登山中に滑落事故で頭を打った俺は、漆黒の髪を持つウマ娘と『お友だち』に助けられて奇妙な世界に迷い込んだのだけど、これからどう生きればいいんでしょう? 作:たたたった
「このゲームに勝ったら……トレーナーの秘密を話してもらうぜ」
ひし形の整えられた九つのボールにブレイクショットを決める前に、真剣な表情でキューを構えるシリウスは呟いた。
薄暗い店内で、照明に照らされるビリヤード台の上で上半身を傾け、黒茶色の長髪に前髪の白い逆転した滴のようなメッシュの入ったシリウスは俺の言葉をただ待っている。
「秘密か……それが勝負の賭けの景品なんだな」
「あぁ……負けたら私の秘密を教えてやるよ――と言っても、出会って数日もしない相手の秘密なんて聞いても面白くないだろうから、どんな質問にでも答えるぜ」
「よし、乗った」
最初のゲームの賭けの内容は『秘密』。これから何ゲームも続けていくのだから、最初は軽いモノをシリウスは選んだのだろう。お互いのことを知るには良い機会であるし、何よりも失うモノがないが程よい緊張感を持てる賭けの内容だ。
そして俺の承諾の言葉と同時に、突かれた手球が並べられた的球たちにぶつかり弾かれる。
「ブレイクイン。5番と2番が落ちたか……玉の配置も良い、こりゃツイてるぜ」
「こりゃ、初っ端からマスワリか……」
散らばった玉は好位置にあり、あとは淡々と的球たちの全てをポケットに叩き込みブレイク・ラン・アウト。学生の遊び程度と思っていたが、キューの正確な力加減を見ればどうやら完全にプロの技術である。
そして俺がシリウスの技術に感心していると、どや顔で青いチョークをキュッキュッとキューの先端に塗り付けている。
「ほら、次はトレーナーのお手並みを拝見しようじゃねぇか。腕には自信があるようだが、こっちも相当にビリヤードはやり込んでるから負ける気がしねぇぞ?」
そして並べられる9つのボール。初手でこちらもマスワリを達成させなければ、完全にペースを握られて潰されるのは目に見えているので、腕を組んで不敵な笑みを浮かべるシリウスを傍目に――
「俺もブレイクインだ……どうやら互いの技量は同等だから、運と精神力の勝負になりそうだな」
「ハッ!こっちは何万人もの観客の中でレースを駆けるウマ娘だぜ?精神力で勝とうってんなら、そっちの胆力も相当なくちゃ相手にならないぞ?」
――こちらもブレイク・ラン・アウトを達成すると、互いにビリヤードの技量が相応にあることを理解して目付きが真剣になる。負けても困ることはない賭けであるが、それでも勝負事である以上は本気で臨まなければつまらない。
そして再び並べられた九つのボールに向けて、手球に向けてキューを構えるシリウスを見ていると、俺はふとした疑問が浮かんだ。
レースで走る際に胸って邪魔じゃないのか?そのサイズのバストなんて走りにくくて仕方ないと思うのだが……さらしを事前に巻いているのか、専門のスポーツブラがあるのか……時速70kmで走れば痛くて大変そうだ。
プロのスポーツ選手が胸のサイズを小さくするニュースをたまに見かけるが、上半身を傾けてキューを構えるシリウスの胸を見ると、どうしても気になって仕方がない。だが、そんなことを口にするのは憚られるので黙ってショットを待っているとシリウスが視線をこちらに向けた。
なぜかニヤニヤと口元を綻ばせるシリウスは俺を見ている。
「知ってるか?男が何処に視線を向けてるかなんて、どれだけ取り繕ってもバレバレなんだぜ?見ただろ……私の胸」
「見てた……ちょっとした疑問が湧いてな。不埒な想像はしてないから安心しろ」
「それはそれで私は不満なんだが――――んなっ?!いきなりなんだよ!!」
「ん?いきなりどうしたシリウス……?」
俺が不埒な想像をしていないことに不満そうな顔をしたシリウスは突然、虚空に向かって叫び始めて驚いた。毒電波を受信したのか、それとも俺やマンハッタンカフェのように『みえないなにか』に話しかけ始めている。
「なんでこんなところに……アンタが――は?なんで私のトレーナーに用が……あ?個人トレーナー契約を結んだんだよ……ッ!一体、何が目的で――――ッッ!!分かった……しばらく店から出せばいいんだな……ったく、なんでこんなことになってんだ……」
普段の俺やマンハッタンカフェを客観的に見ると、こんな風に奇異な光景が一般人には見えているのかと不思議な感動を覚えながら、怒鳴ったり、驚いたり、悔しがったり、諦観の表情を浮かべるシリウスは虚空に叫ぶのをやめて、諦めたかのようにキューを台に置いて俺の肩を叩く。
「トレーナーにお客さんだ。どういった関係にあるのか知らねぇが、わざわざ直接会いに来るってのはそれなりの理由があるんだろう――チッ!水を差されてイラつくぜ」
「すまないが、俺には何が起こっているのかさっぱりなのだが説明してくれないか?」
ゲームを中断されて苛立ちを隠せないシリウスは、その言葉に面倒そうに頭を掻きながら自身のウマ耳を指し。
「ウマ娘はヒトより耳が良いからな……それで小声で理事長秘書が私に向かって話しかけてきたんだよ」
「理事長秘書?それはトレセン学園の理事長秘書のことか……?」
「あぁ、どうしてもアンタに理事長が話したいことがあるから……私抜きでサシで会おうってさ」
「俺はその理事長とは面識がないんだけど」
トレセン学園の理事長。それは2000人規模の学園の運営者であり、この世界では最大規模の人気を誇るウマ娘のレースの元締めという雲の上の存在。いわば大企業の会長とも言える方がわざわざ出向いて、俺と話したがっているなんて嫌な予感しかしない。
それにあのシリウスがあっさりと理事長の命令に従う辺りが、その発言力と力関係を明確に浮き彫りにしている。どんな恐ろしい人物がこの店の外で待っているのだろうか。
トレセン学園の理事長が俺に会う目的はなんだろうか……?そもそも何故、俺がこのビリヤード場に居ることを知っている?というか、あのバスガイドのお姉さんみたいな人が秘書かな?
緑色の帽子に制服を着た、髪を二つに束ねて後ろに流している若い女性がビリヤード店に入ってくるや否や――
「アナタが遠野さんですね?理事長が御車でお待ちですので、こちらへ」
「えっ、あの……」
「なんでしょうか?」
「いえ……なんでもありません」
――俺の腕を掴んで強引に店の外に連れ出していく。そこには社会人としてのマナーである自己紹介も挨拶もなく、どことなく内心の怒りを押し隠したようなポーカーフェイスの笑みの圧力に俺は思わず黙ってしまう。
初対面だよな……?なんでこのヒトはこんなに怒っているんだ?
まるで巨漢の男に引っ張られているような腕を掴む手の握力に驚きながら、歩調と態度から伝わる怒りの感情に俺は戸惑っていた。商社で営業という仕事をしていれば、相手の顔と名前を忘れるということは絶対に有り得ず、確信を持って俺はこの女性と初対面であると断言できるのにこの態度はなんなのだろうか。
だが、そんなことを尋ねる暇も与えないという態度で黒塗りのハイヤーの後部座席のドアが開いて。
「理事長、遠野さんをお連れしました」
「うむっ!ご苦労である、たづな―――さて、外は熱い。車の中で話をしようではないか国男っ!」
それは理事長と呼ぶにはあまりにも幼い声音。そして下の名前で俺を呼ぶ謎の少女の姿を確認するべく、俺は腰を屈めて黒塗りのハイヤーの後部座席に入ると――
「失礼しま――――――――あの、なぜ扇子で顔を隠しているのですか?」
――そこには『極秘ッ!』と書かれた扇子で顔を隠している少女が待ち構えていたので、俺は新手の怪異の遭遇に思わずフリーズする。
「禁忌ッ!今の私は正史から外れている行動をしている為に、その干渉による影響を最小限に抑えようと努めているっ!現時点で私たちは本来ならば出会ってはいけないのだっ!」
「……ッ!!そういうことですか――――ッ!」
「おぉ、分かってくれるか……国男っ!」
白と青の洋服に、車内であるというのにツバの広い白く青いリボンの付いた帽子を被った少女は扇子で顔を隠しながら、そう力説をするので俺は全てを理解して頷くと弾むような声音で喜びを露わにする。
俺は今までにない程に真剣な表情を作り真摯に目の前の怪人と相対しながら、脳内である一つの結論を導き出して納得する。
「俺にとっては未来で、貴女にとっては過去で俺たちは出会うのですね」
「っ~~ッッ!そうだ!そうなのだっ!正確には12年前に私たちは出会い――――」
喜びから一転して何を思い出しているのだろうか、ふと言葉が詰まる少女は顔を隠すための扇子を震わせながら、ポタポタと滴が顔から流れ落ちて自身の膝元を濡らしている。
「――――この瞬間を私はどれほど待ちわびたのだろうか」
「どういう意味ですか…………理事長?」
「瞑目ッ!私の顔は見てはだめだっ!それにもう一度だけ……昔のように私をやよいと呼んでくれっ!」
「やよい……?すまないが、俺にとってはまだ君とは初対面なんだ」
胸元に抱き着き、やよいは涙で俺の服を濡らしながら小さく身体を震わせていた。俺は言われるがままに目を瞑り、初対面という言葉にビクッとやよいの全身が震え――
「提案ッ!過去から戻ってきたならばトレセン学園を訪ねて私に会いにきてほしい。国男の事情は全てを知っているっ!だから今度は私が養ってみせようっ!」
「それは……うん。ごめん……俺の自尊心が死ぬから……無理かな……」
「がーん!それでは困るのだっ!私が養うと過去の国男と誓ったのだからっ!!」
「いや、未来の俺は何を誓わせてるんだ!?というか、12年前って大の大人が幼女のヒモになる宣言って……時空を超えて今からぶん殴りに行きたい気分だぞ……ッ!」
――俺はこれから未来において、このトレセン学園の理事長たるやよいのヒモになる誓いを立てる未来の俺に対して義憤にかられるのだった。