登山中に滑落事故で頭を打った俺は、漆黒の髪を持つウマ娘と『お友だち』に助けられて奇妙な世界に迷い込んだのだけど、これからどう生きればいいんでしょう? 作:たたたった
「っ……!痛ッ!んぁ……?そうか俺は滑落して…………ミスったな」
全身に走る痛みによって目を覚ました俺は、先程まで気を失った原因である山の傾斜を忌々し気に睨む。草木の生い茂る緩やかな斜面であるが、落ちた場所の距離を考えると二十メートルは転げ落ちたことになる。
そんなに傾斜はないにしても、この高さから滑ってかすり傷だけってのは幸いだな。だが、滑落の際に頭を打ったのか頭痛がする……くそっ、あとで病院で精密検査しないとマズいか。
不幸中の幸いなことに骨折は免れて、目に見えて感じる範囲では大きな怪我はない。だが心配なことが一つあるとすれば、滑落の際に頭を打って気絶したことであり、人生で気絶なんていう経験をしたことのない俺にとっては僅かに背筋に冷たいモノが走る。
空の太陽の位置からして気絶していたのは短時間であるが、それでも万が一の可能性を考えてすぐさまに下山をして病院に直行することに決めた。
「この程度なら救急車を呼ぶほどではないし……車で自力で病院へ……うぉっ?!」
それは滑落した場所から覗く黒い靄のような人型。ゆらゆらと陽炎のように揺らめくソレは確実にこちらの方を見ていたので俺は思わず声が出てしまう。
やべぇ……頭を打って幻覚見えるとか重傷だわ。これは自力で運転するのはマズいな……とりあえず下山が終わったら救急車を呼んで――――――。
「大丈夫ですか!?あの……私の声が聞こえてますか?!」
「――――あっ、詰んだわ。これ完全に俺の頭が終わってる……スマホ繋がるかな……」
先ほどまで黒い靄が居た場所に、コスプレなのか頭からケモ耳を生やした長髪の黒髪の美少女が心配そうにこちらに声を掛けていた。俺はそれを見た瞬間、自分の頭に致命的な事態になったことを悟り、山岳救助隊に連絡しようとスマホに手を伸ばすと――
「…………圏外ってマジか。あー……この状態で自力で下山出来るかなぁ……」
――スマホに表示されるは絶望の圏外の文字。つまりは今の俺は、確実に頭部への外傷によって壊れた脳みそを抱えながら自力で下山をするという困難な道のりしか残されていなかった。
「今すぐそちらに向かいます!そのままその場所で落ち着いて……待っててください!」
もはや今の俺には滑落した場所から降りてくる美少女のことなど眼中になかった。明らかにケモ耳に尻尾を生やした存在がこの山に存在する訳なく、妄想の産物であると裏付けるように、トドメには黒い人型の靄も美少女を追うかのように付いて来ている。
そして身軽な身のこなしで緩やかとはいえ、二十メートルもの傾斜を難なく乗り越えて降りてきたケモ耳美少女は心配そうにこちらを見つめていた。
「私の『お友だち』が……いえ、あの……声が聞こえたので斜面を覗いたらアナタがいて……」
何故か、漆黒の髪色はケモ耳美少女は口ごもるように話しかけてきたので、俺はどう反応したら良いか分からずにそのまま思ったことを口にする。
「お友達ってその黒い人型の靄みたいなこと言ってるのか?」
「あっ……えっ?『お友だち』が見えるんですか……?」
「多分、頭を打った影響で幻覚が見えてるんだと思うが、俺にはそのお友達って奴が見えるぞ……?というか、えっ?なに?これって見えちゃいけないヤツ……?」
漆黒のケモ耳少女が目を見開いて驚くので、俺は何かとんでもない間違いを起こしてしまったんじゃないかと不安になる。そもそも目の前のケモ耳少女すら現実に存在するか怪しいのに、迂闊に返事をしてしまうというのは――
怪談とかでよくある、幽霊に見える事を悟られると魅入られて憑りつかれるパターンだ!だって明らかにこの世のモノではないもん!そんな耳や尻尾が感情に呼応するかのように動く技術なんて初めて見るぞ……ッ!
――俺は目の前のケモ耳少女と黒い人型の靄を見て顔を青くする。これが幻覚でも山の怪異にしても反応してはいけないモノであると悟り、俺はそのまま後ずさるとケモ耳少女は何を勘違いしたのか、慌てたようにこちらの腕を掴む。
「落ち着いてください……『お友だち』は悪い存在ではありません!」
それは華奢なケモ耳少女の力とは思えない、とんでもない怪力であった。こちらは成人男性である筈なのにその腕を振り払うどころか腕を動かすことも出来ない。あまりにもリアルな感触に、脳内では幻覚説から山の怪異説に軍配が上がり俺は恐怖で必死で逃げようとする。
「そうか!君の『お友だち』は悪い存在じゃないんだね!良かった!俺もそれを聞いて安心したよ!それじゃ、俺は頭を強く打ったみたいだから病院に行くために下山するね!」
早々に会話を打ち切って、目の前の妖怪変化の類から逃れようとするが、その日本人離れした金色の瞳はこちらを逃がす気はないのか、万力のように掴まれた腕によってその場に押し留められる。
「頭を打っているのならば、一人で下山することは危険です。ウマ娘である私が背負います」
「馬娘……?」
化け猫、化け狐、化け狸とか色々とあるけど化け馬ってこの世に存在するのか……というか、このままこの馬娘と呼ばれる存在に背負われて良いのだろうか?なんかこの世ならざる場所に誘われそうな……。
背中をこちらに見せて背負います、と手を後ろに出す馬娘という存在に俺はどう反応したら良いのか迷っていた。あの斜面を軽やかに降りる姿から窺える身体能力の高さから逃げることは不可能に近いことと、悪意を一切感じさせない、こちらを思っての言葉に迷っていると――
『ダイジョウブ』
「…………君って喋れたんだ。うん、大丈夫なんだね?本当に大丈夫なんだね!?分かった、分かったから!背中を押さなくても自分で行くよ!」
――黒い人型の靄、お友達と呼ばれる存在に背中を押されて、成人男性でありながら化け馬であろうと美少女に背負われて下山することになった。
「『お友だち』がアナタの気配が人と変わってるって言ってましたが……心当たりはありますか?」
「気配……気配と言われても、俺はただの人間だし……お嬢さんみたいな馬娘に言われても分からないな……」
「私は……マンハッタンカフェって名前です……」
「マンハッタンカフェ……名前が洋名なんだ」
妖怪なのに名前が横文字なんだ……、と奇妙な気持ちになりながらも俺は馬娘のマンハッタンカフェと少しずつ会話を始めることにした。
「君のお友達って、少し会話にノイズが掛かって聞こえるんだけど……幽霊ってみんなそうなの?」
「私には『お友だち』の声はハッキリ聞こえますよ……山頂だともっとクリアになるんですけどね」
マンハッタンカフェは少しだけ弾んだ声音でお友達について話してくれる。
幼い頃からのお友達らしく、とても足が速く馬娘としての才能を持った子であるそうだ。幽霊なのに馬娘としての才能があるということは、妖怪も死んだら霊体になるのだろうかと、頭の中でぼんやりとそんな考えが浮かびながら――
「そのお友達ってどんな顔をしているの?俺には黒い靄が掛かってて顔が良く見えないんだよね」
「私も『お友だち』の顔を見えないんです。でも、きっと、私がもっと速く走れるようになれば……『お友だち』を追い越す程に速くなれば、その顔を見ることが出来る日が来ると信じてます」
「そうなんだ……お友達より速く走れるようになれるといいね」
「………………………………」
――何気ない相槌、そもそも馬娘や幽霊の価値観とは無縁な俺からすれば、そういう世界があるんだな、と言った認識であり、本心から速く走れればいいねと言ったら何故かマンハッタンカフェは黙ってしまう。
「否定しないんですか……?」
「なにを?」
ざくっ、ざくっ、と山を降るマンハッタンカフェから絞り出すように背中の俺に尋ねてくるので、その真意が読めない質問を質問で返すしかなかった。
「『お友だち』の存在や、その『お友だち』より速く走りたいっていう私の気持ちを」
「そんなこと言われても実際に目に見えて、声が聞こえるなら否定しようがないだろ。そのお友達の走るところは見たことないが、マンハッタンカフェさんがお友達を超えたいって気持ちを否定することなんて誰が出来るんだ?」
「…………ッ!…………そうですね」
ピクリと肩を震わせるマンハッタンカフェの気持ちは俺はさっぱり分からなかった。実際に馬娘なる妖怪や幽霊を目にして、その背中に背負われている俺からすれば肯定以外の感情などあるはずもなかった。
「私のトレーナーさんも同じことを言って信じてくれました」
「…………うん?」
「トレーナーさんは幽霊を見る事が出来なくても、私の『お友だち』より速く走りたいって気持ちに応えてくれて……怖い目に遭うのに、それでも私を支えてくれるんです……」
「そうなんだ……良いトレーナーだね」
トレーナーってなに?馬娘の走りのコーチをしてくれる人間なのかな?怖い目に遭っても支えてくれるって言うし……うん、まぁ、そういう関係なんだろうね……。
「良ければ……今度、菊花賞のレースに出場するので私の走りを見てくれませんか?」
「中央競馬のレースだよね……菊花賞って。それにマンハッタンカフェさんが走るの?」
「はい。初めてのG1レースで、そこを走ればもっと私は『お友だち』に近付けると思うんです」
やっぱり妖怪変化の類か……普段は馬として生活して、時折にこうして人に化けて行動してるんだろうなぁ……。しかしまさか妖怪が競走馬とは俺の知らない世界がどんどん広がっていくなぁ……。
脳裏に浮かぶのは漆黒の馬がターフを駆けていく姿。この小柄な美少女とは似ても似つかない巨体の馬に変化して、中央競馬のレースに出場する。それはつまり、トレーナーさんと言うのは馬の調教師を指しているのだろうと勝手に納得した。
そしてそんな他愛のない会話を続けていると山道に他の登山家の姿が見えた。
「おっ、人だ!そういえばマンハッタンカフェさんはその姿で大丈夫なの?誰かに見られるとマズいんじゃ……」
「いえ……G1に出走するウマ娘ですけど、私を知るファンの方はそれほどいないので大丈夫です……」
「えっ……それは確かにそうだけど……」
確かに今のマンハッタンカフェは人の姿をしているから、馬だとは誰も思わないだろう。だが、その馬耳と尻尾はどう言い訳するのか気になった。そうしてそんな気持ちを抱いていると男女の登山家とすれ違い――
「その方は……どうしました?」
「登山中に滑落して頭を打ったみたいで、私が下山の手伝いをしています」
「あら、それは大変ね……私たちに手伝えることはあるかしら?」
「大丈夫です……もうこの距離ならばあと少しですので……」
――そのまま何事もなかったかのようにやり取りを続けて、ペアの登山家は山登りに行ってしまった。どうやら俺が幽霊が見えるようになったように、馬娘の耳や尻尾は普通の人には見えないらしい。
「あのご相談したいことがあるのですが……アナタはこれから見えないモノが見える生活を強いられる可能性が高いです。それはつまり幽霊……特に見えている人に干渉しようとする『よくないもの』を引き寄せるでしょう……そして理解されない苦しみも」
「あぁ……そういう話ってよく聞くよね。確かに霊視みたいな力を持ったまま生きて行くのなら……あー……考えただけでも滅茶苦茶苦労しそうだ」
マンハッタンカフェの危惧は俺にもすぐ理解出来た。この世ならざるモノが見える、ましてやそういう存在が干渉し、それを他者に相談すれば気狂いを見るような目を向けられるだろう。
自分の見る世界を信じて貰えない、それは孤独を伴うものだ。
「私と連絡先を交換しませんか?幼い頃から幽霊が見える生活をしていた私なら、霊障や『よくないもの』に纏わり付かれた時の対処法を教えられます…………どうでしょう?」
「そうしてくれるとありがたい……正直、これから幽霊が身近な生活となると気苦労どころかストレスで頭がおかしくなりそうだから」
「私も理解者が増えることは嬉しいですから……」
「確かにコレはキツいからね……」
俺はなるべく見ないようにしていた、下山の最中に感じたいくつもの視線。そしてこれが毎日のように続き、時には幽霊に憑りつかれる事態となると本当に恐ろしい。
マンハッタンカフェの話では、寺生まれのTさんのようにはいかないが鍛えれば幽霊を自力で祓えるらしい。そして祓えずとも自力で退散させることが出来る程度には稽古を付けてくれるという、まさに渡りに船に喜んでいると下山を終えて、駐車場に辿り着くのだが――
「ウマ娘専用レーン……?なんだこれ……って、うぉ!」
「すいませーん!失礼しました!」
「えっ?えっ……えっえー!?」
――ここに来た時には見たことないレーンに呆気に取られていると、物凄い速さで馬娘らしき存在の一団がレーンの上を走り去っていった。ぶつかりそうになったことに、謝罪をする馬娘たちの声がまだ耳に残るなかで、マンハッタンカフェの方を見て。
「あれって馬娘だよな……?」
「…………?はい、ウマ娘ですけど……?」
俺とマンハッタンカフェの会話の最中に感じた齟齬が、少しずつ歯車が噛み合うかのようにこの自身が置かれた現状に対して認識が正されつつあるのを感じた。