なおヒートアップし続けている。
どうしたものかと苦虫を嚙み潰しているその時……バルブロの剣幕を全く厭わないような可愛らしい声が両者の間に割って入った。
「まあ! どうなされたのですかお兄様、それから戦士長様。お二人とも怖い顔をなされて」
花の様な香りが、二人の鼻腔を擽った。
振り向けば黄金と称されるほどの容姿を持つ第一王女──ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフが、従者のクライムを伴って首を傾げていた。まだまだ少女の身である彼女は、それでもハッとするほどの美貌を湛えていた。
そんなきょとんとした妹の姿を見ても、バルブロは苛立ちを抑えられないでいる。
「誰かと思えばラナーか。聞け、この男が王族の俺に対してとんだ非礼を──」
「素敵な剣……これはどちらの剣なのですか?」
「それは私の──」
「今しがた俺のものになったのだ! これは決定事項で、変わることはないぞ」
「まあ……見せて頂いても?」
にこやかに微笑むラナーに、若干毒気が抜けてしまう。
まあ見せるくらいならと、バルブロはブルークリスタルメタルの剣を鞘に戻して彼女に押しやった。
「とても綺麗……。ね、クライム」
「あ、ええ。私もそう思います」
花の様な笑顔で、ラナーは背後に控えるクライムにも剣を見せた。
対するクライムはラナーが剣を持っているということに、内心のハラハラが止まらない。彼女は十分な観察を終えると、鞘の中に剣を静かに納めた。キン、と涼やかな音が鳴る。
「見終わったか。さあ、それを俺に返せ」
バルブロのゴツゴツとした手がラナーに迫ると、彼女は相変わらず微笑んだ。
「返せだなんて、お兄様も意地悪ですのね。もうこの辺にしておいたらどうですか?」
「何?」
「初めからこの剣を自分のものにしようなんて、思っていらっしゃらないのに」
「……どういうことだ」
訝しむようにバルブロが問うと、ラナーは「またまたぁ」とでも言いたげに、敢えて説明臭く台詞を並べた。
「これは戦士長様を救った程のすごい御方が戦士長様にとご好意でくださったものなのでしょう? そんな御方が戦士長様にあげた剣をこの国の王子に取り上げられたと知ったらどう思うでしょう。きっと、もう王国の為に力を貸してくれることはなくなりますわ」
「あ……」
確かに、とバルブロも気づく。
万が一件の戦士を王国に取り入れようとしたとき、ガゼフではなく自分が剣を差していたとしたら、どう思われるか。
正直バルブロはガゼフのことを好いてはいない。
しかし剣の腕だけは認めざるを得ない。そんなガゼフの窮地を救えるほどの人間の心証を悪くする可能性……それに彼は気づいていなかった。
そしてラナーは無邪気に微笑む。
「でもこれは少し考えれば誰にでも考えつくこと。なのでお兄様は意地悪を言って戦士長様を試されていた、ということですよね?」
ラナーは笑顔を崩さない。
そこまで言われて考えつかなかったと発言するのは、バルブロの沽券に関わる。彼は意地を張って顔を縦に振る他なかった。
「そ……そういうことだ。流石はラナー。俺の思惑に気がついていたとは」
「そんなことはありませんよ。少し考えれば気が付くことですからね」
「それに引き換えストロノーフ。俺の考えに気がつかずに平静さを欠き、剰え怒鳴るとは戦士長として言語道断だ。今度こういうことがあれば、ただじゃおかないからな」
もはや捨て台詞だ。
バルブロはそれだけ言って乱暴に剣をラナーからぶん奪ってガゼフに押し返すと、大股でその場を去っていった。心なしか、いつもより足音が大きかった気もする。
「ラナー殿下……ありがとうございました」
バルブロの背中が見えなくなった頃、ガゼフは心から頭を下げた。
本当に、心から、誠心誠意を込めて頭を下げた。
しかしラナーは何でもないというように首を横へ振る。
「ふふ。礼には及びませんよ。それより散歩の続きに行かなくちゃ。行きましょうクライム」
「え、ええ」
「戦士長様、それではまた」
小走りで去るラナーに追従するクライムは、ガゼフにぺこりと頭を下げて後を追っていった。角を曲がって二人の影が見えなくなる頃、ガゼフは漸く安堵の息を漏らした。
(危なかった……ラナー殿下には今度改めてお礼を申し上げにいかなくては、な)
握るアルベドの剣の重み。
腰に差したこの存在感に、彼は今一度深く息を漏らすのだった。
「戦士長様の剣、とても綺麗だったわねクライム」
王城の中庭で花を手折りながら、ラナーは微笑んだ。
クライムの持つ花籠に、また一輪花が添えられる。色とりどりの鮮やかな香りが、籠いっぱいに広がっていた。彼は実直に頷いて、言葉を返す。
「ええ。ストロノーフ様を救った凄腕の戦士からの贈り物だというのは知っていましたが……あれほどの宝を厚意で贈られるとは……」
「そうね。少なくとも戦士長様より強いみたいだから、本当にすごい人だわ」
「最近のストロノーフ様はその戦士に刺激されて、訓練時にも鬼神の様な強さを発揮していると言われてます。一体どんな方なのか、一目見てみたいものですね」
風が一陣吹く。
ラナーの黄金の髪が揺れる。彼女は天使の様に微笑んだ。なのにその笑みが少し悪戯っ子の様な印象をクライムは抱いた。
「実はその戦士の御方、とっても綺麗な女性の方かもしれませんよ?」
「じ、女性……?」
「だって恋は人を強くするというじゃない。戦士長様も惚れた女性の為に強くあろうとしているのかもしれませんよ。愛する人の為なら強くなれる……クライムもそうでしょう?」
「はい──あっ、いえ、わ、私はその様なことは……あまり分かりません」
「……もう、クライムったら」
ラナーは頬を膨らませて、じとりとクライムを睨んだ。
そんな仕草がとても愛らしくて、どう返せばいいのか分からなくてクライムはしどろもどろに「すみません」と言って小さくなる他ない。
そんな彼の様子がまるで『子犬』の様で、ラナーは笑んだ。
その瞳には重く、粘っこく、仄暗い、異様な光が差していた。