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「………哀れね」
櫛田さんと契約を交わしてから数日が過ぎた。
あれ以来、彼女は表向きに接触することはほとんどなくなったのだけれど、一度だけ夜中に私の部屋に訪れたことがあった。ひとしきり悪態をついた後彼女は部屋を去ったのだけれど、それがなかなかにひどいものだった。目立ったのは池くんや山内くん、………そして私の悪口だった。本人の部屋の中だというのによくもそんなことを言えるものだと呆れを通り越して感心してしまった。しかし、彼女の悪態はそれだけにとどまらない。地団太を踏んだり、壁に八つ当たりをしたり、物にまで当たろうとするのは本当にやめてほしい。途中までは暴れる彼女を無視して読書をしていたけれど、くまの目覚まし時計を投げられそうになったところでさすがに止めに入った。
部屋を去っていくときの彼女のしてやったりといわんばかりの表情が忘れられない。
あの様子だと彼女は今後も同様の行為を続けそうだ。
あれが下手をすれば3年間も続くのかと思うと、彼女のストレスのはけ口になったことを後悔せずにはいられない。
だが、この提案自体は成功していそうなのが苦いところだ。
事実、あれ以降櫛田さんの私に対する態度はほんの少しではあるが軟化したように思える。
櫛田さんと交わした契約には欠点がある。
あの欠点に櫛田さんはいずれ気づくことだろう。
彼女とは契約による打算的な関係じゃなくて、お互いに悪態をつきながらも仲間と呼べる関係を築きたい。そのためにはいまの関係を足掛かりに、彼女からある程度信用を得ておきたい。
だから、彼女のストレス発散を拒否するわけにはいかない。
甘んじて彼女に部屋を提供するほかないのだ。
櫛田さん以外の交友関係についてはまずまずといったところだ。
基本的には話しかけられればこたえる程度の関係性。あるいは挨拶をされれば挨拶を返す程度の関係性だ。それでも前の時に比べれば全員とかなり友好的な関係を結べていると思う。
ふと隣人に目を見やる。
彼の様子は1度目の入学当初に見た様とほとんど変わりない。
それをみてこんな感想を抱かずにはいられない。
「………哀れね」
「二回も言わなくてもいいだろ」
「それほどいまのあなたは惨めで哀れだということよ」
そういうと彼――綾小路清隆はうなだれる。
彼の交友関係は私以上に壊滅的だ。
私のほうはクラスメイトから話しかけられる機会が多くはないがそれなりにはある。対して彼のほうはそもそも話しかけられる機会がほとんどない。私のほうは全員と面識を持つ機会があったけれど、彼のほうはそもそも認識されているかすら怪しい。
下手すれば彼、私以外とまともに会話できていないんじゃないかしら?
前は皮肉を込めていった気がする言葉だが、いまの二回のつぶやきには皮肉をこめることはできていなかったと思う。心の底から哀れな彼に同情する眼差しを向けてしまう。
「やめろ。そんな目で見ないでくれ」
ここで昼休みの予鈴が鳴る。
授業が早く終わったため、先ほどまでは自由時間だった。
「なあ堀北、一緒に飯でも食いにいかないか?」
「はぁ……仕方がないわね」
今度の彼にはクラスを裏切らないでほしいし、敵対しないでもらいたい。
そのためには彼のことをもっとよく知る必要がある。
私は作ったお弁当をもって彼と学食へ向かうことにした。
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「おはよう山内!」
「おはよう池!」
今日はずいぶんと騒がしいわね………。
朝、教室につくと池くんと山内くんがいつも以上にはしゃいでいた。
それに成長した後ならともかく、いまの彼らが私よりも早くから登校しているのには違和感がある。
どういうことかと思って彼らの会話を聞いているとその理由に得心する。
彼らが盛り上がっている話題は今日から始まる水泳の授業だった。
水泳の授業で使用するプールは男女共用。
故に、彼らが盛り上がっている理由は………つまりはそういうことね。
どうやら彼らは一度目と同様、不愉快極まりない賭けまで行っているようだ。
2日目に注意したことは忘れ去っているようね。
呆れていると綾小路くんもいつの間にか席についていたようだ。
現状友達のいない彼はあんなのでも少しうらやましそうに眺めている。
「あの二人の所には行かないの?」
「堀北。それは本気で言っているのか? 流石にクラス全員を敵に回したくない」
「友達との友情より保身に走るのね」
「………物は言いようにもほどがあるだろう」
彼はまいったように溜息を吐く。
「お~い。綾小路~」
「………呼ばれているわよ」
「はぁ………仕方ない」
再び吐いた溜息の拍子に席を立って綾小路くんは2人のもとへと向かうようだ。
「……仕方ないわね。
綾小路くん、少し背に隠れさせてもらうわよ」
彼らの態度は見過ごせない。
放っておけば彼ら二人の行動による減点に収まらず、彼ら二人の賭けの対象にされることに忌避感をもつ女子生徒が水泳を欠席することによってさらに大量のクラスポイントの減点につながりかねない。
綾小路くんは私が何をするのか察したようで、一瞬気の毒そうに池くんたちを見やるも何かに納得した様子ですぐにその同情もなくしたようだ。
そのまま綾小路くんの後ろについて池くんたちに接近する。
「おう! 来たか綾小路!」
「あなたたち、いったい何をしているの?」
「実は今俺たち、クラスの女子の胸の大きさを賭けようってことになってるんだけどさ」
「オッズ表もあるやで」
「………ずいぶんと面白い事をしているようね」
「だろだろ! お前は誰に賭ける?」
「そういやお前、堀北ちゃんとずいぶんと仲がよさそうじゃねぇか。
やっぱ賭けるなら仲いい堀北ちゃんか?」
「バカ山内。堀北ちゃんに賭けても負けるに決まってるだろうが」
「ずいぶんと言ってくれるわね」
私が綾小路くんの背から姿を現すと、池くんと山内くんは先ほどまでの和気あいあいとした様子を一変させ、顔面を蒼白にさせている。心なしか綾小路くんや会話を聞いていた他のみんなも冷や汗をかいているようだ。
「い、いや………堀北ちゃん、これは……その………」
「あなたたちのいまの行動は不愉快極まりないわ。
それに言ったわよね。その行動が来月もらえるポイントに影響するかもしれないって。
あなたたちのその行動は女子を不愉快にさせるにとどまらず、来月にはクラス全員に迷惑をかけることなのかもしれないのよ。
それをわかったうえで、そのくだらない賭けをしているのかしら。」
池くんたちの顔色は蒼白になってなお悪化を続ける。
「もっと己の行動に自覚を持ちなさい。
あなたたちのせいで女子が見学することにでもなったら来月にかなり影響が出るかもしれないの。来月のことを考えるとみんなにはできるだけ見学しないでもらいたいのにあなたたちのせいで見学しようとする子が出るかもしれないの。
これでもし私の推測が正しかったとしたら、あなたたちはその責任を取ることができるかしら?
それに知ってる? この学校は退学者が他の高校と比べて異様に多いのよ。
入学が決まった時点で安泰だとでも思っていたかしら?
けれど、退学の基準が低かったり、特殊だったりするかもしれないの。
あなたたちがいまみたいな行動を続けるのなら、あなたたちは2年、いえ、1年後ですらここにいるか怪しいものね。
そうなれば将来が安泰どころじゃないのはあなたたちでもわかるでしょう。
それに、仮にあなたたちが希望通りに就職や進学ができたとして、その先も安泰だとなぜ言い切れるのかしら。
学校が保証しているのはあくまでも進学や就職をするまでよ。その後は別に保証してないわ。
するとどうなるかしらね。
あなたたちみたいな平然とセクハラまがいの賭け事を行う人間をその就職先や進学先はいつまで抱えていられるかしら。
少なくとも私が人事なら、そんな人間一度は受け入れてもすぐに解雇するわ。
これで、いまあなたたちが行っていたことがどれほど愚かな行為か少しは理解してくれたかしら。
これでもまだわからないというのなら―――」
「堀北、少し落ち着け」
綾小路くんに肩を揺さぶられ声をかけられたことで気づく。
池くんも山内くんも既に死に体だった。
少し深呼吸して落ち着きを取り戻す。
「ごめんなさい。少し冷静さを欠いていたようね」
「まぁ………あいつらにはいい薬になっただろ」
「これはいったい何の騒ぎだ?」
ホームルームのため教室にやってきた茶柱先生に疑問を呈される。
2周目だというのにこの程度のことで我を忘れてしまったことに恥をおぼえる。
その後、ホームルームが始まるまでに大まかな事情の説明を終え、その日の学校は始まった。
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「堀北さん、さっきはありがとね」
水泳の準備のために更衣室で着替えていると、何人かの女子からお礼を言われた。
ただ、少しきつく言いすぎてしまったためかお礼を言われたあとがぎこちなかった。みんな、感謝の言葉をつげるとそそくさと去って行ってしまう。
そんななか、少し意外な人物からもお礼を言われる。
「別に気にしなくていいわ。
あれは私の目的のために言ったことだもの。」
「あはは。にしてもあれはウケたよね~。
あの2人顔真っ青だったし。」
こうしていま、私に明るく話しかけてくれているのは長谷部波瑠加さんだ。
―――長谷部波瑠加
一度目の学校生活の記憶を持つ私としては、彼女から明るく話しかけてくれることに複雑な思いを抱かずにはいられない。
彼女とは2年生に行われた特別試験である満場一致試験で、私の独断のせいで彼女の親友である佐倉愛里さんを退学させる結果になってしまったため怨みを買ってしまうことになり、その後それなりのいざこざがあった。
もともと裏切り者を退学にさせると約束していたのに、土壇場になって彼女の親友にとばっちりを与えてしまったのだから怨まれて当然だと思う。
彼女とかかわった記憶は怨まれてからのほうが印象に残っているから、彼女から友好的に接してこられると反応も少しぎこちなくなってしまう。
「堀北さん、もしかして私のこと苦手?」
「そんなことはないわ」
「でも、なんか反応ぎこちないし」
「それは……そうかもしれないわね。
私の中でまだ、心に整理をつけられていないことがあるの。
だけどその原因は私自身にあるわ。
だから勘違いしないで。
決してあなたが嫌いだとか苦手だとかではないわ。」
「そっか。ならよかった。
私、朝のことで堀北さんに興味持ったし」
「興味?」
「うん。
私も朝のあの二人の会話不快だったし。
あれを止めてくれた堀北さんはなんかおもしろいなぁと思ったり」
「……そう」
「堀北さんって、名前なんだっけ?」
「堀北鈴音よ」
「堀北鈴音か~。
う~ん、すーちゃん? すずにゃん、ねーちん………どれがいいかな?
まだ呼ばないけど考えとくねっ!」
それだけ言い残すと長谷部さんは先にプールへと向かってしまった。
前も思っていたけど、彼女のあだ名のセンスは独特ね。
隣人が奇妙な呼び方をされていると思っていたけれど、まさか自分がその被害にあうとは思わなかった。
彼女に対する複雑な思いをそのままに私もプールへ向かうことにした。
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プールへ着くと露骨に元気のない池くんと山内くん、2人を励ましている櫛田さんが真っ先に目に入った。
2人は彼女の励ましの言葉とは別の要因で元気を取り戻し始めているようで、その様子に先は長いとつい溜息を吐いてしまう。
私はなんとなくその近くでぼーっとしている男に声をかける。
「何を黄昏ているのかしら」
「己との戦いに没頭しているんだ」
「あら? てっきり櫛田さんの胸にでも見惚れているのかと思ったわ」
「さっきのこと気にしているのか?」
「……別に気にしてないわよ」
「いま少し間がなかったか?」
「気のせいよ」
「よーしお前ら。集合しろー」
綾小路くんとくだらない会話をしていると水泳の担当教師が来たようだ。そのままの流れで彼と担当教師のもとまで歩いていく。
「見学者はいないようだな! 大変結構!
早速だが、どれだけ泳げるか見てみたい。個々で準備運動をするように」
「すみません、先生。俺あんまり泳げないんですけど……」
「そうか。泳ぎに自信がない者は正直に手を挙げろ」
数名が恐る恐るといった様子で手をあげる。無理をして怪我や事故を起こした時に咎められることを忌避したいのでしょうね。
「なるほどよく分かった。
だが安心しろ。夏までに俺がお前たちを泳げるように指導してやるからな」
「えぇー、別に大丈夫ですよ。海に行きませんから」
「まぁそう言うな。泳げる奴はモテるぞ?
それに泳げるようになれば必ず後で役に立つからな」
この時期に水泳の授業をやることや、やや強引ともいえる態度で生徒に泳ぎを薦めていること。何より「泳げるようになれば必ず後で役に立つ」というセリフは引っかかる。
おそらく夏休み期間中に実施される初めての特別試験、無人島での生活を想定してのことだろう。
まだクラス分けのことなども知らされていないこの時期から既に今後の暗示が示されている。つくづく油断ならない学校だ。
「よし。それでは今から男女別に五十メートルの競泳を行う。種目は自由型だ。
お前らのやる気が出るように一位を取得した生徒には俺から特別報酬として5000ポイントを進呈しよう。
一年生のお前らの中には、早速ポイントを浪費して残りが少ない者も居るはずだ。
どうだ? やる気が出るだろう
だが逆に、ワースト一位になった生徒には放課後を使い補習を受けさせるからそのつもりで」
今朝の出来事もあってか前の時よりはおとなしくてあからさまに歓声や悲鳴をあげたりすることはなかったけれど、それでも泳ぎに自信がある人は嬉しさを隠し切れない様子だし、反対に自信がない生徒は憂鬱そうにしている。
「どうやら見学者は1人だけのようだな。
なら、女子と男子のそれぞれで上位五人に絞ってから決勝だ。」
流石に詳細には覚えていないけれど、結果として上位の顔ぶれは一度目とおおむね変わらないものとなった。
女子の1位は小野寺さんで、私は2位という結果。前回より参加人数が多いため順位を落とした子もいるだろう。補修を受ける生徒は佐倉愛理さんになっていた。おそらく彼女は前回見学していたため補修を受けていない。きっとこれが今回で一番の変化だろう。
男子は前回盗撮するために見学していた外村くんが加わったくらいで上位以外もほとんど変化がないようだった。総合1位は高円寺くん、2位は須藤くんで3位が平田くんと彼らの実力を把握している身としては当然の結果に落ち着いている。
綾小路くんは相変わらず本気をだせば1位も狙えるくせに10位という良くも悪くもない順位をとっていた。
競泳を終えたいまは最下位の生徒以外自由時間を過ごしている。
今回はっきりしたことは、当然と言えば当然かもしれないがタイムリープして得た恩恵は知識や経験といった記憶だけで身体には影響がないことだ。いくら女子水泳部の小野寺さんといえども、1年生のときの彼女に3年間研鑽を積んだ私が負けるはずがない。つまりいまの私の身体は1年生時のものということだ。
水泳能力はこの先を考えると身につけておいて損はない。私は自由時間のいまも泳ぎの練習をすることにする。
―――1度目の私を超えなければ、Aクラスには届かないから。
そして、いよいよ5月1日が訪れる。