アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】 作:三上テンセイ
日の暮れが近い。
空に僅かに橙が差す頃、その戦士団はカルネ村にやってきた。
「私はリ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らしまわっている帝国の騎士を討伐する為に、王のご命令を受け、村々を回っている者である」
その先頭に立つ屈強な男──ガゼフは、村長とモモンガの前に馬をつけると、下馬することなく話しかけてきた。モモンガを見下ろす彼の視線は、予断を許さない雰囲気を醸している。はっきり言えば、
対するモモンガは、僅かに安堵していた。
自分の味方かどうかはわからないが、この国の戦士長ということはとりあえずはカルネ村の味方ではあるからだ。戦闘と逃走のカードのうち、前者の札を脳内で消すこととした。
ガゼフは硬い声音のまま続ける。
「この村の村長だな。横にいるのは誰なのか、教えてもらいたい」
「この方は──」
「──それには及びません」
説明を任された村長を透き通った声で制して、モモンガは真っすぐにガゼフを見た。人外たる金色の瞳の視線を受けても、ガゼフは小揺るぎもしない。
「初めまして、王国戦士長様。私はアルベドと申します。この村が襲われておりましたので、助けにきた者です」
「……っ」
モモンガの自己紹介を受けたガゼフの目の色が変わった、様に見えた。彼は馬から飛び降りると、改めてモモンガへ居直った。ガゼフから醸される剣呑とした雰囲気が、どこか和らいだようにも感じる。
「この村を救っていただき、感謝の言葉も──」
彼は真っすぐにモモンガを見据え、不用心に近づいてきた。
「戦士長!」
そんなガゼフを咎める様に、帯剣した彼の部下が鋭く叫ぶ。
「何だ」
鷹揚に振り返ると、部下の兵士達……そう、一人じゃない。多くの部下達が、剣の柄に手を当て、ガゼフとモモンガの間に割って入った。
「角と翼が見えていないのですか。この女、見た目は美しいですが異形種です」
ぴり、と。
先程まで和らぎかけていた空気が再びささくれ立つ。彼らの言うところは尤もなことだ。気心の知れない異形種に心を許せというほうが難しい。美しい女性の皮で人を魅了し、間合いにはいったところでガゼフの首を切る……という可能性は大いに有り得る。
「別に私は──」
「口を開くな!」
弁明しようと口を開こうとするモモンガを、彼らは許さない。言葉で人を操る悪魔もいるという。
好きに喋らせるのは得策ではないだろう。ガゼフの部下達は、終ぞ抜剣してモモンガの前に立ち塞がった。
(ああ……こういう展開、ね)
想定しうるケースのうち最悪ではないが、それでも下から何番目といった感じの展開にモモンガは肩をすくめた。一応いつでも時間停止で逃げられるよう準備は済んでいる。警戒レベルを上げながら、彼は一歩後ずさった。カルネ村とは懇意にしたかったが、どうやらそれは無理な話のようだ。
(まぁ、仕方ないか……)
元々異形種が受け入れられない土地柄なのだ。
こうしてカルネ村に溶け込もうとするほうが、土台無理だった。
……しかし、事態はモモンガの思いもしない展開を迎える。
「アルベドさま!」
「ネム!」
緊迫の最中、両者の間に割って入ったのはネムだった。やり取りを見ていて家を飛び出してきたようだ。
「ネム! 危ないから戻ってきなさい!」
「いや!」
遠くでエンリが叫んでも、ネムは頑として首を横へ振った。手を大きく広げ、小さな体を目いっぱい使って勇敢にモモンガの盾となろうとしている。
「子供……?」
呆気に取られる兵士達。それらから庇う様に、モモンガはネムを抱きしめて後ろ手に回した。
「ネム、なんできたんですか! エンリさんと一緒に待って──」
「──いや! いやったらいやなの!!」
ネムは殆ど絶叫していた。泣きながら、鼻水を垂らして。
……トラウマが呼び覚まされたのだ。エンリに連れられてカルネ村を脱する時、両親が剣で貫かれているのを彼女は見ていた。
剣。
あの鋭利で、鉛色に輝くあの凶器。大切な親を奪った、あの恐ろしい代物。ネムの父はあれのせいで、今まで見たことがない苦痛の表情を浮かべていた。そんなものの切先が、大好きなアルベドに何本も差し向けられている。
そんなの、耐えられない。
例えアルベドが強大な力を持っていると理解していてもだ。体が震える。涙が出る。万が一あの剣がアルベドの腹を貫いたらと思うと、耐えられない。
ネムは涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら、尚もアルベドの盾になろうと叫んでいる。
「剣を収めないか馬鹿者共!!!!」
血管が毛ば立つ様な、腹に響く怒号だった。
空気を叩く太い声一本で、それまでの喧騒が嘘の様に静まり返る。やがて穏やかな風の音が聞こえる頃、ガゼフは静まった兵士達に視線を投げ掛けると、彼らにこう問う。
「お前達にはこの御仁が何に見える」
静かで、穏やかで、厳かな声だった。
しかしその声には、様々な思いが入り混じっていることは、誰もが分かる。
ガゼフは兵士達の間を割って、前に進む。
「お前達はこの子の姿を見て何を思う。この村の様子を見て何を感じる」
そう問われた兵士達は、何も言い返せない。ガゼフは質問を続ける。
「お前達にはこの御仁が人類の生存圏を脅かす悪の権化に見えてるのか? それとも人を誑かして魂を喰らう悪魔か?」
ガゼフは問う。
その問いに答えられる者は誰もいない。兵士達はばつが悪そうに、俯くだけだった。
「俺の目にはこの方は村を救ってくれた勇敢で、慈愛に満ち、そして……可憐な容姿を持つ女性にしか見えない。角と翼を有しているだけの、な」
幼な子を後ろ手に回して守ろうとするモモンガの姿は、まるで子を守る母の姿にしか見えない。周りを見ると不安そうに事態を見守っている村人達がいる。ならばそれに剣を向けている男達は、何に見えるというのか。ガゼフの部下達は平静を取り戻すと、自分達が不健全なことをしているとはっきりと自覚した。
「お前達が俺を心配してくれた行動だということはよく分かる。だが、見た目や種だけで村を救ってくれた恩人を愚弄することは許さん」
はっきりと、ガゼフはそう告げる。王国戦士長らしい……いや、一人の男として、芯のある言葉だった。そんなガゼフに英雄像の影が重なり、モモンガは好印象を抱いた。
「我々の使命とはなんだ」
「……この国の平和を守ることです」
「そうだ。そしてそれはつまり、この国に生きる子供達の笑顔を守るということだろう。我々が、あの子の笑顔を奪ってどうする。子供が泣きながら身を呈して守ろうとする女性に剣を突きつけることが俺達の仕事か?」
「戦士長……」
「この村を、そしてこの子の笑顔を守ってくれたのはこのアルベドという御仁だ。……間に合わなかった我々に代わってな。ならば我々がまずせねばならないのは、感謝の意を述べることだろう」
ガゼフは今一度、モモンガへと向き直る。
その瞳には謝意の色が濃く出ていた。
「見苦しい真似をして申し訳ない。できることなら、どうか許して欲しい。あいつらも悪気があってやったわけじゃないんだ」
ガゼフはそう言って、深々と頭を下げた。
異形種にそう易々と頭を下げられる立場じゃないだろうことは、モモンガも察することができる。しかし彼は、躊躇う余地もなくこうして頭を下げている。モモンガはもちろん、快く頷いた。
「彼らの仰ることは尤もです。私の見目はどうひっくり返っても人間種ではありません。彼らの反応は当然でしょう……ですが私は、無闇に人を傷つける様な存在ではないことをご理解いただけますでしょうか?」
「そう言ってくれて本当に有り難い。無論、貴女のことは村を救ってくれた敬意を払うべき恩人として扱わせてくれ」
お前達もそれで良いな?
ガゼフがそう彼の背に控える部下達に問うと、彼らは深々と頷いた。
(衝突はなんとか避けられたか……)
弛緩していく空気の中、モモンガはゆったりと一塊の空気を吐いた。
平民出身というだけで貴族からやりたい放題言われてる毎日を送ってるガゼフにとって、偏見や差別に対する配慮は人一倍あるんじゃないかなと思います