アルベドになったモモンガさんの一人旅【完結】   作:三上テンセイ

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15.again

 

 

 

「やったぁ……!」

 

 

 エインヘリヤルから、シャルティアの上擦った声が奏でられる。

 シャルティアの渾身の右ストレートをまともに喰らった『カゲ』は頭蓋を散らし、五体を投げ出して地に放り出された。

 

 

「あいつら、やりやがった……!」

 

 

 事態を見送っていたモモンガの口角が僅かに上がる。

『カゲ』は沈黙し、ぴくりとも動かない。誰が見ても、それは決着の瞬間だった。

 

 

「モモンガ様ぁ! やりました! ナザリックの全軍を以て、御身に勝利を捧げられんした!」

 

 

 巨大な骸骨のアバターが気味悪くクネクネと女性らしい挙動を取っていることに、先程まで張り詰めていたモモンガの気が散っていく。彼は僅かに噴き出すと、ヘロヘロとその場に膝を突いた。

 

 

「よくやった、お前達……流石は俺の仲間の娘達だ……」

 

「いやんモモンガ様、愛してるだなんてそんな……」

 

「いや、そこまでは言ってないぞ」

 

 

 モモンガの気が、更に軟化していく。

 主人を気遣ったパンドラがモモンガに肩を貸そうとしたところで──

 

 

 

 

 

「お前達、感謝するぞ」

 

 

 

 

 

 ──『カゲ』の骸から、悍ましい声が発せられた。

 

 

「なに……!?」

 

 

 モモンガが弾かれたように振り返る間もない。

『カゲ』の骸はドロリと流動体へと変質し、エインヘリヤルの体に飛びついた。そう、奴は死んでなどいなかったのだ。

 

 

「な、ちょ、やめなんし……!」

 

「不味イゾ! デミウルゴス! 何カ手ハ!」

 

「くっ……シャルティア! これを一刻も早く引き剥がすんです!」

 

「こいつ、また私達を取り込もうとして……!?」

 

「お、お姉ちゃん! ど、どどどうしようこのままじゃ……!」

 

 

 エインヘリヤルの白い体に大量のスライムを垂らしたように、そのシルエットが漆黒へと呑まれていく。

 

 

「やめろぉ!」

 

 

 モモンガが叫ぶ……が、どうしようもない。

 エインヘリヤルはやがて『カゲ』に全て飲み込まれると、その姿を再び変えていく。

 

 

「モモンガ様! 逃げましょう! このままでは御身まで!」

 

「どこへ逃げろというんだ……! ちくしょう……!」

 

 

 パンドラの言葉に、モモンガは苦虫を噛み潰すことしかできない。

 

 そうしている間に、エインヘリヤルを消化しきった『カゲ』は完全に姿を変えてしまった。モモンガが最初に『カゲ』を見た、キュアイーリムのシルエットへと。

 

 

「ハァァァ……」

 

 

『カゲ』……キュアイーリムは平らげたエインヘリヤルに満足した様に、肺から呼気を押し出した。

 

 漆黒を纏った邪悪竜。

 額に埋まる宝玉を七色に煌めかせ、キュアイーリムは第四階層が手狭だと言わんばかりに両翼を広げた。

 

 

「デカい……!」

 

 

 初めて見た時とは明らかに異なるサイズ感。

 まるでモモンガとパンドラが蟻の様だ。キュアイーリムは足元の矮小な生物二体をその瞳に捉えると、機嫌よく口を開いた。

 

 

「我の贄となることしかできぬ脆弱な愚物達よ。我はお前達に多大な感謝を抱いている」

 

「なんだと……」

 

「お前達に倣って我は学習できたのだ。この体の使い方、そして精神の取り戻し方を」

 

 

 この口振り、先程までの理性のない怪物ではない。

『カゲ』を克服したキュアイーリムは、完全にその力を我が物としたというわけだ。

 奇しくも、ナザリックの配下達によるエインヘリヤルの動かし方を見たおかげで。

 

 キュアイーリムは、その口角を跳ね上げると声高に台詞を続ける。

 

 

「漲るぞ。この身に溢れる森羅万象の力が。未だ胎の中で有象無象の魂共が蠢いて鬱陶しいが、それもすぐに落ち着くだろう。嗚呼、なんと佳き日だ。我は今日この瞬間、この世界の王に……いや、神となることができたのだ! まずはリ・エスティーゼ王国の様に周囲一帯の国を全て滅ぼし、我がこの大陸の神となった狼煙を上げようぞ!」

 

 

 ……神。

 その言葉に誇張はないだろう。

 

 誰があの邪悪な竜の横に並べるというのだ。

 キュアイーリムが本気になれば、この世界の地平線を平らにすることすら造作もないだろう。その力の一端を味わってきたモモンガは、その様を容易に想像できた。

 

 

(終わりだ……)

 

 

 これ以上の絶望はない。

 心なき怪物ならまだしも、理性ある怪物相手になど立ち回りようがない。

 モモンガの手からギンヌンガガプがすり抜けていく。重たい金属音が奏でられると同時に、彼の心はへし折れた。

 

 その姿に、キュアイーリムは更に機嫌をよくした。

 

 

「竜帝の気まぐれで力を得たに過ぎない愚物よ。その表情だ。その怖れこそが、我を昂らせる」

 

「く、そ……」

 

「『鈴木悟』よ。お前の記憶は吸い取っているぞ。お前は仮想現実でしか己を慰められず、その仲間達からすらも見放された哀れで愚かな俗物以下の人間に過ぎない。お前の様な低俗な魂は要らん。灰燼となり……あの世で我が治世するこの世界を見ているがいいわ」

 

 

 キュアイーリムの口腔に、烈火が宿る。

 第四階層の地底湖が、それだけで半分ほどが蒸発し、干上がった。

 

 

「モモンガ様、いけません! 御身だけでも! モモンガ様!」

 

 

 主人の体を激しく揺するパンドラに、モモンガは何も答えない。

 その瞳に映るのは、ただただ絶望。

 

 

「ああ、ちくしょう。こんなことなら──」

 

 

 世界が、紅蓮に包まれた。

 

 パンドラが何か叫んでいるが、聞こえない。

 

 髪の一糸が、細胞の一片まで、溶けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悟ー、ご飯できたわよー」

 

 

 意識が芽生える。

 

 俺は聞き覚えのある女性の声で目を覚ました。

 

 陽光。

 眩しさに一瞬目が細む。

 

 次第に明瞭になっていく視界。

 自らの手に視線を落とすと、そこには幼い小さな掌があった。成人した鈴木悟のものではなく、モモンガの白骨の手でもなければ、アルベドの美しい手でもない。それはまさしく、幼い頃の自分の掌であった。

 

 

「これは、どういう……」

 

 

 自分がどこかの食卓に居て、窓から差し込む朝の日差しに目が眩んだのだと理解する。なら、先程の女性の声は。

 

 

「悟。どうしたの?」

 

「え、あ……」

 

 

 トーストの良い香り。

 溶けたバターの匂いは、俺が『黄金の輝き亭』で好んでいたモーニングのものとよく似ている。

 

 しかしそんなことは今は重要ではない。その女性を、俺は知っていた。

 

 

 

「母、さん……?」

 

「どうしたの? 幽霊でも見るような顔して。早く食べないと冷めちゃうわよ」

 

 

 母さん。

 最早遠い記憶の欠片でしかなかった存在が、今俺の目の前にいる。

 

 夢か、幻か。

 俺の心臓が早鐘を打った。

 

 母さんがいるわけない。

 だって、母さんは、母さんは。

 

 

「悟。聞こえてる?」

 

 

 だけど母さんは、確かにそこにいる。

 血の通った声で、俺に問いかけている。

 

 でも、寝不足と過労と栄養失調で病的だった印象の、記憶の中の母さんとは違う。目の前の母さんはとても健康的だった。肌艶もあって、手入れもする暇がなかった髪にも艶がある。

 

 母さんは笑っている。

 

 環境汚染のないどこかの街のマンションの一室。俺達が生活していた頃とは比べ物にならないくらい、人らしい朝食。清潔な部屋。ここが幻でないのなら……。

 

 

「そうか、俺……」

 

 

 最後に見た記憶。

 そう、俺は『カゲ』によって殺された記憶を取り戻した。なら、今見ているこの光景は。

 

 

「なるほど、なぁ……」

 

「……悟? どうかしたの? 具合が悪いなら、お薬でも……」

 

 

 心配そうに顔を覗き込む母さんに、俺は首を横へ振った。

 

 

「何でもないんだ。そう、何でもないんだよ、母さん」

 

 

 俺はそう言って、トーストに手を伸ばした。

 トーストは、まだ温かい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──でね、母さん聞いてよ。そのとき『たっち・みー』さんがさぁ」

 

「うん、うん」

 

 

 トーストを頬張りながら、俺は母さんに生前での『アインズ・ウール・ゴウン』での出来事を話していた。俺が母さんに話すことと言えばこれくらいしかない。リアルでの生活は、あまりにも寂しいものだったから。母さんはにこにこと微笑みながら俺の話を聞いてくれている。表情筋が緩む。俺はこのとき、確かな幸福感を得ていた。

 

 

「すごいのね、その『たっち・みー』さんって人は」

 

「うん、俺の憧れなんだよ。 でもいつもウルベルトさんと喧嘩ばっかりしてて、俺が間に入ってないと──」

 

 

 ……言いながら、言葉が詰まる。

 俺の心のうちに滲み出たのは、罪悪感だった。

 

 

「──ごめん、母さん」

 

「……? どうしたの?」

 

「俺、ゲームの中でしか語れることがなくてさ……せっかく母さんが命を賭けてまで育ててくれたのに、こんな話ばっかりで、ごめん」

 

「なんで謝るの?」

 

「だって……結局ゲームの中での話でしょ? 俺、結局立派な大人にはなれなかった」

 

「そんなことないわよ」

 

 

 母さんはそう言って微笑んだ。

 柔らかい手が伸びて、俺の頭を優しく撫ぜる。母さんは、すごく優しい表情をしていた。

 

 

「ゲームの中だって関係ない。その子達は、悟の大切なお友達なんでしょ?」

 

「……う、うん」

 

「なら何も恥じることないじゃない。お母さんは、悟が立派に育って、お友達に囲まれて、それにそんなすごい人達のまとめ役になって、とても誇らしいわ」

 

「か、母さん……」

 

「世間の人が何ていうかは分からない。でも幸せの形は人それぞれだもの。そういう人達には好きに言わせておけばいいの。悟が幸せだっていうなら、母さんはそれ以上に嬉しい事なんてないのよ」

 

「……ありがとう」

 

 

『アインズ・ウール・ゴウン』を認めてもらって、少し恥ずかしくて、少し誇らしい。俺はとても暖かな気持ちを抱いた。

 

 

 

「でも、悟。他にも沢山の友達ができたでしょう? 母さん、その子達の話も聞きたいわ」

 

「他の……もしかして母さん、知ってるの?」

 

「……ちょっとだけね。可憐だったあなたも、私は好きよ」

 

 

 ……母さんはアルベドになった俺の事も知っているらしい。

 流石にそれはちょっと恥ずかしいぞ。俺は熱くなった顔を覆いながら、小さく息を零した。

 

 

「母さんは意地悪だな」

 

「あら、意地悪だなんて。でも、遠目に見ていたあなたはとても立派に……それも輝いていたように見えたわよ。ねえ、あの時のこともお母さんに話してくれる?」

 

「うーん、そうだなぁ……」

 

 

 俺はトーストの最後の一片を嚥下すると、窓の外を見やった。

 

 時間は幾らでもある。

 ……そう、時間は幾らでもあるんだ。

 

 俺はあの世界での出来事を、ぽつりぽつりと話し出した。

 

 母さんは黙ってそれを聞いてくれている。

 目を細めて、時折相槌や質問を投げ掛けて、あの時の俺のもう一つの人生に耳を傾けてくれていた。

 

 

「……本当に、あなたは英雄だったのね。お母さん誇らしいわ」

 

「やめてよ母さん。知ってるだろ、俺がビビりなこと。あんな無茶苦茶な力でも持ってないと、俺は何にもできない臆病者なんだよ」

 

「そうかしらね。力を持っていても、一歩を踏み出すことができるのは貴方の勇気があったからじゃない。だからこそ、色んな人達があなたを慕ってくれたんじゃないの?」

 

「……そんなことはないよ。彼らは俺の力に幻想を抱いているに過ぎない。本当の俺を知ったら、彼らは……」

 

「ふふ、ガゼフさんも、イビルアイちゃんも、きっと悟の言葉を聞いたらそんなことはないって絶対言うわよ」

 

「そうかなぁ……」

 

「そうよ」

 

 

 果たしてそうだろうか。

 俺は、母さんの言葉を素直に飲み込むことはできなかっ……──あれ? 

 

 その時に俺はふと気が付いた。

 ポケットの中に覚えのない小さなものが入っている。俺はポケットに手を突っ込んでその感触を確かめると……それが何であるかに気が付いた。

 

 

 ──……ピンポーン。

 

 

 その時、家のインターホンが鳴った。

 誰か来客が来たらしい。

 

 

「あら、誰かしら」

 

 

 母さんが立とうとして……俺はその手を掴んだ。

 

 

「悟?」

 

「……ど、どうせ何か宗教とかの勧誘だよ。放っておこうよ」

 

「え、でも」

 

「そんなことよりさ、もっと俺の話聞きたいでしょ。というか俺も母さんの話聞いてないしさ」

 

 

 ──……ピンポーン。

 

 インターホンがもう一度鳴る。

 俺は、なぜかそれを聞きたくなかった。

 

 

「……悟」

 

 

 母さんが、僅かに表情を固くして、俺を見ている。俺の心に触れるような、それでいて温かな視線。母さんは唇を僅かに噛んで、俺に居直った。

 

 

「……母さんはね、すごく悔しかったの」

 

「え?」

 

「悟を一人残して、逝ったこと。貴方が立派に育つまで、母さん、この目で見ていたかったなぁ……」

 

「母さん……」

 

「でもね、私の人生に後悔なんて全然なかった。母さんは悟の為にならね、命だって捨てられる覚悟で生きていたもの」

 

「……」

 

「……悟。あなたはまだ、やり残したことがあるんじゃないの?」

 

 

 母さんは、そう言って俺の頭を撫でた。

 残酷なほどに温かく、優しい感触が、後ろめたい俺の心臓を握り込んだ。

 

 

「……母さん、俺には無理だよ。だって、あいつめちゃくちゃ強いしさ……俺一人が頑張ったところで、きっと何にもならないよ……」

 

「そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。でもね、一つだけ言えることは、今のあなたはとても曇った顔をしている。まだ、やり残してるーって顔に書いてあるわよ」

 

「……」

 

「悟、悔いのない生き方をしなさい。最後まで、最後の最後まで、懸命に、懸命に生きて、どれだけ悔しい最後でも、後悔はなかったって胸をはれるような生き方をしなさい。母さんは、悟にもそういう顔でここへ来てほしかったの」

 

「……うん」

 

 

 ──……ピンポーン。

 

 インターホンが鳴っている。

 

 俺は母さんに手を引かれて、玄関までやってきた。

 母さんは俺を振り向かせると、思い切り俺のことを抱きしめてくれた。少し苦しいって思っちゃうくらいに。

 

 ……ああ、温かいなぁ。

 

 

「愛してるわ、悟」

 

「……ありがとう、母さん」

 

 

 そう言って、母さんは腕を解いて俺の背中を押してくれた。

 

 玄関のドアが開く。

 

 そこには、白いドレスを纏った美しい黒髪の女性が立っていた。

 

 

「……息子をよろしくお願いしますね。──……さん」

 

 

 女性は静かに頷いて、俺の手を取ってくれた。

 

 

「いってらっしゃい、悟」

 

「いってきます、母さん」

 

 

 陽光が、手を繋いだ俺達に降り注いだ。

 

 それと同時に、ポケットの中の指輪が暖かな光を放ち始めた。

 

 ……多分これは、最後にパンドラが俺に押しつけた蘇生の──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──……俺は、目を開いた。

 

 周りを見ると、見るも無残なナザリック第四階層の成れの果てが広がっている。

 

 上を見上げると、満天の星空が第四階層から地表部まで吹き抜ける大穴から切り取られていた。

 

 

「…………」

 

 

 俺は背から伸びる黒翼をはためかせ、浮上した。

 

 悔しくても、悔いなき人生を。

 

 即時蘇生の手段はもうない。

 

 ……俺は、最後の勝負を挑むべく、地表部から星空へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





次回から最終局面です。
ギア上げていきます。
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