アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】   作:三上テンセイ

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初投稿からたくさんの反応を頂けて感謝です。


3.天使

 

 

 

 

 息を切らして、森を駆け抜ける。

 銅鑼を鳴らすような激しい心臓の拍動に突き動かされ、カルネ村の少女エンリ・エモットは幼い妹の手を引きながら追手から逃げていた。

 

 村に突然現れた帝国軍を名乗る騎士達に村を襲われたのだ。凶刃から文字通り命を懸けて逃がしてくれた父の雄姿を、エンリは忘れない。

 

 

「きゃっ!」

 

「ネム!」

 

 

 妹のネムが木の根に足を引っ掛けた。幼い体なのだ。無理もない。しかしそうこうしている内に、カルネ村を滅ぼしにやってきた騎士達が、血濡れの剣を持ってやってくる。

 

 

「ネム……!」

 

 

 エンリは妹の小さな体を覆う様に、ネムを抱き込んだ。

 

 そんな力なき姉妹の背を見つめる騎士達の表情には、慈悲の色はなかった。王国の様々な村で殺してきた百を超える屍の山に、また二つ積み重ねるに過ぎないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──しかし、騎士達の剣が振り下ろされることはなかった。

 

 

「なんだ……!?」

 

 

 その代わりに、彼らからは未知の恐怖に晒されたような声が上がった。

 

 

「え……?」

 

 

 何事かと振り返ると、騎士達はエンリのことなど見ていなかった。

 

 見ているのは、エンリの背後。

 突如出現した、闇を溶かしいれた鏡の様な空間。

 

 それは魔法的に作られたものに違いないが、騎士達にもエンリにもそれが何であるのか理解できない。

 

 未知なるものに対峙し、身が竦んだ騎士達は怯んだように一歩後ずさる。

 そして彼らの後退に示し合わせた様に、闇の鏡から何かが姿を現した。

 

 

「ひっ」

 

 

 騎士が小さく悲鳴を上げた。

 

 禍々しい空間から姿を晒すのは鬼か、蛇か。

 背筋に氷の様な冷たい恐怖を覚えながら騎士達は剣を握りしめ──

 

 

「な……っ」

 

 

 ──そして思いがけず、思考と言葉が詰まる。

 

 現れたのはこの森にはとても似つかわしくない耽美な白いドレスを纏ったあまりにも美しい女だったからだ。

 

 

「わぁ……」

 

 

 美しいという言葉さえ置き去りにするほどの美。

 姿を現した美女──モモンガの姿を認めた村娘エンリ・エモットも、自分の危機を忘れてその超位的な美貌に目を奪われていた。

 

 造物主たるタブラ・スマラグディナはアルベドを天使や女神と見紛うほどの容姿だと設定し、創造した。故に彼らの反応は至極当然と言えるだろう。騎士にとってはモモンガが自分の行動を咎めにきた女神に、エンリにとっては憐れな村娘の窮地を救う慈悲深き天使に見えているに違いない。

 

 まさに美の化身であり、高潔な上位存在。

 

 ……しかしその印象は、モモンガの頭部から生えた一対の角と、腰から伸びた黒翼によって逆転する。

 

 

「異形種……!?」

 

 

 アルベド(モモンガ)の美貌に“食らっていた”騎士達が、ふんづまって剣を構えた。

 あの角と翼を見過ごすわけにはいかない。目の前に現れた存在がどれだけ美しかろうと、異形種と分かれば敵対する理由が彼らにはあった。

 

 

心臓掌握(グラスプハート)

 

 

 そう唱えて、モモンガの右手が何かを握りつぶす。

 その瞬間、モモンガの視線を受けていた一方の騎士が、一度低く呻いてその場で屍を晒す結果となった。

 

 

「……」

 

 

 騎士の死を見届けたモモンガは、先程の感触を確かめる様に右手を開いて閉じてを繰り返し、細く息を吐いた。彼女にとっては先程握り潰した何かの感触はあまり良いものではなかったらしい。僅かに顔を顰めているのがその証拠だ。

 

 

「この世界の人間達に私の得意とする死霊系……その中でも高位の第九位階魔法が効かなければ、流石に逃げるしかないと思っていたが……どうやら問題はない、ということのようだな」

 

「ば、化け物……!」

 

 

 一瞬にして仲間を絶命させた悪魔に、騎士は喉の奥で小さく悲鳴を上げた。しかしモモンガはその様子に対して興味がなさそうに『実験』の結果を確認している。

 

 

「人を殺めても思っていた以上に動揺の波が薄い……これはカルマ値の影響か? 何にせよ、この悪魔(サキュバス)の肉体が俺の精神に影響を与えていそうな気はするな……」

 

 

 整理の為の独り言だ。

 モモンガは言いながら視線を返すと、ゆったりと残りの騎士に歩み寄る。決定的なレベルの違いを本能で思い知った騎士は、裏返った声で「化け物」と叫びながら背を向けて逃げ出した。

 

 

「年端もいかない女子供は追いかけ回せるのに、強者に立ち向かう度胸はないか……折角来たんだ。無理矢理にでも実験に付き合ってもらうぞ」

 

 

 モモンガはそう言って、騎士の背中を指さした。その指の先に、蒼い雷の力が集約していく。

 

 

龍雷(ドラゴン・ライトニング)

 

 

 次の瞬間、モモンガの指先から稲妻が迸った。蒼く、鋭く、雷が嘶く。

 雷の魔法は逃げる騎士の背中に直撃するや、いとも容易く肉体を鎧ごと焼き切った。絶命の瞬間は一瞬だったに違いない。騎士はぐるりと白目を剥くと、雷撃の力に逆らわず地に墜ちた。

 

 肉と鉄の焦げた臭いが、風に乗ってやってくる。

 

 

「弱っ……まさかとは思ってたけど、第五位階魔法でも簡単に死ぬなんて……」

 

 

 術者のモモンガは龍雷一発で殺せたことに目を見開いた。こんなのユグドラシルであれば魔法の威力の殆どを装備品だけで軽減されるくらいのものだというのに。

 

 

(まぁ……想定を下回るレベルなぶんには何の問題もない)

 

 

 驚きと、安堵と、呆れが、それぞれ波状的にモモンガの心に波を打つ。強者の存在も警戒するに越したことはないが、現地の武装した兵士に化け物と比喩されるほどの力はあるらしい。

 

 慌てて駆けつけたせいで漆黒の鎧(ヘルメス・トリスメギストス)の着用すら出来ずに来てしまったが、問題はなさそうなのでモモンガは一息吐いた。

 

 

(総合レベル200に浮かれて、この世界の人間が平均500レベル以上でしたなんて結果だったら目も当てられなかったからな……)

 

 

 未知なる敵に対して油断や驕りは天敵であると、かつての仲間のぷにっと萌えも口酸っぱく言っていたのをモモンガは思い出していた。石橋は叩いて叩いて、スケルトンを歩かせて、マジックアイテムも用いてから歩くくらいが丁度よい。初見攻略で調子にのって重課金アイテムをロストしたときの忌々しい記憶は、モモンガの脳裏に今もこびりついている。

 

 

(さて)

 

 

 モモンガはある程度の整理を終えると、エンリに向き直った。

 

 

「……あっ」

 

 

 エンリは思わず声が出た。

 あの金色の瞳が自分に向けられたからだ。モモンガがゆったりと、美しい黒髪を揺らしながら歩み寄ってくる。

 

 

「大丈夫でしたか?」

 

 

 労りの言葉を紡ぐ声は、優しかった。

 目線が同じ位置になる様に屈んだモモンガの顔が余りに近くて、余りにも美しくて、余りにも慈愛に溢れている微笑を湛えていたから、エンリは一瞬で赤面した。相手が同性とか、異形種なんてことすら最早エンリにとっては些細なことだった。

 

 

「は、ひゃい! だ、大丈夫でし、です!」

 

「そうですか。大事がなくてよかったです。そちらの子も特に怪我は……なさそうですね」

 

 

 心臓は不規則に暴れるし、言葉も噛む。顔も火傷しそうなくらいに熱い。

 しかしこれほどの美女に声を掛けられた者なら誰だってそうなってしまうと、エンリは確信していた。

 

 

 

(睫毛、長っ……何か、すごく良い匂いもするし……!)

 

 

 エンリがドキドキと胸を高鳴らせていると、背に回していたネムがひょっこりと顔を覗かせた。

 

 

「お姉さんは……もしかして天使なの?」

 

 

 ──いや、違うぞ。

 

 余りにも的外れな質問にモモンガはツッコミ半分でそう返そうとして、言葉を引っ込めた。

 殺す予定の相手ならいざしらず、対話するべき相手に対して今の自分の姿で元々の男口調を扱うのはそぐわないと思ったからだ。何よりタブラが手塩にかけて創造したアルベドの肉体を、自分の口調一つで汚すようなことをしたくなかった。

 

 アルベドの容姿に合うよう、なるべく綺麗で丁寧な言葉を心掛ける。これは今決めたこの世界でのルールであり、ユグドラシルを去ったタブラへのせめてもの手向けでもあった。

 

 

「いえ、違いますよ」

 

 

 咳払いをひとつだけして、モモンガは言葉を整えてネムに微笑む。

 その微笑みは彼が意図したものではない。創造主がそうあれと設定したせいか、気を抜くと肉体(アルベド)が微笑を浮かべてしまうのだ。

 

 綺麗な口調、美しすぎる容姿、柔和な物腰と優し気に湛えられた微笑……今まさに否定されたばかりだというのに、ネムはやはりモモンガを天使だと強く思った。それは姉のエンリにとっても全く以て同意することだ。

 

 

「天使様、どうかお願いします。私達を救ってくださったばかりで厚かましいとは承知の上なのですが……どうか、どうかそのお力で私達の村を救ってくださいませんか……!?」

 

 

 縋るエンリ達の不安な気持ちを溶かす様に、モモンガは頷いた。まるで慈母の様に微笑む彼女に、エンリ達は赤面し、泣きそうにさえなった。

 

 

「困っている人がいたら助けるのは当たり前、ですからね」

 

 

 だって自分達をお救い下さる天使様はこんなにも優しく、強く、美しいのだから。

 

 

 

 

 

 


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