アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】   作:三上テンセイ

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2.表裏

 

 

 

 王都リ・エスティーゼ──ロ・レンテ城。

 

 王城らしい華やかな内装の一室で、彼女達は一つの円卓を囲んでいた。見目麗しい婦女子達だが、彼女らの顔には煌びやかなお茶会を楽しむといったような腑抜けた表情は張りついていない。

 

 円卓を囲うのは、その輝く様な美しさから『黄金』と称されるリ・エスティーゼ王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。そして女性のみで構成され、アダマンタイト級冒険者チームとして王国でも名高い『蒼の薔薇』の五名だ。

 

 それから部屋の入り口を守るようにして、ラナーの側仕えである鎧を纏った青年の──少年ともいえるが──クライムが、油断のない表情で立っている。

 

 

「みなさん、お疲れ様でした」

 

 

 鈴の音の様な声を奏でて、ラナーは小さく頭を下げる。彼女の前には王都近郊を示す簡易地図が広げられており、そこに記されているいくつかの目印にキルマークがつけられていた。今しがた、マークが一つ増えたところだった。

 

 

「ライラの粉末……通称黒粉。『八本指』の野郎共、本当にふざけたもんをこの国にぶちまけてくれやがったな」

 

 

 美女達が囲む円卓に於いてただ一人混入した異物──豊かな筋繊維を纏う一見大男の様な見目のガガーランが、地図を見ながら頬杖を突いた。

 

 

「そうね……こんなものが出回っていては、本当にこの国は裏から腐ってしまうわ」

 

 

 それに同調するのは『蒼の薔薇』のリーダーたる、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラだ。その美貌は『黄金』のラナーと比較対象に挙がるほどに美しく、『生命の輝き』とも言える魅力を纏っている。

 

 ちなみに『八本指』とはリ・エスティーゼ王国の裏社会を支配する組織の名であり、黒粉とは『八本指』が製造・密売している麻薬の一種だ。黒粉を始め、『八本指』は奴隷売買、密輸、暗殺、窃盗、賭博等……とにかく考え得る悪事の限りを王国で尽くしている。

 

 その魔の手は表社会にも侵食し始めており、『八本指』を匿うことでその利益を啜ろうとする貴族が多数いるのも事実。王国はまさに、腐敗の一途を辿っていた。

 

 ここに集った彼女達は、そんな未来を変えようと『八本指』を根絶せんとする義勇の戦乙女達と言ったところか。円卓に広げられている地図に記されたキルマークは、彼女達『蒼の薔薇』がラナーの指示によって潰してきた『八本指』の拠点に他ならない。

 

 ラキュース以外の『蒼の薔薇』の面々は、一国の王女に私情を以って与するという冒険者としての振る舞いに思うところがないわけではないが、それでも王国を良くしたいと思う気持ちは真実だ。

 

 

「だから全て潰してるんでしょ? 鬼リーダー」

「面倒だけど虱潰しにするしかなかったもんね。鬼ボス」

 

 

 そう続けるのは、双子のニンジャ──ティアとティナだ。着用している服も装備も殆ど同じな為、瓜二つの彼女達の違いを初見で看破するのは不可能に等しいだろう。ローテンションな二人の声音は、ラキュースですら聞き分けは難しい。

 

 

「私は本当に『蒼の薔薇』のみなさんには感謝をしております。貴女達がいなければ、この国は今頃もっと酷いことになって──」

 

「──よしなさい。私と貴女の仲じゃない。そういうのはナシよ」

 

 

 今一度深く頭を下げようとするラナーを制したのはラキュースだ。彼女は由緒正しいアインドラ家──貴族の出身であり、昔からラナーとの親交は深い。親しい友人同士だと思っている彼女は、茶目っ気のあるウインクを送ってみせる。

 

 そんな様子を先程からむっつりとした態度で見送っている少女が一人いる。仮面で素顔を隠している、何とも怪しげな少女だ。

 

 

「何か言いたげね? イビルアイ」

 

「……何でもない。しかしお喋りとおべっかが好きだなお前らは。そんなことより、決行はいつにするんだ?」

 

 

 決行。

 

 仮面の少女──イビルアイが口にした言葉に、その場にいた誰もが表情を引き締めた。

 

 何の決行? 

 そんなことは、この場にいる誰もが分かっていた。

 

 ラナーは冷め始めた紅茶にひと口つけ、静かに目を配る。

 

 

「……日程とタイミングはこちらで調整します。一週間後にはなりそうですが、みなさんはいつでも出撃できるようにだけ準備をしておいてください」

 

「いよいよ、祭りの開催だな。パーッと、ド派手にやろうぜ」

 

 

 犬歯を剥き出しにして、ガガーランが獰猛に笑う。拳を掌に打ちつける様は、雄々しく頼もしい。『蒼の薔薇』の面々は、彼女の勇ましさに同調する様に僅かな笑みを浮かべて頷いた。

 

 

「『八本指』の重要拠点を暴き……レエブン侯と戦士長様のご協力を仰げた今が、まさに『八本指』を叩く最高の好機です。ですが、『八本指』も愚かではありません。ここを逃せば必ずまた私達の届かない闇の中へ潜ってしまうでしょう」

 

 

 ラナーの表情が引き締まる。

 彼女は皆の顔をゆっくりと見渡した。

 

 

「……チャンスは一度きり。どうかみなさん、私に力を貸してください。この王国の未来の為に」

 

 

 祈る様に組まれた彼女の手に、ラキュースの手が重なった。

 

 

「もちろんよ」

 

 

 勇ましい戦乙女として、そしてラナーの友として、ラキュースはそう言って力強く頷いた。

 

 

 ──『八本指』との一大決戦の日は、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラナーとの会談後。

 

 ロ・レンテ城を後にして拠点へと向かう大型の馬車の中、『蒼の薔薇』は先程よりは弛緩した空気を醸していた。

 

 

「これでイタチごっこは終わりにしたいものだな」

 

 

 仮面の下で、イビルアイが溜息を零す。

 ラキュースがそれに頷いた。

 

 

「私達は黒粉の栽培拠点を潰してきたけれど、それも恐らくほんの一部……本陣を潰さない限りは、永遠にこの戦いは終わらないものね。ここまで来るのに苦労したわ」

 

 

 言葉通り、その顔には僅かな疲弊の色が浮かんでいる。

『蒼の薔薇』のリーダーとして、そしてラナーの友人として、一人の王国民として、東奔西走してきた彼女の気苦労は推して量れるものではないだろう。

 

 

「しかし『八本指』の巣穴さえ見つけりゃこっちのもんよ。戦力的に警戒するのは警備部門最強の六人……『六腕』くらいなもんだしな」

 

 

 ガガーランはそう言って、窓の外を見やる。

 王都は今日も、平和な日常が営まれていた。その薄皮一枚に、何があるのかも知らないで。

 

 

「一人一人がアダマンタイト級の実力者だと言われている以上、警戒は必須」

「こちらは五人、あちらは六人。数的有利は取られてる」

 

 

 油断のない発言をしたのはやはりティアとティナの姉妹だ。

 彼女達の言に、ラキュースが続く。

 

 

「敵の本拠地で戦うことになる以上、地の利はどうしてもあちらが上になるわね。作戦指揮はラナーに任せるけど、みんな油断だけはしないようにね」

 

 

 皆が承知して頷く。

 どれだけ強かろうが、僅かな油断が敗北を招くことを彼女達は知っているからだ。

 

 

「……そういえば、知っているか? エ・ランテルで王国三組目のアダマンタイト級冒険者チームが生まれたらしいぞ」

 

 

 話題が落ち着いたところで、イビルアイは思い出した様に話を振った。目を丸くしているガガーランはどうやら知らなかったらしい。

 

 

「マジかよ。そりゃ初耳だ。お前ら知ってたか?」

 

 

 ティアとティナは頷いたが、ラキュースは首を横へ振る。

 

 

「それで、どんな奴らなんだ?」

 

「奴らというか……」

「そもそもチームじゃない」

 

「はぁ?」

 

 

 ガガーランは眉を顰めた。

 チームじゃないという意味は理解できるが、同時に理解できない。アダマンタイト級冒険者なのにチームじゃない。ならば一体なんだというのか。

 

 

「どういうことなの?」

 

 

 困惑したラキュースも眉を顰めて問う。

 

 

「つまり、モモンという冒険者がたった一人でアダマンタイトに上り詰めたということだ」

 

「はぁぁぁぁぁ!?」

 

 

 ガガーランは思わず叫んだ。

 

 意味がわからない。そう言いたいのは伝わってくる。

 

 個の力でアダマンタイト級冒険者になるというのは、余りにも前代未聞だ。眉唾じゃないのか、という怪訝な考えが先行してしまう。それはラキュースも同じ気持ち……というばかりか、モモンの情報を知っていた三名も今尚彼女達と同じ考えだ。

 

 

「……俄かには信じがたいわね。本当なの? イビルアイ」

 

「知らん。私も正直半信半疑だからな。とりあえずそのモモンは『漆黒の美姫』……略称の『黒姫』と言う名でエ・ランテルでは広く知られているらしい」

 

「……姫ということは、女性なのね」

 

「ああ。常に漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏った戦士らしいが、兜の下は女神とも天使とも謳われるほどの美貌だそうだ」

 

 

 実力だけでなく、美貌をも兼ね備えている。

『蒼の薔薇』──つまり自分達がその前例である為、そこに異論のある者はいない。ガガーランを除くが。

 

 

「……そんで、その『黒姫』さんはどんな偉業を成したってんだ?」

 

 

 胡乱気な目線で問うガガーランに、イビルアイは自分の知ってる限りのことを静かに語りだした。

 

 

「……まず、推定難度二百は下らないと言われる巨大魔樹の討伐。北上してきたゴブリン部族連合の殲滅。ギガント・バジリスクの討伐。そして、野盗に身を落としていたというあのブレイン・アングラウスの生け捕りに成功した、とも聞いているな」

 

 

 ガガーランとラキュースの額に、じわりと汗が滲み出す。二人の目が、明らかに丸みを帯びた。

 

 

「……そ、そりゃあ、凄ぇじゃねぇか……。というかブレイン・アングラウスだのギガント・バジリスクだのもやべぇが、難度二百をたった一人で倒したは流石に無理があるだろ……!」

 

「特別なアイテムを暴走させて滅ぼしたらしい。まあ、ここらへんは信じるか信じないかは人によるけどな。ひとつ言えるのは、組合がこの功績を公式に認めているということだ」

 

「まじかよ……」

 

「まじだ」

 

 

 ガガーランとラキュースが、喉を鳴らした。

 イビルアイは肩をすくめて、更に話を続けていく。

 

 

「更にモモンは『困った人がいたら助けるのは当たり前』という戯けた信条を持っているらしいぞ。子供と遊んだり、倒れた女性を熱心に介抱したりする姿を見た者は多く、エ・ランテルでの評判は非常に良いそうだ」

 

「……まさしく、英雄ね」

 

 

 ラキュースは疲れた様な、呆れた様な、そんな溜息を零した。

 

 

「巨大なグレートソードを片手で振り回すらしいぞ鬼ボス」

「しかも第三位階魔法も使えるらしいぞ鬼リーダー」

 

「んだよそのバケモンは」

 

 

 ガガーランが堪らず毒を吐く。

 ラキュースもこれには苦笑いを浮かべるしかない。

 

 

「……何にせよ、王国にそんな英雄が生まれてくれたのは喜ばしいことだわ。今回の件で協力してくれたなら、本当に心強かったのだけど」

 

「拠点がエ・ランテルじゃあな……。まあ同じアダマンタイトなんだ。いずれ顔を合わせる機会はきっとくるさ」

 

「そうね。楽しみだけど、同業者としては少しだけ気おくれしちゃうわね……」

 

 

 途轍もない新星の情報に、ラキュースとガガーランはいらない疲労を覚えた。それは丁度、馬車が拠点に到着した頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都のとある場所。

 

 夜の闇に紛れる様にして、各地からリ・エスティーゼ王国の裏を牛耳る人物たちがそこへ集まってきている。

 

 ──八本指。

 

 八つの各部門を束ねる長達が、薄暗い一室で円卓を囲んでいた。

 

 同じ『八本指』の組織に名を連ねている彼ら部門長達だが、そこに流れている空気は決して穏やかなものではない。彼らは自分達の部門を至上とし、互いの利権を食い合い、場合によっては水面下で潰し合うこともしばしばだ。

 

 今日、そんな彼らがここへ集っているのは組織としての取り決めである定例会の為だ。これに出席しなかった場合、裏切りの可能性ありと看做されて粛清されてしまう。

 

 各々に強固な力を持った彼らだが、この定例会にだけは顔を出さなければならなかった。

 

 

 

「またやられたわ」

 

 

 麻薬部門の長を務めるヒルマ・シュグネウスがそう言って、煙管から吸い込んだ煙を細く吐き出した。言いながら、しかしその顔に苛立ちはない。まだまだ余裕のある口ぶりだ。それが真の態度か、虚勢なのかは推し量ることは敵わないが。

 

 

「これで六つ目か。黒粉の流通に支障はないのか」

 

 

 やられた、というのが何を指しているのかはこの場にいる部門長達は理解できている。

 

 またひとつ黒粉の栽培拠点を潰されたということだ。証拠は完璧に隠蔽されているが、その所業がラナーと『蒼の薔薇』のものである可能性が極めて高い、とも。

 

 

「まあね。手痛い出費にはなるけど、死活問題ってわけでもないわ。需要はどんどん高まってきているし、売り上げ自体は右肩上がりの一方さ。栽培拠点もまだいくつも残っているしね」

 

「そうか」

 

 

 最近の定例会は真新しい話題が少ない。ヒルマの麻薬拠点が嗅ぎ回られていること、ラナーによって制定された奴隷売買に関する禁止条例のせいでコッコドールの部門が落ち目であること。

 

 今日の話題もそんな定時報告で終わる──とは誰も思っていなかった。

 

 

「それでさっきから気になっているのだけど、そこの気味の悪い二人は何?」

 

 

 煙管を口につけ、ヒルマは目線だけでその二人を指す。定例会の円卓に紛れ込んだ明らかな異物。警備部門のゼロの近くに座す、二人の男女の姿。

 

 一人は枯れ枝の様な老いた男。

 もう一人は、白髪をした挙動不審な女だ。

 

 

「既に通達はしているが、改めてスペシャルゲストを紹介しよう。『六腕』に新たな仲間が加わった」

 

 

 ゼロはニヤリと笑った。

 

 

「まずはあのズーラーノーンの十二高弟に名を連ねるカジット──だ。組織の名を聞いたことがない者はここにはいないだろう。魔法詠唱者(マジックキャスター)としての実力は言うまでもなく折り紙付き。あの不死王デイバーノックにすら勝るだろうよ。そしてその部下達も、俺達の仲間となってくれている」

 

「仲間などではない。訳あって一時的に協力関係にあるだけじゃ」

 

 

 紹介を受けたカジットは、じろりとゼロを睨んだ。

 

 カジットはゼロに力を貸すことで『叡者の額冠』を報酬とし、更に死の螺旋発動を確固とする支援を受ける約束をしている。

 

 しかしゼロとカジットは世界の闇に生きる者達。そうおいそれと互いを信頼しているわけではない。喉笛を狙える好機が来たら容赦なく食らいつく。今はその好機が来ていないだけ。

 

 ゼロはカジットを良い様に使い捨てたいし、カジットはゼロから『叡者の額冠』を安全に強奪したい。

 

 ……今はその時じゃないだけ。

 黒い腹に一物も二物も抱えた男達の目には、毒蛇の様な不気味さが沈殿していた。

 

 しかしズーラーノーンの一部を引き込めたとあって、『八本指』の面々の反応は上々。『六腕』に迫る実力者達が協力してくれるとあらば、願ってもないことだ。

 

 ゼロはカジットから目を外すと、続いて隣の白髪の女に手振りした。女は痩せぎすで、目の下に大きな隈が出来ている。どうにも不健康そうな彼女は、指の爪を齧りながら瞳を忙しなく動かしていた。明らかに、どこか挙動と雰囲気がおかしい。

 

 

「そしてそこの白髪の女……クレマンティーヌは、カジットと同じズーラーノーン十二高弟の一人であり、更にあのスレイン法国が誇る六色聖典の元メンバーだ。単純な戦闘力だけで言うなら、俺をすら超えていると言っていい。ストロノーフすら到達できぬ英雄の領域に手が届いてる女だ」

 

 

 おお……という声が上がると共に、訝しげな視線がクレマンティーヌとゼロに刺さる。こんな女本当に強いのか? というものと、こんな変な女信用できるのか? という二つの性質のものだ。

 

 しかし法国が誇る聖典のメンバーとあらば実力は言うまでもない。この場でクレマンティーヌの実力を真に訝しむ者はそうそういなかった。何よりあの傲慢とも言える自分の強さを自負しているゼロが保証してくれているのだから。

 

 

「おっと、一つ注意して欲しいことがある。こいつの前では──」

 

「確かエ・ランテルでアダマンタイト級冒険者のモモンに捕らえられた小娘が、とんでもない秘宝を持ってたって話だったわね。その子がその小娘ってわけ?」

 

 

 ゼロの注意が終わる前に、コッコドールが口を挟んだ。それが地雷であるとも知らないで。

 

 

「あ」

 

 

 ゼロの喉奥から、たったの一文字が溢れる。

 彼は次の瞬間を想像して、それは瞬きの間に現実となった。

 

 

「っきゃああああああああああああああああッ!!!」

 

 

 いつの間にかコッコドールの後ろを取っていたクレマンティーヌが、彼の手の甲をスティレットで貫いていた。円卓に釘付けにされた手から、潰れたトマトの様に血が飛び散る。

 

 一室は騒然となった。

 

 クレマンティーヌはゴリゴリとスティレットを嫌味ったらしくねじりながら、コッコドールの耳元でねっとりとした声を吐き出す。

 

 

「おいおーい、このクソカマ野郎……このクレマンティーヌ様の前で、二度とその名前を口にすんじゃねェぞ……。えぇ? おい。全身蜂の巣にして愉快なプランターにでもしてやろうか?」

 

「ひ、ひぎっ! い、痛い! 痛い痛い痛い痛い!! や、やめっ、やめてちょうだい!! お、お願いだから!!」

 

「ねぇぇぇえええ!!! 返事は、さぁぁあ!!! ないのかなぁぁあああ!?!?」

 

「わかりましたッ!!! わかりましたわかりましたわかりましたぁぁああああ!!!」

 

 

 コッコドールの手首を円卓に押さえつけ、クレマンティーヌは何度も何度も手の甲にスティレットを突き刺した。まるで自らに昂る憎悪、恐怖、ストレスの捌け口にしているかの様だ。赦しを乞われても彼女に慈悲の文字はない。血走った目で、刺し続けるだけだ。

 

 

「やめろクレマンティーヌ!」

 

「うるっせェんだよおおおおおお!!! てめェもよぉ!!! ぶっ殺すぞぁ!!!」

 

 

 後ろからゼロに羽交い締めにされ、クレマンティーヌはそれでもなお発狂し続ける。狂気に満ちた視線で今なお貫かれているコッコドールは、根源的な恐怖を身に覚えた。彼は情けない声を上げながら椅子に倒れ込み、今なお悲鳴を上げている。

 

 

「こ、のッ! じゃじゃ馬がッ!」

 

 

 汗だくになりながら、ゼロは何かを染み込ませた布をクレマンティーヌの顔に押しつけた。そうすると彼女の肢体はみるみる力を失っていき……やがて沈黙した。完全に無力化できたわけではない。彼女の顔には未だ猛獣の様な形相が張りついている。

 

 ゼロは肩で息をしながら、『八本指』の面々を見渡した。額には、大粒の汗が滲み出していた。

 

 

「今ので分かったと思うが、あれの名をクレマンティーヌの前では言うな。名前を言わずともそれを示唆する様な発言は控えろ。激昂したこいつは俺でも止められん」

 

「ど、どうやってその女を引き込んだんだ。ちゃんと手綱は握れてるのか?」

 

「……こいつを拾った時、抜け殻みたいなもんだった。虚ろな顔でわけのわからないことをぶつぶつと呟いて、急に泣き出したりキレたり、とにかくやばい女だったが、黒粉漬けにしたことでなんとか今自我を取り戻している。黒粉を俺達が握っている以上は大丈夫なはずさ、多分な」

 

 

 長く息を吐くゼロに対して懐疑的な目は多い。

 いくら強くても、手綱が握れていないなら意味がない。クレマンティーヌほどの強者なら、それを勘定に入れても利用したいと思う気持ちも分からないではないが。元々『八本指』とは、そういうならず者のみで形成された組織なのだから。

 

 

「その子はモモ……奴に何をされたっていうの?」

 

「知らん。聞けばまた発狂するだけだ。何があったか聞きたいなら、お前が直接聞け。もちろん、施錠した部屋の中でな」

 

「う……」

 

 

 そう言われたら取り付く島もない。

 

 

「それで最後にもう一人紹介したい男が──」

 

「まだいるというのか」

 

「……ああ。聞いて驚くな。今ここには来ていないが、あのブレイン・アングラウスもこちら側に引き込んでいるところだ」

 

「なんだと」

 

 

 これには『八本指』の面々も分かりやすくどよめいた。

 

 ブレインといえば、あの王国最強と名高いガゼフ・ストロノーフと御前試合で鎬を削ったビッグネームだ。王国で武を嗜む者なら、まず知らない者はいないだろう。あの両名の試合は、今でも語り草だ。

 

 

「よ、よく引き込めたわね。ど、どうやって?」

 

「……それはこいつの前では言えないことだ、と言えば察しがつくか?」

 

 

 ゼロはそう言って、クレマンティーヌの方へ顎をしゃくる。

 

 それだけでまたモモン絡みと察するのは容易い。

 巷を賑わせているモモンとは一体何者なのか、そしてクレマンティーヌに何をしたのか。問いただしたくても、ここで問える人間はいない。

 

 ……しかし、モモンが活動しているのはエ・ランテルだ。王都を拠点としている『八本指』からすれば、まだ放置していてよい人物と言っていいだろう。

 

 

「……すごいわね」

 

 

 ぽつりと、ヒルマが心からの言葉を零した。

 

 カジット、クレマンティーヌ、そしてブレイン。

 各国が誇る王国戦士団、帝国四騎士、聖王国の九色をすら上回る戦力が転がり込んできた。

 

 その場に集まった『八本指』の面々は、一様に喉を鳴らす。これは、とんでもないことだ。もちろん良い意味で、だ。

 

 

「それで、それだけの過剰戦力を整えてあんたは何をしようってんだい」

 

 

 ヒルマのその言葉を待っていたと言わんばかりに、ゼロが笑む。それはまさしく、野心に燃える男の顔だった。

 

 

「いいか、お前達。今、『六腕』は最強の状態にあると言っていい。この先の未来にも、これだけの戦力を持つことは永劫叶わないだろう」

 

 

 円卓に連なる『八本指』の面々を見ながら、彼は力強く語る。

 

 

「俺達に出資しろ。『八本指』の総力を挙げて俺達をバックアップするんだ」

 

「何をするというんだ……?」

 

「王都で一悶着を起こし……『蒼の薔薇』、そして王国戦士団を掃除する」

 

 

 にたり、とゼロは笑う。

 これがどういうことか分かるな? と。

 

 

「これにより王派閥は失脚し、あのラナーも動かせる手駒が失くなる。つまり俺達の息の掛かった貴族派閥の連中が幅を利かせられる様になるってことだ」

 

 

 全員が喉を鳴らす。

 ゼロの語る言葉は机上の空論ではない。ガゼフも、『蒼の薔薇』も、真正面からぶつかってすら勝利できる算段がこちらにはあるのだから。

 

 ゼロは力強く、拳を握った。

 

 

 

「『八本指』はこれにより更に飛躍できる。黒粉の栽培拠点も増え、貴族派閥の働きによっては奴隷制度の復活もあり得るだろう」

 

 

 おお、と円卓の皆が喜色ばむ。

 ゼロの言葉はどこまでも甘く、そして現実味を帯びている。

 

 

 

 

「お前達、俺達に投資しろ。これは『八本指』の未来に繋がる、またとない最大のチャンスだ」

 

 

 夜の闇は、更に色濃くなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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