アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】 作:三上テンセイ
「手を貸してやる」
黒仮面の宣教師──ニグンは、ガゼフに一瞥もくれることなくそう告げる。対するガゼフは、その言葉を素直に受け取ることができない。手渡されたポーションも、口を付けるのが憚られた。
「……何故だ」
何故、という言葉が尽きない。
ガゼフにとってニグンという男は、王国の村々を滅ぼし回り、自分とその部下達を殺めかけた怨敵だ。あの時
「ストロノーフ……お前の疑問も分かる。俺に対して言いたいことは山程あるだろう。だが今は利口になれ。
「……」
どの口がそれを言う、と文句の一つも垂れたい。
しかし、もしニグンが現れなかったらガゼフが命を落としていたのは覆しようのない事実だ。ガゼフは少しの間逡巡した後、眉間に皺を寄せながら渡されたポーションをかっ食らった。それは『今はお前の手を借りてやる』という意思表明に他ならない。
ニグンがフッと笑んで、ガゼフが苦虫を噛み潰す。
「……勘違いするな。俺はお前を信用したわけじゃないぞ」
「それで構わん。私はお前に好かれたいわけではないのだからな」
「お前の目的は何だ……なぜ俺に手を貸す」
「我が神がそうしたからに他ならない」
「神……? 六大神のことか」
「違ァうッ!!! 旧き神々とは違う、この地に降臨したいと尊き新たなる神のことだ!!!」
「なんだそれは……俺はお前の信仰する神に助けられたことなんてないぞ」
「ふふ……あくまでもとぼけるかストロノーフ。まあいい。後でじ──……っくりとその話は詰めてやるとしよう。しかし今は……お喋りに興じている時間はなさそうだな」
「む……」
周りを囲むアンデッドが、呻きながら歩み寄ってきている。空には次の魔法を充填しているデイバーノック達の姿。
忘れてはならない。ここは戦場のど真ん中だ。
確かに喋っている場合じゃなさそうだと、ガゼフは剣を構えた。
「ストロノーフ。あの
「礼は言わ──……いや……恩に着る」
「礼はもとより不要。私の全てはかの神に捧げられている」
ガゼフにとってニグンの語る殆どは理解できなかった。しかし助力してくれるのなら、これほど心強い人間もそうはいない。彼はかつて命を奪い合った男と背中合わせとなり、腹の腑から声を出す。
ガゼフ・ストロノーフは、アンデッドの群れの前に躍り出た。
「おおおおおおおおお!!!」
毒の痺れが取れたガゼフは、鬼神の様な一騎当千ぶりを見せていた。アンデッド達を斬って斬って斬り殺して、サキュロントを追い詰めていく。
サキュロントからすれば、堪ったものではない。
本来相手するはずのデイバーノック達が謎の闖入者によって釘付けにされ、そのヘイトを一心に受けているのだから。
(ふざけるな! 俺一人であんな化け物相手にできるか!)
アンデッドをけしかけ、サキュロントは全力で逃走する。彼がガゼフに対して取れるアクションは陽動と撹乱のみ。まともに立ち合えば、たちまち斬り殺されるだろう。
しかしガゼフの剣の前では、スケルトンなど紙同然。僅かな時間稼ぎにしかならない。
「逃げるな!」
「うおッ!?」
ガゼフの一撃を短剣で何とか受け止めると、サキュロントはそのまま後方に大きく吹き飛ばされた。浮いた体は面白い様に飛び、背にしていた大倉庫の窓を突き破ってその中へと逃れていく。
「痛ェ……!」
倉庫内に無様に転がるサキュロントの至る箇所に、ガラス片が突き刺さった。
サキュロントは呻きながら、床を這いずった。そうしている間に、ガゼフが割れた窓を乗り越えてやってくる。
「……終わりだ『六腕』の。お前の首は貰い受ける」
「ぐ……、だが、そう上手くいくと思うな」
「何?」
にやりと笑うサキュロントにガゼフは嫌な感覚を覚えた。
サキュロントはなりふり構わず逃げていたわけではなかった。この倉庫を目指して、一心不乱に駆けてきたのだ。ここへ飛び込めば、あのガゼフ・ストロノーフに対抗できる切り札が用意されてるのだから。
「おい! 仕事の時間だ! 殺せ!」
サキュロントが叫ぶ──と、倉庫の奥からぬらりと男がやってきた。腰に刀を差し、顎には無精髭……ただならぬ強者の気配を纏うその男を、ガゼフは知っていた。蘇る、あの時の記憶。
「お前はまさか……ブレイン・アングラウス……か!?」
「ガゼフ……ストロノーフ……!」
二人は、憚らず目を丸くした。
互いの再会を予期していなかったのだから当然だろう。
この再会は早すぎたのか、遅すぎたのか。
会うのは例の御前試合ぶりにして二度目。
だからと言って、互いが互いを忘れているということは有り得なかった。
それほどガゼフにとってブレインとは──或いはブレインにとってガゼフとは──そういう存在なのだ。
何事かを捲し立ててサキュロントが逃げていく。
しかしガゼフにとっても、ブレインにとってもそれは既に眼中にない。
両者の間に僅かに沈黙が流れて、ガゼフの顔に表情が戻ってくる。ブレインもようやく、事態が飲み込めたという顔を見せた。
「なるほど。ゼロが俺に殺してほしがってた人間ってのは、お前だったかガゼフ・ストロノーフ」
「……こんなところで何をやっているブレイン・アングラウス。お前ほどの男が……まさか『八本指』に堕ちたというのか……?」
まさかという質問に、ブレインは僅かに笑みを見せて首を横へ振った。
「……別に俺は『八本指』に下ったわけじゃない。俺はこの剣で汚ねぇ金を稼いで飯を食ってるただの雇われ傭兵だ。お前に負けたあの時からな」
「……俺から言わせれば才能の無駄使いもいいところだ。アングラウス、お前はもっと骨のある男だと思っていたぞ」
「言ってろ」
ガゼフは素直に惜しい、と思う。
自分に勝るとも劣らない才能を持つ剣士が、その腕を腐らせていることに。
しかし、もしもあの御前試合で勝利を収めていたのがブレインだったなら、今の立場が逆転している未来もあったのかもしれない。そう思うと、ガゼフの心にやりきれない思いが去来した。
だが、それはそれだ。
今は感傷に浸っている場合じゃない。
「……アングラウス。お前が好き好んで『八本指』に与しているわけじゃないなら、俺達には戦う理由がない。お前にとってもこの戦いは意味がないはずだ」
「……いや、あるぜ。戦う理由はな」
「なんだと?」
ブレインはそう言って、静かに腰を落とした。刀の柄に添えた手に、殺気と剣気が集約していく。
「うっ!」
次の瞬間──二人の間に火花が一つ、弾けた。
侍の居合に応じたブルークリスタルメタルの剣が、刀と重なってきちきちと鍔迫り合う。
「……冥途の土産に王国最強の首も悪かねぇ」
静かに口にしたその台詞には、複雑な感情が入り乱れていた。どこか後ろ向きで、悲観的な決意が見え隠れしている。その言葉の意味を、ガゼフは悟った。
振り払うように強引に刀を押し返し、ガゼフは剣を構えた。
「アングラウス……お前、死ぬつもりか」
「……ああ。何だか剣に生きるのが馬鹿らしくなっちまってな」
ふ、と笑うブレインは、本当に可笑しく思ったのだろう。彼はそうして、ぽつりぽつりと自らの内を吐露し始めた。
「御前試合の日が懐かしく感じるよ。あの時、俺は自分が最強だと思っていた。そしてストロノーフに初めて敗北を味わわされてから、全てが変わった。どんな手を使っても最強に帰り咲いてやると誓った俺は、修羅場を潜る為にどんな組織にも手を貸し始めた……」
ブレインはそう言いながら、無意識に自身の掌を見つめていた。
犯罪者集団の用心棒を転々としていた彼は、数多の死線を掻い潜ってきた。悪に力を貸し、善を殺めてきたブレインは地獄に堕ちるに違いない。それでも彼は必死だった。それは今よりも、昨日よりも、僅かでも強くなるために他ならない。戦士としての技量を高める為……場数を踏めるなら、何だってするつもりだった。
「俺はあの時に比べると遥かに強くなった。お前にも負けないつもりでいた。俺がナンバーワンになったと、あの時まで疑わなかった……。しかしそんなのは、俺が見ていた甘い幻想だったんだな」
ぎち、と握られた拳が硬く軋む。
ブレインの瞳には、彼の全てを打ち砕いた漆黒の女戦士の姿がこびりついて離れない。
「ストロノーフ……
「なに……?」
「俺は知ってしまったんだよ。俺達がどうひっくり返っても勝てない、本物の強者ってやつをな」
「お前は『黒姫』のモモンを知っているか……?」
『黒姫』のモモン。
その名が出たことで、ガゼフは全てを察することができた。ブレインの身に何が起こったのか。どれだけの壁を体験し、その高さに絶望したのか。モモン《アルベド》の強さを知っている彼は、容易に想像できる。
ガゼフはブレインを見据え、静かに頷いた。
「知っているさ」
「いや……知らないだろう。奴の底なしの強さを知っていれば、今もそんな顔して『王国最強』の看板なんざ掲げられないはずだ」
「……知っているとも。彼女の強さは、痛いほどにな」
「なんだと?」
ブレインの目が見開かれる。
ガゼフは努めて冷静に、言葉を選んだ。
「詳しくは言えないが、俺はモモン殿に命を救われたことがある。お前の言う通り……あの
ガゼフはそう言って、笑みを見せた。
穏やかな表情だった。そんな彼の顔に、ブレインの心に波風が立つ。
何故笑っていられるんだ、と。
自分達の全てを否定されて、何故ヘラヘラしていられる、と。
自分が目指していた王国最強のその態度に、ブレインは例えようのない怒りを覚えた。
「何笑ってやがる……」
「なに?」
「俺達には……
俺は、今でも気が狂いそうだよ。
ブレインは蚊の鳴くような声で、悲壮感に満ちみちた声を絞り出した。
そんな彼の姿に、ガゼフは目を細めてしまう。
憐れに思っているというのは近からず遠からずだ。
「……アングラウス。モモン殿は途方もなく強い。だからどうしたというんだ」
「だからどうした、だと?」
「ナンバーワンじゃなければそんなに嫌か。自分より強い存在が、そんなに気に食わないか」
諭す様な口調だ。
追い詰める様なものではない。その諭す様な口振りが、両者の精神性の開きを暗に示していた。
モモンを知って、絶望する者。
モモンを知って、その隣に立とうと研鑽する者。
出会ったタイミング、環境。元々持っていた心構え、資質……。
様々な要素はあるが、少なくとも御前試合の時の両者に然程違いはなかった筈だ。剣の腕も、心も。何もかも。
「お前の気持ちも分かる。あれほどの強者を知ってしまったら、自分が積み上げてきたもの全てを否定されたような気持ちにもなるだろう。俺だって、無力感に苛まれなかったと言ったら嘘になる」
陽光聖典に殺されかけた日。
そしてアルベドと出会ったあの日。
ガゼフは自分の弱さを思い知った。
自分が一生掛けても勝てない、真の強者を知った。
しかし、ガゼフの心は砕けない。
今握っている剣を必ず返すと、一人の男として約束したのだから。その約束を違えるつもりは毛頭なかった。
「……だが、勘違いするなよアングラウス。俺は俺だ。自分が、自分の積み上げてきたものを信じてやれないで何とする。あの人がどれほど強かろうと、俺は俺の努力を辱めたりしない。俺は自分の限界を決めつけたりしない」
「まさか……あの高みを目指すというのか……」
「……笑うか?」
ブレインの答えは、沈黙。
笑わなければ否定もしない。何故なら今のガゼフの姿こそが、ブレインの憧れた男の姿なのだから。
ガゼフは今一度、剣の柄を握り直す。
この剣の繋がりこそが、彼に自覚を齎してくれる。
「俺はモモン殿に、約束をした。必ず強くなると。だから俺には立ち止まってる時間なんかない。足を止めたら……戦うのを止めたら、そこで男は終わりなんだよ」
「………………クク」
ブレインの喉奥から、笑い声が弾けた。
こうなったらもう笑うしかない。目の前の男の凄さと、自分の情けなさに。
「クソ……クソ、クソ、クソォ!!!!」
気づけば叫んでいた。
悪態は他でもない、自分の体たらくに対してのものだ。ブレインは自分が情けなくて、仕方がなかった。最早怒りしか沸いてこない。
「俺が間違ってるってのかよ!? モモンを前にして、あれを目の当たりにして俺の剣の何を信じろって言うんだ!! えぇ!?」
それは、八つ当たりに過ぎない。
『モモンを目の前にしたら誰だって自暴自棄になる』と共感されたかったわけでもない。しかし、挫けた心に正当性が欲しかっただけだった。
それを生き様で真っ向から否定する男が目の前にいる。ブレインは、心が荒んで仕方ない。
「……気が変わった」
そんなブレインに、ガゼフは優しく声を掛ける。
声色はひどく優しく、そして厳しい。彼はブルークリスタルメタルの剣を、正眼に構えた。
「来い、アングラウス。俺が、今のお前の全てを否定してやる」
父が子に諸手を広げるように、ガゼフは剣を以って応える。ブレインはなりふり構わず、そこへ突っ込んでいった。ようやく、自分の中に溜まったヘドロを吐き出せる場所が見つかったからだ。
──決着は……結果は、言うまでもない。
「強ぇな……」
「……お前が弱くなっただけだ」
「そうか……俺は、弱いか……」
「ああ、弱い。俺なんかに負けてるようでは、まだまだだな」
「……ふふ」
ブレインは清々しい気持ちだった。
ガゼフに敗北してから泥の中で呼吸しているような毎日だったのに、二度目の敗北によってその暗澹たる思いは晴れた。何を賭してでも勝ちたかったというのに。
「アングラウス、全てが終わったら俺のところに来い。お前のひねくれた根性を一から叩き直してやる」
ガゼフはそう言って、大の字で倒れているブレインの傍にポーション瓶をそっと差し置いた。彼はそれだけ言い残して、踵を返す。
「…………」
ブレインの鼓膜が、ガゼフが遠ざかっていっているのを聞き分けている。外は相変わらずの喧騒だ。ブレインはぼんやりと、倉庫の天井を眺めていた。そうすることしかできなかった。
「情けねぇな……」
自然と、涙が頬を滑った。
修羅に生き続けてきた彼が涙するなど、子供の頃以来の出来事だった。