―――悔しい
堀北鈴音は唇を引き結び、拳を強く握りしめてその感情を必死に発露しないように耐えていた。
いま、ここで行われているのは卒業式。進学率・就職率100%と謳われている日本屈指の進学校、東京都高度育成高等学校の卒業式だ。
しかし、この学校はただの名門校というわけではない。進学率と就職率ともに100%という魅力的でありながら異常といわざるを得ない数値の裏には、『実力至上主義』の理念があった。
就職と進学が保証されているのは4クラス中、卒業の時にAクラスに所属している生徒のみ。そのAクラスになるために、学年4クラス間で熾烈な競争を繰り広げた。
堀北鈴音は当初、この学校に入学したばかりのころは尊敬する兄に認められるためだけにAクラスを目指していた。
堀北学―――名門であるこの学校においてもなお、歴代最高の生徒会長として活躍し、自身の所属するクラスをAクラスとして率いてみせた堀北鈴音にとって誰よりも尊敬する自慢の兄。
そんな兄と交わした約束。自分なりのやり方で精いっぱい足掻いてみせる。
堀北鈴音は自分なりにその約束を果たそうと所属するクラスをAクラスにするために足掻いたつもりだ。
兄と再開するときに、堂々と胸を張っていられるようにAクラスの生徒として卒業……したかった………
けれど、その夢は叶わなかった………
Aクラスを目指していたのは何も私だけじゃなかった。
立ちはだかる他クラスの存在は私の想像以上に強敵だった。
圧倒的とまで言えるほどの高い知性と判断力を持つ坂柳さんの率いるクラス。
暴力的な面もあったものの、狡猾で鋭い策を打ち立てクラスを率いる龍園くんのクラス。
そして、何より―――
私は思い浮かべた生徒へと視線を送る。
―――綾小路清隆
他クラスへと移籍した彼の猛威はすさまじかった。
冷酷かつ合理的な戦略を立てる優れた頭脳、1年体育祭から片鱗を見せ始めた驚異的な身体能力。
おおよそ弱点といえるべきものが見つからない超常的な存在だった。
もし、私が彼を………
私は未練に囚われないように彼から視線を外す。けれど今度は別の未練に視線を捕らわれてしまう。
Aクラスの生徒が名前を呼ばれ、卒業証書を受け取っている。
私があの場に居たかった
私がみんなをAクラスにして、不良品と揶揄される存在だったDクラスのみんなも、良品になれると証明したかった。
だけど、そのためにみんなをAクラスにするという夢には・・・届かなかった。
ああ、どうしても悔しさが抑えきれない。
Aクラスで卒業できないというならば、何のために味方を犠牲にしたのだろう……
私が犠牲を強いた以上、私にはみんなを導く義務があったというのに……
視界がにじむ。
あの日、兄さんと別れたときとは違う感情によって、私の瞳が濡らされる。
それは――後悔、悔しさ、自分に対する怒りと嫌悪、無力感。
そのどれもがない交ぜになって、あのとき以上に泣き出しそうになるのを必死にこらえる。そして、こらえたらこらえるだけ、どうしようもない願望が滲み出る。
―――やり直したい
あふれんばかりの願望が形になった時、私の視界は何の前触れもなく暗転した。
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「おい、大丈夫か?」
聞き覚えのある声とともに体を揺さぶられて、私は瞳を閉じていたことを自覚し目を開ける。
目の前には、嫌というほど見覚えのある無気力でぼけっとした顔があった。
「ここは・・・?」
「バスの中だ。早く降りないと出発してしまうぞ。」
そう言うと彼は私の腕をやや強引につかみ、私を立たせてバスから引っ張り出した。
その間も、私は状況が呑み込めずに、いつもならなんとなく反抗しているものだが、ぼんやりとした意識のまま彼におとなしく引っ張られていた。
そう、私はいまの状況を呑み込めずにいた。
どうして、バスの中なんかにいたのかしら?
それに、なぜ彼が――綾小路くんが私を心配している様子なのかもわからない。
ついさっきまで、卒業式の会場にいたのに・・・
それに、他クラスに移籍した彼がこんなに身近にいて、私を気遣っている様子なのも不可解でしょうがない。
彼は私をバスから連れ出すと、しばらく悩んだ素振りをした末、私によく意図の読めない質問をしてきた。それに困惑しつつも、状況が呑み込めていないため素直に答えていると、彼は「はぁ」と短くため息をついて、こんな質問をしてきた。
「おまえも、新入生か?」
そんなわけないじゃない!
仮にも3年間同じ学校で過ごしたのに。隠れ蓑にされたり、敵として立ちはだかられたりしたけど同じ学校で時間をともに過ごしたのは紛れのない事実。何を惚けているのかしらこの男は?
そう答えようとしたとき、ようやく私は違和感に気づく。
この男はいま「おまえも、新入生か?」ときいてきた。つまり、この男は少なくとも自分は新入生だと言っているのだ。これも、くだらない冗談かしら。いいえ、と私の直観が告げてくる。
いくらこの男でも、私だけじゃなく、自分のことも新入生だと偽るような訳の分からない嘘をつくことはない・・・こともないかもしれないけれど、それでも、これを全くの嘘だと断じるのはこの男の様子から早計だと判断する。
この男はほとんど表情が変化しないため、そこから判断するのは難しい。けれど、入学以来、何かと腐れ縁の多いこの男が冗談を言うときの雰囲気というのを、不本意ながら察することができる程度には私はこの男を知っている。
そこからようやく意識がはっきりしだして辺りを確認するべく周囲を見回すと、数々の不可解が続々と見つかった。
なかでも特大の不可解は、校門前に立てかけてある立て看板だ。
「………入学式」
つい今しがたまで私がいた卒業式ではなく、そこにあったのは入学式の看板。
もし、これがなにかの間違いでも何でもないのだとするならば………
時間が過ぎてる? いいえ、それはあり得ない。
だとするのなら、可能性があるのはもう一つのほう。
信じがたい話だけれど、先ほどの彼の発言も加味して見えてくるものが事実なのだろう。
―――私は、高度育成学校に入学した日にタイムリープしたようだ。
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その後は、綾小路くんにいまの状況を確認するための質問をぶつけながら、入学式の会場まで移動した。綾小路くんはなぜそんな質問をしてくるのか少し疑問に思っている様子だったが、そこを深く追求してくることはなかった。
入学式、私はいま、新入生たちを前に壇上に立つ人物からどうしても目を離せずにいる。
「兄さん………」
思わず声にして漏れてしまった。
リープ前、約束を交わし、再会を願った人物が遠いけれども、見える位置にいる。
そのことに、私は複雑な思いを抱かずにはいられなかった。
―――胸を張って、再会したかった。
けれども、それは叶いそうになかった。だけど………
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入学式が終わって、それぞれの所属する教室へとみんな向かっている。
教室について座席の位置を確認する。配置は前回と変わっていないようだ。
席に着くと例によってあの男が声をかけてきた。
「あ~、その、体調はもう大丈夫か?」
「ええ」
反射的に視線を合わせず短く返答したら会話が途切れてしまった。
前回私はどうしていたのかもうほとんど覚えていないけれど、彼との会話でこんな気まずさを味わったのは初めてだ。
どうしたものかしら………
「……その、そういえば、まだお互い名乗ってなかったよな。オレは綾小路清隆だ。
そっちは?」
「……堀北鈴音よ」
また会話が途切れてしまった。
思わず彼との会話をあきらめて手元にある本を読みたくなってしまうけれど、それをしてしまうと前回の私と何も変わらなくなってしまう気がする。
「あなた、趣味とかはあるの?」
「いや、特にないな。」
「そう……」
その後もお互い、一つ話題をあげてみては途切れる会話ともいえないようなものを続けているうちに教室に先生が入ってきた。前回同様、担任は茶柱先生であることを確認する。
「お前ら、席につけ」
茶柱先生は何かと特異なこの学校についての説明を始める。在学中、外部との接触や外出の一切が禁じられている点や、学校の敷地内にはおおよその施設がそろっている点。そして、この学校最大の特徴であるSシステムの説明だ。
改めてきいてみると怪しいことこの上ないわね………
茶柱先生の説明、特に10万ポイントが支給される話がされたときからDクラスのみんなは盛大にはしゃぎ始めた。
みんな浮かれているようだけれど、このまま何もしないと来月は0ポイントになるのよね………
これは自分がなんとかするしかない。
そう思いはするものの、どのようにすればみんなを諫められるのだろう。その方法に悩んでいると隣から声をかけられた。
「どうした? ずいぶんと深く考え込んでる様子だが……?」
「ええ、そうね。
いまの説明、みんなはしゃいでいるようだけれど含むところがたくさんあったわ。
きっと、来月は10万ポイントも支給されないでしょうね。
それを、どうみんなに周知させたものか、考えていたの。」
これを言っても顔色一つ変えないところを見るにこの男はこの時点でおおよそのことに気づいている、どころか理解していそうだ。私は5月に説明されるまで気づけなかったというのに、全く………。
「……そうか、といっても、そう難しい話じゃなくないか?
みんなに注意すれば済む話だろう?」
「……それもそうね」
―――何も知らない、何もわかっていなかったことから始めた私は結局、犠牲を出しておきながら、このクラスをAクラスに導くことは出来なかった。
それがたまらなく悔しくて、苦しくて、しょうがなかったけれど、思いがけず、普通ではありえない再挑戦のチャンスを得ることができた。
もし、これが夢であったとしても、そうでなかったとしても、私は精いっぱい足掻いて、今度こそ………
『―――ようこそ二度目の教室へ』