アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】   作:三上テンセイ

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9.Libera me from hell

 

 

 

 

 

 

 

 モモンガは目を覚ました。

 

 それは一瞬のことにも思えたし、永い時を経た様にも思う。ただ、そのたったの瞬きの間の時間が彼に途方もない疲労感を与えたのは確かだった。

 

 

「俺は……」

 

 

 何が起きていた。

 黒く美しい睫毛が伸びる瞼を閉じて開いて、モモンガは呆然とそこに立ち尽くす。

 

 会社に行かなきゃ、今何時だ、と……巡らぬ頭で彼がぼんやりと考えていると──

 

 

「モモン危ないッ!!!」

 

 

 ──モモンガの体を、白銀の騎士が強引に抱きかかえた。彼は最高速度を維持したまま、その場を駆け抜けた。

 

 その急展開に、モモンガの頭がようやく覚醒した。

 

 そう、彼は死んでいたのだ。

 装備していた即時復活の指輪のおかげで蘇生したのだが、確かに彼は死んでいた。

 

 その事実に、モモンガの目が見開かれる。

 

 

 

 ──そしてその直後、先程までモモンガが立っていた場所に何か巨大な影が降り立った。

 

 降り立ったというよりは、何かが落下したと言ったほうが正しいだろうか。それは突風と砂埃、そして巨大な質量が地面に激突した轟音をかなぐり立てて、その場に聳え立つ。

 

 

「何よ、あれ……!?」

 

 

 平時、平坦な表情しか見せない『絶死絶命』の目が見開かれた。

 

 鳥肌が立つ。

 汗が滲む。

 呼吸が荒れる。

 寒気、嫌悪感が体を蝕んでいく。

 

『絶死絶命』は、とうに忘れていた命が危ぶまれる感覚をその身に刻まれていった。

 

 

 ……それは、余りにも醜悪な存在だった。

 

 

 黒く、そして巨大だ。

 

 例えるならば、真っ黒な毛虫……だろうか。

 しかしそれは例えとしてはとてもマイルドでシンプルだ。あれは、そんなに生易しいものではない。

 

 漆黒のヘドロを纏う巨体は、それだけで円形闘技場の五割を覆いつくす程だった。芋虫の様なフォルムは光を一切通さぬ真っ黒な粘液を常に垂れ流し、死の気配を周囲に撒き散らしている。

 

 先程毛虫と例えた毛の部分を説明しなければならない。

 

 あれの体には、無数の……そして大小、長短十色の漆黒の手が伸びている。誰かに助けを求める様な手は常に蠢いており、それは遠目で見れば風に吹かれてそよめく体毛の様にも見える。

 

 そして、その無数の手の数に劣らぬ程の眼球が漆黒の体にびっしりと張り付いていた。血眼はやはり絶えず蠢いており、この存在に対する生理的嫌悪感を一層に掻き立てている。

 

 背と尾の部分にはかつて竜であった時の名残なのか、僅かに突起しているのが確認できるが、それは最早翼や尻尾の様な元々の役割は果たさないだろう。

 

 

 亡者の怨念と地獄という概念を握り固めた様な存在──というのが、『絶死絶命』があれに受ける印象だった。

 

 

 

 ──『カゲ』

 

 

 

『アインズ・ウール・ゴウン』を滅ぼした『朽棺の竜王(エルダーコフィン・ドラゴンロード)』の成れの果ての姿。

 

 それは、口を開いた。

 あらゆる生物を丸呑みに出来る大口には、歪な乱杭歯が上下左右にびっしりと生えている。『カゲ』は体を僅かに膨らませると──絶叫した。

 

 

「ぐ……っ!」

 

 

 絶叫する。

 それだけのこと。

 

 それだけのことで、空間が撓む。地や闘技場の観覧席に亀裂が走る。夜空を模した天の星々が散らばっていく。

 

『絶死絶命』とリクが吹き飛ばされ、必死に地に足を付けるモモンガの鼓膜が切り裂かれた。

 

 惑星中の生者の頭を同時に万力で潰した様な絶叫は、それだけでモモンガの体に多大な負荷を与えていた。

 

 ……咆哮を終えた後には、寒気がする様な静寂が寄せ返ってくる。

 

 小刻みに呼吸を繰り返す『カゲ』の吐息はそれだけで死の概念を辺りに撒き散らし、闘技場の至る所に下位から上位のアンデッドを自然発生させた。

 

 

 ──未だかつてない絶望が、モモンガの身に訪れる予感。

 

 

「『光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)』……!」

 

 

 淡く、モモンガの体が緑色の光を帯び……それが開戦の合図となった。

 

 

「──」

 

 

 

 何とも識別できない声で『カゲ』が再び咆哮すると、その漆黒の肉体から数多の手がモモンガの肉体へと猛然と伸びていく。

 

 ただならぬ緊張感。

 モモンガは鋭く息を吐くと、背中に黒翼を展開し、空へと逃れた。

 

 漆黒に染まる手は伸縮自在だ。

 関節のない鞭の様なそれらは、空へと逃げるモモンガの肉体を捉えんと迫った。さながら高性能追尾式ミサイルの群れだ。

 

 

「……『上位転移(グレーター・テレポーテーション)』!」

 

 

 何千、何万もの手が濁流の様にモモンガの肉体を飲み込む瞬間……モモンガの体が消える。転移した彼は闘技場の観覧席の陰に身を滑らせると、滝の様な汗を全身から吐き出した。捕まれば死んでいた……という未来と走馬灯を僅かに垣間見たからだ。

 

 

「……『魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジック・キャスター)』」

 

 

 息が乱れる中、モモンガは自身への強化魔法を囁くように唱え始める。

 

 

無限障壁(インフィニティ・ウォール)

生命の精髄(ライフ・エッセンス)

上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)

自由(フリーダム)

看破(シースルー)

超常直感(パラノーマル・イントゥイション)

上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)

混沌の外衣(マント・オブ・カオス)

不屈(インドミタビリティ)

感知増幅(センサーブースト)

上位幸運(グレーターラック)

魔力増幅(マジックブースト)

竜の力(ドラゴニック・パワー)

上位硬化(グレーターハードニング)

天界の気(ヘブンリィ・オーラ)

吸収(アブショーブション)

抵抗突破力上昇(ペネトレート・アップ)

上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)

魔力の精髄(マナ・エッセンス)

 

 

 レベル二百の体に、過剰ともいえる程の強化と加護が充実していく。ただしその過剰というのは、レベル百を上限とした相手に限って使われる言葉なのだろうが。

 

 

(馬鹿か俺は……)

 

 

 モモンガは魔法を唱え終わると、自身の愚かさに唇を噛み締めた。

 

 自分がこれから挑もうとしている勝負に勝てるわけがないと、分かっているからだ。分かっているのに、挑もうという愚かさ。体は震えている。呼気は定まらない。口内はぱさつき、自分の鼓動で僅かに視界がブレる。

 

 それでも彼はこれから『カゲ』へと挑もうと思っていた。それは彼自身、余りにも愚かで無謀な行為だと分かっていた。

 

『カゲ』には階層守護者達はもちろん、各階層に点在していた強力なNPC達の経験値も取り込まれている。領域守護者や、第八階層のあれらすら奴の贄となっているのだろう。

 

 今のモモンガが『カゲ』に挑んだところで、スケルトンがオーバーロードに挑む様なものだ。

 

 

(だけど……やるしかないだろ)

 

 

 3Fを握りしめる拳に力が入る。

 

 モモンガを突き動かす感情は、そう……怒りだった。

 

 かつての仲間達が遺した娘達(NPC)とナザリックを無茶苦茶にされた彼の腹の腑からは、止めどなくどす黒い感情が溢れて止まない。しかしそれと同時に、その同量の冷静さも彼には備わっていた。『カゲ』はこれからも際限なく成長を続けていくだろう。ならば、ここで出会ったこの瞬間こそが、永く続く滅びの時の中で最も弱い『カゲ』と対峙しているということなのだ。

 

 それに、上には……モモンガが心を通わせた友人達といえるべき存在がいる。

 

 ここで食い止めなければ、彼の何もかもが奪われてしまう。逃げる場所はなく、逃げる算段もない。

 

 

(そういえば宝物殿は……宝物殿はどうなってる? あそこに眠る世界級(ワールド)アイテムを回収して、アヴァターラを起動させればまだ──)

 

 

『上位転移』は機能した。

 ならば『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』の使用も可能なはず──と、目を落とした瞬間だった。

 

 

 

「──っ!」

 

 

 

 モモンガがもたれていた壁を、数多の腕が穿った。

 喉の奥で悲鳴が弾ける。驚異的な身のこなしで翻ると、彼は翼を広げて再び宙へと駆け滑る。

 

 隠密は不可能。

『カゲ』には、ニグレドから吸収した索敵能力も備わっている。

 

 

「ぜ、りゃあああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 天へと逃れながら、モモンガは追いすがる数千の腕を一心不乱に3Fで斬り落とした。あれの一本一本にはそこまでの耐久力がないのは救いだった。モモンガは驚異的なスピードで第六階層を縦横無尽に飛行しながら、スキル名を紡いだ。

 

 

「『下位アンデッド創造』……!」

 

 

 この極限状態で使用するには聊か心細いスキルだ。

 しかし、それでいい。火力や耐久力など、もとより期待できないのだから。モモンガは二十体もの下級アンデッドを生み出すと、六階層に広がる大森林にそれらを遮二無二走らせた。

 

 そうしている間にも黒手の群は大津波の様にモモンガのもとへ迫っている。

 

 大森林の木々の合間を縫う様な超高速飛行。その少し後を、森を平らにしながら無数の手が押し寄せていた。

 

 速さでいえばモモンガが僅かに負けている。

 

 

「く……っ!」

 

 

 あわや捕まる……という瞬間で、モモンガはアルベドのスキルを発動した。

 

 

「『トランスポジション』」

 

 

 無数の手の波に呑まれたのは、モモンガではない。

 位置をスキルによって交換された下級アンデッドだ。

 

 

「ぐっ……!!」

 

 

 転移したモモンガは慣性を殺しきれずに、木々の枝をへし折りながら地を舐めた。ゴロゴロと転がる彼の美しい黒翼に、砂や落ち葉が絡みつく。

 

 

(リクやアンティリーネは無事なのか……?)

 

 

 一瞬、頭を要らぬ心配が掠める。

 勿論その様なことを考えている時間などない。木々を破壊する音が、真っすぐこちらへ向かってきていることを察知したからだ。

 

 

「はぁ……っ……はぁっ……!」

 

 

 翻り、再び逃げる。

 騙しだましで逃げ続けても、勝利には繋がらない。それでも逃げの一手に専念しなくては、あれに飲み込まれて死ぬのは必至だった。

 

 

(『トランスポジション』には冷却時間がいる……ある程度は燃費の悪い『上位転移』を使わなければならないのは仕方ないか……クソ、なんて最悪な鬼ごっこだよ)

 

 

『カゲ』が使えるはずの転移阻害を使ってこないのは、それだけの知恵がないのか、それともこちらの様子を見て愉しんでいるからなのか。確かなことは分からないが、それでもその隙がモモンガにとっての生命線なのは確かだった。

 

『上位転移』を繰り返しながら、モモンガは勝利の為に逃げ続ける。

 

 

(だが、やってやろうじゃないか……十二秒間の、命を賭けた鬼ごっこってやつを……!)

 

 

 兜の中で、モモンガは奥歯を噛み締めた。

 その瞳には、勝機が見え透けている。相手に知性がないのなら、相手に対策をされないのなら──

 

 

 

『The goal of all life is death』

 

 

 

 ──モモンガが修めた最大の切り札が、活きてくる。

 

 彼の背中に現れるのは、巨大な時計盤。

 次に使用する即死魔法に対し、あらゆる耐性やステータスを無にする絶対の即死効果を与える。その効果が発揮されるのは、魔法やスキルを使用して十二秒後……という制約はあるのだが。

 

 スケールを問わない絶対の死。

 モモンガは時計盤を背負い、数多の黒手に追われながら、『カゲ』の前へと躍り出た。

 

 

「『真なる死(トゥルー・デス)』……!」

 

 

 魔法名を唱えると同時に、時計の針がカチリと動き出す。

 

『The goal of all life is death』のカウントが始まったのだ。後はカウントが終わる十二秒間を逃げ続けるのみ。

 

 指輪での転移では発動までにラグがある。

 ここはこの場で、死ぬ気で逃げ続けるしかない。

 

『カゲ』は何も気が付いていない。

 無数の目でこちらをじっと見つめて、黒手を伸ばしてくるばかりだった。

 

 おそらく本体が本格的に動けば、モモンガは二秒ともたないだろうに。

 

 

(その慢心が命取りだ、クソッたれめ……!)

 

 

 内心で僅かに口角が上がる。

 この勝機、取りこぼすことはできない。

 

 モモンガは二つ目の切り札だと言わんばかりに『完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)』を唱えた。身の内の魔法職のレベルが、ごっそりと戦士職に上乗せされる感覚が心身を満たしていく。

 

 魔法という手札を棄ててモモンガが得たのは、圧倒的な機動力。

 彼は翼を広げるや、先程までとは比べ物にならない速度で飛翔した。戦闘機すら抜き去るその速度に、黒手は追い付けない。

 

 針は既に九回、時を刻んでいる。

 確殺の時は、近い。

 

 

「『アインズ・ウール・ゴウン』が受けた痛み、そして怒りをその身に刻み込め……!」

 

 

 

 

 ──三。

 

 

 

 ──二。

 

 

 ──……一。

 

 

 

 針が、一周した。

 

 

 

 

 

『The goal off all life is death』の効果が成った。

 

 万物に平等の死を与えるエクリプスのスキルに『カゲ』は──

 

 

 

 

「……えっ」

 

 

 

 

 ──思わず、モモンガの口内から気の抜けた台詞が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 足を止めていたモモンガの足首を、一本の黒手が掴んだ。

 

『カゲ』は、死んでいない。

 モモンガは音を置き去りにする様な速度で闘技場に叩き落とされると、その体を再び無数の手が捉えた。

 

 

「う、あ……っ」

 

 

 それからは地獄だ。

 

 叩き下ろされ、投げ飛ばされ、翼は引き千切られる。

 

 モモンガは良い様に玩具にされると、終いにぼろ雑巾の様に闘技場の中央に叩きつけられた。神器級アイテムたる『ヘルメス・トリスメギストス』の有様がそのダメージ量を如実に表している。砕け散った鎧からはモモンガの白い肢体が見え隠れしており、もはや鎧としての役割は果たせていなかった。

 

 

「う……」

 

 

 呻くモモンガは、無数の手に因ってその場に仰向けに組み伏せられた。二百レベルのステータスを誇る戦士が、身動(みじろ)ぎ一つできない馬鹿力と質量だった。

 

 

(う、嘘だろ……蘇生魔法を使った様には絶対見えなかった……まさか、まさか……絶対の即死効果を持つあれを……こいつは抵抗(レジスト)した、ということか……?)

 

 

 ……故に超常。故に神域。

 

 絶望するモモンガに、大きく影が落ちた。

 

 見上げれば、無数の眼球がモモンガを覗き込んでいた。

 

『カゲ』は大きく口を開いて、抵抗力の乏しいモモンガを口へと運んでいく。

 

 

 

「や……やめ──」

 

 

 

 抵抗虚しく、モモンガは『カゲ』の口に放り込まれた。

 

 ……結局この勝負、最初(ハナ)から勝算などあり得なかったということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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