アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】 作:三上テンセイ
阿鼻叫喚の地獄絵図。
カルネ村を地獄に変えた帝国騎士団──を騙るスレイン法国の部隊を任されるベリュースは、苛立ちを隠そうともせず足元に転がる死体を蹴とばした。
恐怖に怯える村娘をいたぶろうとした矢先、今や死体となったこの男がベリュースの体に取り縋って邪魔してきたのだ。娘の父親だったのだろうが、彼にはそんなことは関係ない。折角の自分の楽しみに水を差されたことが苛立たしくて仕方なかった。見目の良い女を乱暴するのが好きなベリュースにとって、その時間を下等な農民に邪魔されることは腹立たしいことでしかない。
「俺の手を煩わせやがって……」
村娘が逃げた森を睨みながら、ベリュースは唾を吐く。
ちなみに先の父親と取っ組み合いになったとき、彼は悲鳴を上げながら周りの部下へ助けを求めるという余りにも情けない痴態を晒してしまった。自尊心だけはアダマンタイト級の彼のプライドを傷つけたのも、苛立ちの大きな要因の一つと言えるだろう。
あの村娘の骸を部下が連れてきたら、父親の死体の前で踏みつけてやろうと密かに決心するベリュースは、紛れもない屑だった。
そしてそんなベリュースを苛立たせる事態が、もう一つ起きる。
「あ……?」
見渡せば、部下達の手が明らかに止まっているのだ。
手当たり次第虐殺せよと命令しているにも関わらず、だ。彼らは一様にどこか呆けた様な表情をして、一点を見つめている。まるで時が凍ったかの様に。
「お前達、一体何をして──」
怒りに任せた怒号を上げようとして、ベリュースの声が瞬間的に詰まった。怒気もどこへやら……彼もまた、部下達と同じような呆けた顔へと変わってしまった。
「お──」
ベリュースの手を逃がれた村娘が逃げた森の方角。
そこから一人の女がやってきている。しかしただの女ではない。女の容姿を例えるのなら、女神。あるいはそれに連なる神聖な何か。
目を疑う様な美女はひと目で分かるほど上質な純白のドレスを纏っていた。鼠径部の辺りから太ももに至るまでのスリットから艶めかしい白肌が見える。豊かに膨らんだ乳房を惜しげもなくひけらかす蠱惑的なドレスだというのに、下品という印象はまるでない。むしろ美女の容姿も相俟って、至高の芸術に昇華していた。慈愛の女神というのはこういうことを指すのだろう、というのを現実に起こしたようだった。
誰もが美女に見惚れていた。
騎士も、村人も。今まさに心臓を剣で貫いている者も、半死半生の者でさえ。
そして気づく。
あの悪魔の証明たる角と翼に。
「お──」
一陣の風が吹く。
美女の黒髪が揺れる。美女はカルネ村の様子を見渡しながら、桜色の唇に掛かる髪を自然な仕草で耳に掛けた。風下にいるベリュースの鼻腔を、美女の甘い香りが擽る。
それが余りにも男の理性を溶かす性質の甘さで、ベリュースの股間はやにわに膨らんでいく。そして次の瞬間──
「──お、お……お前達ぃぃぃぃぃ!!!!!」
──ベリュースの叫びが、凍った時間を穿った。
「あの異形種を捕らえよぉぉぉぉぉ!!! そして、そして俺の下へ連れてこいッ!!!!! 顔と五体は傷つけるな!!!! と、飛んで逃げられぬように翼は切り捨てよ!!! 何をやっている早く、早くせんかぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
欲望丸出しの絶叫。
ベリュースの命令は、誰が聞いても真意が理解できた。異形種を討つ為とか、人類を護るスレイン法国の意志に添う為とか、そんなものとは全く以て縁遠い感情から由来した命令だと。
余りの美しさに面食らっていた騎士達だったが、今なお唾を飛ばしまくって絶叫するベリュースに発破され、各々に美女に剣を向けた。当然、彼らの目にも欲望の色が宿り始める。相手は異形種なのだ。元より人権などない。ならばどう扱おうが、彼らの勝手だろう。むしろ"懲らしめてやる"ことで、人類の繁栄を知らしめてやるのだという身勝手な大義名分まで芽生えるくらいだった。
そんな騎士達の視線とベリュースの欲に塗れた怒号を受け、
「……良かったよ。この世界での自分の戦闘能力を計る最初の実験台が、お前らの様などうしようもない屑で」
美しい声の呟きは、誰にも聞こえることはない。
仙姿玉質の悪魔は
「ぉわ……っ」
悪魔の一番近くにいた騎士が、驚愕の余りにたたらを踏んだ。悪魔が美しすぎる故、更に戦闘とは縁遠い見事なドレスを身に纏っているせいで、戦闘能力を有しているとは思っていなかったのだ。
悪魔はあのティーカップしか持ったことがない様な美しい細指を斧の柄に絡ませると、片手で事もなげに大質量を振り回した。余りにも軽快に振り回すものだからあの戦斧が小枝ほどの軽さしかないのかと錯覚するが、あの空を切る荒々しい風音が、"本物"であると証明している。
「捕らえたいというのなら、お好きにどうぞ」
悪魔はそういって、微笑んだ。
この宝玉の様な微笑みが最期の光景ならば、男にとっては幸せなのかもしれない。
──……一閃。
武に心得がない者なら閃光がチカリと瞬いたか、としか思えないだろう。
悪魔の近くにいた騎士四名の頭が、
「……さぁ、どこからでもかかってきなさい」
悪魔はそう言って、斧の刃にこびりついた血を振り払った。